1998.01「村上 和雄」さん

村上 和雄(むらかみ・かずお)さん
1936年生まれ。筑波大学応用生物化学系教授。1963年京都大学大学院農学研究科農芸化学専攻、博士課程修了。同年米国オレゴン医科大学研究員、1968年京都大学農学部助手。1976年バンダビルト大学医学部助教授。1978年筑波大学応用生物化学系教授となり、遺伝子の研究に取り組む。1983年高血圧の黒幕である酵素「レニン」の遺伝子解読に成功、世界的な業績として注目を集める。1994年より先端学際領域研究センター長を高める。1996年日本学士院賞受賞。著書に「バイオテクノロジー」(講談社ブルーバックス)、「遺伝子からのメッセージ」(日新報道)他。
『遺伝子の中に神の働きを見た』
アメリカではノーベル賞も過去の栄光
- 中川:
- 先生の『生命の暗号』という本を読ませていただいて、目に見える世界を追求してきた科学者がサムシング・グレートという言葉で、私たちに言わせれば「神様」とでも言うべき存在のことを語っておられるということに深く感銘を受けました。私は、氣の世界を通して神様を感じているわけですが、先生は遺伝子の中に大自然の偉大な力を見られたということに非常に興味をもちました。今日は、ゆっくりと先生のお話をうかがえればと思っています。氣の世界も、ほんの数年前まではいかがわしいものとして、特に科学者からは相手にされませんでした。でも、最近は氣という言葉が、かなり当たり前の感覚で語られるようになってきています。そういう意味で、時代が変わってきたという実感がありますね。
- 村上:
- 私も時代の変化は痛感しています。大学は、間違いなく大きな変革期を迎えていますね。30年程前、私はアメリカで研究生活を送っていました。アメリカへ行った当初、第一番に感じたのは、こんな国とよく戦争をする気になったなということでした。日米のギャップが、言葉にならないくらいすごいわけです。私のことで言えば、若くても、やっていることは正当に認めてくれて、日本にいるときと比べて給料が一桁違いました。当時の私は27~28歳の、研究者としては駆け出しです。しかし、50代の教授と同じ給料をくれるわけです。どうしてだって聞くと、同じ働きだからというわけです。私の方はいいですが、教授はたまったものじゃないですよ。30年近い実績が無視されてしまっているわけでしょ。アメリカでは、例えノーベル賞を受賞した偉い科学者でも、それは過去の栄光にしか過ぎず、今、どんな研究をしてどんな成果を上げているかがすべてです。4~5年に一回、研究のチェックがあって、研究が駄目ならやめてもらうという、そんな体制なんですね。だから、若い人でも研究次第で認められるという天国の部分もあれば、どんなに実績があっても、今が駄目なら駄目という、地獄ともいえる部分がある。まさに、そんな中から研究者としてのプロが育ってくるわけです。それに比べて日本の大学は、プロ級の人もおられますが、一般的にはプロを養成する環境にありません。プロとアマチュアの集団が闘えば、プロが勝つに決まっています。今までは、日本の大学も、知識とか技術を輸入して使えるというハンディをもらっていましたが、これからはそうはいかなくなる。真剣勝負となるのですから、大学もプロ集団作りに本腰を入れなければならないと思います。国際的に通用する研究や教育をする必要に迫られていますね。
- 中川:
-
特に、先生が研究されている遺伝子などはそうでしょうね。世界中で研究がされていて、それも日進月歩で、昨日の研究が、今日は古い情報になっている世界なんでしょうね。何か、すべての分野でテンポが速くなっているような気がしますね。氣の世界も、昨日と今日が違っても何も不思議ではない。私どものやっている真氣光でも、ちょっと前までは病気治しに非常に重点が置かれていた。そもそも、氣なんていうのは、難病が治るということで注目されて、新しい治療法というニュアンスが強かったんですが、今ではもっと深まって、宇宙の真理を知るきっかけとしての位置付けがあります。氣を通して意識を変えていこうというのが、真氣光の重要な考え方になっています。意識が変われば病気も治ってしまうし、幸せにもなれるという考え方ですね。ほんの短い期間で『氣で病気が治る』というだけの見方は古くなってしまっているんです。その変化に、なかなかついてこれない人も多いですけどね。
- 村上:
- 遺伝子の研究では、2005年には人の遺伝子の暗号が、すべて解読されると言われています。私が遺伝子の研究を始めた20年程前は、人の遺伝子が解読されるのは21世紀半ばだろうと言われていました。現場で研究している私たちも驚くようなスピードで動いていますよ。
- 中川:
- あと10年もたたないうちにですか。遺伝子が解読されると、世の中はどう変わるんでしょうね。
- 村上:
- 医学が変わりますね。例えば、今の医学ではタバコを吸うと肺ガンになると言われますよね。それは、タバコを吸う人1000人と吸わない人1000人を比べて、吸う人の方が肺ガンになりやすいといったことで、タバコは肺ガンの原因だという結論が出されているわけですが、遺伝子が解読できれば、この人はタバコを吸うと肺ガンになりやすいけれども、この人はいくら吸っても大丈夫だという診断ができるわけです。遺伝子というのは体の設計図ですから、それを読めば、この人はどういう病気になる可能性があるのかがわかります。だから、その病気になるのを避けるには、どんな生活をすればいいのか、医学はそんなアドバイスができるようになるでしょうね。私は、冗談で、21世紀には見合いのとき、釣り書に遺伝子の暗号を添えて出さなければならなくなると言っているんですけどね。まあ、遺伝子の解読は、そうやって着実に進んでいますが、私がもっとも興味あるのは、この体の設計図とも言える遺伝子を、誰が書いたのかということです。親が書いたわけじゃないでしょ。おじいさんやおばあさんでもない。遺伝子に書かれている情報は、万巻の書に匹敵する量ですが、それが米粒の60億分の1のスペースに書かれているわけです。世界人口が60億人ですから、世界中の人の遺伝子を集めてきてやっと米粒の大きさになるというそんな小さなところに、ものすごい量の情報が詰まっている。これはとても人間のできることではありません。自然が書いたんだろう。自然と言っても山や川が書いたわけではない。何か、人間とか動物とか植物とか、そういったものを作ろうという意思がなければ、設計図は書けないでしょうから、その書き手は何か意思をもった存在である。どんどん突き詰めていくと、そんなとこるに行くわけですね。
- 中川:
- その書き手が、サムシング・グレートということになるわけですね。
- 村上:
- そう考えるしかないんです。細胞一個でできている単純な生き物でも、それが生まれるのは、一億円の宝くじが百万回連続して当たるのと同じ確率です 。つまり、ありえないに等しいほどのものです 。人間の知恵や思いや努力を超えたものが働いている、としか考えられないですよね 。そう考える方が自然なんです 。その働きを私はサムシング・グレートと呼んだわけですね 。神や仏様と言ってもいいと思いますよ 。
- 中川:
- 私たちは当たり前のように生きていますが、生きているっていうことはすごいことなんですね 。そんな貴重な生命ですから粗末にしちゃいけないという重要なメッセージを、遺伝子は発信しているわけだ 。
- 村上:
- バイオテクノロジーでは、随分と大腸菌のお世話になっています 。それで、大腸菌の研究もどんどん進んで、今では大腸菌の遺伝子は完全に解明されています 。設計図がはっきりとわかっていて、どんなエネルギー、どんな材料を使っているかもわかっている 。車で言うなら、設計図があって部品もあって、ガソリンもある状態です 。でも、エンジンを動かそうと思ってもスイッチが入らない 。つまり、大腸菌は作れても、命が宿らないんですね 。なぜ、大腸菌が生きているか、そこがわからないままなんです 。体の設計図である遺伝子が解読できるまで科学は進んだのだけれども、生きた大腸菌一つ作れないのが現状です 。それは科学が未熟というだけのことではなくて、それだけ生きているということは偉大だということでしょう 。体重60キロの人で細胞は60兆個あると言われています 。世界人口が約60億ですから、人間を構成する細胞は人口の一万倍ということになります 。人間は一万分の一の数でも、しょっちゅう喧嘩しているにもかかわらず、細胞は自分も生きながら、お互いが協力して臓器を生かすという、素晴らしい調和をもっているわけですね 。まさしく共生の社会ですよ 。それをコントロールしているのが遺伝子です 。でも、その遺伝子をコントロールしているのは何なのかとなると、もう分からなくなってしまう 。昔は、神様が人間を作ったなんて、そんな馬鹿なことがあるかと思っていました 。しかし、遺伝子を研究していると、そう考えずにはいられないですね 。私は、遺伝子の中に、サムシング・グレートの働きを見ることができました 。これは大変な感動でしたね
- 中川:
- 私どもも、常に先生のおっしゃるサムシング・グレートの存在を感じながら生きていくことを重視しています。氣は中継するものだという考え方を徹底するようにしているんですね。自分で作り出したり、貯めたりするものではなくて、自分は中継になりきって、神様のエネルギーを中継させていただこうと、そう考えています。自分でやっているんだという考え方だと、必ず限界がきます。天狗になって、だんだんと人から相手にされなくなったり、体調が悪くなったりもしますしね。でも、中継させていただいていれば、それはすべて神様の意思だから、極端な言い方をするなら、人はどんな難病だって治るし、治らない人は肩凝りだって治らない。いくら病気が治ったからと言って、それは神様が治してくれたものだから、いばることもないし、簡単な病気が治らないからと言っても、それは神様の意思なんだから、自分は力が足りないとがっかりすることもないんです。大事なのは、氣を中継するという行為を通して、ああ、自分たちは生かされている存在なんだと。それを感じられればいいと思っています。神様やサムシング・グレートといった、私たちを生かしてくれている大きな存在があると考えて生きるのと、ないと否定して生きるのとでは、人生がまるっきり違ってきますからね。
- 村上:
- その通りだと思いますよ。バイオテクノロジーは神を操るものである、などと言う人がいますが、とんでもない話です。本当に、生命は偉大だと思います。とても人間の知恵の及ぶものではありません。その生命の偉大さから見れば、ノーベル賞学者も知的な障害を持った人も、ほとんど変わりはないんです。人間の狭い判断基準で言えば、ノーベル賞を取った人だとか、大会社の社長は偉いということになっていますが、生きていることのすごさからすれば、ノーベル賞をとるか、知的な障害をもって生きるかは、ほんの誤差にしかすぎません。生きていることというのは、大自然からのギフト(贈り物)ですよ。よく、「子供を作る」という言い方をしますが、人間が子供を作るわけではない。あくまでも生命は大自然の贈り物であって、人間は、そのきっかけを作るだけのことです。日本人は、戦後50年で、数千万の胎児をおろしています。大変な数ですよ。交通事故や戦争以上に、貴重な生命が失われているんですね。かつては、子供が増えると家族が飢え死にしてしまうという、ギリギリのところで悲しい選択をしたこともあったと思いますが、最近は、ほとんどが自分の都合でおろしてしまっていますよね。もちろん、心の痛みをともなって決断しているんでしょうが、その決断のどこかには、自分のものという思いがあるんだろうと思います。大自然からのギフトだと考えれば、そう簡単には、おろすという手段をとらないと思いますね。現代は、自分の命も周りの命も、粗末にし過ぎています。その最たるものが食べ物でしょ、日本では。ほとんどの食べ物を輸入してきて、その3分の2を捨ててしまっている。これは、傲慢以外の何者でもありませんよ。もちろん、それは他人事ではなくて、私も大切な命を食としていただきながら「こんなまずいもの」なんて文句言ったりしていますから、気をつけないとね(笑い)。
- 中川:
- それは私も同じですね。ところでですね、先生の本によると、すべての人は素晴らしい潜在能力をもっているんだけれども、遺伝子がオフになっていて、その能力を発揮できないんだということですね。私も、それはよく感じますね。私どもで行っている一週間の講座ですが、一週間で人がどんどん変わっていくんですね。病気の人も治ってしまったりする。生き方がすっかり変わって家庭円満になったり、思わぬ能力が芽生えて、仕事がすっかり変わってしまったりといったことが起きてきているんですね。きっと、そういう人は遺伝子がオンになったんだろうななんて、先生の本を読ませていただきながら思っていました。
- 村上:
- 遺伝子のオン・オフについては、少し前に話題になったクローン羊を例にすればわかりやすいのでお話します。クローン羊は、妊娠したメスの羊から乳腺細胞という細胞を取り出すところから始まります。乳腺細胞というのは、ミルクを作る働きだけがオンになっている細胞です。すべての細胞は、もともとは一個の受精卵からなっているわけですから、同じインフォメーションを持っています。ただ、それぞれのインフォメーションがオンになっているかオフになっているかの違いで、髪の毛になったり、心臓になったりするんですね。よく、心臓に毛が生えているという言い方をしますが、心臓を作る細胞にも毛が生える情報はあるんです。でも、それがオフになっているから毛が生えないだけです。クローン羊に話を戻しますが、乳腺細胞を培養するときに栄養を十分の一くらいにして半殺しの状態にします。すると、すべての情報がオンになる、つまり一匹の羊ができる細胞になるのです。遺伝子のオン、オフは、どうもストレスと関係があります。物理的なストレス、例えば火事でやけどしたとしますね。そのときには、やけどに対抗するタンパク質を作る遺伝子がオンになります。アルコールでも、私はあまり強くないんですが、飲み続ければ、かなり強くなると思います。これもアルコールを分解する遺伝子がオンになるからでしょうね。精神的な要因もオン、オフに関係してきます。火事場の馬鹿力というのがありますね。非力な女性が火事のときに重いタンスを一人で運ぶというようなことです。これも、火事だ大変だという精神的なストレスが遺伝子をオンにしたと考えられますね。あるいは、長年歩けなかった人が、ある人と出会って感動したりすると、ふっと歩けるようになったりする。これも、精神的な要因によって遺伝子がオンになったと考えていいんじゃないでしょうか。
- 中川:
- 今、世の中を見回すと、マイナスだと思われることが山ほどありますよね。景気が悪いとか、残酷な事件や難病が増えているといったことですね。だけど、それらは決してマイナスではなくて、すべてサムシング・グレートが与えてくれたことなんじゃないかと、私は思っています。いろいろなことが起こってきても、それをどうとらえるかによって、人って、幸せにも不幸にもなれるじゃないですか。これも遺伝子のオン、オフとかかわっているような気がするんですけどね。
- 村上:
- サムシング・グレートは、言葉を発することができません。だから、いろいろな現象で私たちにメッセージを送ってくれているのだと思いますよ。病気になるとか、人に騙されるといった、私たちの狭い価値観からすればマイナスのことも、自分に起こることはメッセージだと受け止めようと考えた瞬間にプラスに転換しますよね。本来の宗教は、サムシング・グレートの存在を認めて、生かされて生きていることを実感する手段としてあったと思います。生きていることのすごさを知ることですね。私たちは、何百万円かもらうとありがたく思うけれども、生きていることにはありがたみを感じない場合がほとんどでしょ。でも、生きていることは何十兆円出したって買えるものではないんですね。いくらお金を積んでも手に入れることができないものです。生きていること自体それほどすごいことなんだから。少々病気したって、障害があったって、そんなのは大したことじゃないんですね。生きていることに感謝することこそ、サムシング・グレートのメッセージをポジティブに受け取ることですよ。それが必要な遺伝子がオンになることにつながっていくんだと思います。
- 中川:
- 先生のお話をうかがっていますと、科学と宗教という、これまでは両極端に位置していたものが、見事に統合されていくような気がして嬉しくなってしまいます。これからは、先生のような姿勢で研究活動をする学者は増えてくるんでしょうね。
- 村上:
- 中途半端な人は意外と傲慢なんですよ。遺伝子を研究していても、大腸菌も作れないのに、生命の本質を解明したような気になってしまってね。でも、ある程度まで達した人はわかっているでしょう。サムシング・グレートというのか、神というのか、仏というのか、表現の仕方は違っていても、生命を作り出した偉大な力が存在していることをですね。私たちが大学で講義したり研究室で研究したりするのはデイ・サイエンス(昼の科学)。そうじゃない研究の裏側に当たるものをナイト・サイエンス(夜の科学)と、私は呼んでいます。デイ・サイエンスは、理性的で客観的、つまり論理の筋が通って整然としています。一方のナイト・サイエンスは、直感、霊感、不思議体験などから大変なヒントを得たりする世界です。だいたい、科学上の大発見、大発明はナイト・サイエンスから生まれています。でも、なかなかそんなことを言う人はいなかった。大体が、結果だけを見せて、いいことしか言ってこなかった。世の中には科学ではわからないことはいくらでもある。それを語らずに、まるで科学でわからないことは存在しないことであるといった話になってしまった。それじゃ、本当の意味で科学の発展はないわけで、これからはナイト・サイエンスの部分をもっともっと語らなければならないと思いますね。結果だけではなくてプロセスを語るべきでしょう。間違いもあるし、不思議な出会いもあり、直感もある。それが人間のドラマです。そして、そんななかから、生きるということはただごとではないなという発見があるんじゃないでしょうかね。
- 中川:
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生きるということのすごさが遺伝子という目に見えない世界から見えてくるということに、またすごさを感じました。先生には、いずれご講演をお願いしたいと思います。少しでも多くの人に、遺伝子の声、サムシング・グレートからのメッセージを聞いていただきたいと思います。また、私どものやっています氣についても見ていただける機会があるといいなと思っています。これからもいろいろと楽しいご研究をされ、いろいろとご指導いただければと思います。今日は、本当にありがとうございました。
構成/小原田泰久