2009年11月 「野上 ふさ子」さん
- 野上 ふさ子(のがみ ふさこ)さん
1949年新潟県生まれ。立命館大学文学部哲学科中退。1984年エコロジー社設立。エコロジー総合誌「生命宇宙」を創刊。1986年動物実験の廃止を求める活動。1996年、包括的な環境・動物保護団体「地球生物会議」を設立し『ALIVE』ほかを発行。著書に「動物実験を考える」「新・動物実験を考える」(ともに三一書房)などがある。
『命から宇宙まで。広い視野で動物保護を考え、行動する』
1本の残酷なビデオを見て、活動の方向性が決まった
- 中川:
- はじめまして。野上先生は動物の保護を長年やっておられるということですが、私も人間はいつの間にか、生き物の頂点に立つものとしておごり高ぶるようになって、ほかの生き物たちを傷つけてしまっていると思っていました。そういう意味で、今日は先生のお話をお聞きするのが楽しみです。まずは、先生がどうして動物たちの保護を始めたのか、そのきっかけからお話をおうかがいできますでしょうか。
- 野上:
- もともとは環境保護活動を長年やってきまして、1986年にはエコロジー社という出版社を始めました。海外では、西ドイツで緑の党ができるなど、暮らしと政治と環境問題を結びつけようという動きが盛んになってきたころでした。今では、日本でもエコロジーという言葉は浸透してきました。しかし、二酸化炭素とか廃棄物とか、物質的な意味合いでの環境問題が主流ですね。私は、環境の問題は、物質的なものを超えて、生命というものを中心的に考えないと、本当の解決の道はないと思っています。当時も、環境問題というのは、命から宇宙にいたるまで、広い視野で見ていく必要があると考えていたので、雑誌の名前を、エコロジー総合誌「生命宇宙」と名付けました。まだ、エコロジーという言葉が知られていない時代で早すぎたせいか、残念ながら、4号で廃刊になってしまいました。動物保護も新しく起こりつつあった活動のひとつで、1970年代から、動物の権利や保護の運動が世界的に広がっていました。そんなときに、イギリス人の大学の先生から1本のビデオをいただきました。その内容がとてもショッキングで、私のその後の方向性がそれによって決まったと言ってもいいかもしれません。
- 中川:
- どんなビデオだったのですか?
- 野上:
- もともとは環境保護活動を長年やってきまして、1986年にはエコロジー社という出版社を始めました。海外では、西ドイツで緑の党ができるなど、暮らしと政治と環境問題を結びつけようという動きが盛んになってきたころでした。今では、日本でもエコロジーという言葉は浸透してきました。しかし、二酸化炭素とか廃棄物とか、物質的な意味合いでの環境問題が主流ですね。私は、環境の問題は、物質的なものを超えて、生命というものを中心的に考えないと、本当の解決の道はないと思っています。当時も、環境問題というのは、命から宇宙にいたるまで、広い視野で見ていく必要があると考えていたので、雑誌の名前を、エコロジー総合誌「生命宇宙」と名付けました。まだ、エコロジーという言葉が知られていない時代で早すぎたせいか、残念ながら、4号で廃刊になってしまいました。動物保護も新しく起こりつつあった活動のひとつで、1970年代から、動物の権利や保護の運動が世界的に広がっていました。そんなときに、イギリス人の大学の先生から1本のビデオをいただきました。その内容がとてもショッキングで、私のその後の方向性がそれによって決まったと言ってもいいかもしれません。
- 中川:
- どんなビデオだったのですか?
- 野上:
- 動物実験のビデオでした。閉ざされた研究室で、猿を使って、脳がどれだけの衝撃に耐えられるかという実験をしていました。ハンマーみたいな道具で、猿の頭を何度も何度もたたくんです。猿が脳挫傷で死んでいくまでの過程を記録したビデオで、研究者が自分たちの資料として撮影したものでした。それが外に出て、アメリカではテレビでも放送され、大騒ぎになっていました。動物実験に対する反対運動が盛んになるきっかけとなるビデオでした。
- 中川:
- それはひどいですね。動物にも感情や心があることを忘れていますよね。
- 野上:
- 第二次世界大戦のときは、ナチスがユダヤ人を生体実験し、日本でも731部隊が捕虜を人体実験するなど、人間が人間に対して、とても残虐なことをやってきました。今では、そんなことは許されません。でも、よく考えてみると、戦後になって、かつて人間が人間にやってきたことを、今は動物に置き換えただけではないかという気がしてならないんですね。動物実験というのは、人間の利益のためなら、動物に何をしてもいいという考え方の極致だと思います。ビデオには、研究者たちが笑いながら猿を痛めつける映像が出ていました。良心の呵責などひとかけらもない様子でした。あれは、まさに人間が動物や自然に対して行っている暴力行為の象徴だと思いました。
<後略>
(2009年9月18日 東京都文京区にある「地球生物会議」事務局にて 構成 小原田泰久)