体験者の声からみた「氣」の力
本来の自分になっていきたい
従姉妹の紹介で真氣光を知る。多忙な仕事で一度心が離れたが、父の病気と祖母の死を機に真氣光を再開。長年の悩みだった副鼻腔炎の症状改善や、「本来の自分」に戻りたいという目標を得る。家族に光を届けたいと願い、積極的に氣を充電する体験を語る。
真氣光との出会いと遠ざかった時期
私が真氣光を知ったのは、以前から真氣光をしていた従姉妹からの紹介でした。2014年頃、私が30代後半のときです。当時は体が疲れやすく、うまく自分を発揮できていないと感じていました。真氣光は体に良いという認識があったので、疲れを取るつもりで、従姉妹に誘われて帯広の体験会へ行っていました。初めて氣を受けたときは、リラックスできるような感覚がありました。
何度か行った体験会では、氣を受けているときに、参加者のかたから思いがけない霊的な反応が出てきたのを目の当たりにして、驚いたことを覚えています。
ハイゲンキは購入しましたが、真氣光は癒やしてくれるものという認識で、困ったときにだけ氣を受けるような感じでした。ただ、ホワイトセラミックヘッドは、仕事のときもずっとお守りのように持ち歩いていました。そうしているうちに、次第に忙しい仕事に飲み込まれ、私の眼から真氣光は消えていきました。
父の病気と祖母の死を転機に
そんな中、3年前に父が脳梗塞で倒れたとき、私は大きな不安に襲われ、「ご先祖様に氣を送りたい」と思い始めるようになり、真氣光フレームを買いました。今思えば、これも大きな転機の一つになったと思います。
同じ年に、真氣光をやっていた祖母が亡くなりました。生前、祖母が私に言っていた「しっかり生きるんだよ」という内容の言葉を、よく思い出すようになりました。
私は3人兄妹の末っ子で、上に2人の兄がいました。長兄は25歳でくも膜下出血による突然死でした。幼い頃の私は「死んだらどうなるんだろう」と考えているような子どもでした。
刺激をもらった研修講座と体の変化
今年(2022年)6月に、初めて研修講座を受講しました。研修講座で印象に残っていることは、参加されている皆さんがそれぞれに、自分の課題を持って前に進んでいることを実感できたことです。長く真氣光をしてきた方が多かったようで、その輪の中に入れたことで、私自身も氣を充電しながら、前に進んで行きたいという気持ちが大きくなりました。
これまでの私は、毎日が会社と家の往復で、思考が狭くなり、将来に希望を感じられない状態でしたが、研修講座の皆さんがいきいきと日々を過ごされている様子に、とても励まされました。
研修講座に参加したのは、母が約20年ぶりに入院し、症状が悪化したことも一つのきっかけでした。離れて住んでいる私は、何もしてあげられないことをもどかしく感じていましたが、離れていても自分にできることは、氣を受けていくことだと考えられるようになりました。
研修講座の後、私の体にちょっとした変化がありました。今年の4月に副鼻腔炎と診断され、匂いがほとんど感じられなくなっていたのです。3ヶ月間薬を飲んで治らなかったら手術だと言われていましたが、研修講座の翌日、病院で再検査をしたところ、わずかながら鼻の状態が改善していることがわかりました。氣を受けているとき、目を閉じた暗闇にフラッシュが光ったような一瞬があり、もしかしたら、あのとき鼻が通ったのかなと想像しています。
真氣光は私の癒やしと目標
今は毎日のルーティンとして、朝晩に氣を受けるようにしています。真氣光の素敵なところは、「自分から変わる」ことを大事にしている点だと感じています。やはり自分が変わっていくしかないと思いますので、大いに共感しています。
真氣光は、今の私にとっては癒やしです。これまでの私は、今の自分は本当の自分らしくないと感じながら生きてきました。最近は、氣を受けていると、本当の自分になれるのではないかと思えてきて、期待しています。本来の自分、飾らない自分に戻れたらいいなというのが、これからの私の目標です。
家系に光を届けたい
母は、私に真氣光を教えてくれた従姉妹の母と双子で、子どもの頃に別の家の養子に入りました。父は母と結婚して婿養子に入り、今の家族があります。それほどこの家系は、家の存続を願う思いが強かった家柄だったのでしょう。
今は倒れた父が静養中ですが、実家に少しでも氣が届いていくように、氣を活用していきたいと思います。最近は、家の出来事に目を背けず、この家があったから私は生まれてくることができて、今の自分があるのだと思えます。
今年の年明けは、「生きている意味がない」と思えるほど落ち込んでいましたが、その半年後に「研修講座で氣を充電したい」と思えたことは、大きな変化だったと思います。今も不安はまだありますが、自分でやれることを、少しずつでもやって前進していこうと思っています。