2021年11月「立川あゆみ」さん
- 立川あゆみ(たちかわあゆみ)さん
千葉県八千代市の農家の長女として生まれ、畑を遊び場として育つ。アパレル会社勤務、お笑い芸人、専業主婦、飲食店勤務など、さまざまな職をへて、パクチーの栽培を始める。その間、夫が他界するなどつらいことも体験した。今はパクチーの6次産業化を進め、新聞やテレビ、ネットなどで紹介されるようになった。
『つらさを乗り越え、パクチー栽培でワクワクする毎日』
お笑い芸人、結婚、夫の急死と波乱万丈の20代30代
- 中川:
- Yahooニュースを見ていたら、《元芸人が農業に転身、話題のパクチー自販機で活路「最愛の夫の他界が転機に」》という立川さんに関する記事があって、すぐに読ませていただきました。私はパクチーが大好きです。それでこの記事が目に止まったのだと思います。「元芸人が農業」とか「最愛の夫の他界」というタイトルを見て、きっと波乱万丈の人生を送った方だろうと興味をもちました。パクチーの自販機という発想も面白いなと思いました。
- 立川:
- ありがとうございます。私も氣とか波動には興味があります。会長は氣の専門家ということですが、会長のところへはどんな方が来られるんですか?
- 中川:
- 体調が良くない方とか、迷い、悩みがある人が多いですね。氣は生命エネルギーですから、不足したり流れが悪いと体調も悪くなりがちだし、運気も高まりにくいと思います。だから、氣をしっかりと受けていただいて、氣を充電し、流れを良くすることで、いろいろな変化が起こってきます。氣を受けていると、生き方や考え方が変わってきて、つらいことがあっても、押しつぶされるのではなく、それをバネにして一歩二歩と前進できるようになる方も多いですね。立川さんもつらいことがいっぱいあったと思いますが、それを乗り越えて、今は充実した毎日を過ごしておられるのは、氣がしっかりと充電されているからじゃないかと思います。若いころはお笑い芸人を目指していたんですね。
- 立川:
- 小さいころから芸能界に興味があって、お笑い芸人になりたいと思っていました。テレビの『オレたちひょうきん族』なんかが流行っていたころです。大阪のNSC(NewStar Creation 吉本総合芸能学院)に受かりました。ダウンタウンさんは、ここの一期生です。千原兄弟さんとかナインティナインさんといったお笑い界で大活躍している人たちが卒業しているところです。でも、両親に反対されて、服飾の専門学校へ進みました。ファッションにも興味がありましたから、卒業後はアパレル関係の会社でデザイナーの仕事をしました。しばらくして吉本興業が東京に進出して銀座七丁目劇場ができました。オーディションがあると知って、お笑い芸人になりたいという気持ちがよみがえり、オーディションを受けました。そしたら受かっちゃったんです。何年かはアパレル会社に勤めながら、舞台に立ってお笑いをしていました。
- 中川:
- それから結婚されたんですね。
- 立川:
- 結婚して専業主婦になりました。今は26歳の娘と23歳の息子がいます。
- 中川:
- ご主人は亡くなったとニュースには出ていましたが。
- 立川:
- 結婚して12年目。私が33歳のときでした。主人は13歳上の46歳でした。死因は心筋梗塞でした。
- 中川:
- 突然だったんですね。
- 立川:
- 春分の日に、みんなで息子の野球チームの応援に行きました。そしたら、胸が苦しいからと言って、主人は先に家へ帰りました。心配だったので、しばらくしてから電話をしましたが出ません。メールの返事もありません。おかしいなと思ってあわてて帰ったら、ベッドで亡くなっていたんです。玄関を開けたとき、いつもと違った雰囲気がありました。ああいうときって、119番に連絡するんですよね。でも、慌てていたので110番に通報してしまい、救急に回してもらいました。救急車が来るまで心肺蘇生をしましたが、結局戻ってきませんでした。
- 中川:
- 大変だったんですね。お子さんも小学生ですしね。
- 立川:
- 3年くらいは突然涙が出てきたりして、精神的に不安定でしたね。いいこと嫌なこと、いろいろあったけれども、いつもそばにいた人がいなくなる喪失感は想像以上でした。たくさんの人に助けてもらったり支えてもらったりしましたが、それでもさみしさはどうしようもなかったですね。子どもたちのケアもしないといけないですしね。子どもたちは、お父さんが突然いなくなった寂しさもあるけれども、親って、お父さんが怒ったらお母さんが慰めるみたいなバランスがあるじゃないですか。それが崩れちゃって、私一人で怒っては慰めるということをやらないといけないので、接し方が難しかったですね。戸惑いばっかりでした。
- 中川:
- お子さんたちもお母さんのことを気遣ってくれたりしたんじゃないですか。
- 立川:
- 母と子どもの絆という面では強くなったと思います。ずっと仲のいい親子ですねと言われますから。3人で支え合って生きていこうという意識が自然に芽生えたのだと思います。ただ、子どもたちも精神的に不安定な部分はありました。下の子が4年生のときだったかな。行動が変なので病院へ連れて行ったことがありました。今は、私の仕事を手伝ってくれたりしてとても助かっています。
<後略>
千葉県八千代市のPAKUCISISTERSにて 構成/小原田泰久