今月の対談「いい人いい話いい氣づき」

2018年7月 「山田 幸子」さん

山田 幸子(やまだ さちこ)さん

1936年東京生まれ。横浜市立高等看護学院を卒業後、横浜市立大学病院外科病棟、都立豊島病院脳神経外科、都立駒込病院ICU外科病棟、都立北療育園に勤務。その後、帯津良一先生とともに帯津三敬病院の立ち上げにかかわり、会員後は総師長として勤務。帯津三敬塾クリニック勤務をへて2015年9月に退職。著書に「つなぐ看護 生きる力」(佼成出版社)がある。

『看護師生活52年。ホリスティック医学を支えた名脇役』

駅前の安い居酒屋で総師長になってほしい誘われた

中川:
山田さんとは、ずいぶんとお会いしてなくて、20年ぶりくらいになりますかね。ごぶさたしてしまっていますが、お元気そうですね。
山田:
こちらこそごぶさたしています。それくらいになりますかね。ゆっくりとお話をしたことはありませんでしたが、会長のことはよく覚えています。もっとも、私はこの雑誌(月刊ハイゲンキ)を毎月読ませてもらっていて、会長の姿を写真で拝見しているので、久しぶりにお会いするという感じがあまりなくて(笑)。
中川:
ありがとうございます。今は病院も辞められているんですよね。
山田:
川越の帯津三敬病院と池袋の帯津三敬塾クリニックで35年間、看護師長を務めさせていただきました。その前の都立病院での勤務も入れると、看護師として52年間働きましたよ。長いですね(笑)。
クリニックを退職したのは2015年5月です。私は帯津先生と同い年ですから、先生がバリバリと働いているのに自分が退職するのは本意ではありませんでしたが、左足が痛くて思うように動けなくなったので、ここらが引き時かと決心しました。
今は、先生の運転手兼スタイリストですね(笑)。先生の出張のときは東京駅や成田空港、羽田空港まで車で送っていきます。講演のときの服装も、ほとんど私が選んでいますね。そうやって先生とつながっていられることは、私にとってはありがたいことです。
中川:
『つなぐ看護 生きる力』(佼成出版社)という本を出されたのが今年の1月ですよね。読ませていただきましたが、とてもわかりやすくていい本でした。
山田:
ありがとうございます。看護師としての私の生き方、考え方が少しでも医療の発展に役立てばと思って出しました。お手紙で感想を送ってくださる方がけっこういて、とてもうれしいですよ。
中川:
帯津先生とのご縁は面白いというか劇的というか。勤務先の都立駒込病院の廊下ですれ違ったときに声をかけられたということでしたね。
山田:
先生に初めてお会いしたのは、私が駒込病院のICU(集中治療室)に勤務していたときでした。先生は食道がんの手術を専門にやっておられました。手術後の患者さんは必ずICUへ入るものですから、先生とはそこでよく顔を合わせました。 
先生に声をかけられたのはICUから外科病棟へ移ってしばらくしたころでした。病院の廊下を歩いていたら先生とすれ違いました。そのときに「今日、話があるんだけど一杯飲まないか」と誘われました。先生が連れて行ってくれたのは駅の近くの安い居酒屋でした。汚いところでしたよ(笑)。
そこで、自分が開業したら総師長として来てもらえないだろうかと言われました。
中川:
そうですか。汚い居酒屋で運命が決まったんですね(笑)。本によると、先生には三人の看護師長候補がいて、最初に声をかけたのが山田さんだったとか。
山田:
そうなんですよ。開業してから5年くらいして、あとの2人の名前を教えてもらいました。「ああ、あの2人なら、私で良かったですよ」と言った覚えがあります(笑)。
中川:
その場で「お世話になります」と答えたそうですね。即決できたことが素晴らしい。
山田:
あのころはちょうど看護師長の試験を受けないといけない時期でした。仕事をしながらの試験勉強ですから、ほとんど寝る時間がないほどでした。
試験には合格しましたが、当時は師長になると別の都立病院に異動しなければならないという決まりがありました。実際私は他の都立病院の小児科に異動が決まりました。
これまで脳神経外科、腹部外科、救急、外科のICUと外科一筋だったし、外科の仕事が大好きだったので、今までのキャリアを生かせる場で仕事をしたいと思っていました。ですから、帯津先生からのお誘いは本当にありがたかったですよ。

<後略>

2018年5月25日 埼玉県川越市・帯津三敬病院にて 構成/小原田泰久

著書の紹介

「つなぐ看護 生きる力」山田幸子(著)  佼成出版社

この対談の続きは会員専用の月刊誌『月刊ハイゲンキ』でご覧いただけます。
月刊誌会員登録はこちら
この対談の続きは会員専用の月刊誌『月刊ハイゲンキ』でご覧いただけます。
月刊誌会員登録はこちら