今月の対談「いい人いい話いい氣づき」

2023年2月「廣澤英雄」さん

廣澤英雄(ひろさわ・ひでお)さん

1937年茨城県に生まれる。1958年に合気道「龍ヶ崎道場」に入門。1961年から68年までの約7年間、開祖・植芝盛平師の弟子。1994年に7段を取得。2006年イタリアに招待され合気道の模範演技を披露し指導。現在、公益財団合気会廣澤塾(岩間)師範。他に大学や道場、カルチャースクール、クラブなどで合気道を指導。

『勝ち負けを捨て宇宙と一体になって世界平和を実現』

85歳になってやっと合気道の真髄をつかむことができた

中川:
ご無沙汰しています。前回対談に出ていただいたのは2006年8月号でしたから、16年以上前のことです。先生をご紹介くださったのは会員の山田秀明さんでしたが、今回も山田さんから「廣澤先生も85歳になられてすばらしい境地に達しておられるのでぜひ会ってみてください」と言われて、お話をうかがいたいと思った次第です。
廣澤:
85歳ですが、まわりには65歳だと言っています(笑)。まだまだやることがいっぱいあるので年を取っていられないんです。山田さんも、前に会長とお会いしたときにはたまにお会いしてお話をするくらいの関係でしたが、2年ほど前から道場へ通うようになって、本格的に合気道を始めています。
中川:
そうでしたか。氣のことをずっと勉強されていますので、上達も早いと思います。もうひとり、尾崎靖さんも真氣光の会員さんですが、先生のお弟子さんで、先生を東京にお呼びして、ワークショップを開いたりしていますね。
廣澤:
2人ともいろいろ協力してくださってありがたいですよ。


中川:
先生はタクシーの運転手さんをやっておられて、2人ともたまたま乗せたお客さんだったそうですね。
廣澤:
そうなんですよ。お客さんで弟子になってくれたのは2人だけですよ(笑)。まさに氣が合ったんでしょうね。山田さんとは25年ほど前、尾崎さんとは15年ほど前ですね。山田さんを乗せたのは六本木だったかな。大雨でした。どういうわけか氣の話になりましてね。降りるときに名刺の交換をして、ときどき電話で話をするようになりました。尾崎さんは仕事帰りじゃなかったかな。以来、長くお付き合いさせてもらっています。縁があったのでしょうね。

中川:
タクシーは、狭い車の中で運転手さんと二人きりになるじゃないですか。運転手さんが嫌なことがあってかイライラしていると、こっちも居心地が悪くなります。私はそんなときには運転手さんに氣を送ります。それで雰囲気が変わることがあります。

廣澤:
私もいろいろなお客さんを乗せました。タクシーの運転手は、人間観察もできたし、合気道のいいトレーニングにもなりました。呼吸によって相手の意識と自分の意識を結びます。そうすると、お客さんがどんな人かがよくわかるし、私と一体化しますから、イライラしていた人もご機嫌になります。行先を聞く前にどこへ行くかがわかるようなこともあります。私の車に乗ると気分が良くなると、銀座のママさんがファンになってくれて、たくさんのお客さんを紹介してくれたこともあります。
中川:
氣の交流ができているんでしょうね。先生はあの当時から合気道の達人だったわけですが、修行は終わりがないとおっしゃっていました。最近になって、すごい境地に達したそうですが。
廣澤:
武術をやっていると、「これでよし」と思うことはないですね。まだまだ修行をしないといけないのですが、それでも「ここまでこれたか」と感慨深くなることもあります。私の手相は50代からどんどん変わりました。二つの線(感情線と頭脳線)がくっつき始めました。今では一直線になってしまいました。両手ともです。知り合いの手相見がびっくりしていました。こりゃ豊臣秀吉と一緒だってね。なかなかこんなのはなくて、天下取りの手相だっていうんですね。70歳を過ぎたらとんでもないことになるよと言われました。天下を取ろうとは思っていませんが、人はどんどん変わるし、強く思って行動していれば、夢が叶います。65年前、合気道の開祖である植芝盛平先生から一回だけ習った技がついにできるようになりました。ずっとその技が頭に中にあって、毎日稽古をしてきたのですが、うまくできません。それができたのです。
中川:
どうすればできるのか、ずっと考えていたのですね。
廣澤:
私の部屋には大きく伸ばした大おお先生(植芝先生)の写真が飾ってあります。じっと見ていると何か伝わってくるものがあります。
中川:
あちらの世界から開祖が教えてくれているんでしょうね。やっとわかったかとおっしゃっているのではないでしょうか。
廣澤:
合気道は「和の武術」です。戦わず競い合わない。だから試合はありません。敵を作らず勝ち負けはない。宇宙と一体になることを目的としています。大先生も、その境地に達したのは晩年になってからです。私は、理屈としては宇宙と一体になることはわかっていましたが、心底は理解していませんでした。だから、大先生が教えてくれた技ができなかったのだと思います。それができたというのは、私も80歳を過ぎて、先生の境地に手が届いたのかなとうれしくなりました。<後略>

東京都千代田区内神田にて「 構成/小原田泰久

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