11月「 古見 きゅう」さん
古見 きゅう(ふるみ・きゅう)さん
1978年生。東京都出身。本州最南端の和歌山県串本町にて、ダイビングガイドとして活動したのち写真家として独立。独特な視点から海の美しい風景だけでなく、海の生き物たちの暮らしや繋がり、海の環境問題など、水中のありのままのドキュメンタリーを作品とし、様々な媒体で発表する。近著に『海の聲をきく』(小学館)など多数。 2024年より漫画誌ビッグコミックにて連載コラム『海の聲をきく』を毎号掲載中。
『魚たちの豊かな表情から 海の世界のありようが見えてくる』
熱帯魚のお店で出合った きれいな魚がきっかけ
- 中川:
- 昨年出された超大型写真集『Longing 憧』のことお聞きしました 。びっくりしました 。写真集を開くと、右端から左端までで140センチもあるそうですね 。タテが47センチほどですか 。240ページの厚さで重さが何と13キロ 。そんな写真集、見たことないですよ 。 真氣光の会員さんの尾崎靖さんが編集担当ということでご縁ができて、今回お話をお聞きすることになりました 。うちのスタッフも出版記念の写真展にうかがって、とても感銘を受けました 。 今日はよろしくお願いします 。
- 古見:
- ありがとうございます 。水中写真家になって20周年を記念して作ったものです 。限定30部です 。2004年に写真家として独立して、世界中を旅しながら写真を撮影してきました 。全部で100万点以上ありましたが、4年かけて掲載する作品を選びました 。版元が大きい本を作りたいということで限界に挑戦してくださいました 。一冊一冊手作りです 。表紙も強度を出すために木で布をくるむという工夫がしてあります 。 人にお見せするとき一人ではめくれないですよ(笑) 。
- 中川:
-
展覧会で展示されている写真と同じサイズですよね 。私は、古見さんがこの夏に出された『海の聲をきく』という写真集を拝見しました 。魚たちに語りかけられているような気分になりました 。ほんわかした温かな氣を感じましたね 。 もともと魚が好きで水中写真家になられたのですか 。 - 古見:
- 高校生のころに魚を飼い始めました 。ある日、高田馬場にある熱帯魚のお店に入りました 。多くの方がご存じのグッピーとかネオンテトラという淡水魚はあまりきれいとは思いませんでした 。人工的な色で怖いと感じるくらいでした 。 それに対して海の魚は原色が輝いて見えました 。すごい!と感じて虜になってしまいました 。
- 中川:
- 一目ぼれですね 。
- 古見:
- それで、あんなにきれいな魚に合うにはどうすればいいかと考えました 。ダイビングを仕事にすれば毎日、あのきれいな魚を見て暮らせるとひらめき、高校を卒業したあと、ダイビングの専門学校に入り、和歌山の串本というところでダイビングガイドになり、ダイビングガイドになってから水中写真を撮り始めました 。
- 中川:
- 高田馬場で出合った熱帯魚で人生の方向が決まったのですね 。
- 古見:
- 運命的な出合いでした(笑) 。
- 中川:
- 魚で人生が決まったというのはあまり聞いたことありません 。熱帯魚が輝いて見えたというのはすてきな感性ですね 。だいたい、魚というと食べるものという感覚で見ている人が多いと思います 。でも、彼らも生き物で人間にいろいろなことを教えてくれている存在だと思います 。我々が気づかないだけで、魚も動物も植物も、大切なことを教えてくれているはずです 。 それに海は陸よりも大きくて、陸以上に未知のものがたくさんあって、それも古見さんのような方には魅力だったのかもしれませんね 。
- 古見:
- 最初は魚がきれいに撮れるだけで満足していました 。でも、少しずつ興味の方向性が変わってきて、魚の表情を見るようになりました 。そして、図鑑で長い名前の魚を見つけたりすると会いたくなるのです 。
- 中川:
- 最初の写真がジンベエザメですよね 。13mですか 。潜っている人間の姿も写っていますが、対比するといかに大きいかがわかります 。次のページに斜め前から撮っている写真があって、まさに話しかけてきているような表情ですね 。だけど、こんな巨大な生き物がそばにいて怖くなかったですか 。
- 古見:
- これまでもジンベエザメとは遭遇していましたが、多くは体長5mほどでした 。ジンベエザメは温厚で攻撃性はありません 。襲われないとはわかっていましたが、正直、これだけ大きいとちょっと怖かったですね 。
- 中川:
- 普通、そんな大きな生き物と会うことはないですからね 。
- 古見:
-
こんな巨大な生き物と並んで泳いでいるなんて信じがたいことでした 。尾びれだけで3mはありました 。必死で泳がないと置いていかれます 。頭部に接近すると、掌くらいの目がぼくを見つめるんです 。一瞬たじろぎましたが、その瞳はやさしくて慈しみに満ちていました 。そのあと、ジンベイザメのお腹の方に下がっていくと、下腹部が大きく膨れ上がっていました 。そうか妊娠しているのか、とまたまた感動しました 。今でも彼女のことはときどき思い出します 。まさに一期一会 。またどこかで合うことができたらどんな気持ちになるでしょうね 。(続きはハイゲンキマガジンで・・)
東京都渋谷区代々木上原 citylightbookにて 構成/小原田泰久

先生ももともとは普通の獣医師さんだったわけですね。
そういう面で、動物の具合が悪いときには、動物だけを診るのではなくて、飼い主さんの体調やご自宅の様子などもお聞きするようにしています。(続きはハイゲンキマガジンで・・) 
家系図の本を書かれていますが、永峰さんは家系図の専門家ではないですよね 。
どれも市役所や区役所へ行けばとれます。(続きはハイゲンキマガジンで・・) 
会社を継ぐことになり、本が出版され、その後テレビドラマにもなりました。ご主人の病気によって、人生ががらりと変化しましたね 。
本当に悲しかったですね。そのあともいろいろありました。やっと会社が軌道に乗ってきたと思ったら、3・11があってまたどん底です。そこからがんばって這い上がってきたら新型コロナ。7代目だからラッキーセブンだと思っていたのですが、とんでもなかったですね(笑)。でも、もともと楽天家ですから、なるようになるかなと思って乗り切ってきました。(続きはハイゲンキマガジンで・・)
過去生のことは親御さんもわからないでしょうから戸惑いますよね。
生まれ変わりの問題について、世界で最初に系統立てて論じ、過去生の記憶を語る子どもに着目したのはバージニア大学の精神医学者、イアン・スティーブンソン博士でした。彼は論文の中で過去生の記憶を語る子どもの事例を7例紹介しました。その筆頭が今から200年も前、多摩郡中野村(現在の東京都八王子市東中野)に生まれた、当時8歳の勝五郎だったのです。(続きはハイゲンキマガジンで・・) 
今はシックハウス症候群で苦しんでいる方も多いかと思います。どんな家に住むかはとても重要ですね。
父親が左官業をやっていまして、よく父親のオートバイの後ろに乗せられて現場へ行っていました。 好奇心が旺盛な子どもだったのだと思います。職人さんの仕事を見て、いろいろ教えてもらうのが好きでした。現場が私の一番の遊び場でしたね(笑)。