今月の対談「いい人いい話いい氣づき」

2021年7月「笹原 六氣」さん

笹原六氣

笹原 六氣(ささはら・りっきー)さん

1960年東京生まれ。幼少時から病弱で各地の大学病院や湯治場に通う。20代からパソコンにのめり込み、電磁波の影響で目が見えなくなり、右手も動かなくなる。有機農法の師匠と出会い、農業を始める。山梨に移住しアーモンド作りを開始。2021年4月13日に「令和2年度未来につながる持続可能な農業推進コンクール」で関東農政局長賞を受賞。

『苦難の日々を糧にして、今は心を込めてアーモンドを育てている!』

パソコンにのめり込んで体がボロボロになった若いころ

中川:
 山梨県甲斐市にある「リッキーランド」という農園にうかがいました。こちらでは、アーモンドを無農薬で栽培されています。前例のないことなのでさぞかしご苦労もあったかと思いますが、私が気になったのは、農園主の笹原さんのお名前です。
 六氣と書いて「リッキー」さんと読むんですね。
笹原:
 会長のやっておられる真氣光と同じ氣ですよね。私もとても親しみを感じます(笑)。
中川:
 六つの氣というのはどういう意味が込められているのですか。
笹原:
 私は子どものころから病弱でした。あちこちの病院へ行っては新薬を出されて、その影響で体がボロボロになって、内臓の機能がものすごく低下していました。小学校4年のときには腎臓が悪くなって、人工透析を受けるほどでした。
 見かねた親が姓名判断を受けたところ、画数が悪いと言われたことから何度か名前を変えることになりました。
 六氣を名乗るようになったのは30代になってからです。悲惨な人生が続いていましたので、精神世界とか宗教とか哲学とか、心のあり方についてずいぶんと勉強しました。そんな中で五行思想が好きになりました。古代中国の思想で、万物は木・火・土・金・水の5つの元素からなるという説です。私は、それに空を加えて、6つの元素、エネルギーということで六氣としました。
 それからも苦難は続きましたから、改名に即効性があったわけではありませんでしたが、私はこの名前がとても気に入っています。
 会長も、リッキーと呼んでください。
中川:
 そうでしたか。リッキーさんは61歳ですよね。苦難の人生をへて、アーモンドにたどり着いたわけですね。
笹原:
 病弱な子ども時代から始まって、20代後半にはうつになり、ITの仕事でしたから、一日中パソコンの前に座っていたせいで、電磁波の影響を受けて、体がどんどん悪くなっていきました。
 何のために生まれてきたのか、いっそのこと生まれてこなければ良かったのではと、自問自答の繰り返しでした。
 小学校のときから薬には苦しめられてきたので、どんなに苦しくても抗うつ剤や睡眠薬には頼らず、その代わり、新興宗教、伝統宗教、霊能者、超能力者、いろんなところを回りました。オウム真理教にも行きました。まだサリン事件を起こす前でしたが、幸いなことに、相手にされずに追い返されました。
とにかく、なんでこんな思いをしないといけないのか、答えを知りたくて探し回り、40代後半まで模索の旅は続きました。20年間ですね。その間、何度も自殺を試みました。でも、なぜか死ねませんでしたね。
中川:
 20年間とはすごいですね。IT関連の仕事をされていたのですか。
笹原:
 パソコンに救われている感じでしたね。ネットを通してでしたが、社会に参画しているという安心感があったのではないでしょうか。顔も名前も知らない関係でありながら、心の深いところまで話せる友が見つかったりするわけです。自分にとってはありがたいツールだったですね。
 だからこそのめり込んでいきました。毎日16時間、パソコンの前に座っていたこともあります。トイレとお風呂と寝るとき以外はパソコンの前です。こんな異常な生活をしていて何ともないはずがありません。
 体が悲鳴を上げました。目が見えなくなってきたんですね。手術をしましたが、これで一年以内に視力が落ちてきたら失明する、と主治医に言われました。
 私の場合、術後すぐに視力が低下し始めました。ちょうど自動車の免許の更新がありました。視力が悪いので更新ができませんでした。それで、車を売り払って、白い自転車を買いました。
 白い杖をつくのは抵抗があったので、白い自転車を押して歩いていました。
 絶望的な気持ちになりました。徐々に視力が落ちていくというのはものすごい恐怖でした。生きながらにして人生のどん底を味わったという感じです。
 さらに右手が痛くて箸も持てません。手首も曲がらず肩も上がりません。パソコンもできないし、もう何をやっていいかわかりませんでした。このときに何度目かの自殺を試みました。でも、なぜか死なせてもらえませんでした。
中川:
 やるべきことがあって、なかなか死なせてもらえない人もいるかと思います。今のリッキーさんを見ていると、だれもやったことのないアーモンドの無農薬栽培を成功させているのですから、そういう役割があったのかもしれませんね。
笹原:
 確かに、苦しい体験は今に生きていますね。あのころは苦しいだけの毎日でしたが。
 ひとつ発見がありました。視力という一つの感覚が衰えると、別の機能が敏感になるんですね。目が見えなくなって、人の心がわかるようになってきました。
 言っていることと考えていることが違う人がいるじゃないですか。手に取るように、その人が何を思っているかがわかってしまうようになったんです。

<後略>

(2021年5月20日 山梨県甲斐市のリッキーランドにて 構成/小原田泰久)

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