今月の対談「いい人いい話いい氣づき」

2024年3月「佐々木 厳」さん

佐々木 厳(ささき・げん)さん

1984年埼玉県川口市生まれ。大学卒業後、花火の道を志し、山梨県内の煙火製造会社に6年勤務。その後、日本の伝統花火「和火」にひかれて独立。和火を専門に研究、和火の魅力や日本の精神文化を広める活動を行っている。山梨県富士川町の自然環境の豊かな場所で花火作りを行っている。魂を癒す花火。

『慰霊・鎮魂・祈りのエネルギーを乗せて』

夜空へ江戸時代の花火はワビサビを感じる和火ばかりだった

中川:
今日は、東京から甲府まで特急で来て、身延線に乗り換え、市川大門という駅で下りました。駅からは佐々木さんの車に乗せてもらって花火工場までうかがったわけですが、ずいぶんと山の中なので驚いています。 ひと通り工場を案内していただきましたが、花火の工場なので、コンクリートで丈夫に作られた建屋がいくつか並んでいて、小さな要塞みたいな感じです。この時期、寒いと思いますが、火気厳禁ですから、暖房も使えない。今日も冷えます。 毎日ここに来られているんですね。
佐々木:
そうです。毎日、ここで花火を作っています。寒いときはしっかりと着込んで働いています。それでも寒いですね(笑)。
中川:
前号で炭焼き職人の原伸介さんにお話をうかがったのですが、その中に和わ火び師しの方とコラボしたという話があって、和火師って何だろうと調べていて佐々木さんに行き着きました。和火というのはあまり聞いたことがないのですが。
佐々木:
原さんとは彼の講演会でお会いして、すっかり意気投合し、私の花火に原さんの炭を使わせていただくことになりました。 和火ですが、日本の伝統的な花火のことを言います。江戸時代までは和火ばかりでした。明治に入って、西洋から、今私たちが見ているような派手な花火が入ってきて、それが主流になりました。西洋の花火を洋火と言っています。
中川:
先ほど、作業場を拝見しましたが、和火の材料は3種類だけなのですね。
佐々木:
そうですね。塩えん硝しょう、硫い黄おう、木炭という3種類の自然原料です。
中川:
塩硝というのは?
佐々木:
硝しょう石せきのことで火薬の原料になります。塩硝と硫黄、木炭を混ぜることで黒色火薬になります。戦国時代には火縄銃を撃つのになくてはならない火薬でした。
中川:
火縄銃に使われていた技術だったんですね。
佐々木:
江戸時代になって戦争がなくなり平和になったので、火縄銃も必要なくなりました。それで、火薬の技術が花火に使われるようになったようです。 洋火は化学薬品が使われていますので、あんなにも華やかに開きます。 和火は暖かみのある赤褐色の灯りと、幽ゆう玄げんな美しさをもつ炭火の火の粉が特徴です。
中川:
今の花火がカラフルで派手なのは、化学物質が燃焼しているからですか。和火は、木炭の粉が燃えるから、オレンジ色の暖かな色になるわけだ。 私も夏には花火を見に行ったりします。きれいはきれいなのですが、上がったあと空に白煙が広がって見えにくくなります。あれは化学薬品のせいなんですね。 長く見ていると、飽きてきたり疲れてきたりします。和火は見たことないのですが、和火と洋火ではエネルギーが違うのかもしれません。
佐々木:
どこの花火会社でも和火は作っています。ただ、花火大会では洋火と洋火の間の休憩の意味合いで上げています。私は、和火だけで十分に楽しんでもらえる自信がありますけど。
中川:
3種類の自然の原料だけでも変化は出せるのですか。
佐々木:
塩硝と炭の配分によって燃焼のスピードが変えられます。炭の原料が松であるかクヌギであるか、ほかのものであるかによって色味が違ってきます。炭の粉の大きさで火の粉が残る時間が違います。細かい粉だとすぐに消えてしまいます。 そういったことを考えながら設計していきます。3種類の原料をいろいろ変化させながら作る花火なので、私は洋火よりも奥行きが表現できると思っています。
中川:
日本の伝統であるワビサビの世界ですね。渋さがあるんでしょうね。
佐々木:
おっしゃる通り、和火にはワビサビだったり幽玄だったり、日本の精神文化が入っています。原さんはそのあたりのことをよくご存じなので、彼の炭を使った和火は本当に気持ちいいですよ。作り手の思いが乗るのだと思います。
中川:
作り手の思いは大切ですね。料理でも、相手のことを思って作るのと、面倒くさいなと思って作るのとでは、エネルギーが全然違います。 ところで、花火はいつごろからあるものなのでしょう。
佐々木:
原型は中国の狼の ろし煙で、狼煙が発展して花火になったと言われています。 狼煙というのは字を見てわかるように、もともとは狼の糞ふんを使っていたそうです。狼の糞を燃やすと、風に流されることなく、まっすぐに上がるのだそうです。それに時間の経過によって色が変わるらしく、何種類かの色の煙を上げることができたとも聞いています。

2024年1月 17日 山梨県南巨摩郡富士川町 にて 構成/小原田泰久

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