今月の対談「いい人いい話いい氣づき」

2018年8月 「新井 勝紘」さん

新井 勝紘(あらい かつひろ)さん

1944年東京都生まれ。東京経済大学経済学部卒業。東京都町田市史編さん室、町田市立自由民権資料館主査、国立歴史民俗博物館助教授などをへて、専修大学文学部教授を務める。現在、認定NPO法人・高麗博物館館長、成田空港 空と大地の歴史館名誉館長。著書に『民衆憲法の創造』(共著 評論社)『戦いと民衆』(共著 東洋書林)『五日市憲法』(岩波新書)などがある。

『開かずの蔵から解き放たれた五日市憲法と千葉卓三郎』

五日市の山の中の古い土蔵を調査したら思わぬ貴重な資料が

中川:
新井先生の書かれた「五日市憲法」(岩波新書)を読ませていただきましたが、たくさんの驚きがありました。東京の西のはずれ、JR五日市線の終点「武蔵五日市」駅から山道を1時間ほど歩いたところにある“開かずの蔵”で、学生だった先生が、ゼミの指導教授や仲間たちと一緒に土蔵を調査するところから話が始まります。今から50年も前のことです。そこで先生は大変なものを見つけたわけですね。
新井:
今年は明治150年ですが、あの年は明治100年でした。首相が佐藤栄作で、政府も地方も明治100年の一大キャンペーンを張って大いに盛り上がっていました。
その騒ぎを横目に見ながら、私の恩師である色川(いろかわ)大吉先生は、そんなにめでたい100年じゃないと、私たちに言いました。冷静に日本近代史を見直せば、明治以降、日本は半分くらい戦争をしてきたわけです。今の時代の人たちがお手本にするような100年ではなかったし、アジアの国々に誇れるような100年ではない。君たちも近代日本史を学ぶゼミに入ったのだから、そのあたりのことを真剣に考えろと言われました。
それがきっかけでした。日本全体を見るかではなくて自分の足もとの歴史を振り返ってみて、地域にとって100年はどうだったかを見るといいということで始まったのが土蔵の調査でした。
中川:
それで五日市の土蔵に入られたわけですね。
新井:
前々から先生が交渉されていた蔵だったのですが、ここで改めてお願いしてもらったところ、『ガラクタしかありませんから』と、断られてしまったのです。それでも、なければないでいいし、何もないとわかればそれでいいんですと、再度交渉をしていただき、夏休みならご当主も立ち合えるので調査の許可が出ました。1968年(昭和43年)8月27日、開けたことのない土蔵が開けられました。
中川:
当時の土蔵の写真をおもちいただきましたが、かなり古いものですね。
新井:
かつては深沢家という豪農の屋敷がそこにはありました。母屋は町の方に引っ越していたので、残っていたのはこの土蔵とお墓くらいでした。土蔵の屋根は樹木の皮でふいてあって、そこにはところどころに夏草が生えていました。土壁も中身が見えるほど崩れていて、失礼ながら朽ち果てているという表現がぴったりでした。
中川:
でも、こんな山の中にある古い土蔵に重要な資料があるかもしれないと、どうして思われたのでしょうか。
新井:
『利光鶴松翁手記』という小田急電鉄の創業者・利光鶴松さんの伝記があります。そこに、若いころ、五日市にいていろいろな刺激を受けたということが書かれてありました。この土蔵の主である深沢さんにも、彼はずいぶんとお世話になったみたいです。当時、深沢家では、東京で出版された書籍はことごとく購入して、だれにでも自由に見せてくれていたようです。利光さんも、深沢家にある本をむさぼるように読んで、さまざまなことを学び、考えました。伝記には、自分の原点は五日市にあるとまで書かれていますから、彼としては目を開かれたような数年間だったのだと思います。深沢家の土蔵を調査すれば、利光さんたちが一生懸命に読んだ本があるかもしれないという期待はありました。
中川:
そうですか。何か貴重な資料があるだろうという期待はあったわけですね。それでも、大日本帝国憲法の草案まで出てくるとは思ってもいなかったでしょうね。
新井:
土蔵は2階建てになっていて、1階にはお盆とかお皿とかとっくりとか、人寄せのときに使う道具がありました。2階に上がってみると、長持ちとか箪笥とかが並んでいました。箪笥を開けたら、本とか文書が押し込まれていました。いよいよ調査が始まると、緊張感が走ったのを覚えています。
自然の流れの中で、私は2階の左奥のあたりを調査することになりました。そこに弁当箱くらいの大きさの竹で編んだ箱がありました。ふたをあけたら風呂敷包みが出てきました。その中には一群の資料が入っていました。その風呂敷包みの中にもっとも重要な資料が集中して納めてあったんですね。
私が手にした資料群の一番下に、筆で書いた条文みたいな文書がありました。表紙に「日本帝国憲法」と書いてありました。私は、大日本帝国憲法の大が虫に食われたか消えたか、書き忘れたかと思いました。大日本帝国憲法が発布され、彼らがそれを書き写したのだろうというのが第一印象でした。

<後略>

(2018年6月19日 東京都新宿区の高麗博物館にて 構成/小原田泰久)

著書の紹介

新井勝紘 著「五日市憲法」(岩波新書)

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