12月「平井 正修」さん
平井 正修(ひらい しょうしゅう)さん
臨済宗国泰寺派全生庵住職。学習院大学法学部政治学科卒業。2002年より、中曽根元首相、安倍前首相らが参禅する全生庵の第七世住職に就任。2016年より日本大学危機管理学部客員教授。全生庵にて坐禅会、写経会を開催。『心がみるみる晴れる 坐禅のすすめ』(幻冬舎)『老いて自由になる』(幻冬舎)など、多数の著書がある。
『不安なときは静かに坐って自分の内側に意識を向ける』
悩みやつらさを抱えつつ落ち着くことが求められる
- 中川:
- ご住職の書かれた『老いて自由になる。』(幻冬舎)という本を読ませていただきました。新型コロナウイルスで多くの人が不安を抱えている中で、どうすれば心が安らぐか、とても参考になりました
- 平井:
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ありがとうございます。もともとはそういう意図で書き始めたわけではなかったのですが、書いているうちにコロナの騒ぎが広がって、こういう内容になってしまったんですね。
私は53歳になるのですが、50歳を過ぎると体力的にも社会的にも「あれっ」と感じることが多くなりました。疲れやすくなったり筋力が落ちたり、日々の生活の中で、若いころはこんなことがなかったのにと思うことも多々あります。
大学時代の友人と会うと、若いころの勢いがなくなっていてびっくりすることがあります。出世コースから外れて出向させられた友だちもいます。こんなはずではなかったと思うのも50代なのだろうと思いますね。
コロナ以前は、人生100年時代と声高に言われていました。50歳というとちょうど折り返し地点です。先はまだまだ長いのに、どうすればいいのかと途方に暮れているのが、私たちの年代だと思いました。
「あなたは100歳まで生きなければいけない」
「そのためには貯金がこれだけ必要だ」
「それまでに認知症になるかもしれない」
そうやってさんざん脅されて、ますます不安になってしまいます。
そんな矢先のコロナです。体力の衰えを感じ先が見えてきて、あれこれ迷っているときに、病気や死の不安にも襲われてしまっているのが現状なのではないでしょうか。こういうときこそ、「老い」とか「死」について考えないといけない。そう思って書いた本です。 - 中川:
- 緊急事態宣言が出されるという物々しい状況でしたからね。感染すると死んでしまうのではないかという恐怖をもった人も多かったと思います。
- 平井:
- 新型コロナウイルスを見くびってはいけないし、対策を十分に講じる必要はありますが、この何ヵ月かを見ていますと、肉体的なダメージよりも、精神的に痛めつけられている部分の方が大きいのではないかと思えます。コロナという「心の病」に冒されているような気がしてならないんですね。
- 中川:
- 私も帯津良一先生はじめ、何人かのドクターにお話をうかがいましたが、みなさん、大騒ぎしすぎではないかという意見でした。いたずらに怖がるのではなく、免疫力を高めることを心掛ければ、感染を防ぐこともできるし、感染しても軽症ですむということだと思います。免疫力は気持ちの持ち方と密接に関係しているそうです。恐怖や不安に振り回されず、状況を冷静に見て、適切な判断をすることが大切なのだろうと思います。
- 平井:
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その通りですね。これだけコロナのことがテレビや新聞で騒がれれば気にするなと言われても無理なことです。不安や恐怖を持つのは当たり前です。人間というのは、不安は感じやすいのに、安心はキャッチできないようにできていますから。
よく「落ち着く」と言いますが、一般的にはさまざまな問題が解決して安心できることを落ち着くと考えます。しかし、禅では、怒っていても、悲しくても、悩んでいても、その状態の中で落ち着くことが求められます。怒りや悲しみ、悩みといったネガティブな感情をなくそうとすると余計に落ち着かなくなります。最初から、「人はネガティブなものだ」と構えていれば大抵のことは容認できるものです。
坐禅をすると、最初のころは足が痛くてつらいんです。とにかく痛い。朝晩で5時間くらい坐りますから。接心という1週間の坐禅の強化期間が年に6回から8回あります。そのときは1日10時間くらい坐っています。
痛くて痛くてたまらないとき、師匠が「痛いか。足があったということじゃ。その痛いところに落ち着くのじゃ」と言うんですね。
「五体満足という言葉があるじゃろ。禅では、片手片足がなくても五体満足、風邪をひいていても五体満足、明日死ぬという状態でも五体満足じゃ。そういうところが落ち着くということじゃ」
そうは言われても、痛いものは痛いですから(笑)。なかなか師匠の言うような心持ちにはなれないですよ。
私は、さんざん足の痛みを体験したことで、どんなつらい状況であっても、苦しみを消そうとするのではなく、今できることを探して、やってみることが大切だと気づくことができました。コロナでも、あれができなくなった、これができなくなったと嘆くのではなく、今何ができるかと考え、それをやってみることで、不安も少なくなるのではないでしょうか。 - 中川:
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痛みだけに心が奪われますが、まずは自分が置かれている状況を受け入れて、そこから先を考えるということでしょうか。 - 平井:
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受け入れるということは大切です。個人でも企業でも、自分の立脚しているところが見えないと先に進めないですから。
中川 足が痛いのも良しですかね(笑)。
平井 3年くらいすると慣れてきてそれほど痛くなくなります。そうなると坐っているときに余計なことを考えたり、眠くなったりします。痛くてたまらないときにはほかのことを考える余裕がないから無心でいられたのにですよ。何がいいか、わかりません(笑)。
<後略>
2020年10月8日 東京都台東区の全生庵にて 構成/小原田泰久

著書の紹介
老いて、自由になる。 智慧と安らぎを生む「禅」のある生活 平井正修(著) 幻冬舎
のぶみさんの『ママがおばけになっちゃった!』(講談社)という絵本を読ませていただきました。ママが交通事故で亡くなっておばけになるというお話ですが、死をテーマにした絵本ってあまりないですよね。
このお話では、おばけになったママは子どものことが心配でなかなかあの世へ行けないですよね。子どももたとえおばけでもママと一緒にいたいと思って、おばけになったママに甘える。
ご先祖様がマイナスの氣として子孫に影響を与えることがよくあります。だれにもたくさんのご先祖様がいて、中には悲しみとか恨みとか、ネガティブな感情をもって亡くなった魂さんもいるはずですから、だれもがマイナスの氣の影響を受けている、と私は考えています。
実は、よくサウナへ行くのですが、この間、財布を忘れましてね。よく財布を忘れますが、これまでは必ず出てきました。でも、今度は見つからないんですね。免許証やクレジットカード、それに現金も8万円入っていました。
カーンカーンカーンですか。
祈りですか。
そうでしょ。会長の声と同じ周波数の弦が共振現象を起こしているんですね。面白いでしょ。さっき会長が宇宙のエネルギーと共振するっておっしゃったじゃないですか。今は会長の声とピアノの弦との共振でしたが、雨が降ってほしいという想いが会長の声で、宇宙のエネルギーというのがピアノの弦じゃないでしょうか。
農薬も肥料も使わない自然栽培を始めて16年になりますが、始めたころはなかなか理解してもらえませんでした。みなさん、肥料なしで野菜ができるはずがないという先入観があって、有機栽培ならわかるけれども、自然栽培は無理だろうと言われました。
肥料をたくさん入れれば野菜は大きくなりますが、言ってみれば、メタボの野菜です。ダイコンをおろすと水ばっかりじゃないですか。水膨れなんですよ。自然栽培のダイコンは、おろしても綿みたいにフワッとしています。キュウリもそうですが、肥料で大きくなっても、水を食べているようなものです。
うちもそうですけど、どこの医療機関も今は暇ですよ(笑)。みなさん外へ出るのを怖がっているんでしょうね。医者へ行くのは不要不急だってことですよね(笑)。最初は、今までにないルスだったのでどうしていいかわからず右往左往していた感がありましたが、時間がたってかなりのことがわかってきました。
そういう報道があれば、みなさん安心しますよね。
万が一コロナに一人でも感染すると問題になるからでしょうか。責任逃れの極みです。もう一度言いますが、日本では死ぬということに限って言えばコロナを怖がる必要はありません。
共存することが大切だと思います。
油断はできませんが、ちょっと騒ぎすぎのような気もしますね。
SARSが流行ったときでしたか、とてもお世話になった中国の方が亡くなりました。お葬式にはどうしても出たかったので、「これから中国へ行く」と言ったら、「こんな時期に行くことはないでしょう」と、みんなが反対しました。しかし、事情が事情ですから、次の機会にというわけにはいきません。「呼吸法をやっているから2日や3日は呼吸しなくて大丈夫だ」と言って反対を押し切りましたが、マスクを山ほどもたされました。中国へ着いてもマスクはしませんでした(笑)。
先生の書かれた『よきことはカタツムリのように』(春秋社)という本を読ませていただきました。先生は20年以上も前から、スローな生活にシフトチェンジしたほうがいいと唱えておられます。
先生のご専門は文化人類学ですよね。
これまでの人類の歴史を振り返っても、こんな時代はなかったのではないでしょうか。現代は科学技術が発達して、生活がとても便利になっていますが、科学技術だけでは環境問題は解決できそうにありませんね。 
みなさん、明治維新のことは学校の歴史で習ったと思います。日本が大きく動いた出来事でした。維新を成し遂げた人たちは、後世、ヒーローとしてもてはやされています。日本にとっては近代化の重要な節目ではありましたし、多くの人の輝かしい活躍もありました。しかし、実際には国内を二分する戦争だったわけで、勝者の栄光のドラマだけでなく、その陰ではたくさんの方たちがつらくて悲しい思いをしたはずです。そこになかなか意識が向かないのも現実です。
斗南へもたびたび足を運びましたが、あまりにもひどい歴史なので触れないようにしてきたということもあって、最初はなかなか話してくれませんでした。会津藩は賊軍だから、ときの政権を批判するようなことを言うのは好ましくないという風潮もあったでしょう。でも、私は新聞記者ですから、たくさんの会津人の末裔の方に会って話を聞き、資料を調べたりするうち、いろいろなことがわかってきました。中には、最初は口が重くてなかなか話してくれなくても、少しずつ話すうちに「かわいそうだ、かわいそうだ」といって突然、泣き伏す人もいました。地べたに手をついてオンオン泣くのです。いかに無念であったかという事でしょう。胸が締め付けられました。
薩長にとって和解という選択はありませんでした。徹底的に叩こうとしました。そうしないと革命は成立しません。その標的に会津がなったわけです。
ありがとうございます。私は16歳のときに名字に興味をもちましてね。以来、半世紀近く名字を研究しています。珍しい名字は限りなくあって、珍名を探すのは昆虫や植物の新種を追いかけるのと同じですよ。この名字のルーツは何だろうとか、興味は広がっていくし、終わりのない研究ですね(笑)。
それで珍名さんに出あうんですね。
世界でも日本の名字の数は特に多いそうですね。 