体験者の声からみた「氣」の力
真氣光を共有してくれる家族に感謝
伯母が真氣光スタッフになったことがきっかけで、30年前に真氣光を知る。コロナ禍での体調の悪化を機に真氣光を深く学び直し、自身の意識と夫婦関係に変化が訪れる。家族で氣を共有できることに感謝し、娘たちの受験合格にも氣の力を活用した体験を語る。
伯母の勧めで始まった真氣光との関わり
私が真氣光を知ったきっかけは、伯母でした。18歳で母を亡くし体調を崩すことが多くなった頃、伯母が真氣光を知りエス・エー・エスに勤め始めたため、私は体調が悪くなるたびに伯母の家へ行き、ハイゲンキで氣を受けるようになっていました。それが20歳くらいのときですから、もう30年前になります。
当時は氣の実感もなく、伯母の説明もあまり理解できませんでしたが、母を亡くした私のことを伯母が心配してくれている気持ちが有り難くて、氣を当ててもらっていました。その後、伯母の勧めで池袋の東京センターへ行き、先代会長の体験会に参加したこともあります。しかし、就職してからは忙しくなり、センターへ行く機会はなくなっていきました。
私がハイゲンキを持ったのは、それから随分後の35歳くらいのとき、第一子を出産する直前でした。主人が「買おう」と言ってくれたことがきっかけになりました。主人は以前、伯母に氣を当ててもらった際、「アンバランスになっていた両肩の位置がまっすぐになった」と驚いた経験があり、それが購入の決心に繋がったようです。
コロナ禍に体調が悪化し、真氣光を深く学ぶ
ハイゲンキ購入後、出産まではお腹に氣を当てたりしていました。お腹に氣を当てると、お腹の子がよく動いたことを覚えています。「氣がお腹の子に届いているのかな」と感じました。その後、子育てが始まると、ハイゲンキはただ家にあるだけになり、毎月届くマガジンも読むことはありませんでした。
2020年8月、コロナ禍の時期に、私は体調をひどく壊しました。今思えば、コロナ鬱のような症状で、半年くらいは起き上がることもできない状態でした。このとき、今まで読むことがなかったハイゲンキマガジンをひたすら読むようになりました。すると不思議なことに、開いたページに書いてある会長の言葉がすごく刺さってきて、「きちんと氣を受けよう」と思うようになりました。ですから、私の本当の意味での真氣光のスタートは、この2020年からだったと感じます。
マガジンを読んで真氣光を学んだお陰か、静かに私の意識が変化していました。「これからは人に頼らず、自分でやらなくては」と自然に思うようになり、主人への不満を抱えていた自分の思いも改めました。主人が毎日休まず仕事に行ってくれることに感謝し、毎晩ハイゲンキを主人に20分くらい当ててあげるようにしました。
コロコロ購入と研修講座への参加
伯母が使っていたミニローラーヘッド(コロコロできる)が無性に欲しくなり、主人に氣を当てながら、こっそりと「コロコロほしいな」と念じていました。その後、一人で電車に乗れないほど体が動かなかった私は、車で連れて行ってもらった池袋での会長セッションで、急に主人が「コロコロ買おうか」と言い出して驚きました。購入資金は、主人の入院が決まっていた主人の父が、おこづかいとして兄弟たちに分けてくれたお金で買うことができ、この展開にびっくりしました。
2024年1月、葉山で開催された研修講座に初めて参加しました。父が亡くなって気持ちが落ち着いた頃で、父に光を送ってあげたいと思っての参加でした。心がすっきりし、真氣光は私には必要だったと心から思えました。特に体調を崩したとき、マガジンを読む度にそのときの自分に必要な言葉が飛び込んでくる体験には、大いに励まされました。真氣光は、今では心のよりどころになっています。
家族で真氣光を共有する喜び
研修講座の後、主人や娘たちに氣を当てると、涙が出たり、あくびが出たりするようになりました。それが収まってくると、「マイナスの氣が出て行ったのかな」と感じます。
今は家族みんなで氣を当て合っています。私が具合が悪いと、娘が氣を当ててくれます。やはり、家族と真氣光を共有できるというのは、いいですね。真氣光を理解してくれる家族の存在は、本当に有り難いです。私の今の願いは、子どもたちが巣立つときには、それぞれにハイゲンキを持たせてあげたいということです。
娘2人の高校受験のとき、志望校の合格率がとても低かったのですが、入試の日には氣のペンダントを持たせ、センターから遠隔で氣を送ってもらいました。そして2人とも、合格を勝ち取ってくれました。娘たちは真氣光に対して疑いの気持ちはまったくないようです。いつかまた、「ここぞ」というときに、氣を活用してもらえたらいいなと思っています。
真氣光は、自分にとってはなくてはならない、必要なものです。伯母には感謝しかありません。真氣光を深く理解するまでは時間がかかりましたが、根気よく伯母が伝え続けてくれたことが、幸いでした。最初は理解できなくても、どこかのタイミングで、心から必要だと思えるときが来るものなのですね。