12月「あじろ ふみこ」さん
あじろ ふみこ(あじろ ふみこ)さん
新潟県立高田北城高校卒後、国立清水海員学校・専修科(現・国立清水海上短期大学校)卒。東京港で150人乗り海上バスの船長兼機関長を務める。2000年会社員の夫と結婚、長男・長女二人の発達障害児を育てる。現在、東京都公立学校特別支援教室専門員。著書『母、ぐれちゃった。発達障害の息子と娘を育てた16年』(中央公論新社)
『右往左往の子育て体験。息子も娘も発達障害だった』
すごい勢いで移動して障子をバリバリと破り始めた
- 中川:
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知り合いからあじろさんが書かれた『母、ぐれちゃった。発達障害の息子と娘を育てた16年』(中央公論新社)という本をすすめられました。 2人のお子さんが発達障害ということで、悪戦苦闘の子育てをされた様子が詳しく書かれていてとても興味深かったです。 発達障害のことはあまり知識がありませんでしたが、世間の理解もまだまだだし、悩んでいるお母さん方も多いのではないでしょうか。あじろさんの体験は、こうやればいいのか、こう考えればいいのかと、参考になるかと思います。
- あじろ:
- ありがとうございます。 これまでは、学校は毎日行かないといけないし、いろいろな方とかかわるのがいいことだとされてきました。それが適応力があるということだったんですね。 ところが、今はコロナ禍で、学校が休みになったり、人とかかわってはいけませんという風潮になっているじゃないですか。真逆ですよね。 適応力があるとされてきた子は戸惑っていると思いますよ。親御さんもそうです。遊ばせる場所がない、学校へ行かなくて大丈夫だろうかと、心配になってしまいます。 だけど、発達障害の子は、家の中でゆっくりできて、友だちと緊張状態の中で付き合う必要がないというのはとても快適です。コロナ禍の社会に適応しているんですね(笑)。 そういうものの見方もあるということを知るのもとても大事かなと思ったりしています。
- 中川:
- 確かにそうですね。状況に応じて、プラスがマイナスになったりマイナスがプラスになったりしますね。 息子さんが普通の子とは違うなと感じたのはいつごろですか?
- あじろ:
- 生まれたときから「なんか変」と感じていました。とにかく寝ないで泣きまくるんです。抱っこしているといいのですが、床におろしたとたんにギャーと泣くんです。絶対に寝ない。 家で抱っこしていても泣くようになって、夜風に当たりながら外で抱っこしていたこともありました。 公民館で7 ヵ月から1 歳2ヵ月までの子どもを対象とした子育てサークルに参加しました。 ほとんどの子どもたちはお母さんの膝に乗って絵本を読んでもらったり、おもちゃで遊んでいるのに、うちの息子は絵本やおもちゃには見向きもしませんでした。 すたすたと障子のもとへ向かい、障子を次々と破いていったのです。ものすごいパワーです。 つかまえると大声で泣き、離すと一目散に障子に向かっていって、また破き始める。障子の下の方のマスは全滅でした(笑)。
- 中川:
- それは大変だ。
- あじろ:
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買い物に連れて行っても大変です。息子がスーパーへ入ったとたんに突進していく場所はお菓子コーナーではなくて鮮魚売り場。ケースの中に入った鮮魚をつかんで大騒ぎするんです。 水たっぷりの樽にドジョウを入れて売っていたことがありました。おもむろに樽に両手を突っ込み水をばしゃばしゃかき混ぜながらドジョウとたわむれ始めました。床は水浸し。ドジョウだって飛び出したりしますよ。必死で止めようとしましたが、全身全霊で号泣ですよ。もう収拾がつきません。ほんの数分が永遠と思うほどの長い時間に思えました(笑)。
- 中川:
- すごいですね。そんな状態だと出かけられなくなりますよね。
- あじろ:
- 息子のように何をするかわからない子どもを育てていると、家に引きこもっていたほうが、他人の目を気にする必要もないし、他人に迷惑をかける心配もないので安心かもしれません。 でもそれって、「しつけもまともにできないダメな親」と非難されるのがいやだというのが本心だと思うんですね。人は体験を積むことで成長する、と私は信じているので、息子をあちこち連れて行きました。
- 中川:
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まわりからいろいろ心ないことも言われたんじゃないですか。
- あじろ:
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事情を知らない人たちが、目の前で起こった出来事だけで非難を口にするのには参りましたね。上から目線で「私が正してあげる」というある種の正義というんでしょうか、もっと相手の立場に立って、非難ではない別の伝え方があるのではと思いました。 理不尽な非難を受けて、最初は悲しんでいましたが、何度もそういう体験をするうちに、私は「言うのは相手の自由。聞かなかったことにするのは私の自由」と割り切ることができるようになりました。 とにかく何が大切なのかと考えました。私が非難されないのが大切ではなく、息子にいろいろな経験をさせてあげることを優先しよう。そのためには、私が防波堤になる、と覚悟を決めましたね。
<後略>
東京・池袋のSAS東京センターにて 構成/小原田泰久

母、ぐれちゃった。発達障害の息子と娘を育てた16年
あじろ ふみこ (著)
中央公論新社
結婚して専業主婦になりました。今は26歳の娘と23歳の息子がいます。
母と子どもの絆という面では強くなったと思います。ずっと仲のいい親子ですねと言われますから。3人で支え合って生きていこうという意識が自然に芽生えたのだと思います。ただ、子どもたちも精神的に不安定な部分はありました。下の子が4年生のときだったかな。行動が変なので病院へ連れて行ったことがありました。今は、私の仕事を手伝ってくれたりしてとても助かっています。
なるほど。WHOの健康の定義でも霊性を入れようという提案があったということで話題になりました。もう20年以上も前になりますかね。残念ながら、提案だけで終わっているようですが。 私の父である先代の会長が「氣によって霊性を高め、地球の環境を浄化する」とよく言っていたので、私には霊性という言葉に抵抗はないのですが、一般の人にはまだまだすんなりとは受け容れられませんね。 先生は霊性についての講義をしているそうですが、学生さんの受け止め方はどうでしょう。
そうですね。3〜4週間講義をしてから、神社やお寺に行って手を合わせたり、お墓参りをする意味を問い直してみます。 半数くらいは、習慣でやっていたことにもこういう意味があったのだと、私が言っているスピリチュアルな内容を受け容れてくれます。残りの半数は理屈としてはわかるけれども理解しがたいとか、にわかには信じられないという反応です。
いつも言われたのは『人に負けないようにやれ』ということでした。しかし、技術を身につけようとしても先輩は教えてくれませんから、技術は見て盗まないといけません。
私には氣の話はよくわかりませんが、目に見えない何かが伝わるという感覚はわかります。
300名近い人が当日に最高の演奏ができるように準備をするわけですからね。すごいなと思いました。
どんどん接近していきますね。監督はコンサートに行ったときに、楽屋で出演を申し込んだそうですね。そのときが初めての直接の出会いだったのですね。
病弱な子ども時代から始まって、20代後半にはうつになり、ITの仕事でしたから、一日中パソコンの前に座っていたせいで、電磁波の影響を受けて、体がどんどん悪くなっていきました。
確かに、苦しい体験は今に生きていますね。あのころは苦しいだけの毎日でしたが。
自転車に乗っていても、だんだんと視力が落ちてくると、木や車にぶつかってしまいます。自分は目が見えなくなるんだと思うと、恐怖と不安でおしつぶされそうになりました。
きっと伯父さんが岩本さんのことを心配して、あちらの世界からメッセージを送ってくれたのではないでしょうか。その意味が、時間がたつにつれて、少しずつわかってきて、その後、とても行動的な生き方ができるようになったのだと思います。
大河ドラマでは14作品で時代風俗考証を担当しました。毎週の定例会議での台本検討のほか、國學院大學は渋谷にあってNHKには近いので儀式などのリハーサルにもよく呼び出されましたよ(笑)。
戦国時代は現代社会に通じるものがあって、お手本となることが多いと思います。まずは実力社会だったということです。戦国時代より前は、身分が定められていました。下級武士の子は、どんなにがんばっても有能であっても、下級武士のままです。
若いころから宗教書は読み漁っていましたから、興味があったと言えばあったと思います。でも、知識レベルの興味でしかありませんでした。
先生は植物に対してとても親近感をもっておられるようですが。 
この対談には新井さんも親しくしている自然栽培パーティの佐伯康人さんや銀座ミツバチプロジェクトの高安和夫さんにも出ていただきました。障がい者が農業に携わって収入を増やしたり生きがいを見出すという農福連携の活動には、私もとても関心をもっています。これからの時代、ますます大切になってくるのではないでしょうか。
農業というのは人が生きていく上で必要不可欠な食料を作るわけですから仕事がなくなるはずがないと考えました。また、農業にはいろいろな作業があって、どんな障がいがあっても、何らかの作業ができるはずです。先ほど見ていただいたように、ひたすら種を蒔くということでもいいし、草むしりならできるという人もいるし、作物を袋詰めするのが好きだという人もいます。