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11月「 古見 きゅう」さん

古見 きゅう(ふるみ・きゅう)さん

1978年生。東京都出身。本州最南端の和歌山県串本町にて、ダイビングガイドとして活動したのち写真家として独立。独特な視点から海の美しい風景だけでなく、海の生き物たちの暮らしや繋がり、海の環境問題など、水中のありのままのドキュメンタリーを作品とし、様々な媒体で発表する。近著に『海の聲をきく』(小学館)など多数。 2024年より漫画誌ビッグコミックにて連載コラム『海の聲をきく』を毎号掲載中。

『魚たちの豊かな表情から 海の世界のありようが見えてくる』

熱帯魚のお店で出合った きれいな魚がきっかけ

中川:
昨年出された超大型写真集『Longing 憧』のことお聞きしました 。びっくりしました 。写真集を開くと、右端から左端までで140センチもあるそうですね 。タテが47センチほどですか 。240ページの厚さで重さが何と13キロ 。そんな写真集、見たことないですよ 。 真氣光の会員さんの尾崎靖さんが編集担当ということでご縁ができて、今回お話をお聞きすることになりました 。うちのスタッフも出版記念の写真展にうかがって、とても感銘を受けました 。 今日はよろしくお願いします 。
古見:
ありがとうございます 。水中写真家になって20周年を記念して作ったものです 。限定30部です 。2004年に写真家として独立して、世界中を旅しながら写真を撮影してきました 。全部で100万点以上ありましたが、4年かけて掲載する作品を選びました 。版元が大きい本を作りたいということで限界に挑戦してくださいました 。一冊一冊手作りです 。表紙も強度を出すために木で布をくるむという工夫がしてあります 。 人にお見せするとき一人ではめくれないですよ(笑) 。
中川:
展覧会で展示されている写真と同じサイズですよね 。私は、古見さんがこの夏に出された『海の聲をきく』という写真集を拝見しました 。魚たちに語りかけられているような気分になりました 。ほんわかした温かな氣を感じましたね 。 もともと魚が好きで水中写真家になられたのですか 。
古見:
高校生のころに魚を飼い始めました 。ある日、高田馬場にある熱帯魚のお店に入りました 。多くの方がご存じのグッピーとかネオンテトラという淡水魚はあまりきれいとは思いませんでした 。人工的な色で怖いと感じるくらいでした 。 それに対して海の魚は原色が輝いて見えました 。すごい!と感じて虜になってしまいました 。
中川:
一目ぼれですね 。
古見:
それで、あんなにきれいな魚に合うにはどうすればいいかと考えました 。ダイビングを仕事にすれば毎日、あのきれいな魚を見て暮らせるとひらめき、高校を卒業したあと、ダイビングの専門学校に入り、和歌山の串本というところでダイビングガイドになり、ダイビングガイドになってから水中写真を撮り始めました 。
中川:
高田馬場で出合った熱帯魚で人生の方向が決まったのですね 。
古見:
運命的な出合いでした(笑) 。
中川:
魚で人生が決まったというのはあまり聞いたことありません 。熱帯魚が輝いて見えたというのはすてきな感性ですね 。だいたい、魚というと食べるものという感覚で見ている人が多いと思います 。でも、彼らも生き物で人間にいろいろなことを教えてくれている存在だと思います 。我々が気づかないだけで、魚も動物も植物も、大切なことを教えてくれているはずです 。 それに海は陸よりも大きくて、陸以上に未知のものがたくさんあって、それも古見さんのような方には魅力だったのかもしれませんね 。
古見:
最初は魚がきれいに撮れるだけで満足していました 。でも、少しずつ興味の方向性が変わってきて、魚の表情を見るようになりました 。そして、図鑑で長い名前の魚を見つけたりすると会いたくなるのです 。
中川:
最初の写真がジンベエザメですよね 。13mですか 。潜っている人間の姿も写っていますが、対比するといかに大きいかがわかります 。次のページに斜め前から撮っている写真があって、まさに話しかけてきているような表情ですね 。だけど、こんな巨大な生き物がそばにいて怖くなかったですか 。
古見:
これまでもジンベエザメとは遭遇していましたが、多くは体長5mほどでした 。ジンベエザメは温厚で攻撃性はありません 。襲われないとはわかっていましたが、正直、これだけ大きいとちょっと怖かったですね 。
中川:
普通、そんな大きな生き物と会うことはないですからね 。
古見:
こんな巨大な生き物と並んで泳いでいるなんて信じがたいことでした 。尾びれだけで3mはありました 。必死で泳がないと置いていかれます 。頭部に接近すると、掌くらいの目がぼくを見つめるんです 。一瞬たじろぎましたが、その瞳はやさしくて慈しみに満ちていました 。そのあと、ジンベイザメのお腹の方に下がっていくと、下腹部が大きく膨れ上がっていました 。そうか妊娠しているのか、とまたまた感動しました 。今でも彼女のことはときどき思い出します 。まさに一期一会 。またどこかで合うことができたらどんな気持ちになるでしょうね 。(続きはハイゲンキマガジンで・・)

東京都渋谷区代々木上原 citylightbookにて 構成/小原田泰久

           

9月「 山内 明子」さん

山内 明子(やまうち・あきこ)さん

AKO HOLISTIC VET CARE院長。獣医師、獣医鍼灸師。東京都生まれ。

日本大学農獣医学部獣医学科卒。都内の動物病院に勤務の後、休職して東洋医学の勉強を始める。2016年国際的な中獣医学の教育機関であるCHI INSTITUTE(本部アメリカ)のオーストラリア校で学び、獣医鍼灸師の資格を取る。2019年鍼灸や漢方薬治療を行うAKO HOLISTIC VET CAREを開業。著書に『うちの猫と25年いっしょに暮らせる本』(さくら舎)があります。

『肉体だけでなく 動物たちの心も魂も診る獣医師 動物から教えてもらうことが いっぱいあります』

動物から教えてもらうことがいっぱいあります

中川:
私どもの会員さんが先生のところで愛猫を診てもらっていて、東洋医学を勉強した先生で、氣のこともよく分かっておられるので、ぜひ対談にと推薦してくれました。先生が書かれた『うちの猫と25年いっしょに暮らせる本』(さくら舎)も興味深く読ませていただきました。獣医師さんで東洋医学というのは珍しいですよね。
山内:
ありがとうございます。最近は獣医師向けに東洋医学を教えてくれるセミナーも増えてきましたが、実際に臨床で東洋医学を主にしている病院は珍しいですね。
中川:
先生ももともとは普通の獣医師さんだったわけですね。
山内:
小学生のころから動物が好きで、将来は獣医師になりたいと思っていました。当時は犬を飼っていたし、動物にかかわる仕事というと獣医師くらいしか思いつきませんでした。それで、大学の獣医学科に入り、普通の獣医師をやっていました。忙しいときには体の調子が悪くなることもよくあって、すぐ抗生物質や解熱剤を飲みながら無理して仕事する状態でした。それが当たり前でした。無理がたたって甲状腺の病気になったとき、このままでいいのだろうかと考えました。結婚することになって、将来、子どもをもつならもっと体を大事にしないとと思い、そのときに西洋医学だけでいいのかという疑問が出てきて、東洋医学に興味をもちました。
中川:
ご自身が病気になったのがきっかけで東洋医学の勉強を始められたんですね。
山内:
そうですね。結婚を機に常勤からパートになって時間ができたので東洋医学のセミナーに出たり本を読んだりしました。そのころは動物ではなくて人間の東洋医学ですけどね。東洋医学では臓器ごとに診るのではなくて、臓腑同士の関係性や季節や地域なども考えに入れて診療します。理にかなっているなと思いました。 その後、子どもを授かりましたが、流産の危険もあったりして、仕事が一切できなくなりました。そのときに、妊娠・出産の神秘とか命の大切さを感じて、私の獣医師としての代わりはいても、この子を産んで育てるのは私にしかできないと、しばらくは完全に仕事を離れました。 普通の主婦だったときの体験も貴重でした。まわりには私が獣医師とは知らずに付き合ってくれている方もいましたから、一般の人の目線でペットのことを見ることができました。
中川:
たくさんの気づきがあったのですね。
山内:
家族の一員として動物たちをかわいがっている様子が伝わってきたり、いろいろな思い、葛藤、悩みをもってワンちゃんやネコちゃんを飼っているんだなって、まわりの人たちのお話からよくわかりました。親の介護や子育てをしている飼い主さんもいますからね。みなさんのお話から、飼い主さんのメンタルが動物たちに大きな影響を与えていることを知れたのも大きかったです。動物たちの病気を治すのが獣医師の仕事ですが、動物だけを診るのではなくて、飼い主さんはどういう気持ちなのかなと考える大切さも感じましたね。血液検査の結果だけでは答えが出ないことがよくわかりました。
中川:
飼い主さんの氣が動物さんに影響を与えることはよくあると思います。飼い主さんの体調が悪いと、動物さんにも同じような症状が出るという話もよく聞きます。
山内:
彼らの繊細さと能力はすごいと思います。動物たちから教えてもらうことがいっぱいあります。
中川:
動物たちは人間以上に氣を感じるのではないでしょうか。
山内:
そう思います。人間はまわりの人と合わせないといけないとか考えるじゃないですか。そうしないと社会生活を営めなくなりますから。感じることよりも考えることを重視してしまうので、 氣に鈍感になってしまうのかもしれません。 動物は本来自由なのですが、飼われている動物は飼い主さんの顔色を見ることが多いですね。自分が気持ちよくても飼い主さんが浮かない顔をしていると大丈夫かなと心配します。もっとここにいたいと思っても、行くよと言われると行かないといけません。 ペットたちは、人間あるいは場が出している氣を敏感に感じながら行動を決めています。ですから飼い主さんの自我が強すぎると、ワンちゃんやネコちゃんも苦悩したりします。
中川:
飼い主さんがマイナスの氣の影響を受けていると、それを引き受けてくれる動物さんもいるみたいです。
山内:
そういう面で、動物の具合が悪いときには、動物だけを診るのではなくて、飼い主さんの体調やご自宅の様子などもお聞きするようにしています。(続きはハイゲンキマガジンで・・)

東京・世田谷区 AKO HOLISTIC VET CAREにて 構成/小原田泰久

           

7月「 永峰 英太郎」さん

永峰 英太郎(ながみね・えいたろう)さん

1969年東京生まれ。明治大学政治経済学部卒。業界紙記者、出版社勤務を経てフリーに。企業ルポ、人物ルポを得意とする。著書『日本の職人技』『「農業」という生き方』(アスキー新書) 『70歳をすぎた親が元気なうちに読んでおく本』(二見書房)『家系図をつくる。』(自由国民社)など 。

『家系のヒストリーを探るのは 最高のエンターテインメント』

偉い人だったと聞いていた曾祖父のことを知りたくなった

中川:
永峰さんが書かれた「家系図をつくる。」(自由国民社)という本を知り合いからすすめられて拝読しました 。具体的にどうやって調べればいいかが、永峰さん自身の家系を追った体験をもとに書かれていますので、とてもわかりやすくて参考になります 。ご先祖様を知ることは真氣光でもとても大切にしています 。じっくりとお話をお聞かせください 。
永峰:
ありがとうございます。私も氣には興味がありますのでお話をうかがえるのが楽しみです 。
中川:
家系図の本を書かれていますが、永峰さんは家系図の専門家ではないですよね 。
永峰:
基本的にはルポライターですから、いろいろな人や企業、出来事を取材して文章にするのが仕事です 。2014年に、母親が末期がん、父親が認知症になって、母親は亡くなり、父は施設に入りました 。親をがんで亡くすのも認知症の親を介護するのも経験がないわけで、何をすればいいのかわからず困りました。たぶん、世の中の多くの人が困惑することで、私の体験は役に立つのではないかと思って、「70歳をすぎた親が元気なうちに読んでおく本」(アスペクト)にまとめました 。それがきっかけで自分自身をルポするようになりました 。
中川:
私も両親を亡くしていますが、経験のないことなので戸惑います 。
永峰:
たとえば、母が意識を失ったときに、親のお金を銀行で下せないという事態になって、なんで下せないのと慌てました。銀行に掛け合ってもけんもほろろだし、どうして家族なのにダメなんだと憤慨しました。親を介護するのも経験がないわけで、何をすればいいのかわからず困りました。たぶん、世の中の多くの人が困惑することで、私の体験は役に立つのではないかと思って、『70歳をすぎた親が元気なうちに読んでおく本』(アスペクト)にまとめました。それがきっかけで自分自身をルポするようになりました。危篤状態の母親に「暗証番号は?」と聞いたけれども、ほとんど意識がないわけですから答えてくれるはずもありません。本当は静かに見送ってあげるべきときに、銀行の暗証番号を聞く自分というのも嫌だなと思いました。暗証番号を元気なときに聞いておけば介護に専念できたわけです。母は父親の認知症を隠していました。自分で何とかしようと思っていたのではないでしょうか。そのストレスでがんになったのかもしれません。自分自身がノータッチだったのが悔やまれます。
中川:
お住まいは離れていたのですか 。
永峰:
それも悔やまれることです。今鎌倉に住んでいるのですが、その前は両親の住む所沢にいました。母親が末期がんになる2年くらい前に鎌倉に越しているんです。親が年を取っていくのにあえて遠いところ行くのは・・・。親が認知症になるなんてありえないと思っていたし、母親も病気ひとつしなかった人でしたから、がんになるなんてまったく考えなかったですよ 。すべて結果論ですが、反省というか後悔というか、少しでも読者の参考になればいいと思って、自分自身の苦い体験をまとめた本です 。
中川:
家系図もいろいろ動いて調べておられます。専門家に作ってもらう人も多いようですが、ご自分で作ることでご先祖様のことがよりわかったようです 。そもそも家系図を作ろうと思ったきっかけは何だったのでしょうか 。
永峰:
私は失敗ばかりしている子どもでした。失敗するたびに、「あなたはちゃんとできるよ。あなたのひいおじいちゃんは偉い人だったんだよ」と母親が言ってくれたのをよく覚えていました。だから、ひいおじいちゃんがどんな人だったのか、興味はもっていました。2018年に父が亡くなったとき、相続手続きのために戸籍謄本を取りました。そしたら、父の婚姻時の本籍が、「東京都台東区浅草橋」だとわかりました。僕が生まれてすぐに幕張に引っ越して、そこで幼稚園時代まで過ごして、その後はずっと所沢でした。僕が生まれた病院は葛飾区の立石に住んでいたのだろうなとは思っていましたが、浅草橋だということでびっくりです。「父親のこと、何も知らかった」と愕然として、父親やひいおじいさん、もっと前のご先祖様がどんな人生を送ったのだろうと、いろいろ調べ始めました。
中川:
親が亡くなったときくらいしか戸籍謄本は見ないですからね。戸籍もいろいろあってややこしいです。
永峰:
戸籍には全員が記載されている「謄本」と特定の一人が記載されている「抄本」があります。家系を調査するときには謄本を使用します。戸籍謄本は、記載されている人が、死亡、離婚、婚姻、転籍すると、その戸籍から抜けることになります。それを「除籍」と言います。除籍によってだれもいなくなった戸籍は除籍簿に入れられ、この戸籍を「除籍謄本」と言います。また、戸籍法が改正されるたびに、書式が変わります。
改正前の戸籍を「改正原戸籍謄本」と言います。家系を調べるときには、これも手に入れると、より詳しい情報がわかります。

中川:
戸籍謄本、除籍謄本、改正原戸籍謄本を手に入れるということですね。
永峰:
どれも市役所や区役所へ行けばとれます。(続きはハイゲンキマガジンで・・)

東京池袋・KÌPLACE(キープレイス)にて 構成/小原田泰久

           

5月「 坂本 敬子」さん

坂本 敬子(さかもと・けいこ)さん

1961年茨城県生まれ 。86年に月の井酒造店6代目蔵元坂本和彦さんと結婚 。87年長男・直彦さん、92年次男・貴彦さん、94年長女・有沙さん誕生 。2004年2月、和彦さん死去により株式会社月の井酒造店の代表取締役となり、和彦さんの思いを引き継いで有機のお酒「和の月」を完成させる 。著書『さいごの約束一夫に捧げた有機の酒「和の月」』(文芸春秋)

『がんで倒れた夫。 彼の生きた証として造った有機のお酒 』

ご主人の病気によって人生が激変。7代目の蔵元に

中川:
茨城県の大洗。地名は聞いたことがありますが、初めてうかがいしました。東京から車で2時間ほどですかね。 今回のゲストの坂本敬子さんは、大洗にある「月の井酒造店」の代表取締役 。慶応元年(1865年)創業ということですから、160年の歴史をお持ちの由緒ある酒蔵です 。20年以上前に志半ばで亡くなられたご主人の跡を継ぎ、7代目の蔵元として有機にこだわったお酒を造られています 。坂本さんが2005年に書かれた「さいごの約束」(文芸春秋刊)を読ませていただきましたが、40代のご主人が末期の食道がんと診断されて、何とか元気になってほしいと懸命にがんばる姿には感銘を受けました 。
坂本:
わざわざ大洗までお越しいただきありがとうございます。 来年の2月で主人の23回忌になります 。主人ががんになったとき、すぐに余命を宣告されて、あのときは治したい!少しでも役に立ちたい!という一心で細かく記録を残しました 。別の病院で診てもらうときも、前の病院ではどんな治療をしたかというデータがとても大切だと痛感したものですから 。そのとき闘病記録を書きながら日々のことをメモしていたので、それをもとにまとめた本です。読んでいただきありがとうございます 。
中川:
会社を継ぐことになり、本が出版され、その後テレビドラマにもなりました。ご主人の病気によって、人生ががらりと変化しましたね 。
坂本:
私は主人が病気になるまでお気楽な専業主婦でした。手帳を開けるといつも友だちとのランチの予定ばかりが書かれていましたから(笑) 。主人の病気、そして亡くなってしまったことによって確かに日々の生活は大きく変わりました 。主人が亡くなったあと、社長になりましたが、私はレジ打ちと酒蔵見学の案内をするくらいしか仕事を手伝っていなかったので、どうやって日本酒を売ればいいか?さっぱりわからなかったのです 。主人のために必死に造った大切な有機の酒なので、東京の有名な酒屋さんにもって行ったら、有機だからと言って何がいいの?値段が高いだけで意味がないと言われ途方にくれたこともあります 。そんなとき、残間恵理子さんというメディアプロデューサーが知り合いだったので、どうすればいいかと相談したら、有機のお酒は珍しいから新聞に投稿してみたらとアドバイスしてもらったんです 。朝日新聞に投稿したところ、社会面に大きく紹介されました 。テレビ欄をぱっとめくると「遺志刻む 妻の酒」というタイトルで、私がそのお酒をもっている写真が載っていて、本当にびっくりしました 。その新聞記事を読んだたくさんの出版社から、本を出しませんか と話がきました 。本を出す気はなかったのですが、文芸春秋の編集者さんと時間をかけて色々な話をしているうちに、この方なら信用できるかなと思ってお引き受けしました 。本が出版されると新聞や電車の中吊り広告にまで紹介記事が出たり、大きな書店で平棚に積まれたりして、またまた驚きました 。本の反響もすごくて混乱していると、各TV局が「ドラマにしませんか」と声をかけてくださいました 。
中川:
すごい展開ですね。
坂本:
制作会社の方が最初にもってきた台本では、主人の役も私の役も、あまりにも有名な俳優さんだったので、またまたここでも驚きました。何しろ大スターのアイドルと超大物俳優さんだったので恐れ多すぎてちょっとお受けできないとお断りしました。それでも、制作会社の人があきらめずに、次にもってこられたのが、舘ひろしさんと安田成美さんのキャスティングだったのです。安田さんには私と同じようにお子さんが3人いらっしゃり、ご主人はとんねるずの木梨憲武さんです。安田さんと最初にお顔合わせしたとき、「憲ちゃんがもし具合が悪くなって、突然、自分が敬子さんと同じような立場になったらどうするんだろうと、自分のことに置き換えて考えさせられた。子育てで遠のいていたお仕事だけど、女優復帰作としてやってみたい」と、おっしゃって下さったそうです。その言葉で、なんとなく親近感が湧いてお任せすることにしました。
中川:
本が出てドラマにもなって、まわりの反応はいかがだったですか。
坂本:
今の私だったら、本をこともドラマのことも、上手に宣伝に使えるかなと思います(笑)。でも、あのときはまわりが気になって逆に話題にしたくなかったですね。
中川:
いろいろ言われたりしましたか。
坂本:
あわれな未亡人を演じてお酒を売りたいのかと心無い言葉を言われたりして、それがすごくつらかったですね。主人の同級生とか応援してくださる方もたくさんいましたが、私からはメディアに売り込んでいないし、流れに身を任せていただけなのに、なんでそんなことを言われなければならないのかと涙が出ました。
中川:
どんなにがんばっていても、いいことをやっていても、その姿を見ないで足を引っ張ろうとする人はいますよね。マイナスの方ばかりに目が向く人です。自分が坂本さんと同じ立場になったら、応援されてどれほどうれしいか想像できるはずです。もう少しだけ想像力を働かせれば、心無いことは言えないはずです。

坂本:
本当に悲しかったですね。そのあともいろいろありました。やっと会社が軌道に乗ってきたと思ったら、3・11があってまたどん底です。そこからがんばって這い上がってきたら新型コロナ。7代目だからラッキーセブンだと思っていたのですが、とんでもなかったですね(笑)。でも、もともと楽天家ですから、なるようになるかなと思って乗り切ってきました。(続きはハイゲンキマガジンで・・)

茨城県東茨城郡大洗町の月の井酒造店にて 構成/小原田泰久

           

3月「 大門 正幸」さん

大門 正幸(おおかど・まさゆき)さん

中部大学大学院教授、米国バージニア大学医学部客員教授。1963年三重県伊勢市生まれ。もともとは唯物論だったが、長女の誕生、親友の死、次女が語る過去生記憶などの体験から肉体はなくなっても魂は存在し、自分たちを守ってくれていることを実感し、専門である言語研究に携わる一方で、生まれ変わりを科学的に検証し始める。著書『なぜ人は生まれ、そして死ぬのか』(宝島社)『生まれ変わりを科学する』(桜の花出版)など。

『人間の本質は意識や魂であると知ると人生が輝き出す』

過去生の記憶を語り出す子どもたちが増えている

中川:
ご無沙汰しています。先生とは2015年2月号で対談させていただきました。ちょうど10年前です。 この間はテレビでも拝見しましたが、先生の研究されている「生まれ変わり」についての見方もずいぶんと変わってきたように思います。
大門:
私が過去生の記憶をもつお子さんに初めてインタビューしたのは2010年でした。トモ君という当時10歳の男の子です。日本に生れる前はイギリスで料理屋さんをやっている人の子どもだったという記憶をもっていました。イギリスでの両親のことや自分がイギリスで体験したいろいろな出来事を話すので、お母さまは心配して病院へ連れて行ったりしました。しかし、病院では過去生を扱ってませんから(笑)、お母さんの不安や心配は解消されませんでした。
中川:
過去生のことは親御さんもわからないでしょうから戸惑いますよね。
大門:
会長も見てくださった「クレイジージャーニー」というテレビ番組は怪しげなものとしてではなくまじめに過去生を扱ってくださいました。ユウ君という過去生の記憶をもつ10歳の男の子を取り上げた番組でした。あの番組を見たトモ君のお母さんは、自分にもユウ君の母親の心配する気持ちはよくわかるし、最後にユウ君と一緒に過去生の人物の家族に会えて本当に良かった、いいお仕事をされましたね、といった内容のうれしいメールをくださいました。
中川:
ユウ君は3歳くらいから過去生のことを話すようになって、その内容から2011年9月11日の同時多発テロで亡くなった男性の生まれ変わりではないかと考えられ、先生と一緒にユウ君の過去生はだれだったのか探るという内容でしたね。最後には、ユウ君の過去生である可能性が非常に高いという方のご家族と面会するという感動的なお話でした。ユウ君と過去生の人物だと思われる方の間にはいろいろな共通点があって、びっくりしました。 面会のときにユウ君のそばにいたお母さんもほっとした表情でした。 たぶん、トモ君やユウ君のような子どもはほかにもたくさんいると思います。親は病気なんじゃないだろうかと不安になるでしょうが、ああいう番組があると、いきなり病院へ行くのではなく、先生に相談すると考えたりもするでしょうね。
大門:
今ではコンスタントにお話を聞くくらいはあちこちから連絡をいただきます。
中川:
生まれ変わりの研究はバージニア大学が世界的な拠点になっているわけですね。何人くらいの研究者がいるのですか。
大門:
現在は12人です。生まれ変わりだけでなくて臨死体験を中心にやっている人もいるし、霊媒現象を研究している人とか、脳の仕組みも含めて幅広くやっている人とか、いろんな方がいますね。 心とか意識というのは人間の体とは独立しているのではないか。それを追求するのが研究の目的のひとつです。そう考えざるを得ない事例がたくさんあるので、証拠固めをして、法則性を突き止め、独立しているなら心や意識とはどういうものか、そこまでいきたいと考えて研究が進んでいます。
中川:
心や意識は体から独立した存在ではないか。これは重要なポイントだと思います。
大門:
そうですね。会長がやっておられる氣を考える上でもそこはポイントになるんでしょうね。氣は機械で測定できるようになりましたか。
中川:
できないですね。どれくらい科学が進めばできるようになるでしょうか。今は、体験から知るしかありません。でも、体がすべてではなくて、心や意識は独立して存在し、生まれ変わりや氣の世界が本当にあるとわかれば、救われる人も多いと思うのですが。
大門:
多くの人の一番の恐怖は死ですからね。死に対する考え方が大切です。生き方も変わるはずです。今は南海トラフ地震がくると言われていて、みなさんいろいろ備えをしていると思いますが、100パーセント起こるとは限りません。その点、死は100パーセントですから、南海トラフ地震以上に備えをしておく必要があるのではないでしょうか。
中川:
日ごろから、死について、死後の世界や生まれ変わりの有無を含めて考えることが大事ですね。
大門:
死んでも次があると思うのと、死んだら終わりと思うのとでは、生活の仕方も違ってくるでしょうからね。
中川:
学生さんは先生の出ているテレビを見たり、本を読んだりして、どんな反応でしょうか。
大門:
授業で生まれ変わりを教えているわけではないので、限られた人数の学生とのやり取りから受ける印象でしかないのですが、ずいぶんと受け入れてくれているような気がしますね。データとしては、1950年と2000年のしっかりしたものがあります。2000名くらいインタビューしていて、年代もわけています。1950年の20代、死んでも意識が残ると考えている人が2割くらい。70代は4割くらいです。50年後、死んでも残ると考えているのが70代で3割くらい。20代は5割を超えています。男性と女性とを分けると、20代女性は8割くらいが死んでも終わりではないと答えています。
中川:
このデータはどう解釈すればいいでしょうか。死後の世界だけではなく、生まれ変わりも信じる若い人が確実に増えているようですね。特に女性は顕著です。
大門:
昔は、死んでもおじいちゃんやおばあちゃんがそこらへんで見ているという感覚の人がたくさんいました。戦前は「七しょう報こく」という言葉もありました。七回生まれ変わって国に報じるということです。
生まれ変わりをどこまで信じていたかはともかく、気持ちとしては、今回命がなくなったとしても、もう一度生まれ変わってきて国に報じる、家族を守るという人が多かったんですね。精神性も高かった。戦後、GHQは、こんなことを考えている人が多いと日本を統治できない、と危機感をもち、死んだら終わりなんだと植え付けたのではないでしょうか。戦後80年になりますから、そんな洗脳も溶けてきて本来の日本人に戻ってきたように思います。若い人たちは何度も転生して魂の力を磨いてきたように感じますが、どうでしょうかね。
中川:
死んだら終わりだと思っていると、どうしても自分のことしか考えなくなりがちです。今、地球の環境や世界の平和を考える若者が増えてきているようにも思いますね。魂的に成長しているのかもしれません。ところで生まれ変わりの研究ですが、日本の事例がきっかけになっているということですが。
大門:
生まれ変わりの問題について、世界で最初に系統立てて論じ、過去生の記憶を語る子どもに着目したのはバージニア大学の精神医学者、イアン・スティーブンソン博士でした。彼は論文の中で過去生の記憶を語る子どもの事例を7例紹介しました。その筆頭が今から200年も前、多摩郡中野村(現在の東京都八王子市東中野)に生まれた、当時8歳の勝五郎だったのです。(続きはハイゲンキマガジンで・・)

 愛知県春日井市の中部大学にて 構成/小原田泰久

           

1月「 菊地 英豊」さん

菊地 英豊(きくち・ひでとよ)さん

昭和23年(1948年)東京都生まれ。中央大学商学部を卒業後、建築業を営む父親の跡を継ごうと工学院大学に入り直し、建築学を学ぶ。現場でさまざまな建築技術をマスターしながら、あるときから人が健康で幸せになれるオーガニック住宅作りを目指す。現在、ファミリア建設株式会社代表取締役。https://t-eizen.com ファミリア建設株式会社 〒189-0002 東京都東村山市青葉町1-1-35

『幸せになる住宅作り。人を喜ばせる仕事がしたい』

父親に連れて行かれた建築現場が遊び場だった

中川:
菊地さんは東村山市で建設会社を経営されていますが、家を作るに際して、場のエネルギーをとても大切にしているとお聞きしました。それに、77歳という年齢でまだまだ現役でがんばっておられる。 今日は、お会いできるのを楽しみにしてきました。
菊地:
ありがとうございます。せっかくこの時代に地球という惑星に生れてきたのですから、少しでも人の役に立てて、自分も楽しめるような仕事ができればと思ってやってきました。
中川:
今はシックハウス症候群で苦しんでいる方も多いかと思います。どんな家に住むかはとても重要ですね。
菊地:
シックハウス症候群、多いですね。私のところへ相談に来られる方もたくさんおられます。 最近では、私どもが行った補修工事でシックハウス症候群が出なくなった方がいました。私は、いいと思ったものは積極的に活用するようにしていますが、とても気に入っている抗酸化作用のある溶液を、その方の家の中の壁に塗りました。そしたら、空気ががらりと変わりました。私も作業をしていて、急に呼吸が深くなるのを感じました。その部屋を出ると、また浅くなりました。スタッフにも試させたところ、同じように呼吸の深さが変わると不思議がっていました。
中川:
空気の質が変わったんですかね。
菊地:
そういう気がしますね。私たちが呼吸で取り込んだり出したりする空気の量は、食べ物や飲み物とは比べ物にならないくらい大量です。どんな空気の中にいるかは健康にも大きな影響があるはずです。
中川:
空気も氣ですからね。菊地さんの施工によって家の中の氣が高まったように思います。 氣をしっかり受けることでシックハウス症候群が出なくなった方もいますから、シックハウス症候群も氣と関係があるのではないでしょうか。 ところで、氣のような目に見えない世界のことにもご興味があるとお聞きしています。何かきっかけはあるのですか。
菊地:
振り返ってみると、子どものころから「何のために地球に生れてきたのだろう」と考えていました。 いくら考えても答えが出るはずもありません。それで15歳のときに居直りました。現実をしっかりと見ようと思ったのです。 現実を見ないで、夢の中で何だろうどうしてだろうと探してみても何も見つからないのではないか、と考えられるようになりました。今、自分は地球の上で生きているという現実からのスタートです。 つらいこと、理不尽なことがあっても、現実をしっかりと見つめて、自分で道を切り拓いていかないといけないことに気づきました。
中川:
15歳でそんなことに気づいたのですか。すごいですね。それから建築に向かったわけですか。
菊地:
建築のことは小学校の2、3年のころからやっていました。
中川:
えっ、小学校2、3年ですか。
菊地:
父親が左官業をやっていまして、よく父親のオートバイの後ろに乗せられて現場へ行っていました。 好奇心が旺盛な子どもだったのだと思います。職人さんの仕事を見て、いろいろ教えてもらうのが好きでした。現場が私の一番の遊び場でしたね(笑)。
中川:
小さいころからお父さんや職人さんたちのお手伝いをしてこられたわけですね。
菊地:
大工さんやブリキ屋さんたちが面白がってあれもこれもとやらせてくれました。釘の打ち方やブリキの切り方を覚えて、小学生のうちから建築の基礎をマスターしていました(笑)。しっくいも自分で作れたし、竹を組んで壁に塗るのも一人前にできましたから。
中川:
小学生のうちに建築の基礎をマスターですか。もう天職としか言いようがないですね。
菊地:
でも、すっと建築の仕事に入ったわけではないんです。大学は商学部に入って、会計事務所への就職も決まっていました。 卒業を前に考えました。ちょうど父親が60歳になっていました。いつまで仕事ができるかわかりません。けっこう大きくやっていましたので、自分が跡を継いだ方がいいのではと思い始めたのです。 それで、会計事務所への就職を断って、大学の建築科へ入り直して、建築士の資格をとって、父親の会社で働くことになりました。 遠回りをしたように思われますが、会社を経営するようになって、商学部で学んだことが生きてきました。世の中、無駄なことはないなと思いましたね。
中川:
それはありますね。私も30年前に父が亡くなり、父の会社を継ぎましたが、その前の10年ほどは電機会社でエンジニアをやっていました。扱っているものはまるで違いましたが、エンジニアとして働いていたときの技術や知識が、新しい商品を開発するのにけっこう役に立ちましたからね。(続きはハイゲンキマガジンで・・)

 東村山市・ファミリア建設 株式会社にて 構成/小原田泰久

           

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