2017年11月 「里見 喜久夫」さん
- 里見 喜久夫(さとみ きくお)さん
1948年大阪生れ。1991年に「株式会社ランドマーク」を設立。商品プランニング、デザインなどの業務に携わる。2012年「株式会社はたらくよろこびデザイン室」を設立。障害者の経済的自立をテーマにした季刊誌『コトノネ』の発行に関わり、編集長を務める。2008年にドイツW杯を記念して、選手のいない写真集『‘06 GERMANY』を出版。『ボクは、なんにもならない』(2008年、美術出版社)、『ボクも、川になって』(2010年、ダイヤモンド社)、『もんばんアリと、月』(2012年、長崎出版)などの絵本の著作もある。
『障害者の働く姿を通して、生きるよろこびを伝えたい』
東日本大震災がきっかけで知った障害者福祉
- 中川:
- 里見さんは「コトノネ」という雑誌の編集長をされていますが、障害者をテーマにしている雑誌というのはあまり聞いたことがありません。最新号を拝見しましたが、とても興味深い記事が掲載されていて、どんな方が作っているのだろうと、対談をお願いしたわけです。
どういう経緯から、こういう雑誌を作ろうとされたんですか。 - 里見:
- 興味をもっていただいてありがとうございます。経緯はよく聞かれますが、いつも「成り行きです」と答えています(笑)。
うちは、デザインの会社で、お酒やスポーツ用品のメーカー、通信関係の会社などの仕事を主にしていて、福祉とはまったく関係ありません。私も福祉のことは何も知らないし、関心もありませんでした。
すべては、東日本大震災でした。何かしなければ、との思いで、とりあえず、絵本を集めて被災地へもって行こうという活動をしました。福島県の相馬市立図書館へ1500冊の絵本を運んだときに、相馬市内で障害者施設をやっている方と出会いました。その方が、障害者の置かれている状況をいろいろと話してくれました。たとえば、福祉施設ではたらく障害者の工賃は1万円ちょとだとか、施設の中にはいいものを作っているところがあるからもっと知ってもらったら障害者の工賃も上がるのにといった話が出るわけですそんなこと、私はぜんぜん知らないし、考えたこともありませんでした。ちょっとした驚きでした。
うちの会社だったら、編集者もデザイナーもいて、障害者のこと、施設のことを知らせる雑誌を作るにはちょうどええんやないかと言われたりして、そうかもしれんと思って動き始めました。 - 中川:
- だけど、こういう雑誌は売れると言っても限られているでしょうし、採算を考えれば、必要だとわかっていてもなかなか踏み切れないのではと思うのですが。
- 里見:
- そら考えますよ。私も経営者ですから。ビジネスということを考えたら二の足を踏みますよ。
でも、福島から帰っても「何かやらなあかん!」という気持ちがずっとあって、その次は、今回は当事者にならなあかんという気持ちになってきましてね。やるやるて言うてるだけで、3ヶ月たっても4ヶ月たっても何も進んでなくて。このままやらへんかったら、忘れてしまうやろなあ。これは、とりあえずやると決めた方がいい。そんなふうに思ったのかな。 - 中川:
- ほお、当事者ですか。
- 里見:
- これまで、家庭でも社会でも、当事者として生きてきたことはあったやろか。ないなあ。また口だけで、忙しさにかまけてやらずに終わるんと違うやろか。そんなふうに、どんどんと追い込まれていくわけですね。やる言うてたのに何やったんやと責められるような感じがしましてね。もう、降参ですわ。やりますわと言いました。
- 中川:
- それで2012年1月に創刊号が出るわけですね。
- 里見:
- 2011年8月から予備取材を始めましたが、とにかく障害者のことはまるっきり知りませんから、戸惑うことだらけでしたよ。あるケアハウスへ行ったとき、よだれを垂らしてはる人がいました。部屋を案内してもらいました。そのとき、よだれいっぱいの手で物を渡されたんですわ。よだれのついたところつかみたくないやないですか。受け取るのを躊躇してしまうわけですね。差別しているつもりはないけど、意図せず傷つけているなあと思ってね。ものすごい孤独感でしたよ。自分はこういう仕事、向いてないなあと、自己嫌悪に陥りました。こんなんやっててええのかなあと悩みました。
- 中川:
- 障害は個性だと言いますけど、頭ではわかっていても、いざそういう人と接することになると、どうしても戸惑ってしまいますよね。どうかかわっていけばいいのか分かりませんからね。
でも、そういう気持ちがあるのをごまかして彼らと接するよりも、自分の戸惑いや孤独感というのをきちんと見つめられる人の方が、私はより親密な付き合いができるようになるのではと思います。
<後略>
(2017年9月26日 東京・ ㈱ランドマークにて 構成/小原田泰久)