2004年2月 「岩崎 元郎」さん
- 岩崎 元郎(いわさき もとお)さん
1945年東京生まれ。東京理科大中退。1963年昭和山岳会に入会。1970年「蒼山会」を設立。1981年ネパールヒマラヤ・ニルギリ南峰登山隊として参加。同年「無名山塾」設立。1995年NHK『中高年のための登山学』講師を務める。現在、山に関わる企画事務所「撰(さん)」代表。日本登山インストラクターズ協会理事長。編著書に「日本登山体系」「日本百名谷」「沢登りの本」「雪山入門とガイド」等多数
『「山は哲」… 山が僕に教えてくれたこと』
無我になって氣が流れ込んでくる登山
- 中川:
- はじめまして。
岩崎さんは、NHKの『中高年のための登山学』という番組で講師を務められるなど、とくに中高年や女性の登山者育成に努めておられるとうかがっています。
私どもの会は、「いい氣を取り入れ、ストレスを解消して、豊かな人生を送っていきましょう」ということなんですが、やはり山に関心のある中高年や女性の会員さんも多いように思います。今日は、興味深いお話を聞かせていただけるのじゃないかと、お会いするのを楽しみにしていました。 - 岩崎:
- 有り難うございます。私の事務所は大塚ですから、池袋の隣で、お話をいただいたときに、なんだ、近いじゃないの!と。
- 中川:
- ご縁がありますね。ところで、岩崎さんが山登りを始められたのは、いつ頃、どんなきっかけからですか。
- 岩崎:
- 世界に8千メートル峰が14ありますが、1956年にその一つのマナスルの初登頂に日本の登山隊が成功したんです。僕が小学校5年生のときです。終戦から11年目、日本を元気づけてくれたビッグニュースでした。記念切手にもなり、記録映画も作られました。それを僕ら小学生も学校の先生に引率されて観に行ったんです。同じ年に、作家の井上靖さんが『氷壁』を朝日新聞に連載して、その相乗効果で日本は空前の登山ブームになりました。
高校生のとき、電車にドドッと乗り込んできた登山者の人たちが履いていたキャラバンシューズを見て、僕もああいう靴を履いて山に行ってみたい、と思ったのが最初でしょうか。そして、翌年の1961年から登り始めました。運動靴ではすぐにダメになるし、登山靴は重くてやってられない。軽登山靴のキャラバンシューズは、登山ブームと平行して大ブレークしました。本格的登山は、正規の革の登山靴ですが、その一歩手前は誰でも彼でもキャラバンシューズ、という時代があったんですよ。
大学に入って、社会人山岳会に所属しました。活動の場も人間関係も山にあるわけで…大学に行く必然性がなくなっていきました。それで中退して、その後はずっと山一筋です。 - 中川:
- 今までに随分いろいろな山に登られたことでしょう。
- 岩崎:
- はい。海外にも遠征し、年がら年中、登っているという感じです。月の半分は山に行っているでしょうか。山に登り始めてみたら、何と言いますか、とっても苦しいんです。行く度に、こんなに苦しいものなら、もう止めよう、どうして来てしまったのだろう、と思うほどなんですよ。でも、帰って1週間も経たないうちに、また無性に行きたくなるのです。
- 中川:
- 今までに随分いろいろな山に登られたことでしょう。
- 岩崎:
- はい。海外にも遠征し、年がら年中、登っているという感じです。月の半分は山に行っているでしょうか。山に登り始めてみたら、何と言いますか、とっても苦しいんです。行く度に、こんなに苦しいものなら、もう止めよう、どうして来てしまったのだろう、と思うほどなんですよ。でも、帰って1週間も経たないうちに、また無性に行きたくなるのです。
- 中川:
- 山登りをされている人は、よくそうおっしゃる方がいますね。
- 岩崎:
- 僕もどうしてなのかと、うまく言葉で説明できないでいたのですが、ずっと後になって、ある瞑想道場を主宰なさっている方がおっしゃったんですよ。
「人間は自我が働くと、生命エネルギーが消耗してしまう。生命エネルギーが枯渇してしまっては生きていけないから、補充しないといけない。どういうときに補充されるかというと、それは無我のときである。それで、一番無我になれるときはというと、熟睡しているときだけれど、現代社会においてはそんなに質の良い熟睡はしづらくなっている。そこで瞑想がある。でも、瞑想と言っても、そうそう簡単にできるものではない。そういう中で、登山というのは知らず知らずに無我の状態を作ってくれて、生命エネルギーを補充することができるのだ」と。
だから山から帰ってきて、筋肉がパンパンになって通勤通学の駅の階段を手摺りを使わないと上り下りできないようなときでも、気持ちはスッキリしているわけなんですね。なるほど!と思いました。生命エネルギーは、氣と言っていいのではないかと思います。山には良い氣が満ちているのでしょう。 - 中川:
- 山は自然そのもので、木々の緑、植物、水、空気、大地…といいエネルギーを持つものがたくさんありますね。森林浴でいい氣をいただこうということもいわれています。
- 岩崎:
- 僕は、西洋医学が嫌いで病院に行かないんですよ。歯医者には行きますけれど(笑)。山に行くと元気になるという感じがしますね。医学の祖といわれるギリシャのヒポクラテスは、「歩くと頭が軽くなる」と看破しています。「頭が軽くなる」というのは、血液循環が良くなった結果でしょう。
人間は本来、地上を歩き回って生活する動物です。それが歩かなくなったらどうなるでしょう。高度に発達した現代社会は、歩かなくてもすむ生活の便利さをもたらしましたが、その副産物として血液循環不足による高血圧症だとか心臓病とか不定愁訴なんていういわゆる成人病を生み出したんじゃないかなと、僕は医者ではないですが思うわけですよ。
歩くことが健康に良いということはよく知られてきていますが、同じ歩くなら健康器具の上や街の中よりも、山の方が楽しいに決まっているじゃないですか。空気がうまい、水がうまい、緑がきれい…。大きな木などあると、僕は般若心経が好きなものですから、木肌に手をついて、最初の「摩訶般若波羅蜜多心経…」と唱えたりするんですが、何かその木の氣がこちらにズズッ?と伝わってくるような気がします。 - 中川:
- 山は木もそうですし、いいエネルギーがいっぱいですから、そういうものを感じて元気になっていくということはありますね。人間はもともと、そういう中で生きていたのですから。今は、コンクリートジャングルの中で生きていくようになってしまっていますけれど。
- 岩崎:
- そうですね。何かを一生懸命にやっていると、例えば「ランニング ハイ」のような状態になることがあります。この「ハイ」状態が無我の境地なのじゃないかと思うのですが、そういう状況にあるときの環境が、山は最高でしょう。マラソンは、都会で行いますが、登山は本当に大自然の中です。その環境で無我の状況になっているのですから、これはもう自然の氣がどんどん注ぎ込んでくるのじゃないでしょうか。
<後略>
(2003年12月17日 SAS東京本社にて構成 須田玲子)