今月の対談「いい人いい話いい氣づき」

2013年12月 「高山 良二」さん

高山 良二(たかやま りょうじ))さん

1947 年愛媛県生まれ。地雷処理専門家。1966 年陸上自衛隊に入隊。1992 年カンボジアPKO に参加。以来、カンボジアに特別な思いを抱く。2002 年陸上自衛隊を定年退官と同時に認定NPO 法人日本地雷処理を支援する会(JMAS)に参加。1 年の大半をカンボジアの地雷原の村で過ごし村人と共に地雷処理をする傍ら、村の自立を目指した地域復興にも奔走している。現在、NPO 法人国際地雷処理・地域復興支援の会(IMCCD)理事長。著書「地雷処理という仕事」(筑摩書房)。

『カンボジアでスイッチがオンに。人生、これからが本番』

日本に帰るとき、もう一度、カンボジアへ 戻ってきたいと強烈に思った

中川:
カンボジアから日本へ帰られたとお聞きしたので、急きょ、連絡をとらせていただいて、対談をお願いしたわけですが、快く引き受けてくださいまして、本当にありがとうございました。高山さんは、カンボジアで地雷処理の仕事をされていますが、どれくらいの割合で、カンボジアと日本を行き来されているのですか?
高山:
こちらこそ、声をかけていただいて感謝しています。今は、カンボジアに2ヶ月いて日本に帰り、日本には1ヵ月ほど滞在するというペースですね。
中川:
地雷処理の活動を始められて、10年になるそうですね。その前は陸上自衛隊におられて、PKOに参加されたことが、今の活動のきっかけだということでしたね。
高山:
私の所属する部隊がPKOに参加することになり、人事の担当をしていた私は、派遣部隊の編成をする立場になりました。600人の人選をしたわけですが、人を行かせて自分だけ残るわけにはいきませんので、自分の名前もリストの中に入れました。カンボジアには、1992年10月から93年4月まで行っていました。
中川:
PKOというのは、日本としては初めてのことでしたし、国内でも賛否両論、大変な騒ぎでしたね。高山さんにしても不安はあったのではないですか。
高山:
正直なところ、「地雷で足を吹っ飛ばされたり、悪くすれば命をなくすこともあるかもしれない」と、不安に感じたことはありましたね。
中川:
でも、この体験が、高山さんの人生を大きく変えることになるんですよね。
高山:
私は、PKOに参加するまで、確たる夢があったわけではないし、日々を、思いつくまま、優柔不断に生きてきました。行き当たりばったりで生きてきた人生でした。
しかし、PKOでの体験は、言葉では言い表せないのですが、これまで感じたことのない「桁違いのやりがい」を感じました。一人でジープを運転しているときなど、「もう、命なんかなんぼでもあげるわい」という気持ちになるくらいでした。
PKOの仕事を終えて日本に帰るとき、飛行機の窓から見た光景が強烈に目に焼き付いています。眼下に広がるカンボジアの光景を見て、「私の求めているものはこれだ」と思いましたね。
中川:
何かのスイッチが入ったんでしょうね。それで、またカンボジアへ戻ろうと、そう思ったわけですね。
高山:
みなさんから、「どうしてカンボジアへ戻ったのですか?」と聞かれるのですが、よくわからないんですね。なぜ、あんなに強烈なものを感じたんでしょうね。地雷処理をしようとかカンボジアの人に何かやってあげたいということではないんですね。理由はわからないけれども、それしか選択肢がないように、私には思えて仕方ありませんでした。
今から考えると、悔しいというか、6か月の仕事に対して中途半端だったという気持ちが強かったのかもしれません。要するに、やったという満足感がなかったんですね。ボクシングでぼこぼこにされながら、それでも立ち上がって、まだ負けるわけにはいかないと、相手に向かっていこうとしたときにタオルを投げられて強引にリングの外に出されたという感じですかね。もっと戦わせてくれという思いのまま、半年が過ぎてしまったということかな。だから、何をしたいということもなかったけれども、ただ、カンボジアへ戻りたい。それだけでしたね。
中川:
何か目に見えない力が働いていたのではないでしょうか。私どもは、氣という目に見えないエネルギーを扱っていますが、世の中は、目に見える部分よりも、目に見えない部分の方が大きいと、感じることがよくあります。そういう得体の知れない力に、高山さんは導かれてカンボジアへ行き、そこで自分の使命のようなものを感じ取ったのではないでしょうかね。
高山:
私も、目に見えるものはわずかで、目に見えないものがほとんどだと思っています。作家の天童荒太さんと対談したとき、カンボジアへ戻りたかった理由がわからないという話をしたら、天童さんは、「高山さんの前世はカンボジア人だったんじゃないですか」と笑っていました。
中川:
そんなこともあるかもしれませんね。でも、PKOに行く前は、カンボジアに興味はなかったんですか。
高山:
まったくないですよ。カンボジアがどこにあるか、正確なことは知りませんでしたから(笑)。

(後略)

(2013年9月27日 羽田空港ティーラウンジにて 構成 小原田泰久)

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