2023年3月「丹葉暁弥」さん
- 丹葉暁弥(たんば・あきや)さん
北海道釧路市の大自然の中で生まれ育つ。自然写真家。シロクマ写真家の第一人者。高校を卒業後東京へ。1995年に野生のペンギンにあいたくて南極へ行く。1998年からはカナダ北部にシロクマにあいに行くようになる。『HUG! friends まずはハグしよう。』(小学館)、『HUG! earth シロクマと友だちと地球の物語』(小学館)など写真集がある。
『シロクマに出あったことで人生に光が差し込んだ』
ペンギンにあうために南極まで出かけて行った
- 中川:
- 丹葉さんは20年以上、シロクマの写真を撮り続けておられるそうで、写真集やカレンダーを拝見したのですが、何とも言えないシロクマたちの表情や仕草に癒されますね。シロクマのお話をいろいろお聞きしたいと思うのですが、その前に、目に異常があって真氣光を受けられたという話からうかがいましょうか。
- 丹葉:
- 一昨年でした。朝目覚めたとき、最初に目に入ってきたのがテレビだったのですが、2台に見えました。1台しかないのにです。目をこすったりしたのですが、全然直りません。ほかを見ても、全部、2つに見えるのです。病院へ行ったら複視だって言われました。私の場合、右目の眼球を真ん中から右に動かす筋肉がマヒしていたみたいです。外へ出ると道路も電柱も2つに見えました。右目をふさがないと危なくて仕方ありません。イライラしますしね。こちらへうかがったときも眼帯をしていました。
- 中川:
- 病院では治療法はないんですか。
- 丹葉:
- ないですね。自然に治るのを待つしかないと言われました。治療と言っても、ビタミン剤を飲むくらいです。そのことを知り合いに話したら、真氣光がいいんじゃないかとすすめられました。
- 中川:
- それで東京センターへ通われたんですね。
- 丹葉:
- 一昨年の年末でした。最後の営業日だったですね。同時に帯状疱疹だと思うのですが、足が痛くて動けなくて、2021年から22年にかけてはさんざんでしたね。年明けから何度か通って、おかげさまで目は良くなりました。
- 中川:
- それは大変でしたね。原因がわからなかったり、治療法がない場合、氣が有効な場合があります。でも、そういうことがあったからお会いできたわけで、縁というのは不思議です。きっと、丹葉さんとシロクマとのご縁にもすてきなストーリーがあると思います。シロクマとの出あいのきっかけから聞かせていただけますか。
- 丹葉:
- 最初の出あいは小学校5年生のときです。夏休みの宿題で近くの動物園でお手伝いをすることになり、私がシロクマの担当になりました。シロクマのエサを作ったりしてお世話をしたのですが、このとき大人になったら野生のシロクマを見に行くぞと思いました。
- 中川:
- 子どものころの夢がかなったわけですね。
- 丹葉:
- 紆余曲折ありましたが(笑)。私は釧路の出身で高校を卒業後、東京へ来ました。学校へ通い、その後、就職をしたのですが、会社にもなかなか適応できず面白くないし、だからと言って、何かやりたいことがあるわけでもあく、非常に悲観的に生きていました。ただ動物は好きで、あるときペンギンにあいに行きたいと思い始めました。
でも、1995年でしたから、インターネットもありませんし、南極に関する本も見つからず、ほとんどあきらめていました。でも、願いは叶うもので、夜の11時からのニュースを見ていたら、キャスターの櫻井よしこさんが「今日の特集は南極観光です」と言うわけです。南極観光ツアーが始まったということで特集を組んだようです。
テレビに釘付けになりました。問い合わせの電話番号が紹介されたので、夜中なのにすぐに電話しました。スタッフの人が残っていて、資料を送ってもらうことにしたのです。 - 中川:
- 人生の転機ですね。何気ないことから道は拓けてくるものですね。カメラにも興味があったのですか。
- 丹葉:
- 当時はメーカーで技術者をやっていました。実家が写真館だったので、カメラは小さいころから触っていました。でも、南極へ行くのは写真を撮るというよりも、ペンギンにあうのが一番の目的でした。
ロスアンゼルスからブエノスアイレスへ行って、さらに南に移動して、船で南極へという予定だったのですが、オーバーブッキングとかあって、えらく遠回りしました。
- 中川:
- 初めての海外旅行だったのですか。
- 丹葉:
- 英語もできないし、外国は怖いところだと思っていましたので、海外へ旅行に行こうと思ったことはありませんでした。でも、ペンギンにあえるのですから、そんなこと言っていられません。
オーバーブッキングがあったせいで、飛行機では隣がアメリカ人でした。ドキドキしていたら、その人が私に話しかけてきました。どうしようと戸惑いながら、片言の英語で、自分は英語も苦手だし、海外旅行は好きじゃないというようなことを話しました。そしたら、「私に任せなさい」と、機内誌を教材にして英語のレッスンをしてくれました。その方は小学校の先生で、教え方がとても上手でした。到着するまで思いのほか楽しい時間が過ごせて、海外旅行が好きになりました(笑)。<後略>
東京・ 池袋のエスエーエス東京センターにて 構成/小原田泰久