2007年5月 「星野 直子」さん
- 星野 直子(ほしの なおこ)さん
1969年埼玉県生まれ。女子聖学院短期大学国文科卒業後、書店勤務を経て、1993年に写真家・星野道夫氏と結婚。同年6月にアラスカ・フェアバンクスに移住。1994年長男・翔馬君を出産。1996年ロシア取材中の事故で道夫氏が死去。その後「星野道夫事務所」を設立し作品の管理などを行っている。2005年「星野道夫と見た風景」(新潮社)を刊行。
『自然を愛した写真家、 星野道夫さんとともに』
人々の感動を呼ぶ写真展
- 中川:
- 今日は宜しくお願いします。星野直子さんは写真家・星野道夫さんの奥様でいらっしゃるのですが、実は以前、家内が星野道夫さんの写真展を見せていただいたことがありまして、それが大変に素晴らしく、とても感激しておりました。
- 星野:
- 有難うございます。
- 中川:
- 今度は横浜でも写真展が開催されるそうですね。
- 星野:
- はい、4月18日から横浜の高島屋で。
- 中川:
- これは全国を回る形で開催されているのですか。
- 星野:
- 去年の8月に東京の銀座で始まりまして、その後、大阪、福島、札幌と回って、今度が横浜です。
- 中川:
- 私が星野道夫さんのことを初めて聞いたのは映画監督の龍村仁さんからなのですが、映画『地球交響曲第三番』に星野道夫さんの出演が決まっていて、その直前に事故で亡くなられたということでした。当時、龍村監督から「今度の映画は亡くなった方を主役に撮るんだ」という話を、興味深く聞かせていただきました。
- 星野:
- はい、そうでしたね。
- 中川:
- 我々は目に見えない心のエネルギーのようなものを氣と呼んでいるんですが、この氣は特別な所にあるものではなく、誰もが持っていて、絵画や音楽など芸術的なものにも宿ることがあるのです。その氣が人の心に届いて、暗い気持ち、悲しい気持ち、苦しい気持ちのときにも作品から光をもらえる…、そういうものが世の中にはたくさんあるわけです。星野道夫さんの写真からも多くの人がエネルギーを受け取って、見た人を変えていくのかなと思います。今日はそれでいろいろお話を聞きたくて、お伺いした次第です。まずはご結婚された経緯からお聞きしたいのですが…。
- 星野:
- 私は両親ともにクリスチャンでしたので、ずっと家族で教会に通っていたのですが、その教会の牧師夫人が夫の姉だったのです。それで私の家族と、義姉の家族は親しくしていたのですが、まだ夫には会ったことがありませんでした。それがある日、義姉のほうから「会ってみませんか」と(笑)。それで夫と義姉の家族とが私の実家に遊びに来て、それがお見合いでした。ただ、そんな堅苦しいものではなく、みんなで夫のアラスカの話を聞いたりしていました。
- 中川:
- その時の印象はどんな感じでしたか。
- 星野:
- 年が17歳離れていると聞いていたんですが、会ってみると本当に若くって、少年のように一生懸命話をしてくれたのが、すごく印象的でした。
- 中川:
- それで、ご結婚されたわけですが、ご主人が撮影で家を空けられることも多かったのではないですか。
- 星野:
- 最初の年はできる限り一緒に行こうと言ってくれて、93年の5月に日本で結婚して、6月にアラスカに行って、もうその年はほとんど、家には少し準備をしに帰るぐらいで、北極圏やアリューシャン列島など、いろんな所に行きました。
- 中川:
- それまでに旅行などはされていたのですか。
- 星野:
- キャンプなどに興味はありましたが、自分一人でザックかついで行くようなことはありませんでした。それで初めてテント、寝袋というのを経験して、それがもう楽しくて(笑)。テントの張り方や、コンロの火のつけ方など、全部一から教えてもらいました。
- 中川:
- その時に撮影された写真もずいぶんとあるのですか。
- 星野:
- はい、写真集の中に「これ一緒に行った時のだな」と思い出すようなものがいくつかあります。
<後略》
(2007年3月6日 星野道夫事務所にて 構成 樋渡正太朗)