2003年3月 「柿坂 神酒之祐」さん
- 柿坂 神酒之祐(かきさか みきのすけ)さん
昭和12年奈良県吉野郡天川村生まれ。大峯本宮「天河大辨財天社」第65代目の宮司を勤める
『本人が本当に自覚できるような喜びを得られることが大切』
本人が本当に自覚できるような喜びを得られることが大切
- 柿坂:
- 中川先生にお目にかかれるのを楽しみにしていました。以前、先代にお会いしたときは、本当に光栄でした。仲執りをして下さった龍村先生に感謝しています。
先代の中川先生についてはいろいろ素晴らしさを聞かせていただいていたのです。生駒の研修所での出会いは強烈な印象でした。元伊勢神宮の小野祖教先生が「中川雅仁」先生のお名前を付けて下さったこともお聞きして、深い縁えにしを感じました。その後すぐに亡くなられたとうかがい…。 - 中川:
- 今回、宮司さんと対談させていただくことになって、改めて先代との対談記事を見ましたら、その日は平成7年11月11日で、亡くなるちょうど1ヶ月前だったのですね。あのとき、父は宮司さんにお会できたのをとても喜んでいました。
「今度は是非、天河神社にうかがいたい」と言っていましたが、かなわずに亡くなったわけです。もしかして今回、私がこうして天河におじゃまさせていただけたのも、そういうことがあるのかな、と思いました。先代が、「僕が行けなかったから、お前、行ってこい」とか、たぶんそんなことだったかな、と。 - 柿坂:
- 私も先代を偲び、また、どんなことをお話ししたのだったかと、昨日ハイゲンキ誌を読み返してみたところです。
こんな事を申し上げたら失礼かと思いますが、私は、先代のご子息である中川先生をお迎えして、まるで自分の子供に会えたような、そんな気持ちです。お会いできて、本当に嬉しいんですよ。
昨日は、「とんど祭」でした。午前5時に鎮魂殿近くの川原で、昨年の御神符、お守り、注連縄などに鎮まります神々様に感謝し、御昇神賜り、お焚き上げし1年間の無病息災を御祈念申し上げました。
そしてこれから「牛王宝印神符神事」ですので、マスコミ、取材関係はすべてお断りしているのですが、ハイゲンキさんには即答で、「お会いする」と申し上げました。それほど親しみを感じているのです。
それに、天河には真氣光の関係の人たちにお参りいただいていますが、その人たちの行動、神さま仏様にお仕えしている姿を拝見すると、素直で実直で明るくて、素晴らしい氣を持っておられると感じます。真氣光は、特に宗教的に教えている会社ではないのに、非常に心が開かれている。素晴らしいなと思っています。 - 中川:
- それは、どうも有り難うございます。私も嬉しいですが、先代が聞いたらさぞ喜んだと思います。大事な神事の前の、お忙しいときにお伺いしてしまって申し訳ありませんでした。「牛王宝印神符神事」は、どういったものなのでしょう。
- 柿坂:
- 1300年続いている「牛王のお祭り」といわれる神事です。元日の若水、そして1月2日、3日…のお水で墨を擦っておきまして一年に一度、1月16日の深夜、牛王宝印神符の版木に墨を塗り、一枚一枚和紙に刷っていくのです。
そして、翌日の17日の「牛王宝印神符神事頒布祭」で、参列者にお渡ししたその牛王札に神人合一の古儀に則し、朱印を押します。ここ(天河大辧財天社)では300枚しか刷りません。 - 中川:
- 一人ひとり、印刷ではない本物を丁寧に受けるからより有り難いんですね。神さまから「氣」を頂いているのですね。以前、「天河」という写真と解説集で拝見しましたが、厳かな雰囲気が伝わってきました。
- 柿坂:
- もうそろそろ、全国各地から御宗敬者の方々が次々とご到着される頃でしょう。私どもは、1年の始まりの非常に厳粛な神事ですので、今日の午後これからですが、禊みそぎを致します。
- 中川:
- 禊、ですか。今、こちらまで下市口駅からタクシーで参りましたが、新川合トンネルを抜けましたら、また一段と寒さが厳しくなった感じで、道端につららが下がり、道も所々凍っていました。雪も残っていますが、この中で水をかぶられるのですか。
- 柿坂:
- 禊殿の奥の川に滝がありまして、その中に入っていきます。心身を清めさせていただくのです。寒いことは寒いですが、水が温く感じる境地になりませんとね。
テレビなどで、エイオーなどと気合いを掛けて水に入るような場面を目にすることがありますが、あれは本来の氣の流れではありません。気合いを入れれば楽ですが、周りの人があまりいい気持ちになれません。
私は、まあ簡単に言ってしまえばストレッチのような調整はしますが、なるべくソフトにソフトにと。いい風呂に入っているという気持ちになれれば、本当の水の氣をいただくということでしょう。
<後略>
(2003年1月16日 「天河大辧財天社」にて 構成 須田玲子)