今月の対談「いい人いい話いい氣づき」

2017年5月 「小林 さやか」さん

小林 さやか(こばやし さやか)さん

ミリオンセラー「学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話」(坪田信貴著)、映画「ビリギャル」の主人公“ビリギャル”本人。慶応大学卒業後、ウエディングプランナーとなり、自身の結婚を機にフリーに転身。独自の子育て論を持つ母(通称ああちゃん)と「ダメ親と呼ばれても3人の子を信じてどん底家族を再生させた母の話」を共著で出版。現在、講演活動を中心に、全国を回っている。

『これぞビリギャル流!不可能を可能にする生き方、考え方』

「聖徳太子」を「せいとくたこ」と読むような学力だった

中川:
今回のゲストは小林さやかさんです。「ビリギャル」と言った方がわかるかと思います。
さやかさんのことを書いた『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』(坪田信貴著 発行/株式会社KADOKAWA アスキーメディアワークス)という本が100万部以上売れていて、お母さんとの共著の『ダメ親と呼ばれても学年ビリの3人の子を信じてどん底家族を再生させた母の話』(発行/株式会社KADOKAWA アスキーメディアワークス)もベストセラーになっていますし、「映画ビリギャル」というタイトルで映画化もされていますから、さやかさんのことをご存知の方も多いと思います。
私も、2冊の本を読ませていただきました。全国模試で偏差値30程度だったさやかさんが、坪田先生という塾の先生と出会い、お母さんに応援されて、慶応大学に受かったという物語ですが、そこには、氣という観点から見ても、いろいろと学ぶべきことがありました。
小林:
ありがとうございます。本が売れて、映画にもなって、自分でもびっくりするような反響が起こっていますね。でも、坪田先生は、私だけでなくて、1300人を超える子どもたちを教えてきて、短期間で偏差値を上げて希望の大学に合格するというケースは少なくないです。先生にとっては、私のケースは特別なものじゃないんですね。
ただ、私がとんでもない落ちこぼれのギャルだったし、受かった大学が慶応だったから、とてもわかりやすくて、インパクトがあったんでしょうね(笑)。
中川:
本を読むと、高校2年生のときに坪田先生の塾へ行くわけだけど、そのときの学力が小学校4年生くらいだったと言うことでしたよね。
小林:
本当にそうでした。私が通っていた高校は、勉強ができる子たちとできない子たちの差が激しく、高校2年のときに学力別に分類されるのですがわたしは通称「バカクラス」のビリでした。
何しろ、坪田先生のところへ通うようになって、日本史の勉強を始めたとき、「聖徳太子」を「せいとくたこ」と読んで笑われるようなレベルでしたから。太子だから太った女の子なのかな、こんな名前をつけられてかわいそうだなと、本気で思っていました(笑)。
それに、「Hi, Mike!」って英文を、読んでみなさいと言われたとき、私は、これも本気で「ヒー、ミケ」と読みましたから(笑)。
中川:
「しょうとくたこ」に「ヒー、ミケ!」ですか。それはすごいや。
でも、先生は怒ったり、あきれたりしなかったんですね
小林:
そうなんですよ。逆に、「君はなんてユニークな発想をするんだ」とか「良かった。ローマ字は読めるんだ」というように、面白がってくれるわけです。それで、この人は、今まで出会った先生たちとはまったく違うタイプの人だと思って、「この先生だったら、もっと喋ってみたいな」と思い塾に通うようになりました。
中川:
それにしても、高校2年生の夏の段階で小学校4年生くらいの学力しかないのに、慶応大学を目指すというは、普通は考えられませんよね。
小林:
ほとんどの学生が、最初に「東大目指してみる?」ときかれると、「無理です。自分はこのくらいの大学に受かればいいです」と自分で自分のハードルを下げたり、絶対無理だと決めつけてしまいがちです。しかし私は、「東大は興味がない」と若干上目線で断りました。イケメンがいなさそう、という理由で。じゃあ慶応は?となったわけです。先生から、「君みたいな子が慶応とか行ったら、チョー面白くない?」と言われて、「おお、確かに! 超イケメンいそう! さやかが慶応とか、超ウケる!」というノリで志望校は決まりました(笑)。
中川:
そういう女の子が、1年半で慶応に受かってしまうわけですからね。いったい、どんなことがあったのだろうかと、興味津々で、本を読み進めましたよ。
小林:
あの本は、先生が出版しようと思って書いたものじゃないんです。
私が慶応を卒業した頃に、小学校の頃から不登校だった妹が上智大学に入学し、これまた落ちこぼれの弟が家庭をもつというおめでたいことが重なりました。それで、母が、家族ぐるみでお世話になっていた坪田先生に長いお礼のメールを送ったんですね。
坪田先生がおっしゃるには、そのメールの返答を考えていたら、私との思い出がよみがえってきたらしくて、それをワードにしたためて、母に送り、ネットにも載せたんですよ。
そしたら、次の日に、その投稿があちこちに拡散されて、一気に2万人くらいのアクセスがあったそうです。それで、次の日には、出版社からオファーがきたと言うことでした。
だれも、本とか映画にしようなどとは思ってなかったことです。だから、逆に受け入れられたのかもしれませんね。

<後略>

(2017年2月2日 東京・ 日比谷 松本楼にて 構成/ 小原田泰久)

著書の紹介

「ダメ親と呼ばれても3人の子を信じてどん底家族を再生させた母の話」 小林 さやか 共著 KADOKAWA

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