今月の対談「いい人いい話いい氣づき」

2008年2月 「神渡 良平」さん

神渡 良平(かみわたり りょうへい)さん

昭和23年(1948年)鹿児島県生まれ。作家。九州大学医学部を中退後、さまざまな職業を経て、38歳のときに脳梗塞で倒れたのがきっかけで、「人生は一回しかない」ことを実感。以後、先人たちがつかんだ生き方、考え方などをたくさんの著書にまとめたり、講演を行っている。「安岡正篤の世界」(同文社)「主題のある人生」(PHP研究所)「天翔ける日本武尊(上下)」(致知出版社)など多数の著書がある。

『何が起きたとしてもそれをよしとしていくことがすべてのはじまり』

内観の研修で両親との関係を修復

中川:
真氣光というのは、私の父が始めたものです。氣功のひとつの流派だと考えていただければいいと思います。95年に突然、亡くなったものですから、私が跡を継ぎました。右も左もわからない状態でしたが、先代に縁のあった方に助けられましてここまでやってくることができました。先代のころに、だれでも一週間で氣功師になれるという研修が始まりまして、それが今でも続いています。最初は伊豆の下田で行われていました。次に、奈良の生駒山で94年から06年までやっていて、去年からつくばみらい市で毎月やっています。先生の本を読ませていただくと、内観のことがずいぶんと出てきますが、私どもの研修でも内観を取り入れていて、青山学院大学の石井光(あきら)先生に講義をお願いしています。
神渡:
石井先生のことはよく存じ上げています。ヨーロッパ内観ツアーでご一緒したこともあります。ヨーロッパに内観が広がったのは、石井先生の功績です。本当にすばらしい活動をされていますね。
中川:
そうでしたか。でも、先生はどうして内観をやられたのですか?
神渡:
内観では、その人にしてもらったこと、それに対してお返ししたこと、迷惑をかけたことに焦点をしぼって父や母との関係を思い出していくのですが、忘れていたことが、ありありと浮かんでくるんです。印象的なものだと、幼いころ、父と母がけんかをし、父が母を殴ったんです。母は、『私はもうついていけません』と言って、家を出て行こうとしました。幼い私と妹は、母の袖にしがみついて、『出ていかんでくれ』と大泣きしました。そうしたら、母が私たちを抱きしめ、オイオイ泣いて、『かわいいお前たちを残してどうして出て行けようか。母ちゃんはいつもお前たちと一緒だよ。ここでがんばるからね。もう泣かないでいい……』と言ったんです。それを思い出し、ああ、こんなに愛されていたんだと、涙がこぼれ落ちました。愛されているという実感があると、少々のことには負けない強靭なバネが育つものです。
中川:
自分を見つめてみると、両親はもとより、いろいろな人にお世話になって今があるということに気づきます。それに気づくと生き方も変わってきますね。
神渡:
それまでは、自分の力だけで生きてきたと思っていました。大学を中退して、四苦八苦して食べてきましたから、余計に自分の力でやってきたという意識が強かったのです。でも、実際には、それは妄想で、父や母が背後からまともな道を歩んでほしいと祈っていてくれたから、乗り越えてこられたのだなと気づかされました。

<後略>

(2007年11月6日 千葉県佐倉市の神渡先生のご自宅にて 構成 小原田泰久)

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