2016年4月 「山田 火砂子」さん
- 山田 火砂子(やまだ ひさこ)さん
東京生まれ。戦後、女性バンド「ウエスタン・ローズ」で活躍後、舞台女優をへて、映画プロデューサーに。実写版の「はだしのゲン」はじめ「春男の翔んだ空」「裸の大将放浪記」など数多くの映画を製作・公開してきた。監督としても、「石井のおとうさんありがとう」「筆子・その愛」で、児童福祉文化賞を受賞。最新作が「山本慈昭 望郷の鐘 満蒙開拓団の落日」。三浦綾子原作の「母」の映画化を準備中。著書に「トマトが咲いた」がある。
『福祉と反戦の映画を通して、何が大切なのかを伝えていきたい』
孤児や障がい者のために一生を捧げた十次(じゅうじ)さんに筆子(ふでこ)さん
- 中川:
- 山田監督は、長年、映画作りにかかわってこらましたが、監督が撮られるのは、とても社会的なメッセージの強いものばかりです。今は、最新作の「山本慈昭(じしょう) 望郷の鐘 満蒙開拓団の落日」が、全国各地で上映されていて、さらには、「母 小林多喜二(たきじ)の母の物語」を準備されているそうですね。
両方とも、戦争をテーマにした作品ですが、もともとは福祉の関係の映画を撮られていましたよね。 - 山田:
- もともとは夫の山田典吾(てんご)が監督をしていて、私は、プロデューサーをやれというので、お金集めから雑用から、いろいろなことをやってきました。
夫が亡くなってから、監督として映画を撮るようになりました。最初の作品が、「エンジェルがとんだ日」というアニメです。平成8年だから、もう20年も前の話になりますね。
長女が、知的な障がいをもって生まれましてね。今でこそ、障がい者への理解も深まっていますが、長女が生まれたのは昭和38年ですからね。当時は、あからさまな差別もあって、本当に大変でした。私も、娘に障がいがあると知ったときには、絶望して死のうと思いましたからね。
その娘が巻き起こしたいろいろな出来事なんかをアニメにしました。おかげさまで、とてもたくさんの方に見ていただけました。
それから、初めて撮った劇映画は、「石井のおとうさんありがとう 岡山孤児院石井十次の生涯」という作品です。平成16年ですね。 - 中川:
- 石井十次(じゅうじ)さんですか。どういう方なのですか?
- 山田:
- まあ、すごい人ですよ。慶応元年(1865年)に、高鍋藩ですから、今の宮崎県で生まれ、日本で最初に孤児院を作った人で、「児童福祉の父」と呼ばれています。松平健さんが、石井十次役を引き受けてくださって、とてもいい映画になりました。
十次さんは、明治20年に、四国巡礼の帰り道の母親から男の子を預かることになって、それがきっかけで孤児救済を始めました。そのころは、社会福祉という制度はなかったですから、資金集めも容易じゃなかっただろうし、大変な苦労をします。
地震や洪水や凶作のたびに、親を亡くした子どもたちがあふれます。そういう子たちをできるだけ引き取って育てました。明治39年には、1200名もの孤児の面倒を見ていたようです。とても真似のできることではありません。尊敬しますよ。頭が下がりますね。 - 中川:
- そういう方がいたんですね。世の中のために損得を考えずに動けるというのは、感動しますね。監督も、映画作りということでは、損得考えずに、社会が少しでも良くなるためのいい作品を作ろうと思っている点では同じじゃないですか。
- 山田:
- いやいや、足もとにも及びませんよ。もっとも、お金で苦労しているという点では同じですけどね(笑)。
十次さんが「魂の孤児になることが一番の不幸」だと言い残しているんですね。まあ、お金はなくても、心豊かに生きないといけないですよ。今は、子育てを放棄したり、虐待をする親も多いじゃないですか。心が豊かじゃないねえ。魂の孤児になってしまっているんですねえ。 - 中川:
- 魂の孤児ですか。人と人とはつながり合って生きているのだけれども、そのつながりがなくなった状態の人たちですかねえ。世の中がギスギスしてきたのは、魂の孤児が増えたからかもしれません。
そのあと、石井筆子(ふでこ)さんという方の話を撮られていますね。 - 山田:
- 「筆子・その愛 天使のピアノ」という映画です。筆子さんは、文久元年(1861年)の生まれです。十次さんと同じ年代に生きた人ですね。
この方もすごいですね。滝乃川学園という、今でも国立市にありますが、知的障がい者の施設を創設した方です。
彼女のお父さんは男爵で、何不自由のない家に生まれました。頭も良くて美人で、将来有望な男性と結婚し、これほど恵まれた女性はいないというくらいの方でした。ところが、生まれた長女に知的な障がいがありました。さらには、次女が生後10ヶ月で亡くなり、三女は結核性脳膜炎になり、夫も亡くなるという苦難に次々と襲われ、どん底に突き落とされます。そんなときに出会ったのが、障がい児教育に人生をかけていた石井亮一という人でした。筆子さんは、周囲の反対にあいながらも、亮一さんと再婚し、2人で知的障がい者の施設を創設しました。
それからも、大変な思いをして、施設を切り盛りするのです。壮絶な一生ですね。この方にも頭が下がります。
<後略>
(2016年2月15日 東京・新宿の山田火砂子監督の自宅にて 構成/小原田泰久)
- 映画の紹介
「山本慈昭 望郷の鐘 満蒙開拓団の落日」 監督 山田火砂子