今月の対談「いい人いい話いい氣づき」

2024年1月「 菊地 英豊」さん

菊地 英豊(きくち・ひでとよ)さん

昭和23年(1948年)東京都生まれ。中央大学商学部を卒業後、建築業を営む父親の跡を継ごうと工学院大学に入り直し、建築学を学ぶ。現場でさまざまな建築技術をマスターしながら、あるときから人が健康で幸せになれるオーガニック住宅作りを目指す。現在、ファミリア建設株式会社代表取締役。https://t-eizen.com ファミリア建設株式会社 〒189-0002 東京都東村山市青葉町1-1-35

『幸せになる住宅作り。人を喜ばせる仕事がしたい』

父親に連れて行かれた建築現場が遊び場だった

中川:
菊地さんは東村山市で建設会社を経営されていますが、家を作るに際して、場のエネルギーをとても大切にしているとお聞きしました。それに、77歳という年齢でまだまだ現役でがんばっておられる。 今日は、お会いできるのを楽しみにしてきました。
菊地:
ありがとうございます。せっかくこの時代に地球という惑星に生れてきたのですから、少しでも人の役に立てて、自分も楽しめるような仕事ができればと思ってやってきました。
中川:
今はシックハウス症候群で苦しんでいる方も多いかと思います。どんな家に住むかはとても重要ですね。
菊地:
シックハウス症候群、多いですね。私のところへ相談に来られる方もたくさんおられます。 最近では、私どもが行った補修工事でシックハウス症候群が出なくなった方がいました。私は、いいと思ったものは積極的に活用するようにしていますが、とても気に入っている抗酸化作用のある溶液を、その方の家の中の壁に塗りました。そしたら、空気ががらりと変わりました。私も作業をしていて、急に呼吸が深くなるのを感じました。その部屋を出ると、また浅くなりました。スタッフにも試させたところ、同じように呼吸の深さが変わると不思議がっていました。
中川:
空気の質が変わったんですかね。
菊地:
そういう気がしますね。私たちが呼吸で取り込んだり出したりする空気の量は、食べ物や飲み物とは比べ物にならないくらい大量です。どんな空気の中にいるかは健康にも大きな影響があるはずです。
中川:
空気も氣ですからね。菊地さんの施工によって家の中の氣が高まったように思います。 氣をしっかり受けることでシックハウス症候群が出なくなった方もいますから、シックハウス症候群も氣と関係があるのではないでしょうか。 ところで、氣のような目に見えない世界のことにもご興味があるとお聞きしています。何かきっかけはあるのですか。
菊地:
振り返ってみると、子どものころから「何のために地球に生れてきたのだろう」と考えていました。 いくら考えても答えが出るはずもありません。それで15歳のときに居直りました。現実をしっかりと見ようと思ったのです。 現実を見ないで、夢の中で何だろうどうしてだろうと探してみても何も見つからないのではないか、と考えられるようになりました。今、自分は地球の上で生きているという現実からのスタートです。 つらいこと、理不尽なことがあっても、現実をしっかりと見つめて、自分で道を切り拓いていかないといけないことに気づきました。
中川:
15歳でそんなことに気づいたのですか。すごいですね。それから建築に向かったわけですか。
菊地:
建築のことは小学校の2、3年のころからやっていました。
中川:
えっ、小学校2、3年ですか。
菊地:
父親が左官業をやっていまして、よく父親のオートバイの後ろに乗せられて現場へ行っていました。 好奇心が旺盛な子どもだったのだと思います。職人さんの仕事を見て、いろいろ教えてもらうのが好きでした。現場が私の一番の遊び場でしたね(笑)。
中川:
小さいころからお父さんや職人さんたちのお手伝いをしてこられたわけですね。
菊地:
大工さんやブリキ屋さんたちが面白がってあれもこれもとやらせてくれました。釘の打ち方やブリキの切り方を覚えて、小学生のうちから建築の基礎をマスターしていました(笑)。しっくいも自分で作れたし、竹を組んで壁に塗るのも一人前にできましたから。
中川:
小学生のうちに建築の基礎をマスターですか。もう天職としか言いようがないですね。
菊地:
でも、すっと建築の仕事に入ったわけではないんです。大学は商学部に入って、会計事務所への就職も決まっていました。 卒業を前に考えました。ちょうど父親が60歳になっていました。いつまで仕事ができるかわかりません。けっこう大きくやっていましたので、自分が跡を継いだ方がいいのではと思い始めたのです。 それで、会計事務所への就職を断って、大学の建築科へ入り直して、建築士の資格をとって、父親の会社で働くことになりました。 遠回りをしたように思われますが、会社を経営するようになって、商学部で学んだことが生きてきました。世の中、無駄なことはないなと思いましたね。
中川:
それはありますね。私も30年前に父が亡くなり、父の会社を継ぎましたが、その前の10年ほどは電機会社でエンジニアをやっていました。扱っているものはまるで違いましたが、エンジニアとして働いていたときの技術や知識が、新しい商品を開発するのにけっこう役に立ちましたからね。

 東村山市・ファミリア建設 株式会社にて 構成/小原田泰久

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