11月「竹本 良」さん
竹本 良(たけもと・りょう)さん
1957年東京生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。UFO研究家。科学問題研究家。聖パウロ国際大学サイキックパワー開発研究科主任教授。年末恒例の『ビートたけしの超常現象Xファイル』(テレビ朝日系)ではコメンテーターを務める。著書に『宇宙人革命』(青林堂)、『テロとUFOー世界貿易センタービル「あの瞬間」に現れた謎のUFO』(徳間書店)などがある。
『U F O 、宇宙人を知ることで見えない世界の謎が解ける』
子どものころから数々の神秘体験。UFOは大学から
- 中川:
- 最近、ネットニュースでUFOや宇宙人に関する記事がよく流れてきます。NASAが本格的にUFOや宇宙人の研究をしているという話だったり、宇宙人からのメッセージが届く可能性があるとアメリカの大学が発表したとか、メキシコでは宇宙人の遺体が公開されたり。今まではオカルトだとまともには議論されなかったことですが、何か様子が変わってきた気がします。だれか専門家にお話を聞きたいと思っていたところ、そう言えば竹本さんがいるとひらめきました。竹本さんは、阿久津淳さんというペンネームで、ハイゲンキマガジンの創刊当初に連載をしてくださっていました。 今では、テレビのU F O番組にもよく出られていてUFOのことをお聞きするには最適な方だと思い、対談を依頼した次第です。
- 竹本:
- ありがとうございます。ハイゲンキには、初代の編集長の木上さんとのご縁で原稿を書かせてもらっていました。30年近く前になりますかね。先代の会長が亡くなって、真氣光が新しい会長のもとでどう変わっていくのか、とても気になっていましたが、いい形で発展されていて、今回、会長にお会いできるのを楽しみにしていました。
- 中川:
-
竹本さんが連載していたころ、私はまだ父の会社には入っていなくて、真氣光を懐疑的に見ていました(笑)。それでもハイゲンキマガジンは家にあったので毎号目を通していて、竹本さんの記事はとても興味をもって読ませていただきました。あのころは異能の科学者ということで、目に見えない世界を研究していた人たちを紹介してくださっていました。私もエンジニアでしたから、氣のような怪しげな世界に科学的にアプローチしている人たちがいたということに関心をもちました。
竹本さんは、もともと目に見えない世界のことはお好きだったのですか。 - 竹本:
- いろいろな神秘的な体験をしたのがきっかけだったですかね。 最初は小学生のときでした。江の島に遠足に行ったときのことです。小田急線の特急に乗っていて外を見たら、この場所知っていると思いました。初めて来たところなのにです。いわゆるデジャヴュですね。 変な夢もたくさん見ました。どうしてそんなことがあるのかと神秘の世界、無意識の世界に興味が出てきました。 中学校のときにはラップ音の現象があったり、子どものころからけっこう不思議な現象に囲まれていましたね。でも、学校ではそんなことは教えてくれません。余計に興味が膨らみましたね。 高校でグリークラブ(男性合唱団)に入りました。練習でハモったときに細胞がわななくという体験をしました。
- 中川:
-
細胞がわななくんですか。
- 竹本:
- 体がぼわーっとなるんですね。とても気持ちがいい。さらに、ミサ曲を歌っていたとき、先生が途中で止めました。その瞬間、頭のてっぺんから何かが突き抜けていくような感覚がありました。ハモったときには何倍もの快感でした。 これは何だろうと知りたくなりました。当時はヒッピーの町だった下北沢の古書店へ行ったら、神秘の世界の本がたくさん置いてあって、チャクラとかクンダリーニといったことも知るわけです。「これかもしれない」と思い、ずいぶんとその手の本を読んで勉強するようになりました。
- 中川:
-
U F Oのこともそのころからですか。
- 竹本:
- U F Oは大学に入ってからですね。あるとき、友だちから「変な人が大学の構内を歩いている」という話を聞かされました。その人は卒業しているのによく大学へやって来るのだそうです。着流しに下駄という格好で歩いていて、学生たちに「U F O あるって知っている?」「宇宙人いるって知っている?」と話しかけているって言うんですね。気持ち悪いでしょう(笑)。でも、私は彼にとても興味をもって、友だちに会わせてほしいと頼みました。その先輩というのが、後に日本UFO党という政党を立ち上げた森脇十と九く男おさんでした。 森脇さんの部屋へ行ったときはびっくりしました。3畳間にUFOに関する本がびっしりとありました。全部、英語の本です。国連の資料なんかもありました。 私はUFOのことがアメリカではこんなにも研究されているのに、日本ではまったく翻訳もされていないことを知り、その情報はもっと世に知らせないといけないと思いました。
- 中川:
- そこからUFOの研究が始まったわけですね。
- 竹本:
-
そのころ森脇さんは大手の会社を辞めてUFO研究に人生を捧げていました。そんな先輩がいるのに、のほほんとしていていいのかと勉強をし始めました。 森脇さんと一緒に、テレビ局や新聞社などいろいろなメディアに資料をもっていきました。けっこう真剣に聞いてくれたところもあって、NHKのニュースでは5分くらい流してくれたこともありました。動いていれば少しは成果が出るものです。
東京。目黒区の会議室で 構成/小原田泰久

「支援学」ではなく「S H IEN学」と表現しているのはどうしてでしょうか。
一方的に片方だけが助けるということはありませんからね。被災地で困っている人を助けるという形であっても、助ける人もいろいろ学んでいることがあったり、感謝されたり、さまざまな感動や喜びをもらったりするものです。支援は一方通行のようなイメージがありますが、SHIENは双方向ということですね。 
今回の対談のお相手の奥山暁子さんは、真氣光の会員さん、小松八惠子さんのご紹介です。縄文土器とお話ができる方ということですが、最初に、小松さんはどういう経緯で奥山さんとお知り合いになったのか、お聞かせくださいますか。
ここで縄文土器との接点ができるのですね。
「鈍感なカナリア」にはなりたくない、と書かれていますよね。 
防災グッズは日常では体験することのない酷な環境で使うもので、これまでの災害を踏まえた上での創意工夫がなされています。そういう意味で、災害の教訓が集約されているのが防災グッズだと思うんですね。
人と話すのは苦手だけどけっこう目立ちたがり屋なんです(笑)。 実際やってみると、見ず知らずの人に声をかけるのは怖かったし、戸惑いました。それでも、珍しさや懐かしさから、商店街のおじさんやおばさんが「がんばっているね」とほめてくれたり、みなさんニコニコしながらお豆腐やお惣菜を買ってくれてうれしかったです。 このころは、どうやったら売れるだろうと一生懸命に考えていて、まだ20代でしたから、かわいい仕草をするとおじさんたちが買ってくれたりしました(笑)。 でも、「かわいそうだから買ってあげるよ」とよく言われることがあって、それには反発を感じましたね。
打算的な付き合いから、心と心のかかわりができるようになったんでしょうね。自分が変わるとまわりが変わるとよく言いますからね。 お客さんはうれしいから「ありがとう」と言うし、あこさんも「ありがとう」と言われてうれしい。相互に「ありがとう」のやり取りがある。いい氣が行ったり来たりしていますね。いい関係ですよ。
私が音楽療法を研究し始めたのが、1980年代後半です。その当時、日本では音楽を聴くと免疫力が上がると言っても、変人扱いですよ(笑)。「音楽で病気が治るはずがないよ」というのがほとんどの人の反応でしたね。 けれど、学会ではデータに基づくエビデンスを示して発表しているわけです。協力してくれた看護師や学生が証人としていますから、文句を言われることはありません。それでやっと着目されるようになりました。
健康保険制度が破綻し、年金も当てにできない。病気になってなんかいられませんよ。音楽は身近で安価で副作用がないじゃないですか。感動もあって継続が可能。それで免疫力が上がるわけです。最高のツールです。<後略> 
最初の出あいは小学校5年生のときです。夏休みの宿題で近くの動物園でお手伝いをすることになり、私がシロクマの担当になりました。シロクマのエサを作ったりしてお世話をしたのですが、このとき大人になったら野生のシロクマを見に行くぞと思いました。
英語もできないし、外国は怖いところだと思っていましたので、海外へ旅行に行こうと思ったことはありませんでした。でも、ペンギンにあえるのですから、そんなこと言っていられません。 
私もいろいろなお客さんを乗せました。タクシーの運転手は、人間観察もできたし、合気道のいいトレーニングにもなりました。呼吸によって相手の意識と自分の意識を結びます。そうすると、お客さんがどんな人かがよくわかるし、私と一体化しますから、イライラしていた人もご機嫌になります。行先を聞く前にどこへ行くかがわかるようなこともあります。私の車に乗ると気分が良くなると、銀座のママさんがファンになってくれて、たくさんのお客さんを紹介してくれたこともあります。
あちらの世界から開祖が教えてくれているんでしょうね。やっとわかったかとおっしゃっているのではないでしょうか。
先日、『原発をとめた裁判長そして原発をとめる農家たち』という映画を見ました。映画の中に、原発事故で一度は農業をあきらめた福島の農家の人たちが、ソーラーシェアリングという太陽光発電で電力を自分たちで作るという場面があって、こういうシステムがあるんだと驚きました。長島先生はソーラーシェアリングの開発者で、映画でもコメントされていました。今日は、ソーラーシェアリングについてお聞きしたいと思っています
ソーラーシェアリングというのは、田んぼや畑に3メートルほどの支柱を立て、その上に適度な間隔でソーラーパネルを並べて発電をするという方法です。発電をするという方法です。 従来の太陽光発電だと、山を削ったり、田畑を使えなくしてしまうので、自然エネルギーと言っても、どこか自然破壊をしているようなイメージがありました。だけど、ソーラーシェアリングだと、下は農地として使えますから、耕作放棄地を発電と農地の両方に活用できるということですよね。
そもそも大きな発電所を作ってみんなに配るという考え方を変える必要があります。もともと発電所は大きく作る方が発電の効率が上がりコストが下がります。だから、ずっと電力会社の仕事として評価されてきました。 今は太陽光発電を使えば、だれでも電力会社と同じように効率よく電気が作れます。まさにエネルギーの民主化と言えるでしょう。電力料金の中に原子力維持や超高圧の送電網の負担金も均一に分担される仕組みになっていますが、これは、お酒が飲めないのに宴会の飲み放題の参加費を払っているようなものだったのです。これからは、必要なときに必要な分だけ自分で作ることができる時代が到来するでしょう。北海道で地震による大規模停電がありました。大きな発電所に依存していたから、発電所に異常が起こったことで、あんな大事に至ったのです。各家庭で電気を作っていれば、あれほどの大騒ぎにはならなかったのではないでしょうか。<後略>