今月の対談「いい人いい話いい氣づき」

2015年10月 「永田 浩三」さん

永田 浩三(ながた こうぞう)さん

1954年大阪生まれ。東北大学教育学部卒業。1977年NHKに入社。ドキュメンタリー、教養番組に携わり、ディレクター、プロデューサーとしてたくさんの番組を作ってきた。「芸術作品賞」「放送文化基金賞」「ギャラクシー賞」などを受賞し、「菊池寛賞」を共同受賞した。2009年にNHKを退社し、現在、武蔵大学社会学部教授。著書に「ベン・シャーンを追いかけて」(大月書店)「NHKと政治権力」(岩波現代文庫)「奄美の奇跡」(WAVE出版)などがある。

『非暴力、団結、若者たち。奄美の本土復帰運動から学ぶべきこと』

ある出会いから、奄美の本土復帰運動について調べることに

中川:
永田先生の書かれた「奄美の奇跡」という本を読ませていただきました。私どもは氣をテーマに活動をしていますが、会員さんの中には、奄美の方も多くいますし、スタッフにも奄美出身者がいます。私も、何度か奄美大島へは行っていまして、奄美には、とても興味をもっています。戦後、奄美はアメリカの支配下にあってとてもつらい思いをしていて、島民をあげての本土復帰の運動があったことは知っていましたが、先生のご著書を読ませていただいて、こんなドラマがあったんだと、改めて奄美への関心が深まりました。
永田:
それはありがとうございました。私も、ひょんなご縁から奄美のことを調べることになったのですが、何度も出かけて行って、たくさんの人にお会いして、とても大切なことを教えられました。
中川:
ひょんなご縁というのは、どういうものだったのでしょうか?
永田:
2010年に神戸で公共放送が抱える問題を考える集会がありました。私は、もともとNHKにいたということで、スピーカーとして登壇しましたが、そのあとで、井上邦子さんという方が私のところへお越しになって、興味深いお話をしてくださいました。これまで語られてきた奄美の本土復帰運動と、実際に運動にかかわった人たちとの実感の間には、ずれがあるので、もし、興味があったら、一緒に調べてみませんかということでした。
私は、奄美のことについてはあまり知らなかったので、勉強させてくださいとお話ししました。そしたら、井上さんは、たくさんの本や雑誌や新聞を送ってくださいました。それが、そもそもの始まりでした。
中川:
神戸ですか。神戸と奄美は関係が深いという話を聞いたことがありますが。
永田:
そうです。20年前の阪神大震災のとき、私は取材で、かなり長い間、神戸に滞在しました。被災された方に話を聞いて回ったのですが、神戸にはずいぶんと奄美出身の人が多いなと思ったのを覚えています。それで、いろいろと取材していくうち、被害のひどかった長田区に沖お きのえらぶ永良部島のコミュニティがあって、島の人たちが震災で大変な目にあいながらも、助け合っているというのを知りました。
第二次世界大戦後、奄美がアメリカの占領下にあった軍政時代の8年間、奄美の人たちは、密航で本土へやって来るわけですが、神戸は、密航の人たちの拠点だったということもわかってきました。当時、奄美の産業である、大島紬とか黒糖を現物でもってきて、神戸でお金に換えるという仕組みがあったんですね。井上さんとお話しして、そんなことを思い出しました。
中川:
こういう本を書かれるのは大変なエネルギーが必要だと思いますが、阪神大震災のときに奄美のコミュニティとの触れ合いがあったように、いろいろな偶然が重なって、導かれるように作品作りをするということがあるかと思います。
先生の本を読ませていただいて、冒頭に金かな十と丸まるという船のことが出てくるのですが、最後まで読んでびっくりしたのは、その船を作ったのが、何と先生のご実家だったということでした。ご実家は、造船所だったんですね。
奄美ととても縁の深い船が、先生ともとても縁が深かったわけで、何か私は因縁めいたものを感じてしまいます。
永田:
金十丸は、戦争中、奄美と本土を結ぶ船でした。たくさんの船が空襲とか機雷によって沈められたのに、金十丸だけは生き延びて、奄美と本土を結ぶ命綱になっていくんですよ。この船が、私の実家の藤永田造船所で作られたということがわかりました。そのことを知っていて奄美を調べたわけではなくて、後からわかったことでした。
金十丸は、奇跡の船とか海の貴婦人とか言われた船でした。奄美が本土に復帰した後は、沖縄とか台湾を結ぶ船として使われましたが、西表島で、台風をやりすごすために、港に入ろうとして座礁して、22年の短い生涯を終えてしまいました。その2年後に、うちの実家も三井造船という大会社に合併吸収されてなくなってしまいましたから、何ともシンボリックな船かなと思います。
中川:
意味ありげなエピソードですよ。先生が奄美に興味をもたれたのは、私がやっている氣の観点から言えば、何か目に見えないところで引き寄せられるものがあったのだと思いますね。
永田:
軍政下におかれて、奄美では人の行き来も、物の流れも制限されていました。人や物をつなぐ命綱が船だったんですね。私がやってきたテレビの仕事は、人と人とを映像で結ぶコミュニケーションの道具じゃないですか。もっと物理的に人と人とを結ぶのが船ですよね。奄美にも、船によって教科書とか本も運ばれていましたから、船がメディアの役割を果たしていたんだなと、改めて自分と金十丸の役割の共通点が浮かび上がってきたりもしました。

<後略>

(2015年8月21日 東京都練馬区の武蔵大学にて 構成 小原田泰久)

著書の紹介

奄美の奇跡「祖国復帰」若者たちの無血革命  永田 浩三 著  (WAVE出版)

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