今月の対談(複数人) - 氣のリラクゼーション SHINKIKO |真氣光

「氣」の無料体験

最寄りのセンターやご自宅から
オンラインでもご参加可能です

ご予約はこちら
電話 「氣」無料体験のご予約はこちら
  1. TOP
  2. お知らせ
  3. 今月の対談(複数人)

5月「中川 由香子さん・中川 貴恵さん」

中川 由香子・中川 貴恵(なかがわ ゆかこ・なかがわ たかえ)さん

中川 由香子 さん 1962年札幌生まれ。1984年からハワイやマイアミを拠点に海外に真氣光を広げる活動をする。2000年帰国後、真氣光研修講座の食事ボランティアをする。2007年東京移住。2016年認知症カフェを立ち上げる。2018年、8月SAS東京センターで『しんきこうカフェ』を始める。

中川 貴恵 さん 1970年札幌生まれ。東京音楽大学付属高校、同大学声楽専攻卒業。日本オペラ振興会研究生終了。イタリアのミラノ、ローマでイタリアオペラの勉強をする。1994年より真氣光研修講座の音感行法を担当。今年4月より東京センターにて「音だまスイッチ」という呼吸と声講座を開催。

『真氣光に新しい風。すそ野を広げて、 よりたくさんの人に光を』

3人が得意な分野でセッション、カフェ、 ワークショップ

小原田:
今月は、私が司会進行を務め、中川会長、中川由香子さん、中川貴恵さんにお話をうかがいます。会長から由香子さん、貴恵さんをご紹介いただけますか。
中川:
由香子は私の2つ違いの妹です。この雑誌に出るのは初めてだったかな。あまり会員さんの前には出ていませんが、真氣光歴は私よりもずっと古くて、1984年に先代が北海道から東京へ出てきたときからいろいろと手伝っています。2000年から、生駒での真氣光研修講座での食事ボランティアをやっていました。
真氣光の「氣」のロゴ、みなさんご存知だと思いますが、あれを書いたのも由香子だったよね。
由香子:
そうなんですよ。太極氣功18式のビデオのカバーに使いたいので書くように言われて、何枚か書いたうちの1枚を先代が選んで、いつの間にか、看板に使われるようになったのでびっくりでした(笑)。
中川:
東京へ出てきたと思ったら、すぐにハワイに住むことになって、あのころは激動の時期だったよね。
由香子:
ハワイのセミナーを手伝ってくれって言われたので喜んでついていったら、そのまま置いていかれて(笑)。
セミナーで知り合ったご夫妻が大きな家に住んでいたので、そこに居候させてもらって、そのご夫妻や近所の人たちの治療をしたりしていました。そうこうするうちに、もう仕送りはしないので、そちらで会社を作って自分で稼げと、とんでもないことを命じられました(笑)。
言われたとおりに会社を作って、先代が定期的にセミナーに来てくれたので、その会場を準備したり、人を集めたりといった仕事をしました。あとは、ハイゲンキを購入してくださった人のアフターケアですね。次から次へとひらめいたことを形にしていく人でしたね。鍛えられました(笑)。
中川:
貴恵は私とは10歳違います。赤ん坊のときには、私がおしめを取り換えたこともあります(笑)。
小さいときから音楽をやっていて、音楽大学でオペラを学んだあと、イタリアにもしばらく留学して、真氣光研修講座では、生駒で行われるようになった1994年5月から音感行法をやってくれているよね。
貴恵:
先代から、講義だけだと受講生も退屈するから音楽会をやってくれないかと言われて、音感行法が始まりました。私はクラシックが専門なのですが、先代からは「クラシックではわからんから演歌をやれ」と無茶な注文が入りました(笑)。でも、演歌ばかりでもまたおかしいでしょ。童謡を入れたり、いろいろ試行錯誤しました。
中川:
それは大変だった(笑)。でも、真氣光研修講座でも音楽が入ると、みなさんほっとしているし、いい雰囲気になるよね。
貴恵:
参加している方によって雰囲気が違いますから、その場にあった歌を歌うようにしています。
基本は、こちらが楽しく幸せな気持ちで歌うことですね。そうじゃないと、いい氣が伝わらないですからね。
中川:
それは大事なことだと思いますよ。参加者の中には、「あの歌、思い出の歌なんです」と涙を流す人もいるからね。歌に癒され、歌で気づくことがたくさんあるみたいだね。
今は、ほかにもあちこちでボランティアで歌ったりしているけど。
貴恵:
2011年の大震災のあと、老人ホームへ行くことが多くなり、母が通っていたデイサービスの施設でも歌っていました。
豊島区でも「歌って健康講座」と言うのをボランティアでやっています。
小原田:
由香子さんは昨年の8月から「しんきこうカフェ」を、貴恵さんは4月から東京センターで「音だまスイッチ」というワークショップを始めました。このお話はあとから詳しくお聞きします。
三本の矢とか三位一体とかよく言いますが、こうやって会長と妹さん2人が、それぞれの得意な分野で真氣光を広げていくというのは、先代が仕組んでいることではないかと思ったりもします。ひとつの節目を真氣光も迎えているのではと思えてなりません。どんな展開が起こってくるのか、すごく楽しみです。

<後略>

2019年3月28日 エス・エー・エス 東京センターにて 構成/小原田泰久

           

test

5月 「スティーブ・ウィクバイヤ・ ラランス」さん

スティーブ・ウィクバイヤ・ ラランス(すてぃぶん うぃくばいや ららんす)さん

ゲスト/スティーブ・ウィクバイヤ・ラランスさん
1958年生まれ。ジュエリーアーティスト。トゥーファストーンという石で鋳型を作り、そこに銀を流し込んで作るトゥーファキャスト技法を用いて作品つくりをしている。フープダンスショーでは、太鼓と歌を担当している。

ゲスト/ナコタ・ロマソフ・ラランスさん
1989年生まれ。フープダンサー、ヒップホップダンサー。フープダンスの世界大会で8度のチャンピオンになる第一人者。シルク・ドゥ・ソレイユでは、2013年からプリンシパルダンサー(主役のダンサー)を務めている。26歳。

『ホピ族と真氣光。不思議な縁でつながり、再び出会うことに』

フープダンスの世界チャンピオン。日本にもこの踊りを広めたい

中川:
今回は、真氣光の会員さんで、カナダのトロントにお住いの神田陽子さんが、とてもすてきなゲストの方をご紹介くださいました。ネイティブアメリカンのホピ族の血を引くスティーブ・ウィクバイヤ・ラランスさんと、息子さんのナコタ・ロマソフ・ラランスさんです。
スティーブさんは、インディアンジュエリーのアーティストで、ナコタさんは、フープダンスの世界チャンピオンだそうです。
まずは、神田さんに、彼らとのご縁をお聞きしましょうか。神田さんには、通訳もやっていただきます。よろしくお願いします。
神田:
今日はよろしくお願いします。スティーブさん、ナコタさんにご縁ができたのは、昨年の6月、会長がトロントへ来られましたが、その3週間ほどあとでした。あのとき、会長からたくさんの氣をいただいて、それ以来、すてきな方とお会いする機会がとても増えました。ありがとうございました。
会長は、シルク・ドゥ・ソレイユってご存知ですか?
中川:
名前は聞いたことあるなあ。サーカスでしたっけ。
神田:
モントリオールでできたエンターテインメントの集団で、今は、世界的にもすっかり有名になりました。日本でも、2月から全国各地で公演していますよ。
昨年、会長が帰国されたあと、ナコタさんが、シルク・ドゥ・ソレイユの主役を務めるダンサーとして、トロントにお越しになりました。ちょうど、うちの14歳の娘もシルク・ドゥ・ソレイユで踊ることになって、私は、付き添いで行きました。そこで、スティーブさん、ナコタさんの2人に、初めてお会いしました。
そのときに、彼らが日本でもフープダンスを広げたいと言っていたので、私も20年以上、カナダに住んでいますが、日本人ですから、何か役に立てるのではと、応援することにしたという経緯です。
中川:
そういうことでしたか。それで今回、日本の何ヶ所かで公演をするわけですが、神田さんがコーディネイトしたということでしたね。
神田:
私と、今日、同席してくださっている近藤明子さんとで、どうなることやらと思いながらやりました。近藤さんとは、カナダで知り合ったのですが、がんばって日本の知り合いに当たってくださって、いい感じで進んでいます。
ホピの神様が応援してくれているに違いないって話しているんですよ。
ところで、今日は、どういう形で対談をしましょうか。と言うのは、ナコタさんが、ぜひ会長にフープダンスを見ていただきたいというので、これから準備に入ります。別の部屋で着替えて、ストレッチとか、準備運動をします。ここには同席できないので、スティーブさんとお話ししていただくということでよろしいでしょうか。
中川:
ダンスを見せていただけるんですね。それはうれしいな。じゃあ、お話しはお父さんのスティーブさんにお聞きして、あとでナコタさんのダンスを見せていただくことにしましょうか。
では、いろいろとお聞きしていきますが、スティーブさんは、ホピ族だということですね。
スティーブ:
母親がホピ族です。私の名前のウィクヴァイヤというのは、ホピ族の名前です。息子のロマソフというのもそうです。私の母がつけました。英語で言うと、ハンサムスターという意味です。その名前のおかげか、フープダンスでは、スターになることができました。いい名前をもらいましたね。
中川:
実は、25年ほど前ですかね。ホピ族の長老のマーティン・ガスウィスーマ氏が、私の父を訪ねて来られました。私どもは、真氣光と言いまして、氣、つまり生命エネルギーですが、それをもっと世の中に知ってもらおうと活動しているのですが、父はその創始者でもあるんですね。(月刊ハイゲンキを見せて)これが、そのときの記事です。写真も出ています。ガスウィスーマさんのこと、ご存知ですかね。
スティーブ:
わかります、わかります。お会いしたことはありませんが、名前は聞いたことがあります。たぶん、私の家内の姪っ子が彼の孫と結婚しているはずです。この記事の写真を撮ってもいいですか? 間違いないか、確認してみますね。確か、ホトヴィラ村に住んでいたと思うのですが。
中川:
確か、そういう名前の村でした。ご縁がありますね。
スティーブ:
でも、どうしてガスウィスーマさんは、会長のお父さんを訪ねたのですか。

中川:
宮田雪(きよし)さんという映画監督が仲立ちしてくれました。宮田監督は、ホピ族の置かれた状況やメッセージを『ホピの予言』という映画にして世に伝えようとしていました。先代も、宮田監督の活動に賛同して、応援していたようです。ホピ族の村の周辺の地下には、たくさん埋まっていて、ホピ族の人やナバホ族の人たちが、その採掘に従事して、たくさんの人が被曝しました。そのウランが、日本に落とされた原爆の原料となりました。そのことはホピの予言でも言われていたそうです。
ウラン採掘に従事した人は、ほとんど無防備の状態で仕事をしていたため、しばらくすると体調が悪くなり、その後もずっと後遺症で苦しんでいる人がたくさんいました。国からの保証もないので、病院にもかかれません。そういう人たちを氣で治せないかというのが、彼らの依頼のひとつでした。
1994年夏には、先代とがん治療ではとても有名な帯津良一先生(帯津三敬病院名誉院長)とが、ホピの村へ行って、被曝した人たちの治療に当たりました。
スティーブ:
そういうことがあったのですね。それは知りませんでした。

<後略>

(2016年3月29日 日比谷松本楼4階真珠の間にて 構成/小原田泰久)

           

1月 「舩後 靖彦」さん

舩後 靖彦(ふなご やすひこ)さん

1957年岐阜県生まれ。10歳より千葉で育つ。大学卒業後、プロミュージシャンを目指すも断念。時計や宝石の専門商社の営業マンとしてバブル時代を駆け抜ける。1999年、41歳の夏、手のしびれを感じ、翌年春、ALSと診断される。その後、麻痺は全身に及び、人工呼吸器装着に至る。現在、株式会社アース副社長、湘南工科大学テクニカルアドバイザー、立正大学人文科学研究所客員研究員、上智大学非常勤講師。著書に「しあわせの王様」(共著 小学館)「三つ子になった雲」(日本地域社会研究所)などがある。

『絶望から希望へ。命ある限り道は開かれる』

41歳のときにALSを発症。体も動かず、言葉も出ない中でも大活躍

中川:
今回は、いつもとは違った形の対談になります。舩後靖彦さんにお話をうかがうのですが、舩後さんは、1999年にALS(筋委縮性側索硬化)という難病を発症されました。41歳のときでした。ALSというのは、原因はわからないのですが、運動ニューロン(運動神経細胞)が侵される進行性の病気で、日本には8000人以上の患者さんがおられるようです。舩後さんも、現在は寝たきりで、人工呼吸器をつけ、言葉も発することができない状態です。そういう状況であっても、舩後さんは、大学などで講演をしたり、執筆をしたり、介護関連の企業の副社長をやっていたりされています。
舩後さんは、パソコンを使ってコミュニケーションをとられています。ベッドの前にはパソコンがあって、舩後さんは、口の中に入れた管を噛むことで、センサーを経由してパソコンを操作しています。ディスプレイ上には、50音の文字盤が出ています。文字盤の上でカーソルを動かして文字を特定し、文章を作っていきます。その文章を音声に変換することで、会話が可能になっているのです。
舩後さんが副社長をつとめる株式会社アースの佐さ塚づかみさ子社長も同席してくださっていますので、佐塚さんにも、お話をうかがいながら、対談を進めていきたいと思っています。舩後さん、佐塚さん、よろしくお願いします。
舩後:
はじめまして。舩後です。よろしくお願いします。
中川:
舩後さんと佐塚さんとは、どういうきっかけで出会われたのですか?
佐塚:
私が説明しますね。舩後さんがうちの会社へ来て3年半になります。私は、平成21年に訪問看護事業所を立ち上げて、いずれは施設を建てたいという計画をしていました。施設を作る上で私が考えていたのは、利用者さんと介護する側の溝をなくしたいということでした。介護の現場では、いろいろなことがあります。できるだけ、利用者さんの目線で介護ができる施設にしたいと思っていましたが、具体的にどうするかということになると、なかなかいい案が出てきませんでした。
そのころに、ある施設を出て一人暮らしをすることになった舩後さんのところに、訪問看護でうかがうことになりました。舩後さんのことは何も知らないし、ただの一利用者でしかありませんでした。
ところが、通っているうちに、この人、いろいろなことを知っているなと感心するようになりました。そして、この人が、私の悩みを解決してくれるのではと思い始めて、介護される側の視点で、私たちを教育してもらおうと決めました。一緒に仕事をしてもらうには、中途半端ではいけないので、取締役に入ってもらうことにしました。そうすれば、スタッフの人たちも話を聞いてくれるだろうと思ったからです。
中川:
確か、舩後さんは病気になる前は、バリバリの企業戦士だったですよね。営業でもトップの成績だったそうですね。
佐塚:
そうなんですよ。だから、私たちのような介護の業界は、彼にしてみれば、生ぬるく感じたのでしょうね。仲良しこよしでいいのか。これで会社はやっていけるのか。そんな疑問をぶつけられると、こちらは返答できなくなります。仲良くやっていればいいと思っていたけれど、組織として、企業としてやっていくには、それじゃいけないと言われました。
遠慮なく言ってくれたのが良かったんだなと思います。おかげさまで、今は100人ほどの職員がいて、みなさん、生き生きと働いています。
中川:
なるほど。経営という視点もあり、介護される側という視点もあって、まさに佐塚さんがやりたいことにぴったりの人が、たまたま訪問看護で行ったところにいたわけですね。舩後さんも、自分の体験が生かせるし、運命の出会いですよね。
佐塚:
舩後さんと出会ったことで、健常者とか障がい者とか関係なく、同じ立場として付き合うという体験をさせていただき、考え方も、ずいぶんと変わりました。舩後さんと会うまでは、差別だらけの人間だったと思います。まだまだ今でもそういうことはあるとは思いますけどね。
運営会議を、舩後さんの家でやったり、月に一度は、舩後さんにも朝礼に出ていただいて、訓示を代読させてもらったりします。いいお話をしてくれるんですね。入居者にアンケートをとった方がいいというアイデアを出してくれたこともありました。どこも、そんなことやっていませんから、みなさんに感心されました。うちの会社にとって、なくてはならない存在です。
中川:
<後略>

(2015年11月25日 千葉県松戸市 舩後靖彦さんのご自宅にて 構成/小原田泰久)

著書の紹介

「三つ子になった雲」 舩後 靖彦 著 (日本地域社会研究所)

           

4月 「研修講座 講師」さん

研修講座 講師(けんしゅうこうざ こうし)さん

龍村 修 さん 1948年兵庫県生まれ。早稲田大学文学部卒業。94年龍村ヨガ研究所を創設し、国内外でヨガの指導に従事。龍村ヨガ研究所所長、国際総合生活ヨガ研修会主宰、NPO法人沖ヨガ協会理事長、NPO法人日本YOGA連盟副理事長。主な著書に「眼ヨガ」「龍村式 耳ヨガ健康法」(以上、日貿出版社)「深い呼吸でからだが変わる」(草思社)など。

石井 光 さん 東京生まれ。東京大学大学院法学研究科博士課程を修了。青山学院大学法学部教授。犯罪学、犯罪者処遇、少年非行の教鞭をとる傍ら、オーストリア、ドイツなどヨーロッパ各地、カナダ、中国などで内観の指導を行っている。著書に「一週間で自己変革、『内観法』の驚異」(講談社)「子どもが優しくなる秘けつ」(教育出版)など。

中川 貴恵 さん 東京音楽大学声楽専攻卒業。日本オペラ振興会オペラ歌手育成部研究生修了。ミラノ、ローマ、ヴィテルボでオペラ唱法を学ぶ。イタリアで勉強中、日本の歌の素晴らしさを実感する。現在、「歌は祈り」という思いで、聴き手に親しみやすい叙情歌や唱歌を中心に活動中。老人ホームなど福祉施設でのコンサート依頼も多い。

『真氣光研修講座25周年特別企画 感動、感激、感謝、気づきの講座!会長と3人の講師が振り返る25年』

1990年3月、下田の沖ヨガ道場で合宿制の講座が始まった

中川:
今年の3月で真氣光研修講座が丸25年となりました。本当に早いものです。先代が亡くなったのが1995年ですから、それから数えても20年になります。
今回は、真氣光研修講座の講師を務めてくださっている3人の方をゲストにお迎えして、25年を振り返ってみたいと思います。25年前の第1回目からヨガを教えてくださっている龍村修先生、1994年から内観を講義してくださっている石井光先生、それに音感行法の中川貴恵の3人にお話をうかがいました。ちなみに、中川貴恵は私の妹です。
龍村先生、研修講座が始まって、もう25年になりますね。第1回目から、すべての回に、講師を務めてくださっていただき、本当にありがとうございます。先生も、きっと研修講座には、思い入れをもってかかわってくださっていると思いますが。
龍村:
思い入れも、思い出もいっぱいですよ(笑)。もう25年ですか。20周年のときにもお話ししたかもしれませんが、先代が下田の沖ヨガ研修所を訪ねて来てくださったときのことはよく覚えています。真っ白な髪の毛、白い髭。あの風貌は、一度見たら忘れられません。何か、すごい力をもっておられる方だと、そのとき感じましたね。最初にお会いしたのは1989年の年末で、翌年の1月にも道場にお越しになりました。最初のときに、沖ヨガの創始者である沖正弘先生の本をお渡ししたのですが、それを全部、読んでくださって、何か感じるところもあったようで、この研修所で医療氣功師を養成する講座を開きたいというお話をされました。2000人の医療氣功師を養成するのが急務なのだとおっしゃっていました。
沖先生も、現代医療には大きな問題があると言っていました。目に見えないエネルギーのこととか、毎日の生活のあり方には、現代医療はまったく目を向けていませんでしたから。そういう意味で、先代の話にはとても共感するところがありました。
中川:
沖先生はすでに亡くなっておられましたが、沖先生の精神性というか生き方、考え方に、先代も共鳴するものがあったのだと思いますね。
龍村:
ヨガというのは、本来は神と結ぶという意味です。神とつながるというのは、宇宙の神聖なエネルギーを中継することです。そのアンテナが曲がっていては、いいエネルギーは取り入れられませんから、体を動かしたり、呼吸を整えたりするわけです。ヨガというと、体操のように思ってしまっている方もいますが、それは大きな勘違いで、宇宙のエネルギーを生かしていくためのものなのです。そのあたりに、先代は自分の考えとの共通項を見出したのではないでしょうか。
中川:
1990年3月の第1回目の参加者は40人ほどでしたが、どんどんと増えていきましたね。
龍村:
私どもでも、企業の新入社員研修などで大人数の研修を引き受けることもありましたが、せいぜい、1年に1度とか2度で、毎月、あれだけの人が集まってきたのには、びっくりしましたね。
中川:
石井先生は下田のときに受講されて、生駒で研修をするようになってから、講師としてお越しくださっていますよね。
石井:
そうですね。ゼミで、「人間とは何か」に迫るテーマを探してくるよう、学生たちに課題を出したら、一人の学生が「真氣光」を選んできました。合宿があるので先生もぜひ行ってみてくださいと言うので、素直に「はい」と言って、受講しました。私は、学生時代から坐禅をやり、長く内観の指導もしていますので、氣とか心のことについてはとても興味がありました。でも、坐禅にしろ、内観にしろ、静かに自分を見つめるものですから、下田での合宿のあのすごい状態にはびっくりしましたね。
中川:
そうですよね。氣の時間になると、転げ回ったり大きな声を上げる人がたくさんいましたからね。
先生は、青山学院大学で教鞭をとっておられて、それ以外にも、世界を回って内観を指導されていて、本当に忙しいのに、当時1週間の講座に、よく来られましたね。
石井:
春休みでしたが、私が参加したときは1週間ではなくて8泊9日でしたね。本当に貴重な体験で、魂のことについて興味を持って本を読んだりしていたころでした。目の前でさまざまな現象を見せられて、とても感動しました。
真氣光研修講座も内観も、「いいとわかっていても忙しくて行けないんです」と、なかなか参加できない人がいるとは思いますが、これから何十年か生きるうちの3泊4日とか1週間ですからね。それで人生が変わると思えば、思い切ってもいいのかなと、私は自分の体験から思いますね。
私は、学生時代からお寺にこもって坐禅を組んだり、内観も何度も参加していますから、それを全部合わせると、3年くらいは世の中から隔絶された状態にいたことになります。でも、それで得たことは、本当に大きかったと思っています。
石井:
これまでは、夏休みとか春休みしか、ヨーロッパや中国に、内観の指導に行けませんでしたが、これからはいつでも堂々と行くことができます(笑)。向こうでも、手ぐすね引いて待っていてくれています。ありがたいことです。
中川:
ところで、貴恵も下田の講座に参加しているんだよね。
中川貴恵:
音大の1年生のときでした。先代から、精神修養だから来いって言われまして…。氣は、実験台として、よく受けさせられていました(笑)。氣を受けるといろいろと反応もありましたが、それが精神的なものともかかわっているとは、あのころは思っていませんでした。精神的に強くなれるなら行こうと思って、参加しました。
とにかく、人数が多いし、休み時間も短くて、気を張って受けていましたね。それでも、終わったら、身も心も軽くなっているのにびっくりしました。今までの自分は、鎧を着ていたみたいだって思いましたね。
中川:
貴恵は、両親と同居していたから、よく実験台になっていたので、氣のことについては、私より信じていたみたいで(笑)。あのころの私は、今、こんなことをやっているのが自分でも信じられないくらい、見えない世界には関心がなかったですね。体調が悪くなって、研修講座を受けて、人生がびっくりするくらい変わりました。
中川貴恵:
私は、霊的な現象もよく話で聞かされていたし、自分も、氣を受けると、ゴホゴホと咳き込むような反応が出ていたし、霊的な現象についても、そういうのもあるかなというくらいには思っていました。
研修講座を受けて、本当に前向きになりました。それまでは、いつも、こんなことをやるとつらいことがあるに違いないとか、悪いことばかりを先に考えていましたが、下田から帰ったら、自然の流れに身を任せられるようになりました。
中川:
下田での講座は、1994年4月までで、5月から奈良県の生駒山で行うようになりました。名前も、「医療氣功師養成講座」から「真氣光研修講座」に変わりました。内容も変化して、石井先生の内観や音感行法が入ってきたんですよね。

<後略>

(構成 小原田泰久)

           

3月 「龍村 修」さん

龍村 修(たつむら おさむ)さん

1948 年兵庫県生まれ。早稲田大学文学部卒業。求道ヨガの沖正弘導師に入門、内弟子として国内外で活躍。1985 年導師没後、沖ヨガ道場長に就任。1994 年独立して龍村ヨガ研究所を創設。NPO 法人国際総合ヨガ協会理事長。著書に、「生き方としてのヨガ」(人文書院)「深い呼吸で体を癒す」(PHP研究所)「深い呼吸で心が変わる」(草思社)等がある。

『【真氣光研修講座20周年特別企画】 今は全国各地で開催! エネルギーの変化に応じて、講座の形も変わってきた 』

不思議なご縁から、下田で研修講座が始まることに

中川:
今回はちょっと趣を変えた形で対談を進めていきたいと思います。2010年3月で真氣光研修講座が20年を迎えます。そこで、今回のゲストには研修講座でおなじみの龍村修先生をお迎えしました。そして、下田や生駒のころには講師もやってくださっていた小原田さんに司会をお願いします。小原田さんは、何回目くらいから研修講座を見ておられますか? 体験を話していただいた後、進行もお願いできますか。
小原田:
3回目くらいから下田へ行っています。ずっと先代の随行取材をしていましたので、1時間半ほど先代の活動についてのお話を受講生の前でして、1泊か2泊して帰りました。それでも、見るもの、聞くもの、驚きばかりでした。特に、霊的な現象が当たり前のように起こっていたのは、慣れるまではいつも鳥肌ものでした。そのころは氣功師養成ということをうたっていました。私は、先代について歩いているうちに氣を出せるようになっていましたので、受講する必要はないと思っていたのですが、19回目に初めて受講してみたら、とにかく、毎日が新鮮で、自分が内側から変わっていくのがわかりましたね。画期的な講座でしたが、それがどうして下田で行われたか、不思議な縁がありました。龍村先生は、そのいきさつを詳しくご存じですので、お話いただけますか。
龍村:
20年もたちましたか。早いですね。先代は、セルソさんというブラジル人の医師に連れられて道場へやって来られました。セルソさんは、長年沖ヨガを学び、リオで自然医療のクリニックを開業していました。セルソさんは、先代がブラジルで行なったセミナーに参加して、ずいぶんと感銘を受けたみたいで、沖ヨガ道場を紹介したようです。先代は、氣功師を養成する講座をやりたいのだということをおっしゃっていました。アメリカツアーに一緒に行ったお弟子さんたちはみなさん手から氣が出るようになったそうです。しかし、しばらくするとできなくなってしまうので、合宿制の講座を計画しているのだけれども、研修所を貸してくれないかとおっしゃいました。ゆっくりとお話をうかがい、先代の人柄も医療氣功師を養成するという趣旨も、私にはすごく理解できることだったので、協力させていただきますということになりました。
中川:
それが89年の暮れですかね。そして、始まったのが翌年の3月。確か、沖ヨガさんのプログラムを使わせてもらったということでしたね。
龍村:
私たちも、いくつものプログラムがあって、そのうちの1週間のプログラムをもとに、1日に4回の真氣光を受ける時間と先代やゲストの先生方の講義などを入れたりしながら、研修講座のプログラムを作り上げていきました。
小原田:
読経があって、ジョギングがあって、それから朝ご飯、そのあとは講義や氣を受けたりヨガで体を動かしたりする時間があって、非常にバラエティに富んでいましたね。合宿後半には爪木崎という下田の名勝でご来光を拝んだりして、あっと言う間に一週間が過ぎてしまいました。
中川:
私は16回の講座に参加しましたが、さまざまな問題の原因は、外にあるのではなくて自分の中にあるのだと気づけたのは、自分の人生にとって大きな出来事でした。とても充実した1週間でしたね。朝、ジョギングから帰ってくると、みそ汁だけの朝ご飯、昼は玄米菜食、夜は麺類、量はいつも食べる半分以下でした。それでも、そんなに空腹感は感じなかったですね。先代は、「氣を取り入れているからお腹がすかないんだ」って言っていましたけどね。氣を生活の中に取り入れると、意識がどんどんと変わっていくのには驚きました。

<後略>

(2010年1月21日 つくばみらい市スターツ総合研修センターにて 構成 小原田泰久)

ゲスト・司会/小原田 泰久 (おはらだ・やすひさ) さん

1956年三重県生まれ。名古屋工業大学卒。1988年中国で先代と会って、氣の世界の取材を始める。先代のイルカとの意識交流にも同行。それをきっかけに、野生のイルカと交流するイルカの学校を始める。著書に「イルカが人を癒す」(KKベストセラーズ)「イルカみたいに生きてみよう」(大和書房)「犬と話ができる!」「植物と話ができる!」(広済堂出版)など。

           

1月 「林 雲」さん

雲(りん うん)さん

チベット密宗最古の宗派ボン教黒派の法王。両親は台湾の人で16歳のときに台湾に帰る。台湾大学で法律を文化大学で市政を学ぶと同時に、仏教以前から伝わる密宗ボン教を解読、気学・風水・易経など多岐にわたって研究し、従来のものに独自の解釈を加え、「林雲学」を打ち立てる。新しい風水と気についての講演を大学のセミナーをはじめ世界各地で行っている。また、世界有数の建築物や多くの大きなビルなどに対して設計段階でアドバイスを行っている。在米30数年で、サンフランシスコ大学、スタンフォード大学の客員教授を務め、国連やハーバード大学でも毎年講演を行う。カリフォルニアなどに五つの雲林禅寺を創立。現在ニューヨーク在住。著書に「Master Lin Yun's Feng Design」など。

『『チベット密宗ボン教の法王が説かれる、「風水は氣」』

「目の見えない人が大きな象を触ったら」の話

中川:
今日は、皆さんお忙しい中を有難うございます。今は夜の9時を回ろうとしていますが、8時まで大阪で龍村修先生主催の林雲先生の講演会があったそうですね。私もちょうど大阪で「真氣光セッション」をしておりましたので、こうしてお会い出来て、幸運でした。
龍村先生は、「真氣光研修講座」開催当初からずっと専任講師をしてくださっていますが、龍村先生のお姉さんの龍村和子さんから、先生のご紹介をいただきました。和子さんは、もう10年以上、毎年アメリカでの「真氣光&沖ヨガ セミナー」を主催していただいています。
龍村和子:
渡米して45年になります。ニューヨークで真氣光やヨガの教室を持っていて、またハイゲンキを取り入れた治療もしています。林先生は数年前に私の所にいらして、それ以来、ずっと親しくさせていただいています。先生は多岐にわたってご活躍なさっておられますが、ハイゲンキを当てると疲れないと喜んでおられるんですよ。私は3年前から、林先生の「風水」を学んでいますが、とても楽しくて勉強になります。
龍村 修:
今回、林先生が高野山大学での国際密教学術大会のために来日されると和子姉から聞き、めったにない機会ですので、是非、私が大阪で行っているヨガのクラスの方達や一般の方々にもお話をしていただきたいと思い、お願いしたのですが、その講演会が今日だったのです。
そしてまた、一昨年ニューヨークで中川会長と一緒に林先生とお目にかかったときはゆっくりお話しできる時間がなかったので、今回は是非、中川会長に会っていただきたかったのです。
林:
そうですか。中川さんは、随分お若いんですね(笑)。
中川:
ボン教の大変に偉い方でいらっしゃるそうですが、ちょっとご紹介いただけますか。
龍村和子:
ボン教というのは、仏教が入ってくる以前のチベット密教で、経典も割合に整理されている白派がありますが、先生はもっとも古い黒派の流れを受け継いでいます。そして、チベット仏教第四段階の教えであり、世俗を持って道場としているんですね。つまり、日常生活における学業、職業、健康など、人や家族の向上を図る、生活即修行とする教えをもって、氣の風水原理と宗教の実践を融合して、真義を分かりやすく教えてくださるのです。
龍村 修:
林先生は、幼い頃からお父様から四書五経などをはじめ国学の基礎を習い、6歳のときに大徳法師に認められてからは密教の手印・呪語・禮仏など色々と学ばれ、16歳で台湾に帰り、その後、大学で法律系や市政系を学び、仏教を学修しました――そういうことが、もうすぐ発行される「『気』と風水」という本に書かれています。
この本は、林雲先生について日本語で書かれたものとしては最初のものです。著者は、林先生のお弟子さんで花園大学や高野山大学で学ばれた鄭貴霞さんという方です。その本によると、林先生に大きな影響を与えた師は別に3人いらして、その一人からは密宗ボン教の「気学」「風水」「密医密術」と「発命改運」の密法を、もう一人からはボン教の密法・「易経」・金石・書法・詩詞を、さらにもう一人の師からは四書五経・詩詞を学ばれたということです。そして、先生は独自の解釈で「林雲学」というものを作り上げて、お伝えしているのです。
林:
「氣」は何であるか、人間が動くのはどうしてでしょう。科学者は説明が出来ます。「骨、神経、筋肉に脳からメッセージが伝えられて動くのだ」というように。もちろん、科学や医学のお蔭でいろいろなことが分かってきました。でも、世の中は日々刻々と変化しています。科学の分野でも違う解釈もあるし、とても早いスピードで変化もしています。
例えば、「目の見えない人が大きな象を触ったら」という話をご存じですか。触った部分が、耳だったら、鼻、足、背中…だったら、そのような各部分を全体だと思ってしまうこともあるかもしれないでしょう。そのように、主張は各人違っていて科学者がある説を唱えても、それが正しいとは限らないのです。
人間が動くのは、氣があるからですが、氣は生まれるときに出て、死んだときに無くなるのではないのです。亡くなるときには、氣は宇宙に還るのであって無くなりはしません。氣のコンディションがいろいろありますが、そのバランスをとるのが大事で、私のお伝えする風水がそれの手助けになるでしょう。
龍村 修:
日本の「北枕は良くない」ということなども、風水という範疇にあるのですか。
林:
日本に伝わっているのは、東西南北の方角を重視するコンパス派といわれている中国の風水ですが、方角は考えなくても良いのです。「風水」は、その昔、大変土地の澄んだ美しく氣の流れの良い土地で生まれました。でも、今はたくさんの遮蔽物が建てられ、人の数はものすごく増え、全く環境そのものが変化してしまっています。ですから、その土地、その家、その部屋によって、全部違っていて、一概に「北枕」はどうのということは意味がありません。重要なのは入り口です。そこから氣が入ってきてどのように巡るかということですね。
ベッドに寝るときにお腹の上に天井の梁があると圧迫感があって良くないとか、ベッドに寝たときの頭と壁を隔てて便器があるというのも良くない、そういうことはあります。部屋を開けたときに、デスクやベッドなどの重要なものはみんなすぐに見える場所に置かれているのがいいですね。土地、家、部屋の形に意味があります。
中川:
氣がいつも滞ることなく、巡っていることが大事ですね。
林:
そうです、それが私の言う風水なのです。建物もそうですが、人も同じです。全体に氣が巡っていて、ちゃんと頭にも氣が行っている人は、知恵があります。また、人それぞれの氣があります。氣の性格が人に出るともいえます。
例えば、「ハリネズミの氣」の人は、何を言われても批判的にとらえます。その人が上司であったらどうでしょう。部下が10分遅刻したら、「何で遅れた!」と怒ります。次の日、部下が10分早く来たら、「何で、そんなに早く来る必要があるのか」と、やはり怒ります。シャープな針で何でも周りをつっつく、そんな氣ですね。
「竹筒の氣」の人は、「はい」と返事はいいですが、何も聞いていない。まるで耳が無いかのように聞いていない、そういう人です。また、人の助けをしたいという気持ちがあるのだけど、ちっとも頭に氣が入っていない人は、何か言いたそうだけど言えない、やりたそうだけどやれない、というタイプですね。言えないから、急に頭の方にウワァと血が行ってしまう。
そういうことの解決策を探していくのが人生の風水です。お金が欲しい、地位が欲しい、自分の好きなこともしたい…という人は、いろんな方向にポンポンとエネルギーが外に出て行ってしまって、氣が保てない。そういう人は、氣を一つにまとめるために、呼吸法とか瞑想とかが必要です。
中川:
そうすると、林先生の風水は、心の問題が重要だと教えておられるということでしょうか。
林:
心はとても大事です。考え方を前向きにすること、自分の気持ちをいい方向に変えていくこと、それはとても大切なことです。
様々な環境で人々が幸せに生きていくために、風水を取り入れると大きな助けになるのですが、そのときに、自分の祈りを頭の中で映像化することが大切です。問題のある子供に困っているとき、部屋に植物を置いて、明るい顔でニコニコ笑って機嫌のいい子供の姿をリアルに思い描くのです。ご主人が外で遊んでいてなかなか帰って来てくれないときも、目で見るように、元気で帰って来てくれたのね、嬉しいわ!という映像を思い描くと、ご主人は遊んでいてもサッサと遊びを切り上げて何だか帰りたくなってしまうのです(笑)。
龍村和子:
林先生のこういうお話をうかがっていて、中川会長のおっしゃることと似ているな、同じことじゃないのと思ったのです(笑)。日本で一般的に風水といわれているものは、方角が重要だとされていますが、林先生は、方角にとらわれずに精神的なものを重要視され、目に見えない世界が関係しているとおっしゃるのです。そして、その解決法を教えてくださるのです。
林:
方角が悪いから、引越しなさいとか、家を壊してしまいなさいということではなく、入るものを清めて、いい氣を取り入れ、邪気を取り除くことが大事です。色と光で整えたりします。キラキラ輝いているクリスタルや、水のキラキラしている中で金魚が泳いでいるガラス鉢、澄んだ音色の空気を振動させる風鈴などを置くこともいいでしょう。部屋の植物や庭の木は、枯れてしまったものは片付けて、気持ちの良い環境を作る、そういう方法はたくさんあります。
中川:
自分の内部の氣、そして、環境、つまり外部の氣を整えて、常に循環させていくということの大切さですね。

<後略>

(2006年9月9日 大阪にて 構成 須田玲子)

           

6月 「楊 名時」さん

楊 名時(よう めいじ)さん

1924年中国山西省生まれ。1948年京都大学法学部政治学科を卒業後、東京中華学校校長をへて、現在大東文化大学名誉教授。楊名時太極拳は、40年余りの間に、世界中に愛好者が広がっている。楊名時八段錦・太極拳師家。朝日カルチャーセンター、NHK文化センターなどの講師を務める。日本空手協会の師範で、空手も7段の腕前。著書に「太極 この道を行く」(海竜社)「幸せを呼ぶ 楊名時八段錦・太極拳」(海竜社)ほか。

『美しい心は、健康を生み、幸福を実感する源になります。』

死は怖くないけど、 生きられるものなら生きたい

中川:
先ほど、先生が指導されている太極拳の教室を拝見しましたが、若い方から年配の方まで、たくさんの方がお稽古されていましたね。みなさん、真剣な顔つきでしたが、とても楽しんでいる雰囲気があって気持ちよく拝見できました。
楊先生は、1924年生まれですから、80歳でいらっしゃいますね。太極拳をする姿は、かくしゃくとされていて、見とれてしまいました。
楊:
ありがとうございます。今日は、教室を見ていただいた上、楽しくお話ができそうで心がウキウキしています。
帯津先生のご紹介ということで、とても楽しみにしています。
中川:
帯津先生には、私どもも先代のころからお世話になっています。
楊先生は、帯津先生の太極拳の師匠でいらっしゃいますよね。
楊:
いえいえ、たまたま私のところで習われたということで、私にとって帯津先生は、かけがえのない友人で主治医で、尊敬する先生です。
今日も、夕方、お会いします。月に二度くらい食事をするのですが、それが楽しみでしてね。もう、恋人に会うような気持ちで、ウキウキしています(笑)。
中川:
それはいいですね。心がウキウキするような友だちがいるというのは、すてきなことだと思います。
帯津先生の本にも書かれていましたが、楊先生は、帯津先生の病院に入院されたことがあるそうですね。腸が破れて大変な状況だったとお聞きしていますが、そのときに『ふたつの希望があります。まず何でもいいから、ゆっくりやってください。今日やらないでいいことは明日に回してください。ふたつ目は、ここで治療がうまくいかないで死んだとしても私は別に何とも思いません。もともと、死ぬときはこの病院でと決めていたのですから。すべて先生にお任せします』と、おっしゃったそうで、帯津先生はその言葉にいたく感動したと本に書かれていました。
死んでもかまいません、お任せしますと言う人はたまにはいても、どんな状態になってもその気持ちを持続できるような人は楊先生以外にはいないとおっしゃっていますね。
楊:
私は帯津先生とは医者と患者という関係を超えて、生きることに対する考え方で波長が合います。
死ぬときは、帯津先生の病院で死のう。そう決めています。あのときも、そんな気持ちでした。
死は必ずやってきます。だから、死ぬことは怖くありません。だからと言って、死にたいわけではありません。生きられるものなら生きたい、治せる病気ならば治していただきたい。
でも、いくら先生が治したい、私も治りたいと思っても、そうはいかない場合もあります。治していただければ感謝しますし、そこで死んだとしても、やはり感謝の気持ちです。
病気をすることで、健康の本当の大切さというのもわかるし、体を病んでいる患者さんの苦労というものもわかります。私も、病気をしたおかげで、その大変さや苦しさが実感としてわかるようになりました。
中川:
すばらしいですね。病気も決して悪者ではない。いろいろな気づきのチャンスですよね。そんなお気持ちで生きておられるから、とてもすばらしい氣を発しておられるのだろうと思います。
楊:
先生にご紹介しておきます。金澤弘和先生です。空手の先生で、私の友だちです。すごい達人で、日本一にもなりました。今は、国際松濤館空手道連盟の会長をしておられます。
中川:
はじめまして。空手ですか。私ども真氣光の仲間にも平野先生という空手で日本一になった方がいます。今は、ハワイにいますけど。
金澤:
平野さんなら私もよく存じていますよ。彼がハワイで活動を始めたころから親しくしています。氣功を始めたと聞いていましたが、そうですか、そちらの氣功ですか。
楊:
これは奇遇ですね。帯津先生のご紹介でお会いしたら、また違うところでの縁があったとは。面白い話しですね。
中川:
近々、ハワイへ行くので、お会いしてくることになっています。
こうした偶然というのは、楽しいですね。自分ではない何かが、こんな縁を作ってくれているような気がしますね。
金澤:
私も、このような対談の場だとは知らずにおうかがいしたのですが、ここで平野さんの知り合いに出会えるとは驚きです。
中川:
神様は本当に楽しい演出をしてくれますよね。私の父がやっていたころは、内氣功と外氣功、武術氣功と医療氣功といった枠があって、その間の壁がずいぶんと厚かったような気がします。でも、平野先生が空手と氣功をやっているように、氣ということでは同じことですから、氣でつながった仲間同士の出会いということで、ワクワクしてしまいます。
楊:
方法は違っても、本質は同じですよ。要は心ですから。

<後略>

(2004年3月24日 朝日カルチャーセンターにて 構成 小原田泰久)

           

4月 「ハワイ発 巻頭座談会」さん

ハワイ発 巻頭座談会(はわいはつ かんとうざだんかい)さん

2月の3日~4日にハワイにて中川会長の真氣光セミナーとセッションが開かれました。初めての方や以前からの会員さんなど約130名の方々が参加されました。中川会長から直接真氣光を受けられ、皆さんとてもリフレッシュされた様子でした。セミナー後、中川会長、平野師範と一緒に会員の皆さんとの座談会が開かれましたので、その様子をお届けしましょう。

『アロハ!フロムハワイ』

体験を通して分かることは多いですね

中川:
4月にハワイからたくさんの方が生駒に来られると聞き、それに先立ってちょうどいい機会なので、ハワイのみなさんにお話をうかがいたいと思って、集まっていただきました。
平野:
昨日、今日(2月3日、4日)とセミナーを開催して大盛況でしたが(編集部注・セミナー開催の記事は本誌62頁に掲載)、その後、こうして座談会の時間をいただき大変嬉しく思っています。
今日ここに集まっていただいた方は、うちの古い会員さんたちで、真氣光の下田や生駒のセミナーに参加された方も多いのです。
中川:
平野師範には、月刊ハイゲンキや先代の本にもご登場いただいていますが、元全日本空手チャンピオンで、このハワイでの真氣光普及に大きな力になってくれている方です。
最近、文化功労賞を受賞されたとうかがいましたが
平野:
長く続けていると評価されるものですね。昨年の10月にワシントンDCで加藤米国全権大使から拝受いたしました。
中川:
それは、おめでとうございます。その賞は、どういったものなのですか。
平野:
海外で文化活動に功労のあった人が受賞対象なのですが、38年以上継続していなくてはなりません。私が空手を始めたのは1951年からで、ハワイに渡って教え始めたのは1962年ですから、長いですよね。
中川:
私が生まれたのが、その前年の1961年ですから(笑)、そりゃあ長いですね。ところで、師範が真氣光に出合ったのは、心臓を悪くされたのがきっかけだったですよね。
平野:
そうです。1988年に突然心筋梗塞で倒れました。そのときに真氣光を教えてくれたのが、今日のセミナーを通訳してくれている福田ロバートさんなんですよ。お蔭さまで命拾いをしました。
そして1990年7月に、下田で行われていた真氣光のセミナーに参加して以来、たびたびハワイの方たちをセミナーに連れて行っていました。それが、ここしばらくご無沙汰していたところ、体調を崩して昨年から腎臓透析の身になってしまいまして…いろいろと気づくことがありました。病気は氣づきのメッセージとは、本当ですね。
中川:
月刊ハイゲンキ2月号にそのいきさつを師範が書いてくださいましたが(編集部注・No.153、55頁に掲載)、体験を通して分かることは多いですね。月刊ハイゲンキもやはり氣グッズですから、記事を読んだ会員さんたちが、「平野師範の魂がますます輝きますように」、という気持ちを持ちますと、それが師範のところにも届きます。氣の交流ですね。
平野:
そうですか、有り難いですね。ハワイ支部再スタートのことはじめに、こうして会長のセミナーを開催することが出来て、感謝しています。これからどんどんハワイは元気なりますよ!
中川:
それでは、皆さんの紹介をしていただきましょうか。
平野:
こちらはロバートさん、シズさん御夫婦です。ロバートさんは85歳。4年前に糖尿病の影響で足の動脈のバイパス手術をしなくてはならなくなり、うちの氣のクラスに参加するようになりました。今は、太極氣功十八式などを教えて、クラスをリードしてくれています。手術はしなかったけれど、元気、元気。
シズさんは、私が下田初受講から帰った4ヶ月後から、ここに通ってきています。だから、一番古い会員さんですね。お化けのような人です(笑)。あの世に一旦行ったんですが、まだ早いからって、追い返されたんですから。しずさん、自分で話してください。
シズ・フチセ:
はい。1990年に心臓発作を起こしました。トイレで倒れて顔面を強く打ちました。心臓バイパスの手術をしなければいけないと言われました。でも、氣を受けていたらこうして元気になりました。2年前の77歳のときに車にはねられました。車の屋根に放り上げられて地面に落とされ、9本骨を折りましたが治りました。氣をたくさん受けているおかげです。
平野:
私が病院に駆けつけたら、意識不明でしょ。それが2日目には意識が回復して、3日目にはもう車椅子に座っているの。2ヶ月で退院して、翌日から、ここにまた毎日、ボランティアに来てくれるようになりました。ね、お化けでしょ(笑)。下田も生駒も受講しています。次は佐久間さん、ハワイの3世です。
エミリー・佐久間:
お祖父さん、お祖母さんが熊本の人です。68歳です。下田の最終回に参加しました。食事良かったです。どこも捨てるところがないのね、あれはとても素晴らしい。生駒にも2回行きました。行くたびに何か習う。スタッフも受講生も皆いい人。桜がいっぱい、日本は美しい国。肩から背中、腰がとても痛くて手が上がらなかった。それが良くなりました。それから、指の関節炎も治りました。
中川房子:
1937年生まれです。沖縄で結婚しましたが、夫が75年に亡くなって、8歳と6歳だった子供を連れて、夫の郷里のハワイに来ました。先代の会長さんがホテルで体験会を開いたときに行きました。人がいっぱいで、氣を受けて、泣いたりダンスしたり。スモークみたいなものが漂っていて電気を点けているのに暗いのです。そのときは全然信じられませんでした。
でも、94年位から道場に通っていますが、肝臓が弱くて、手も上がらなかったのが、良くなりました。氣は素晴らしいです。97年と98年に生駒に行きました。生駒から山崎に行くバスの中で、とてもお腹が痛くなりましたが、今の会長さんが手をずっと当ててくれて治りました。熱く焼けた鉄鍋を間違えてつかんで指先をヤケドしたことがありますが、ハイゲンキとピラミッドのおかげで痛みも止まり、翌朝は水ぶくれにもならずにキレイになりました。
以前は辛いことがあると、「何で私ばかり」と苦しかったけれど、氣を知って、「ああ、勉強しなさい」ということなんだな、と思えるようになりました。昔は臆病で、カウアイ島の夫のお墓に行くときトンネルを通るのですが、とても怖かった。でも、スティックヘッドを持って「お願いします」と言い、犬と一緒に行くと怖くないのです。スティックヘッドは、とても強いプラスの氣を私にくれています。ずっと真氣光を信じて生きていきます。

<後略>

(2003年2月4日 SASハワイ支部にて 取材 須田玲子)

           

1997.06「足立 育郎」「小林 正観」さん

足立 育郎・小林 正観(あだち いくろう・こばやし せいかん)さん

足立育朗氏
あだちいくろう
1940年東京生まれ。稲田大学第一理工学部建築学科卒。1968年、高生建受研究所設立。1990年 形烟波動エネルギー研究所設立。宇宙は波動のエネルギーで構成されていることを科学的に理解し、研突する形波動エネルギー研究者。

小林正観氏
こばやし せいかん(本名・正寛)
1948年東京深川生まれ。中央大学法学部卒。旅行作家。心学研究家。学生時代より人間の潜在 ESP現象等を研究、今日に至る。人に「嬉しい」「楽しい」「幸せ」と喜ばれる存在になろうと唱え、その頭文字をとった「うたし会」を主宰。

『地球の振動波が上がる いよいよ気づきの時代に』

三人は過去生でも深い関わりが…

中川:
今日(注・・三月十二日)は、足立先生と、足立先生の波動の世界を本にされた小林正観さんにお話をうかがうわけですが、お忙しいお二人が、足立先生が設計してくださったこの場所(注:下田・健康科学研究所)で顔を合わせることができたというのも、何か意味があるような気がしてなりません。今日は、よろしくお願いします。
小林:
実は、下田で仕事だってまわりの人に言いましたら、みんなが地震なのに大丈夫かって心配してくれましてね。中川さんや足立さんと会って喋ることには、それなりの宇宙的意味があるのだろうから大丈夫だよって笑っていたんですけど、昨日、きちんと終息宣言が出されましたね。
中川:
そうですよね。面白いですね。伊豆は地震が多い所ですから、前会長も、健康科学研究所をここにつくるとき、どうしようかと迷っていました。
足立:
そうでしたね。関(英男)先生に紹介されて、前会長とは下田で初めてお会いしたのですが、地震が多いところだからこそ、波動を調整するために、この建物を作るのではないですかと、お話しさせていただきました。そうしましたら、その通りだっておっしゃって、ゴーサインが出たんですね。作らせていただいて良かったと思いますよ。この建物によって、相当波動が調整されましたから。地震も、この建物のお陰であの程度で済んでいるようです。
中川:
実はですね、私が小林さんとお知り合いになれたのも、この建物がつくってくれた縁でした。小林さんがここをお訪ねになって、管理をしてくださっている方に、『波動の報告書~足立育朗の世界~』という本を預けていってくださった。それを読ませていただいて、これだけ足立先生を理解されている方ならぜひお会いしたいと思いましてね、連絡をとらせていただいたんですよ。ところで、小林さんが足立先生と知り合われたきっかけを教えていただけますか。
小林:
私は、本職は旅行関係の著述業なんですが、学生時代から精神世界の研究をしたり、人相や手相を観てきましたから、いろんな分野の方から相談を受けたり、親しくお付き合いさせていただいたりしています。一九九五年五月六日でしたけれども、知り合いから『六月三日に足立育朗先生の講演が浜松であるので行きませんか』と誘われましてね。
中川:
浜松の講演会に行かれたんですか。私も前会長のお供をして行っているんですよ。いやあ、偶然が重なりますね。
足立:
私も覚えていますよ。たくさんのお客さんがいても、前会長はすぐに分かりましたから。白い髪の毛が目立っていました(笑)。
小林:
仏教では、対面して同席する人は、過去の人生のなかで五〇〇回は会っていると言われていますよね。我々の縁は深いと思いますよ。こんな風に、ずっと前の過去にも、三人でお話していたことがあるんでしょうね。足立先生の情報によりますと、私が生まれ変わったのは九万六〇〇〇回くらいだそうです。たぶん、中川会長も同じくらいでしょう。これまでに、二〇〇〇から三〇〇○回はご一緒させていただいたんじゃないかと思いますよ(笑)。
足立:
そうですね、中川会長の場合は(ちょっと間を置く)九万八〇〇〇回くらいですね。
小林:
やはり、九万台の後半ということですね。足立先生との出会いの話しに戻りますね。浜松の講演の後、立食パーティがあって、さらにそれが終わってから足立先生を囲んで飲むチャンスがありました。そのときに、私は二つの点で、足立先生に感動したんです。一つが、私が二十五年間研究してきた人間の潜在的な能力やUFOや生と死などについて、足立先生がひとつの矛盾もなく説明してくれたことでした。もう一つの感動が、講演会をやると何千人も人が集まるようなすごい人であるにもかかわらず、まったく自慢めいた話をされなかったことです。言葉で言わないだけでなく、存在そのものに自己顕示欲というものを感じさせない方だったんですね。瞬時に共鳴してしまいました。
中川:
よく分かります。心のこととか精神とか魂を説いておられる方のなかには、自分はこんなことまで知っているんだ、みんなもこうしなきゃいけないんだといった、何となく押し付けがましいことを言う方もおられます。確かに、足立先生からはそんなお話を聞いたことがありませんね。
小林:
半可通という言葉があるでしょう。精神世界のことがちょっと分かるようになると、人に説教めいたことをついつい言いたくなってしまう。分かった分だけ鼻持ちならなくなってしまうことがよくありますね。本当に分かった人は、あまり言わないですよ。
待つことは愛であり重要なエネルギー
足立:
原子核の集合体をエクサビーコ(EX A PIECO)と言います。本質、あるいは魂といった言い方でもいいかもしれません。エクサビーコは、人間の場合で言えば、人間というボディを選択して、その制約のなかでスタディをしながら成長していくわけですね。こういうボディでこういうスタディをしようと、エクサピーコはプログラムしてやって来るのです。エクサピーコが成長していくと、役割はどんどん拡大していきます。しかし、権限は拡大しません。現代の地球文化ですと、役割が拡大すると権限も拡大しますよね。つまり、総理大臣とか社長といったような大きな役割を持つ人は、権限も大きくなります。重要な決定権があったり、部下にいろいろと命令することができるわけです。エクサビーコの成長段階は、大きく分ければ十二段階あります。そして、上のエクサピーコは下のエクサピーコをサポートするのですが、そのサポートというのは、命令とか援助といったものとは違います。気づきのヒントを送るだけです。『まだ、気づいてないですよ。役割を果たしていませんよ』というヒントだけを送って、決して「こうしなさい」といった命令はしません。
小林:
干渉しないけれど、求められればヒントを与えるということでしょうね。仁という字は、人が二人と書きますよね。愛の究極はそばにいてあげること、それが仁という字の意味です。サポートはするが、命令も援助もしないというのは、イコール「仁」なんです。愛の究極は、黙って側にいてあげて、助けてと言われれば力を貸してあげるということだと思いますね。求められるまで無限に待ち続けるんでしょうね。
足立:
待つということも愛ですから。サポートするということは、直接伝えた方がいい場合もあるし、待ち続けた方が気づけるときもある。どういうサポートをすればいいか工夫することも、自分自身のスタディです。いろいろと工夫しながらサポートして、相手に気づいてもらえれば、それによって自分自身も成長できるのです。別の言い方をすれば、待つということは時間のエネルギーを使っていることです。サポートの一つとして、非常に重要なエネルギーですね。
中川:
真氣光でも、病気治しは気づきをともなわなければ意味がないとしています。だから、具合の悪い人がいたら、すぐに元気にしてあげるというのも決して悪いことではないけれども、せっかく病気というチャンスをもらったのだから、気づくのを待つという選択も重要なことだと考えています。
小林:
でも、ついつい手を出してしまうこともありますよね。
足立:
この文化では、その方が親切だとされていますからね。伝えないことが一番のサポートだと言っても、分かってもらえないことが多いですね。
中川:
今、何が大切か気づいている人が急速に増えているように、私は感じているんですが。(つづきはハイゲンキマガジン1997年6月号で・・・)

構成/小原田泰久

           

お問い合わせ

各種お問い合わせはこちらより承っております。
よくいただくご質問と、
その答えをよくあるご質問で紹介しています。
お問い合わせの前にご一読ください。

真氣光研修講座に関する
ご予約/お問い合わせ

まずは無料で氣を体験 最寄りのセンターやご自宅からオンラインでもご参加可能です 体験会のご予約はこちらから