今月の対談「いい人いい話いい氣づき」

2006年2月 「ブラック 嶋田」さん

ブラック 嶋田(ぶらっく しまだ)さん

富山県出身。日本テレビ「お笑いスター誕生」金・銀・銅賞を受賞し、芸能界入りする。国立演芸場にて奇術界史上二人目の金賞を受賞。1995年、日本奇術協会主催の世界大会国内予選にてグランプリを獲得し日本代表となる。2000年7月ポルトガルで開催された世界大会コミック部門で第4位。2000年度ベストマジシャンに。2001年パラオ大統領就任式及び独立記念日に大統領官邸でマジックを披露、大好評を博す。「笑点」「世界の怪人」「史上最強!花の芸能界」「ぴったんこカンカン」など数々のテレビ番組に出演。マジック演出家として複数の専門誌にエッセイなどを連載中。

『「奇術」は自分の全てが出る。常に感謝が大事』

パラオ大統領の就任式と独立記念晩餐会に呼ばれて

中川:
はじめまして、中川と申します。
嶋田:
ブラック嶋田です。今日も二つの舞台を掛け持ちしており、本番前に打ち合わせやリハーサルがあり、タクシーで行ったり来たり走り回っています。ちょうど二つとも池袋付近だったので、合い間を縫って、こうしてお目にかかれて良かったです。
中川:
ご活躍ですね!大変お忙しいところ、対談取材を快くお引き受けくださり、ありがとうございます。
嶋田:
普段もテレビ出演や公演、ホテルのディナーショーや結婚式、パーティーなどのゲストとしてマジックを披露しているのですが、今の時期は特にイベントが多くて、忙しいのです。でも、人と人とのご縁、出会いを大事にしていますのでお会いしよう、と。
中川:
この対談では、各界でご活躍の皆さんにお話をうかがってきました。もう15年ほども続いていて、毎月、映画監督、画家、作曲家、学者…と様々な方にお目にかかりましたが、「マジシャン」の方は初めてで、どういうお話になるのか楽しみです。
嶋田:
私も、おたくの「月刊ハイゲンキ」は何冊か読んでいますが、いい本ですねえ。あのカラーページの「巻頭対談」に私も仲間入りかと、喜んでいますよ(笑)。
ところで、10月には、パラオに行ってきたんですよ。2001年にレメンゲサウ大統領が就任し、その就任式及び独立記念日に呼ばれて行ったのが最初です。そのときに、大統領官邸の晩餐会でマジックを披露したら、これがまぁ大好評でした。大統領はじめ、皆さん大喜びで、ヤンヤの喝采(かっさい)!それで、翌年から毎年呼ばれるようになり、今年で4回目になりました。
中川:
大統領官邸でですか、それは素晴らしいですね。パラオ…南太平洋ミクロネシア諸島ですよね。どうしてまた遠いパラオにご縁ができたのですか。
嶋田:
私たちはいつも成田からチャーター便で行くのですが4時間くらいです。そのくらいで行ける島なんですよ。海がキレイでね、人々は親日的で、年間通して28度くらいの常夏の国です。
パラオは昔、スペイン、そしてドイツの植民地だったけれど、第一次世界大戦以降、日本の統治領になったんですね。第二次世界大戦時は、日本海軍の重要な基地となりました。そのために、アメリカ軍の攻撃対象となって、1944年には「ペリリューの戦い」と呼ばれる激しい戦闘も行われて、日米両軍、そして現地人に多くの戦死者を出しました。
その方々の慰霊をずっと続けている日本人がいらっしゃるんです。パラオに関する資料によれば、ペリリュー島には、戦死者一万人余りが天照大神と共に合祀されている「ペリリュー神社」、日本名は「南興神社」というそうですが、そういう神社が幾つかあるそうです。また、日本からの遺骨収集団もたびたびパラオを訪れています。そういう関係で、私もご縁ができたのです。
日本統治時代は、日本語による学校教育が行われていたし、今でもパラオにある唯一の公立高校では選択科目として日本語を取り入れているし、アンガウル州では公用語のひとつとして日本語が採用されているそうですよ。
だからでしょうね、皆さん日本語が流暢でね、特に60代以上の人は全く日本語の会話に困りません。日本語がそのままパラオ語として使われているものもたくさんあるんですよ。例えば、ヤクソク、アブナイ、オイシイ、ベントウ、ベンジョなんかですね。
中川:
そうですか。恥ずかしながら歴史に疎いものですから、知りませんでした。
嶋田:
レメンゲサウ大統領の前は、クニオ・ナカムラという日本の名前の大統領ですから。前大統領のお父さんは三重県出身だそうですよ。パラオを訪れた日本の歌手がタクシーに乗って、「南国土佐をあとにして…」と歌ったら、運転手がボロボロ泣いた、という話も聞きました。
中川:
パラオは、ずいぶん日本と関係が深い国なのですね。
嶋田:
元プロレスラーのアントニオ猪木が島のひとつを持っていて、パラオで一番有名な日本人は彼なんですが、私は二番目ですね(笑)。10月1日の独立記念日にはオープンカーに乗って街中をパレードし、車を降りれば、子供たちが僕の後ろをゾロゾロとついて歩いて。自分で言うのもなんだけど、大変な人気なんですよ(笑)。
4年連続で訪れていますから、パラオでは私の顔は知れ渡っている感じです。まあ、一度見たら忘れない風貌だといえるかもしれませんけどね。浜辺で、トランプを使ってマジックを見せたら、子供だけでなく大人も皆集って来て、目を丸くしてビックリ!大喜びしてました。
パラオだけでなく、ロシア、ヨーロッパ、韓国、アメリカ…と世界中でマジックを披露してきたけれど、どの国でも大ウケでしたね。マジシャンは万国共通で、どこでも喜ばれます。英語が話せなければ通じないという世界ではないでしょう。言葉が要りませんから、そういう意味では、ミュージシャンと同じですね。
中川:
マジシャンもいろいろいらっしゃるでしょうけれども、ブラックさんは数々の賞も受賞されるなど、大変人気が高いですね。それは、もちろん技術もそうですが、観客の方々はブラックさんが持つ独特の「氣」を感じるのでしょう。
嶋田:
オーラのようなものかな、それはあるでしょうね。以前は外すことも何回かに一回かはあったけれど、今はそういうこともなくなりました。
中川:
「外す」?どういうことですか。
嶋田:
奇術は、観客も一体となって場の雰囲気を作り上げるのですよ。私だけが一生懸命にやっていても、観客がノッてこなくては気が抜けちゃう。そういうのは、やっぱり失敗です。そういう失敗だなという感じを「外す」と言ったんです。
中川:
お客さんも一生懸命に真剣に観ていて、その場の雰囲気に張り詰めた感じがあって、そういう中に、続いて驚くような意外なことが展開して、ウワァ、と盛り上がって喜んで楽しんで、その手応えを、演じているブラックさんも感じて、「当たった」と嬉しく思う。
嶋田:
そう、そう。
中川:
そうすると、「奇術」は「氣術」と言ってもいいかもしれません(笑)。

<後略>

(2005年12月15日 東京・目白の「椿山荘」にて 構成 須田玲子)

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