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7月 「星川 淳」さん

星川 淳(ほしかわ じゅん)さん

1952年東京生まれ。作家・翻訳家。九州芸術工科大学、米国ワールドカレッジ・ ウェスト大学中退。インド、アメリカ滞在後、1982年より屋久島在住。“半農半 著”のかたわら、環境問題にも積極的に関与。98年から8年間、屋久町環境審議 会会長。著訳書のテーマは精神世界、環境思想、先住民文化、平和など多岐にわ たる。著書に『魂の民主主義』、『屋久島水讃歌』、『地球生活』、共著に坂本龍一 監修『非戦』、訳書『暴走する文明』、『アメリカ建国とイロコイ民主制』、『一万 年の旅路』など60冊以上。04年、TUP(平和をめざす翻訳者たち)監修『世界は 変えられる』(七つ森書館)に対し日本ジャーナリスト会議より市民メディア賞 受賞。05年12月よりグリーンピース・ジャパン事務局長

『屋久島の半農半著生活から 「グリーンピース・ジャパン事務局長」に』

前回の対談は9年前、映画『地球交響曲』との繋がり

星川:
お久し振りです。
中川:
以前、お話をうかがったのはいつかなと思いましたら、97年なんですよ。97年の12月号で対談させていただきました。
星川:
9年も経ちますか。早いですね。
中川:
そのときの記事のタイトルは、「我々は先祖の大きな祈りの渦の中にいます」でしたが、インディアンの方たちは、重要なことは7代後の子孫のことを考えて決めるとか、5万年くらいの幅の視野が必要だ、などのお話をうかがい感銘を覚えました。
また、龍村仁監督が『地球交響曲 第3番』を撮ろうと着手したときに、星川さんのご著書に出合ったことなどもうかがい、ご縁を感じました。
星川:
そうですね。あの『精霊の橋』は『ベーリンジアの記憶』と改題し文庫本になりましたが、残念ながら今は絶版です。あのとき、監督にハワイ先住民族のナイノア・トンプソンをご紹介し、彼、『地球交響曲 第3番』に登場しているでしょう。いろいろ繋がって広がっていきました。
中川:
星川さんは、『星の航海師―ナイノア・トンプソンの肖像』という本もお書きになっていますね。彼は、タヒチからハワイまでかつて祖先たちが渡ってきた外洋双胴カヌーの航海を今に蘇らせた方ですね。
星川:
ハワイやポリネシアの人々が、自分たちの伝統文化に自信をもち、活性化させていく中で、ナイノアがもう一度道を開いた星や波など自然情報だけを使う長距離航海はその象徴となっているんです。監督も第3番を、「私たちの心の奥に眠っている5000年以上前の記憶を呼び覚まし、地球の心、命の不思議に遠く思いを馳せる 魂のロードムービー」とおっしゃっていました。
中川:
今回は、星川さんが「グリーンピース・ジャパン」の事務局長になられたとうかがい、そのお話もお聞きしたいと思いまして。
星川:
まだ去年の12月に就任したばかりなので、十分なお話が出来るかどうか(微笑)。
中川:
それまでは、ずっと屋久島にお住まいで、 「半農半著」の生活を送っておられたのですね。今は東京ですか。
星川:
20年あまり自然の中の屋久島に住んでいましたから大都会の環境に馴染めず、海に近い湘南に家を借りましたが、事務所がある新宿までの通勤がまた大変で…(苦笑)。屋久島には年に2度、クリスマスから正月にかけてと、夏の休暇しか帰れそうにありません。屋久島の家は果樹園の中にあり、放っておくとあっという間に草に覆われてしまいます。27歳の息子が漁師をしながら最低限の管理はしてくれていますが、休暇で帰ったらまず掃除や草刈がひと仕事でしょう。
中川:
そういう屋久島を出て、グリーンピースのお仕事を引き受けられたのはどうしてですか。
星川:
グリーンピースの初期のメンバーである、カナダ人と日本人の若いカップルが日本で活動をしていらして、70年代半ばに知り合ったのです。私は個人として作家として環境と平和の問題を最大のテーマとしてきました。20代前半にインドのラジニーシの元で学び、その後アメリカに渡って、大学で応用生態学を学んだあと、山の中で電気も水道もガスもない生活を送りました。
そこで感じたのは、人類は自然を支配し、開発し、搾取する技術を追求してきたけれど、あまりの行き過ぎに、現代は人間自身を含めた地球全体が変調をきたしているということでした。そこで、生態系との調和の取れた技術のあり方、文明のあり方を問い直すライフスタイルを身につけたいと思ったのです。アメリカから帰国後に、自然と身近に接する暮らしを続けたいと、屋久島へ移り住みました。
そんなわけでグリーンピースの活動には早くから賛同し、1989年にグリーンピース・ジャパンが出来た当初からサポーター会員となって陰ながら応援してきました。また、屋久島の原生林保護や、隣接する種子島の使用済み核燃料中間貯蔵施設の立地阻止などに際しては、他のNGOと並んでグリーンピース・ジャパンからも有形無形の支援を受けました。

<後略>

(2006月5月16日東京・西新宿「グリーンピース・ジャパン事務局」にて構成 須田玲子)

           

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