今月の対談「いい人いい話いい氣づき」

2023年8月「奥山 暁子」さん

奥山 暁子(おくやま・あきこ)さん

幼少のころより、草木や虫たち、動物たちとお話しすることができた。その後、自らの不思議な力のことは忘れて、ごく普通に生き、マスコミの仕事をしていた。40歳ころの大病をきっかけに本来の能力がよみがえり、縄文土器さんたちともお話しできるようになり、縄文土器さんたちから聞いた古代の暮らしと心について伝えている。

『縄文土器に込められた縄文の神々の思いを現代に伝える』

がんになったのがきっかけで縄文土器に興味をもった

中川:
今回の対談のお相手の奥山暁子さんは、真氣光の会員さん、小松八惠子さんのご紹介です。縄文土器とお話ができる方ということですが、最初に、小松さんはどういう経緯で奥山さんとお知り合いになったのか、お聞かせくださいますか。

小松: 
今日は諏訪郡の原村までお越しいただき感謝しております。どうしても会長には奥山さんに会っていただきたかったので、対談が実現してとてもうれしいです。 私は一昨年の2月に腕を骨折して、退院後、ここ「もみの湯」は、自宅から車で3分の所にありましたので、骨折のリハビリを兼ねて通っておりました。その後、昨年の7月からこの施設をお借りして、真氣光サロンもみの湯という、気功整体の仕事をしております。 私が奥山さんのことを知ったのは、昨年「もみの湯」の玄関の所に、原村で奥山さんの「縄文人の健康法」の講演会があるというチラシが置いてあってとても興味があったのですが、その日は都合がつかず、それでも気になって仕方なくて、直接奥山さんに電話をしました。 奥山さんのことを真氣光の仲間にもお話ししたところ、ぜひお会いしたいということでした。奥山さんはその頃、伊東市に住んでいらっしゃいましたが、原村までお越しいただいて少ない人数でしたが、お話を伺うことができました。2回目は、富士見町にある井戸尻考古館を案内していただき、縄文土器さんのお話をお聞きしました。 そのときにすっかり意気投合して、会長に会っていただきたいと思った次第です。 奥山さんも、真氣光のことを以前からご存じで、会長ともお話ししたいとおっしゃってくださいました。
奥山:
八惠子さんのおかげで中川会長にお会いできて光栄です。今日はよろしくお願いします。 私は、もともとは週刊誌の記者をしておりました。ところが、がんが見つかって手術を受け、そのあと、先代の会長から真氣光を学んだ静岡の高橋呑どん舟しゅう先生のお世話になりました。 関英男先生のご著書も拝見し、真氣光が宇宙エネルギーを使ったものだと知ってとても興味をもちました。
中川:
病気がきっかけで大きな変化があったわけですね。
奥山:
そうですね。記者をしているときは、仕事で成功したり、お金をたくさん稼げることが幸せだと思っていました。物質にしか目を向けない唯物論者でした。 しかし、思い返してみると、子どものころはいろいろなものが見えていて、森や木、川、風などの精霊さんと話をしていました。小学校に入って、私には当たり前に見ているものが、ほかの人には見えていないことを知り、自分はおかしいのかなと思うようになって、次第にそうした能力にふたをするようになりました。 がんになって死んじゃうかもと思ったとき、もともとの能力がよみがえったのかもしれません。
中川:
動物や植物とお話をするという話はよく聞きますが、縄文土器と話すというのは初耳です。縄文土器とはどういうきっかけだったのですか。
奥山:
ゆっくり順を追ってお話ししますね(笑)。ずっとサラリーマンをやっていて、たくさんのストレスを抱えて病気になったとき、自分の体の声を聞いてみようと思いました。何をしたいのだろう? と自分に問いかけると、土を触りたいとか、田んぼでバッタをとりたいという意外に素朴な気持ちが湧き上がってきました。 そんなときに、高橋先生の治療院で長野のこのあたりの人と知り合って、長芋掘りにおいでよと誘われました。 すぐに出かけました。これが大きなきっかけになりました。 長芋を掘って、お昼にしましょうというので近くのおそば屋さんに出かけました。 2人で行ったのですが、とても混んでいて4人掛けの席で相席になりました。向かいに座った60代の男性はカメラマンでした。それも、縄文土器を撮影している方だったのです。
中川:
ここで縄文土器との接点ができるのですね。
奥山:
最初は、縄文土器なんて撮ってどうするのだろう、と思っていました。 でも、話を聞くうち、じわじわと興味が湧いてきました。 そのカメラマンは、滋しげ澤ざわ雅人先生というお名前ですが、もともと能面の撮影をされていて、そのときに照明の大切さに気づかれたそうです。 能面はもともとは野外で使われるものだから、電気の光のもとではそのものの本来の姿が見えてこないとおっしゃるんですね。それで、かがり火やたき火を意識して能面に照明を当てると、私たちが電気のもとで見るのとはまったく違う表情が浮かんでくると言うのです。 縄文土器も、能面と同じで博物館の人工的な照明では本当の姿が浮かび上がってこないと気づかれました。縄文時代に製作された土器は自然の光のもとで作られたものですから。それで、できるだけ自然の光、つまりかがり火やたき火、月の光を再現できるような照明を工夫して縄文土器を撮影しようと思ったそうです。 自然の光のもとで縄文土器を撮影すれば、縄文人が森や川や空間の中に見ていた八百万の神々の姿が浮かぶだろうというひらめきというか確信が生まれたとおっしゃっていました。実際に、滋澤先生の写真には縄文人が見ていたであろう神々の姿が写っています。

長野県諏訪郡原村のふれあいセンターもみの湯にて 構成/小原田泰久

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