今月の対談「いい人いい話いい氣づき」

2019年9月「G.G.佐藤」さん

G.G.佐藤(ジージー・さとう)さん

1978年千葉県生まれ。大学卒業後、単身渡米しマイナーリーグと契約。3年間プレーする。2003年のドラフト会議で西武から7位で指名される。オールスターにも出場するなど第一線で活躍。北京オリンピックでは日本代表に選ばれる。2011年西武から戦力外通告。イタリアに渡る。その後、千葉ロッテに入団。2014年に現役引退。現在は株式会社トラバースで営業の仕事に従事。著書『妄想のすすめ~夢をつかみとるための法則48』(ミライカナイブックス)。

『どんな失敗も挫折もとらえ方ひとつで大きな学びとなる』

願い続ければ夢は必ずかなう。 かなわかった人は願うことを途中でやめた人だ

中川:
元プロ野球選手のG.G.佐藤さん。G G(ジージー)さんとお呼びしていいでしょうか。埼玉西武ライオンズとか千葉ロッテマリーンズで活躍されました。
プロのスポーツ選手とお会いするのは初めてですが、背が高いですね。何センチくらいあるのですか?
GG:
どうぞGGと呼んでください。会社でもみんなそう呼んでいますから。身長は184センチです。体重はずいぶんと絞りましたが、大学を出たころは110キロく
らいありましたね。
中川:
今はスリムでモデルさんになれるような体型ですね(笑)。GG佐藤というユニークな名前の由来は何なのですか?
GG:
小学生のころは4番でエース。将来はプロ野球選手になれると信じていました。中学生になったらもっと強いところでプレーしたかったので、東京にあった「港東ムース」というチームに入りました。このチームはヤクルトや阪神、楽天で監督を務めた野村克也さんの奥さんのサッチーこと沙知代さんがオーナーでした。全国制覇をしたことのある強豪です。
オーナーにはよく怒られました。ぼくは猫背だったので、「ちゃんと背筋を伸ばせ。ただでさえ顔がジジくさいんだから」といつも言われました。顔がジジくさいには参りました(笑)。毎日のようにそう言われているものですから、いつしかチームメイトが私を「ジジイ」と呼ぶようになりました。「GG」はそこからきているんです。だから、名付け親は沙知代さんです(笑)。
中川:
プロの選手になるくらいですから、野球のエリートだと思っていたのですが、そうではなかったみたいですね。
GG:
中学時代から挫折だらけですよ。港東ムースでも、まわりは私よりもはるかに上手な子ばかりです。いつも辞めたいと思っていました。高校は甲子園の常連校に進みましたが、私の代は地区予選敗退でした。法政大学へ入ってもずっと補欠でした。
私のような経歴のプロ野球選手はいないんじゃないでしょうかね。
中川:
挫折の連続というのは意外でした。中学生のころ、野村克也さんから心に残る言葉をもらったそうですね。
GG:
中学を卒業してチームを離れる卒団式のときでした。野村さんがこんな言葉を贈ってくれました。
「願い続ければ夢は必ずかなう。かなわかった人は願うことを途中でやめた人だ」
体が熱くなりました。プロ野球選手になりたければ願い続ければいい。そう思うと希望がわいてきました。とにかくこれからもずっと願い続けようと決心しました。野村さんからは「念ずれば花開く」と書かれた色紙をいただきました。私の宝物です。苦しくなるとこの言葉が頭に浮かびます。
中川:
挫折すると、やっぱり自分はダメだとか、自分には無理だとか、夢なんかかなうはずがないとあきらめてしまいますからね。
大学時代もレギュラーになれなくて腐りそうになったそうですね。
GG:
同期には、その後、プロ野球で活躍した連中が何人もいました。とても太刀打ちできません。3年生になると、もう完全に心が折れて、練習をさぼるようになりました。プロの夢も消えてしまい、取りあえず卒業だけするかという情けない状態でした。
このままじゃいけないと思って、「どうしたらやる気が出るだろう」と自問自答しました。行き詰ったときには自問自答するのが私の癖ですね。自分に聞くことで次に何をすればいいかぱっとひらめくことがよくあります。
このときも、人が望む姿ではなくて、自分はどうなりたいのかを考えることが大切だというような答えが返ってきました。そうか、監督やコーチから、お前はこうなったらいいんじゃないのと言われたとおりの選手になろうとするのではなくて、好きな自分、なりたい自分に向かっていくのがいいんじゃないかと思ったんですね。
中川:
ほお。好きな自分、なりたい自分ですか。
GG:
当時、体が細かったので、器用な二番バッタータイプの選手になるように言われていました。でも、私は小学校のときがんがんとホームランを打っていた自分が大好きでした。もうまわりの言うことなど聞かずに、ホームランバッターになろう! と決めました。そしたら俄然、やる気が出てきました。
あのころはウエートトレーニングをする選手はあまりいませんでしたが、そんなこと関係ありません。ホームランを打つにはパワーが必要です。プロテインを飲んでウエートをやって、筋肉もりもりの体を作りました。
そしたら、どんどん飛距離が伸びて、練習をやっていても楽しくてたまりません。公式戦に出ることもできました。それで自信も取り戻しました。もっとも、この時点ではプロから声がかかるほどではなかったですけどね。

<後略>

2019年7月24日 千葉県市川市・株式会社トラバー スにて 構成/小原田泰久

著書の紹介

「妄想のすすめ 夢をつかみとるための法則48」G.G.佐藤 (著) ミライカナイ

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