2012年9月 「町田 宗鳳」さん
- 町田 宗鳳(まちだ そうほう)さん
1950年京都市生まれ。14歳で出家し、臨済宗大徳寺で修行。20年間の修行の後、寺を離れて渡米、ハーバード大学で神学修士号を、ペンシルバニア大学で博士号を習得する。プリンストン大学助教授、国立シンガポール大学准教授、東京外国語大学教授をへて、現在、広島大学大学院総合科学研究科教授。著書に、「法然の涙」「ニッポンの底力」「異端力」などがある。
『異端力によって、自分で納得し楽しめる人生を切り開く』
14歳で出家。 20年間の禅寺での修行の後、ハーバード大学へ留
- 中川:
- はじめまして。車で来たのですが、途中で道がわからなくなりまして(笑)。福山の市街から、5~6キロ離れるだけで、こんなにも静かなところがあるんですね。この永照院というのは先生のお寺ですか。
- 町田:
- ようこそおいでくださいました。ここは、本来はお寺ではなくて、ある大手造船会社が、月見の宴を開くために建てた古民家です。それを私が譲り受けて、観音菩薩をお迎えしてお寺にしました。人工の建物がここからはまったく見えないでしょ。
- 中川:
- 駐車場から池のほとりを歩いて、坂道を登ってきましたが、下界とは氣がまったく違いますね。すばらしいところです。
実は、先生のことは、青山学院大学の石井光先生からご紹介いただきました。石井先生は、私どもが行っている真氣光研修講座で講師をしてくださっていて、内観のエッセンスを参加者に体験してもらっています。 - 町田:
- そうでしたか。私も内観のことはすごく評価していまして、石井先生からはいろいろとお話をうかがったことがあります。内観というのは、日本人にしか効果がないかと思っていたのですが、石井先生は長年ヨーロッパでやっておられて、そうじゃないことを証明されましたね。すばらしいことを世界に発信されていると思いますよ。
- 中川:
- 町田先生は、今は広島大学大学院の教授をされていますが、経歴を拝見すると、何と言えばいいのか、ちょっとこういう方はいないのではと驚かされます。14歳で出家されたということですが、まだ中学生ですよね。どうして出家しようと思ったのですか? ご家族の影響とかあったのですか?
- 町田:
- うちの家族は、まったく宗教には関心がありませんでした。私は、小学校のときからキリスト教の教会に出入りして聖書の勉強をしていましたから、宗教には関心があったのだと思います。中学生のクラスメイトにお寺の小僧さんがいまして、休みの日に遊びに行ったりしたのですが、禅寺の生活がとてもシンプルで、私には魅力的に映りました。当時、体が弱くて、お寺で修行すれば強くなれるんじゃないかという気持ちもあって、中学二年生の大みそかに「除夜の鐘を撞きに行く」と親に言って、風呂敷包一つで家を出ました。
- 中川:
- ご両親は心配したんじゃないですか。
- 町田:
- ひどく心配したと思いますよ。でも、どこのお寺へ行ったかはわかっていましたから。
- 中川:
- 中学生がお寺へ行って、どういう生活をするのですか?
- 町田:
- 朝、早くに起きて、お経をあげてから掃除をします。それから学校へ行きます。学校では普通に授業を受け、終わったら、走って帰ってきます。そして、畑仕事をして、薪を割って、お風呂をわかすというような生活ですよ。
- 中川:
- 遊びたい盛りの中学生が、わざわざそういう生活に飛び込むというのは、何か突き動かされるものがあったんでしょうね。でも、ほかの子が遊んでいて、うらやましいとか思わなかったんですか。
- 町田:
- もちろん、友だちと比べて、自分には遊ぶ時間も勉強する時間もなくて、つらいと思ったことはありますよ。でも、自分で決めてやったことですから。なんでこんな道を選んだのだろうと疑問に思うことはありましたが、失敗したと思ったことはなかったですね。
- 中川:
- そのお寺で20年間修行をされた後、アメリカへ行かれますよね。それもハーバード大学で勉強をすることになるわけですが、それはどういういきさつだったのですか。
- 町田:
- 20年間お寺にいて、仏教を外から見てみたくなりましてね。師匠が亡くなるということもあって、思い切って外へ出てみようと思ったわけです。
- 中川:
- それでハーバード大学というのも、またすごい飛躍ですね。
- 町田:
- 別に私がハーバードを望んだわけではなかったのです。外国に留学してみたいという思いはあったので、機会があるごとに、いろいろな人に、その思いを伝えていました。そしたら、アメリカの有名な数学者の方が、アメリカの主要な大学に、日本に非常に変わったお坊さんがいて、留学したがっているが受け入れてもらえないかと、手紙を出してくださいました。それを、ハーバード大学の神学部の先生が見てくださって、私を受け入れてくれたという流れです。
- 中川:
- すごい流れですね。道というのは、人とのご縁の中から開けていきますね。
- 町田:
- 私は、ずっとたなぼた人生ですよ(笑)。自分から動くことはなくて、声がかかるのを待っています。
- 中川:
- 結婚はされていたんですか。
- 町田:
- アメリカへ行くと同時にしました。家内とは、京都の大原の小さな庵で一人暮らしをしていたときに出あいました。アメリカへ行く2~3ヶ月前でしたかね。まだ、ハーバードへの留学も含めて、先がまったく見えていないときに結婚を決めたのですが、私よりも家内の方が、勇気がいったんじゃないかなあ。アメリカへ行ってからは、勉強はもちろんしなければならなかったし、アルバイトをしないと食べていけませんでしたから、大変と言えば大変でしたね。
<後略>
(2012年7月19日 広島県福山市の永照院にて 構成 小原田泰久)
- 著書の紹介
異端力――規格外の人物が時代をひらく(祥伝社新書283) 町田 宗鳳 (著)