2021年1月「西川 悟平」さん
- 西川 悟平(にしかわ・ごへい)さん
1974年大阪府堺市生まれ。15歳からピアノを始め、1999年に故デイヴィッド・ブラッドショー氏とコズモ・ブオーノ氏に認められ、ニューヨークに招待される。2000年、リンカーンセンター・アリスタリーホールにてニューヨークデビュー。2001年に両手の指が動かなくなり再起不能と診断される。リハビリによって機能を取り戻し、7本の指での演奏活動を始め、世界の超一流のホールでコンサートを行う。著書に「7本指のピアニスト」(朝日新聞出版)がある。PanasonicのCMや映画「栞」の主題歌に起用され、2019年にはベストドレッサー賞を受賞する。
『あきらめたらアカン! 指が動かなくてもピアノは弾ける』
大ピアニストの前座をやったことがきっかけでニューヨークへ
- 中川:
- 西川さんの『7本指のピアニスト』(朝日新聞出版社)を読ませていただきました。絶頂期から一気にどん底に突き落とされ、そこからまた這い上がってくる。まさにジェットコースターのような人生ですね。だれもがいろいろな困難にぶち当たって苦しんだり悩んだりしますが、そんなときにこそ、考え方や生き方を変えることがとても重要だと改めて思いました。今日は、そのあたりのことをお聞きしたいと思います。
- 西川:
- ありがとうございます。私は今、全国でコンサートをしていますが、ぼくは絶対に無理だと思っても頭の中にクリアに想像できれば実現できるということを、7本指でピアノを弾く姿や実体験から感じ取っていただきたいと思っています。ですから、トークもけっこう重視していて、「トーク&ピアノコンサート」という形で行なっています。
- 中川:
- いろいろなエピソードをお持ちですからね。だいたい、15歳からピアノを始めて、プロのピアニストになる人もいないでしょう。
- 西川:
- 中学生のときはチューバをやっていて、音楽の先生がとてもすてきな女性だったので、彼女の後輩になりたくて大阪音楽大学を目指すことを決めました。下心ありありです(笑)。高校生になって先生からピアノを習うことになり、先生が弾くピアノにものすごく感動して、チューバはやめてピアノ科に行くと決めました。そのことを先生に言うと、「今、ピアノを始めたばかりで、受験まで3年もないのに絶対に無理」と一刀両断でした。ドの音がどこにあるかを知ったばかりの超初心者が3年で音大のピアノ科に合格できるとはだれも思わないでしょうからね。
- 中川:
- 常識的には100パーセント無理だと思います(笑)。
- 西川:
- でも、ぼくは無理だとは思わなかったんですね。毎日何時間も、課題曲をCDで聴きながら自分が見事に弾きこなしている姿をイメージしました。学校も行かずに一心不乱に練習をして、同時に理想の演奏を頭の中にクリアに描き出すことを続けると、いつかそれが合致するときがきます。ぼくの場合、受験の前に合致して推薦で憧れの先生の後輩になれました。
- 中川:
- すごいですね。どんなことでも「無理だ」「できない」と思ったら、もう前へ進めませんからね。無理だと思わないから、どうしたらできるようになるか、工夫が生まれてくるんでしょうね。まず一つのハードルを超えたわけですが、卒業してからも、いろいろなことがあったようですね。
- 西川:
- 卒業後、デパートに就職し和菓子の部門に配属されました。あるとき、調律師の方からニューヨークのジュリアード音楽院を卒業して世界中で演奏活動をしている大物ピアニストが大阪でコンサートを開くので前座で弾いてみないかと言われました。ジュリアード音楽院と言えば、ぼくにとっては夢のまた夢の音楽院です。そこを出て世界的に活躍しているピアニストの前座。そんなの、ぼくにできるはずがないと思ってしまうじゃないですか。「忙しくて時間がないので」とぼくは断りました。
そしたら、調律師の方はぼくの目を見てこう言いました。
「どこの世界に音大まで出て、まんじゅうを売るのが忙しいからとコンサートを断るバカがいるんや。時間がないんやなくて、自信がないだけやろ」
図星でした。ここまで言われたら後には引けません。「やります」と答えました。 - 中川:
- この決断が人生を大きく変えることになったわけですね。
- 西川:
- そうなんですよ。そのときはびびっていましたけどね(笑)。
コンサート当日、ぼくを出迎えてくれたのは、デイビッド・ブラッドショー先生とコズモ・ブオーノ先生という2人の大物でした。心臓が口から出るかと思うほど緊張しながら、それでもこんなチャンスはないと、あれこれ質問したのを覚えています。本番では清水の舞台から飛び降りるような気持ちで弾きました。演奏時間は約10分。緊張し過ぎて5~6回はつっかえてしまって、失敗したとうなだれて楽屋へ戻りました。そしたら、ブラッドショー先生はこんなアドバイスをくれました。
「表現したいことがいっぱいあるんだね。それはわかるけれども、技術が追いついていない。鍵盤をもっとコントロールすることを覚えれば、やりたいことが表現できる。やりたいという思いはきちんと伝わってきたよ」
がっかりされると思っていましたから、この言葉には感動しました。がっかりどころか、この演奏がきっかけで、ぼくはニューヨークへ行って先生たちからピアノを教えてもらえることになったのです。
デパートで和菓子を売っていた男がいきなりニューヨークですから、信じられないような展開です。
<後略>
(2020年11月20日 東京・江東区のシンフォニーサロンにて 構成/小原田泰久)
- メディアの紹介
CD『西川悟平 20th Anniversary』