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12月「平井 正修」さん

平井正修

平井 正修(ひらい しょうしゅう)さん

臨済宗国泰寺派全生庵住職。学習院大学法学部政治学科卒業。2002年より、中曽根元首相、安倍前首相らが参禅する全生庵の第七世住職に就任。2016年より日本大学危機管理学部客員教授。全生庵にて坐禅会、写経会を開催。『心がみるみる晴れる 坐禅のすすめ』(幻冬舎)『老いて自由になる』(幻冬舎)など、多数の著書がある。

『不安なときは静かに坐って自分の内側に意識を向ける』

悩みやつらさを抱えつつ落ち着くことが求められる

中川:
 ご住職の書かれた『老いて自由になる。』(幻冬舎)という本を読ませていただきました。新型コロナウイルスで多くの人が不安を抱えている中で、どうすれば心が安らぐか、とても参考になりました
平井:
 ありがとうございます。もともとはそういう意図で書き始めたわけではなかったのですが、書いているうちにコロナの騒ぎが広がって、こういう内容になってしまったんですね。
 私は53歳になるのですが、50歳を過ぎると体力的にも社会的にも「あれっ」と感じることが多くなりました。疲れやすくなったり筋力が落ちたり、日々の生活の中で、若いころはこんなことがなかったのにと思うことも多々あります。
 大学時代の友人と会うと、若いころの勢いがなくなっていてびっくりすることがあります。出世コースから外れて出向させられた友だちもいます。こんなはずではなかったと思うのも50代なのだろうと思いますね。
 コロナ以前は、人生100年時代と声高に言われていました。50歳というとちょうど折り返し地点です。先はまだまだ長いのに、どうすればいいのかと途方に暮れているのが、私たちの年代だと思いました。
「あなたは100歳まで生きなければいけない」
「そのためには貯金がこれだけ必要だ」
「それまでに認知症になるかもしれない」
 そうやってさんざん脅されて、ますます不安になってしまいます。
 そんな矢先のコロナです。体力の衰えを感じ先が見えてきて、あれこれ迷っているときに、病気や死の不安にも襲われてしまっているのが現状なのではないでしょうか。こういうときこそ、「老い」とか「死」について考えないといけない。そう思って書いた本です。
中川:
 緊急事態宣言が出されるという物々しい状況でしたからね。感染すると死んでしまうのではないかという恐怖をもった人も多かったと思います。
平井:
 新型コロナウイルスを見くびってはいけないし、対策を十分に講じる必要はありますが、この何ヵ月かを見ていますと、肉体的なダメージよりも、精神的に痛めつけられている部分の方が大きいのではないかと思えます。コロナという「心の病」に冒されているような気がしてならないんですね。
中川:
 私も帯津良一先生はじめ、何人かのドクターにお話をうかがいましたが、みなさん、大騒ぎしすぎではないかという意見でした。いたずらに怖がるのではなく、免疫力を高めることを心掛ければ、感染を防ぐこともできるし、感染しても軽症ですむということだと思います。免疫力は気持ちの持ち方と密接に関係しているそうです。恐怖や不安に振り回されず、状況を冷静に見て、適切な判断をすることが大切なのだろうと思います。
平井:
 その通りですね。これだけコロナのことがテレビや新聞で騒がれれば気にするなと言われても無理なことです。不安や恐怖を持つのは当たり前です。人間というのは、不安は感じやすいのに、安心はキャッチできないようにできていますから。
 よく「落ち着く」と言いますが、一般的にはさまざまな問題が解決して安心できることを落ち着くと考えます。しかし、禅では、怒っていても、悲しくても、悩んでいても、その状態の中で落ち着くことが求められます。怒りや悲しみ、悩みといったネガティブな感情をなくそうとすると余計に落ち着かなくなります。最初から、「人はネガティブなものだ」と構えていれば大抵のことは容認できるものです。
 坐禅をすると、最初のころは足が痛くてつらいんです。とにかく痛い。朝晩で5時間くらい坐りますから。接心という1週間の坐禅の強化期間が年に6回から8回あります。そのときは1日10時間くらい坐っています。
 痛くて痛くてたまらないとき、師匠が「痛いか。足があったということじゃ。その痛いところに落ち着くのじゃ」と言うんですね。
 「五体満足という言葉があるじゃろ。禅では、片手片足がなくても五体満足、風邪をひいていても五体満足、明日死ぬという状態でも五体満足じゃ。そういうところが落ち着くということじゃ」
 そうは言われても、痛いものは痛いですから(笑)。なかなか師匠の言うような心持ちにはなれないですよ。
 私は、さんざん足の痛みを体験したことで、どんなつらい状況であっても、苦しみを消そうとするのではなく、今できることを探して、やってみることが大切だと気づくことができました。コロナでも、あれができなくなった、これができなくなったと嘆くのではなく、今何ができるかと考え、それをやってみることで、不安も少なくなるのではないでしょうか。
中川:
 痛みだけに心が奪われますが、まずは自分が置かれている状況を受け入れて、そこから先を考えるということでしょうか。
平井:
 受け入れるということは大切です。個人でも企業でも、自分の立脚しているところが見えないと先に進めないですから。
中川 足が痛いのも良しですかね(笑)。
平井 3年くらいすると慣れてきてそれほど痛くなくなります。そうなると坐っているときに余計なことを考えたり、眠くなったりします。痛くてたまらないときにはほかのことを考える余裕がないから無心でいられたのにですよ。何がいいか、わかりません(笑)。

<後略>

2020年10月8日 東京都台東区の全生庵にて 構成/小原田泰久

著書の紹介

老いて、自由になる。 智慧と安らぎを生む「禅」のある生活 平井正修(著) 幻冬舎

           

11月「のぶみ」さん

のぶみ

のぶみ(のぶみ)さん

1978年東京生まれ。保育の専門学校に進み、そこで知り合った女性が絵本好きだったことから絵本作家になる。NHK eテレみいつけた!『おててえほん』担当。eテレアニメ『うちのウッチョパス』『ぼく、仮面ライダーになる』「しんかんくん』『うまれるまえにきーめた!』『ママがおばけになっちゃった!』など約200冊の絵本作品を発表している。

『ママも子どももいろいろなことを学べる絵本を作りたい』

悪いことが起こったときこそ、今運を貯めてると思う

中川:
 のぶみさんの『ママがおばけになっちゃった!』(講談社)という絵本を読ませていただきました。ママが交通事故で亡くなっておばけになるというお話ですが、死をテーマにした絵本ってあまりないですよね。
 私は、親と子が死について話し合うことはとても大切だと思ってきました。でも、あまり深刻になっても良くないし、絵本というのはいい手段だなと感心しながら読ませていただきました。死んだらすべてが無になると考えている人もいますが、私は魂と呼ばれるものが存在していて、亡くなったママが子どものことを思って会いにくるというのは十分にあり得ることだと考えています。あの絵本を読む限り、のぶみさんも魂はあると考えておられるようですね。
のぶみ:
 読んでいただいてありがとうございます。私はいろいろな体験から、魂はあると思っています。両親は牧師で、小さいころは礼拝所の上に住んでいました。礼拝所ではお葬式があって、私はよく見学をしていました。
 お葬式のとき、棺桶の横に人が立っているのがぼやーっと見えました。何度もありました。そのことが記憶にあったので、大人になってから、きっと人は死んだら自分のお葬式に出るのではないかなと思うようになったんです。もし自分が死んだら、きっと自分の葬式に出て、こいつも来てくれたんだ、あいつはどうしたって、きょろきょろするんじゃないかと思うんですね(笑)。
 絵本を描くようになって、長男がけっこうやんちゃで、妻が『私が死んじゃったらこの子、どうなっちゃうんだろう』とつぶやくのを聞いたとき、はっとひらめくものがありました。
 母親だったら、子どもが小さければ、絶対に子どものところへ行くんじゃないか。行くはずだ。そう思ってできたのが『ママがおばけになっちゃった』なんです。
中川:
 このお話では、おばけになったママは子どものことが心配でなかなかあの世へ行けないですよね。子どももたとえおばけでもママと一緒にいたいと思って、おばけになったママに甘える。
 亡くなった魂さんは、残された人のことが心配なんだと思います。残された人たちがいつまでも悲しんでいると、魂さんは後ろ髪を引かれるようでなかなか光の世界へ旅立っていけないんだと、私は思っています。
のぶみ:
 中川会長はおばけが見えるんですか?
中川:
 いえいえ、見えません(笑)。私はみなさんに氣をお送りするのですが、氣を受けた方の中には、思ってもみなことをしゃべり出す人がいるんですね。苦しみを訴えたり、恨み言を言ったりするわけですが、現在のことではなさそうで、どうも氣を受けている本人ではなくて、その人に影響を与えている魂さんが言っているようなのです。
 もう25年もそういうことをやっていますから、たくさんの人から出てくる不思議な話を総合すると、おばけは見えなくても、魂さんたちはどんなところにいて、どんなことを思い、何をしようとしているのか想像がつくわけです。
 残した子どものことが心配でたまらなくて苦しんでいる魂さんが出てくることもあります。亡くなったママがいつまでも子どものそばにいたい気持ちはわかりますが、それでは自分も子どもも幸せになれません。光の世界へ行くことで、もっと強い力で子どもを守り、応援できるんですね。そういう意味で、この物語はすばらしい結末だと思います。
のぶみ:
 中川会長の本を読ませていただきましたが、光の世界へ行けない魂さんがマイナスの氣であり、先代の会長がおっしゃっていたおばけなんですね。
中川:
 ご先祖様がマイナスの氣として子孫に影響を与えることがよくあります。だれにもたくさんのご先祖様がいて、中には悲しみとか恨みとか、ネガティブな感情をもって亡くなった魂さんもいるはずですから、だれもがマイナスの氣の影響を受けている、と私は考えています。
 マイナスの氣の影響を受ければ次々とマイナスの出来事が起こりますが、そんな中でどう生きるのかということが大切です。落ち込んでしまえば、まわりからさらにたくさんのマイナスの氣を集めてしまいますし、つらいことをバネにしてがんばれば、自分も成長するし、ご先祖様にも光が届いて、苦しんでいるご先祖様も楽になれます。
のぶみ:
 なるほど。コロナ騒ぎでも大変だ大変だと思っている人が多いと、マイナスの氣が増えてくるんですね。
中川:
 一時的には増えると思います。しかし、コロナは自分が変わるチャンスだとか、地球の環境が良くなったとか、プラスに考えられる人も増えているじゃないですか。そういう人が増えれば、形勢が逆転して、良くない波動は少なくなっていくと思いますよ。
のぶみ:
 実は、よくサウナへ行くのですが、この間、財布を忘れましてね。よく財布を忘れますが、これまでは必ず出てきました。でも、今度は見つからないんですね。免許証やクレジットカード、それに現金も8万円入っていました。
 それにインスタグラムが一時停止の制限がかけられ、一週間止まりますと言われ、踏んだり蹴ったりでした。
 一瞬落ち込みましたが、気持ちを切り替えることにしました。間もなく新しい絵本が2冊出ます。このマイナスに思える出来事は、2冊の絵本がヒットする予兆じゃないかと思うようにしました。
 何か良くないことがあっても「何だよ」って言わないようにしています。悪いことが起こったときこそ、今運を貯めてるなと思うようにしています。会長の考え方だと、これは大正解ですよね。

<後略>

2020年9月8日 東京都練馬区ののぶみさんのアトリエにて 構成/小原田泰久

著書の紹介

左上:「ママがおばけになっちゃった!」 のぶみ(著) 講談社
右上:「さよなら ママがおばけになっちゃった!」 のぶみ(著) 講談社
下: 「暴走族、絵本作家になる」 のぶみ(著) ワニブックス

           

10月「Satoko」さん

Satoko

Satoko(さとこ)さん

大阪府堺市生まれ。フリーランスの作曲家として活躍していたときに、子宮頸がん、慢性骨髄性白血病であることが判明。闘病中に生まれた『宮古の風』でシンガーソングライターとしてデビュー。全国各地で行うコンサートのほか、がん患者さんや難病の子どもたちに笑顔と元気を届ける活動に励んでいる(コロナで休止中)。

『大きな力に動かされての音楽活動。 私の「神様の仕事」』

音楽には 瞬時に場のエネルギーを変える力があります

中川:
シンガーソングライターのSatokoさんのご自宅兼仕事場におうかがいしました。お部屋にはどーんとグランドピアノ。ギターやキーボードもありますね。壁には変わった楽器がかけられていますが、どこかの国の民族楽器ですか。
Satoko:
暑い中、わざわざお越しいただきありがとうございます。
壁にかかった楽器は、ブラジルとかメキシコのものです。タンバリンみたいなのがパンデイロといって、サンバやボサノヴァで使われるブラジルの楽器ですね。
民族や文化によって、楽器も違うし、奏でるリズムも違うのが面白くて集めています。
日本人は農耕民族のリズムです。沈む感じですね。お相撲さんが四股を踏むじゃないですか。ああいう重厚なリズムかな。
ブラジルだと浮き上がるようなリズムです。陽気で軽やか。まったく逆のリズム感をもっているんです。
たとえば、踏切の警報音、どんなふうに聞こえますか?
中川:
カーンカーンカーンですか。
Satoko:
そうですよね。日本人にはそう聞こえるのですが、ブラジル人は違うみたいなんです。
中川:
どう違うんでしょう。
Satoko:
ンーカンーカンーカって、日本人とは逆の聞こえ方みたいなんですね。それが音楽にも影響を与えているのではないかと思います。
中川:
へえー。初めて聞きました。確かに、カーンカーンカーンは沈むようだし、ンーカンーカンーカになると、浮き上がるような感じがしますね。
Satoko:
音楽には場の雰囲気を変える力があります。空気がどよーんと淀んでいるときには、サンバとかボサノヴァを流してみるといいですよ。さっきまで落ち込んでいたのに、音楽がかかった途端に踊り出したくなってしまいますから(笑)。
今は新型コロナウイルスでみなさん沈みがちです。でも、陽気な音楽を聴くと体が勝手に反応して、音楽を聴いているときくらいは、重い気持ちから解放されるじゃないですか。
中川:
なるほど。演歌とボサノヴァでは場の雰囲気がまったく違いますよね。クラシックにはクラシックの雰囲気があるし。それが音楽の力ですね。
Satoko:
私は、障がいがあったり、難病で体が動かせない人と一緒に音楽をやることがよくあります。彼らは海外旅行に行けないけれども、思考が豊かなので、音楽を聴きながら、意識の中で世界を旅するのです。ボサノヴァやサンバを聴くと、彼らはブラジルのあの陽気な人たちと踊っている気持ちになれるみたいなのです。
中川:
音楽で世界旅行ですか。なかなかない発想ですね。
Satoko:
会長はさっき、音楽の力とおっしゃいましたが、音楽にはある種のエネルギーがあると思うんですね。そのエネルギーに聴く人の意識が反応して、想像の中で世界を旅することができるのではないでしょうか。
特に民族楽器は、もともとは祈りのために作られたもので、エネルギーが強いように思います。
中川:
祈りですか。
Satoko:
多くの場合、雨乞いですね。水不足は命の危機に直結しますから、必死で祈ります。その願いを天に届ける手段のひとつが楽器だったのではないでしょうか。
多くの人が一斉に太鼓をたたくと、雨雲が広がって猛烈な雷雨になるのを体験したことがあります
中川:
雨乞いというのは、単なる迷信や気休めではなく、何か目に見えないエネルギーが作用して雨をもたらせることもあるのだと思います。
私はその目に見えないエネルギーを氣と呼んでいます。想いや意識が現実を作ると言いますが、私もそうだと思います。雨を降らせてほしいという強い願いが氣となって広がり、宇宙のエネルギーと共振して、現実に雨を降らせることもあると思います。
Satoko:
わあ、うれしいことを言ってくださって感動です。
このグランドピアノ、大屋根を開けてみますね。弦が並んでいるでしょ。こうやって見るとピアノが弦楽器だってわかるんですね。
会長、弦に向かって大きな声で「あー」と言ってみてくれますか。
中川:
あー!
Satoko:
どうですか?
中川:
声が響きますね。
Satoko:
そうでしょ。会長の声と同じ周波数の弦が共振現象を起こしているんですね。面白いでしょ。さっき会長が宇宙のエネルギーと共振するっておっしゃったじゃないですか。今は会長の声とピアノの弦との共振でしたが、雨が降ってほしいという想いが会長の声で、宇宙のエネルギーというのがピアノの弦じゃないでしょうか。
自分が強く発した想いは波動となって宇宙に広がって、同じ波長のエネルギーを響かせるのだと思うんですね。
実は、私は個人レッスンもやっていますが、こんな実験のようなことをして、意識や想いは大切ですよという話もしています。

<後略>

2020年8月24日 東京都西東京市のSatokoさんのご自宅にて 構成/小原田泰久

メディアの紹介

SatokoさんのCD「Flower of Life」、「宮古の風」、「みどりの風」

           

9月「関野 幸生」さん

関野幸生

関野 幸生(せきの・ゆきお)さん

1971年埼玉県生まれ。30歳で家業である農業を継ぐ。4年目から無農薬・無肥料による自然栽培を始める。1町歩の畑で野菜を栽培しつつ、各地で自然栽培の指導や講習・講演を行っている。著書に『固定種野菜の種と育て方』(野口勲氏との共著・創森社)『とっておきの野菜づくり』(渋谷正和氏との共著・成美堂出版)がある。

『無農薬・無肥料・自家採種で生命力のある野菜を作る』

肥料をやり過ぎると病気にもなりやすくなり虫が集まってくる

中川:
関野さんが書かれた『とっておきの野菜づくり』(成美堂出版)という本を読ませていただきました。写真がたくさんあって、私のように農業には不案内な者でも、ダイコンやニンジンはこうやって作るんだとイメージすることができます。どんな虫がつくかも書かれていて、農業をやろうという人にはすごく参考になりますね。
関野:
ありがとうございます。渋谷正和さんという長く有機栽培をしている方と一緒にまとめたものです。編集者の方も農業をやっていたので、とても力を入れて作ってくれました。でも、絶版になると連絡がありまして、とても残念です。
中川:
絶版ですか。残念ですね。これを一冊もっていると農業はやりやすいと思います。私は、これからは農業がとても大切になってくると思います。特に、関野さんがやっておられる自然栽培は、健康の問題、環境の問題にもかかわるということで、ますます注目されるのではないでしょうか。
関野:
農薬も肥料も使わない自然栽培を始めて16年になりますが、始めたころはなかなか理解してもらえませんでした。みなさん、肥料なしで野菜ができるはずがないという先入観があって、有機栽培ならわかるけれども、自然栽培は無理だろうと言われました。
ところが何年か続けているうちに興味をもってくれる人が出てきて、インターネットで仲間ができたり、扱ってくれるお店や飲食店が増えてきました。奇跡のリンゴの木村秋則さんが本や映画で話題になったのも追い風でしたね。
中川:
野菜を作ればそれだけ土地の養分が減ると考えますよね。減った分、肥料で補わないといけないというのが普通の考え方なのでしょうね。関野さんの家はもともと農家だったのですか。
関野:
私が4代目です。地主ではなく小作でたくさんの畑があったわけではありませんでした。父も、それほど一生懸命に農業をやっていた人ではなかったですし。
私は、車の整備士をやっていて、30歳になったのをきっかけに農業を継ぎました。祖父が種のまき方、収穫の方法、出荷の仕方など、基本的なことを教えてくれました。祖父が教えてくれたのは、農薬も化学肥料も使う普通の農業です。私は、農薬は使いたくないと思っていたので、2年目から無農薬にして、肥料は試行錯誤しながら使っていましたが、4年目からは農薬も肥料も使わない自然栽培を始め、16年がたちました。
中川:
今、どれくらいの広さの畑をやっておられるのですか。
関野:
最近3反ほど借りて、1町になりました(1反は約1 0 0 0 ㎡。一町は約1 万㎡)。40種類ほどの作物を、基本的には妻と2人で作っています。たまに研修という形でお手伝いに来てくれる方もいます。
中川:
自然栽培については、木村秋則さんや川口由一さんら大御所にもお話をお聞きしたことがあって、ずっと興味をもっていましたが、彼らもとても苦労をしてやり遂げています。関野さんもご苦労はあったのではないでしょうか。
関野:
農薬をやめたとき、私の畑は住宅街にあったので、虫なんかこないだろうと思っていました。ところが、どこからともなくやってくるんですね。そして、葉っぱを食べてしまいました。虫食いの野菜は出荷なんかできないですよ。
そのときに、農薬を使わずに栽培するには知識も経験も必要だと痛感し、本を買って独学で無農薬栽培のやり方を模索しました。『野菜づくりと施肥』(農文協)という本がすごく参考になりました。そこには肥料をやり過ぎると良くないと書かれていました。ネットを見ると、肥料を使わずに野菜を作る方法があると知り、半信半疑でしたが始めてみました。
試行錯誤の連続で、何となく行けると思ったのが7年目。8年目からは、だいたいの作物が無肥料でも育つようになりました。ピーマンなんかはいまだに苦戦していますけどね。
中川:
肥料をやり過ぎるのは良くないんですね。
関野:
人間でも朝昼晩とお腹いっぱいご飯を食べると体調を崩すじゃないですか。食べ過ぎて病気になっている人はたくさんいます。どんな生き物も食べ過ぎは良くないのではないでしょうか。
中川:
肥料をたくさんあげれば大きくて立派な野菜ができるように思ってしまいますけどね。
関野:
肥料をたくさん入れれば野菜は大きくなりますが、言ってみれば、メタボの野菜です。ダイコンをおろすと水ばっかりじゃないですか。水膨れなんですよ。自然栽培のダイコンは、おろしても綿みたいにフワッとしています。キュウリもそうですが、肥料で大きくなっても、水を食べているようなものです。
中川:
肥料をあげると病害虫も多くなるんですね。
関野:
植物には細胞膜の外に細胞壁があります。肥料をあげると、細胞壁が薄くなってしまうことがわかっています。それに細胞同士の結びつきも弱くなります。そのために病気にかかりやすくなります。不健康な野菜だと、虫も集まってきます。

<後略>

著書の紹介

「とっておきの野菜づくり」 関野 幸生、渋谷正和(共著) 成美堂出版

           

8月「川嶋 朗」さん

川嶋朗

川嶋 朗(かわしま・あきら)さん

1957年東京都生まれ。東京有明医療大学保健医療学部鍼灸学科教授・医学博士。北海道大学医学部卒業後、東京女子医科大学入局。ハーバード大学医学部マサチューセッツ総合病院、東京女子医科大学附属青山自然医療研究所クリニック所長などを経て2014年から現職。『医者が教える 人が死ぬときに後悔する34のリスト』(角川SSC新書)『代替療法で難病に挑む』(ペガサス)『難病に挑むエネルギー療法』(幻冬舎)など著書多数。

『新型コロナウイルスを教訓に、医者も患者ももっと賢くなろう』

死ぬということに限れば、新型コロナウイルスは怖がらなくていい

中川:
ご無沙汰しています。新型コロナウイルス(以下コロナ)で世界中が大騒ぎになっていますので、お忙しいとは思いましたが、先生はこの騒ぎをどう考えておられるのかお聞きしたくてうかがいました。
川嶋:
うちもそうですけど、どこの医療機関も今は暇ですよ(笑)。みなさん外へ出るのを怖がっているんでしょうね。医者へ行くのは不要不急だってことですよね(笑)。最初は、今までにないルスだったのでどうしていいかわからず右往左往していた感がありましたが、時間がたってかなりのことがわかってきました。
まずわかったのは、コロナに感染したら死んでしまうという恐怖はあまりもたなくていいということです。毎年流行するインフルエンザですが、去年も一昨年も、1月2月の2ヶ月間で2000人ほどが亡くなりました。インフルエンザ関連で亡くなった人は、年間では1万人はいますよ。それと比較してコロナによる死者は1000人弱です。
中川:
新型ということで、不安ばかりが広がった感じがしますね。テレビでも不安をあおるような報道が多いですしね。
川嶋:
死ぬということに限って言えば日本では怖がらなくていいと思います。今年はインフルエンザがすごく少ないと思いませんか。去年も一昨年もワクチンや薬があって、先ほど申し上げたようにたくさんの死者が出ています。今年はインフルエンザによる死者が減っています。コロナに感染したくなくて、みなさんが予防したからインフルエンザも少なくてすんでいるのではないでしょうか。
手洗い、うがいをきちんとして、濃厚接触を避ければインフルエンザもコロナもかなり予防ができるということがわかりましたよね。マスコミにはそのことをもっと言ってほしいです。
中川:
そういう報道があれば、みなさん安心しますよね。
川嶋:
社会は安全ではなく安心を求めますからね。インフルエンザはワクチンや薬があるからたくさん亡くなっていても安心していられます。コロナは死者数は少なくても治療法がないから安心ができない。だから大騒ぎするんでしょうね。
中川:
安心できないと不安が募って冷静に考えられなくなるんでしょうね。
川嶋:
熱が出たからと大慌てで来院した患者さんがいました。PCR検査を受けたいって言うんですね。だけど、コロナの場合、指定感染症になっていますから、もし陽性という結果が出たら少なくとも2週間は隔離されます。それでもいいんですか? と聞きますと、やっぱりやめると言って帰って行かれました。コロナを指定感染症にしてしまったから、まったく症状がなくてもPCR検査で陽性になると隔離になります。軽症患者で病院のベッドがふさがると、重症患者を入れられなくなってしまいます。
私には、WHOがなぜこんなにも大騒ぎしたのかわかりません。死亡者の数からしてもがんや心臓病や脳血管障害の方が圧倒的に多いじゃないですか。それに、8割は重症化せず治っているんですよ。何をこんなに大騒ぎしたんでしょうね。
亡くなった方も骨になるまで帰れないじゃないですか。亡くなって、棺桶の中であれば、接触感染も飛沫感染もないと思うんですけど。よくわからないですね。
中川:
用心するに越したことはありませんが、亡くなった方とお別れできないほどの警戒をしないといけないのか、そこは冷静にリードしてほしいと思いますね。
川嶋:
万が一コロナに一人でも感染すると問題になるからでしょうか。責任逃れの極みです。もう一度言いますが、日本では死ぬということに限って言えばコロナを怖がる必要はありません。
お風呂でおぼれ死ぬ人が年間4~5000人います。コロナで亡くなる人の4~5倍です。コロナが怖いと言う人に聞いてみたくなります。毎日、溺れる心配をしながらお風呂へ入りますかって。そんな人いないでしょ。コロナで死ぬのは、お風呂で溺れるよりも低い確率ですから、お風呂で溺れるなんてありえないと思っている方は、コロナで死ぬことはもっとありえないことになります。
予防すれば感染も非常に少ないこともわかっているわけですから、密集を避け、手洗いをしっかりとやっていればいいと思います。

<後略>

2020年6月5日 東京都渋谷区・東洋医学研究所附属クリニックにて 構成/小原田泰久

著書の紹介

「難病に挑むエネルギー療法」 川嶋 朗(著) 幻冬舎

           

7月「西本 真司」さん

西本真司

西本 真司(にしもと・しんじ)さん

1961 年和歌山県生まれ。近畿大学医学部卒業。熊本大学医学部附属病院 麻酔科などを経て、1996 年西本第 2 クリニックを開業。2006年に西本クリニックと西本第 2 クリニックを統合し、西本クリニックの院長に。自らの闘病体験を生かしたホリスティックな医療を実践している。著書に『潰瘍性大腸炎が治る本』「潰瘍性大腸炎は自分で治せる」(マキノ出版)な どがある。

『統合医療、ホリスティック医療でコロナウイルスを乗り切る』

コロナウイルスで亡くなる人は家族に看取られずに旅立つ

中川:
新型コロナウイルスの関係で外出を自粛しないといけないので、会社の会議や真氣光研修講座、セッションもオンラインでやっています。 今日の対談もオンラインということでよろしくお願いしま す。前回、先生が対談に出てくださったのは2015年6月号でした。ちょうど5年前です。
西本:
5年前はわざわざクリニックまで来ていただき、ありがとうございました。患者さんたちも会長から氣の話を
中川:
新型コロナウイルス、和歌山はいかがですか。
西本:
和歌山では2月の半ばにクラスターが発生しましたが、感染症の専門医や県が早急に情報を集め、適切な対応をしたことで、感染の広がりを防ぐことができました。今はとても安定しています。
中川:
世界中で大騒ぎになっていますが、日本は比較的成績がいいと思うのですが。
西本:
いいと思いますよ。亡くなった人は本当にお気の毒ですが、統計から見れば、人口100万人当たりの死亡率は金メダル級じゃないでしょうか。もうちょっと胸を張ってもいいのではと思います。
中川:
新型コロナウイルスは未知のウイルスということで警戒が必要だとは思うのですが、私たちのまわりには常にウイルスはいるわけですよね。
西本:
ウイルスや細菌は約38憶年も前から地球にいます。人類の祖先が地球に出現したのは500万年とか600万年前のことです。
中川:
そんなに昔からいたのですか。大先輩なのだから、一方的に悪者扱いするのは良くないですね。
西本:
共存することが大切だと思います。
私は1990 年、麻酔科医になって2年目の暮れ、潰瘍性大腸炎を発症し、大腸全体に炎症が起こる「全大腸炎型」と診断されました。99・999パーセント治らないと言われ、落ち込みました。当時は、一日に40回以上の下痢に悩まされていましたね。生死の境をさまよったこともありました。
7年間、良くなったと思ったら悪化するといった状態を繰り返しました。そのときに真氣光を知って、真氣光研修講座、当時は氣功師養成講座という名前でしたが、そこにも参加しました。
潰瘍性大腸炎になったことで、腸内の環境についてずいぶんと勉強し、人間が健康に生きるためには腸内細菌はなくてはならない存在だということもわかりました。細菌を悪者だと決めつけて体内から排除すると人間は健康ではいられなくなります。きちんと共存できているからこそ、人間も細菌も生きていけます。ウイルスも同じで、お互いに助け合う関係にあるはずです。上手に折り合いをつけながら付き合っていくことが大切です。
中川:
西洋医学的な考えだと、どうしてもウイルスや細菌を殺してしまうという発想になりますからね。もちろん、ウイルスがあまりにも広がり過ぎれば、そういう処置が必要なこともあるのでしょうが、根本は自分自身の免疫力
を高めることだと思います。
西本:
西洋医学を否定するわけではありませんが、こういうときこそ、東洋医学とか代替療法、統合医療、ホリスティック医療にも目を向ける必要があると思います。
私は、病気の治療というのは「Body(体)」「Mind(心)」「Spirit(魂)」のすべてにアプローチしないといけないと考えています。西洋医学は基本的にはBodyを対象にします。Mindは、ほんの少し、Spiritには手が回りません。
コロナウイルスのことで言えば、看取りのときに家族は何もできません。ずっとお世話になったおじいちゃんやおばあちゃんに別れも言えず、骨になってから家に帰ってくるというのはどうでしょう。亡くなった方も遺族の方もつらいだろうと思いますよ。MindやSpiritの部分でのケアが必要な場合もあります。
中川:
新型コロナウイルスで亡くなった芸能人の方が、お葬式もできず、骨になって自宅へ帰ってきたというニュースを見ました。ご家族のことを思うと胸が痛みました。
西本:
感染症は危険度によって5段階に分類されています。エボラ出血熱やペストなどが1類、ポリオや結核、SARSなどは2類。新型コロナウイルスも2類です。1類と2類は危険度の高い感染症ということで、隔離が必要です。ですから、1類2類の感染症で入院すると、だれもお見舞いに行けないし、亡くなれば家族に会えるのは骨になってからという悲しいことになってしまいます。新型コロナウイルスが、3類以下になればきちんとお別れができます。そうなるといいのですが。
新型コロナウイルスがどれくらい危険かを、さらに検証して、看取りというところでも、悲しみを減らす方向に進んでくれるといいと思います。
私は、ご家族が亡くなったときのご遺族の心のあり様とか、亡くなった人の魂はどうなのかといったことまで考える医療が大事だと思っています。

<後略>

5月14日 エスエーエス本社と西本クリニックをZOOMでつないでの対談 構成/小原田泰久

著書の紹介

小林正観さんの「奇跡のセイカン」 (生まれてきた本当の意味がわかる本) 西本真司(著) マキノ出版

           

6月「帯津 良一」さん

帯津 良一(おびつ・りょういち)さん

1936年(昭和11年)埼玉県生まれ。東京大学医学部卒業後、東京大学第三外科、都立駒込病院をへて、1982年(昭和57年)に帯津三敬病院を設立。人間まるごとを対象とするホリスティック医学の確立に情熱を注ぐ。帯津三敬病院名誉院長。200冊を超える著書がある。最新刊は『ボケないヒント』(祥伝社黄金文庫)。

『ウイルスを排除することばかり考えず共存の道を探る』

新型コロナウイルスはちょっと騒ぎ過ぎの感がある

中川:
先生とお会いするのは4年ぶりですが、お元気そうで何よりです。
今年に入ってのコロナ騒ぎ、先生も影響を受けていると思いますが。
帯津:
患者さんがガタッと減りました。池袋のクリニックだと、毎日30人くらいの患者さんを診察していましたが、今日は10分の1の3人ですよ。みなさん、新型コロナウイルスに感染するのが怖くて外出を自粛していて、ホメオパシーや漢方薬を送ってくださいという連絡が相次いでいます。
それから、土日は講演で埋まっていたのですが、すべて秋以降に延期になりました。
中川:
私も土日は地方へ行くことが多かったのですが、東京から行くとみなさん不安がるので、今は自宅とか会社からネットで情報を発信しています。
先生も、こんなに自分の時間があることは珍しいと思いますが、どうされているのですか?
帯津:
私はもっぱら原稿を書いています。たくさん頼まれるのですが、普段は診療をしていますからなかなか進みません。出版社の人にはずいぶんと迷惑をかけているので、この機会に集中して書いています。
中川:
先生は今回の新型コロナ、どのように見ておられますか。
帯津:
油断はできませんが、ちょっと騒ぎすぎのような気もしますね。
私はあまりテレビを見ないし、新聞も読みません。でも、世の中で起こっていることにうと過ぎてもまずいので、早朝のNHKニュースだけは15分ほどですが見ています。今はコロナウイルスのことばかりですが、以前から嘆かわしいニュースばかりで、憤りを感じたり、気持ちが沈んだりしました。あまりネガティブな情報は入れないほうがいいですね。15分くらいのニュースがちょうどいいんじゃないでしょうか。気持ちが落ち込むと免疫力も下がりますから。
中川:
私もそう思います。テレビの報道など見ていると気が滅入ってきます。感染したらどうしようとか、外出すると移るんじゃないかとか、どんどん不安になります。不安は氣のレベルを下げますから、余計に感染しやすくなります。不安が大きくなると眠れなくなるとか、感染してないのに熱が出ることもあります。それで余計に心配になるという悪循環にはまり込んでしまいます。
そういう方にはしっかりと氣を受けてくださいとお話しています。
帯津:
毎日、何人が感染して、何人亡くなったと発表されますよね。亡くなられた方は本当にお気の毒ですが、これも不安をあおってしまいますね。
私の専門のがんですが、年間100万人以上の人が罹り 患かんします。死亡者は38万人くらいいます。一日当たりにすると、2800人くらいががんと診断され、1000人以上が亡くなっているわけです。
もし、テレビで毎日、今日のがんの罹患者数は3000人で1000人が亡くなりましたと発表したら、みなさんどう思うでしょうね。東京都は何人、大阪府は何人とか。不安と恐怖で大変なことになるのではないでしょうか。
インフルエンザでも毎年3000人以上が亡くなります。流行するのが冬場の3ヶ月だとして、それでも毎日30人以上が亡くなる計算になります。
毎日、これだけの人が亡くなりましたと言われたら怖くなりますよ。
新型コロナウイルスは未知のウイルスですから、慎重になって警戒を促すのも大切ですが、かからない人もいるし、治った人もいるし、軽症の人もいるといったことも、もっと報道しないといけないと思いますよ。
中川:
先生は毎月、「生きるも死ぬもあるがまま」という記事を書いてくださっていますが、いつも「なるほど」と思いながら読ませてもらっています。インフルエンザが流行しているときでも先生はマスクをしないそうですね。
帯津:
SARSが流行ったときでしたか、とてもお世話になった中国の方が亡くなりました。お葬式にはどうしても出たかったので、「これから中国へ行く」と言ったら、「こんな時期に行くことはないでしょう」と、みんなが反対しました。しかし、事情が事情ですから、次の機会にというわけにはいきません。「呼吸法をやっているから2日や3日は呼吸しなくて大丈夫だ」と言って反対を押し切りましたが、マスクを山ほどもたされました。中国へ着いてもマスクはしませんでした(笑)。
私は病院の医師にも看護師にも事務の人にも、「医療は格闘技なのだからマスクなんぞしていてはダメだ」と言ってきました。コロナの場合は、感染力が強い可能性もあるので、全面的にマスクを否定しませんが、あくまでも気持ちとして、どんな細菌でもウイルスでもかかってこいというくらいの迫力が必要です。医療者は感染予防には細心の注意をしつつ、気持ちの上では、立ち向かってほしいですね。医者が感染を怖がっておどおどしていては医療は成り立ちません。

<後略>

2020年4月22日 東京池袋・帯津三敬塾クリニックと神田・うなぎ久保田にて  構成/小原田泰久

著書の紹介

「ボケないヒント 認知症予防、わかってきたことこれからわかること」(帯津良一著) 祥伝社黄金文庫

           

5月「辻 信一」さん

辻信一

辻 信一(つじ・しんいち)さん

1952年生まれ。文化人類学者。明治学院大学国際学部元教授。ナマケモノ倶楽部世話人。環境=文化運動家として「キャンドルナイト」、「スローライフ」、「GNH」「しあわせの経済」などのキャンペーンを展開してきた。著書に『弱虫でいいんだよ』(ちくまプリマ―新書)『スロー・イズ・ビューティフル』(平凡社)『よきことはカタツムリのように』(春秋社)『アジアの叡智(DVDブックシリーズ)』(SOKEI)など。

『スロー、スモール、シンプルで危機を乗り越える』

もう一度、われわれの文化を見直すことが大切

中川:
先生の書かれた『よきことはカタツムリのように』(春秋社)という本を読ませていただきました。先生は20年以上も前から、スローな生活にシフトチェンジしたほうがいいと唱えておられます。
速いこと、強いこと、大きいことがいいとされる中で、スローライフと言ってもなかなか受け入れてもらえなかったと思います。2011年に東日本大震災、福島第一原発の事故があって、人の意識も少しは変わったと思いますが、今、新型コロナウイルスが世界中にパニックを引き起こしている中で、改めて先生のおっしゃっていることはとても大切だと感じました。
何がスローライフを提唱するきっかけになったのでしょうか。
辻:
スローライフという考え方のベースは自然生態系と調和した生き方ですが、そこに導かれていったのはやはり環境問題にぶつかったからです。ぼくは1977年から10数年間、カナダやアメリカで暮らしました。大自然の中でよくキャンプをしたこともありますが、インディアンと呼ばれる先住民族の人々に出会ったこと、また日系カナダ人の生物学者、デヴィッド・スズキとの出会いも大きかったですね。
彼は、ただ研究室にこもって遺伝学を研究するだけではなく、積極的に外へ出て、生態や環境が破壊されている現状を自分の目で見て、それをメディアを通して世界に発信してきた人です。カナダの公共放送CBCテレビの自然番組「ネイチャー・オブ・シングス」シリーズは、1979年に始まり、もう40年以上も続く人気長寿番組ですが、その中心人物がデヴィッドです。彼との出会いがきっかけになって、ぼくも環境運動に取り組むことになったのだと思います。
中川:
先生のご専門は文化人類学ですよね。
辻:
文化人類学の中でも、文化と自然、文化と環境問題の関係をテーマにしてきました。文化と環境とを別々のものだと考えないことが重要だと思っています。
中川:
今、環境破壊が世界中で問題になっていますが、文化と切り離しては考えられないということでしょうか。
辻:
文化というのは、人間が特定の生態系の中で生きてゆく上で、その生き方を律する土台、枠組みとしてあるはずなんですね。何百年、何千年もの試行錯誤の末に出来上がったその枠組みの中で、していいことやいけないことを学びながら生活してきたわけです。
でも現代は、どうでしょう。文化的な制約を取り払ってしまって、もう制御がきかなくなっていませんか。自分たちが生存の基盤である地球とその生態系が壊されつつあるというのに、ま、お金のためだから、経済のためだから仕方がないと言っている。科学技術を動員して、人間が自然界を徹底的にいじくりまわし、改造し、痛めつけてきたせいで、自然界は疲弊し、混乱している。その結果さまざまな問題が発生している。
文化という枠組みがなくなり、人々は限りなく自己の利益を最大化する自由を得た、その結果が環境破壊です。環境問題を何とかするには、もう一度、文化的な存在としての自分を思い出すことじゃないか。自分にとって幸せとは何か、生きがいは何か、本当に大切なことは何か、人生の意味は何か・・・。これらはどれも文化的な問いです。
歴史を振り返ったり、伝統から学ぶことも大切ですし、まだ世界のあちこちに、伝統的な価値観や世界観を今に伝えている先住民族の文化から学ぶこともできます。
中川:
これまでの人類の歴史を振り返っても、こんな時代はなかったのではないでしょうか。現代は科学技術が発達して、生活がとても便利になっていますが、科学技術だけでは環境問題は解決できそうにありませんね。
辻:
ぼくたちは画期的な時代に生きているのだと思いますよ(笑)。
有名なアインシュタインはこんなことを言っています。
「ある問題を引き起こしたのと同じマインドセットのままで、その問題を解決することはできない」
マインドセットというのは人の行動や思考を左右する心の習慣のことです。科学技術というマインドセットによってここまで環境が破壊されてきたわけですから、それと同じ考え方でこの問題は解決できないのです。

<後略>

著書の紹介

「よきことはカタツムリのように」辻 信一(緒)春秋社

           

4月「星 亮一」さん

星亮一

星 亮一(ほし・りょういち)さん

1935年仙台生まれ。東北大学文学部国史学科卒業。日本大学大学院総合社会情報研究科修士課程修了。福島民報記者、福島中央テレビ報道制作局長等を経て現在、歴史作家。著書に『幕末の会津藩』『斗南藩―「朝敵」会津藩士の苦難と再起』(以上、中公新書)『呪われた明治維新』(さくら舎)『偽りの明治維新』(だいわ文庫)などがある。

『最果ての地に追いやられ苦難の日々を送った会津人』

幕末、戊辰戦争で薩長を相手に勇猛果敢に戦った会津藩

中川:
みなさん、明治維新のことは学校の歴史で習ったと思います。日本が大きく動いた出来事でした。維新を成し遂げた人たちは、後世、ヒーローとしてもてはやされています。日本にとっては近代化の重要な節目ではありましたし、多くの人の輝かしい活躍もありました。しかし、実際には国内を二分する戦争だったわけで、勝者の栄光のドラマだけでなく、その陰ではたくさんの方たちがつらくて悲しい思いをしたはずです。そこになかなか意識が向かないのも現実です。
歴史は勝者の立場から見て語られます。負けた方の歴史は表に出てきません。
星さんは維新で敗者の側に立たされた会津藩の視点から何冊もの本を書かれています。『斗南藩~「朝敵」会津藩士たちの苦難と再起』(中公新書)というご著書を読ませていただきました。
NHKの大河ドラマ「八重の桜」(2013年)を見て、戊辰戦争での会津藩の悲惨な歴史には興味をもっていたのですが、星さんの本にはテレビでは描かれなかった会津の人たちの大変な苦労が書かれています。衝撃を受けました。
星:
斗南(となみ)藩というのは、戊辰戦争のあと、会津藩の人たちが朝敵の汚名を着せられて青森県の下北半島に流罪になり、そこで作った藩です。
とにかく人並の暮らしとは程遠い生活を強いられ、老人や子どもたちは飢えと病でばたばたと亡くなっていきました。それでも歯を食いしばって生きてきた会津の人たちに光を当てたい、と思って書いたものです。
中川:
星さんはもともとは仙台の生まれですが、どうして会津藩のことを書こうと思われたのですか。
星:
先祖代々仙台です。若いころに江戸へ行って12年間も砲術の勉強をし、仙台に帰って藩の砲術師範を務めた先祖もいます。自慢の先祖です。戊辰戦争では仙台藩は会津を支援、私の一族はこぞって参戦、白河で戦いました。敗因は武器の差でした。先祖は新式銃の導入を強く訴えたのですが、なかなか取り上げてもらえなかった。さぞかし無念だったでしょう。
父親の実家に行くと、土蔵の中に大筒とか火縄銃、洋式銃、鎧、兜、槍とかありました。火事になってみんな焼けてしまいましたけどね。
そんなことで、戊辰戦争とは無縁ではないのですが、本格的に会津藩と明治維新のことにかかわるようになったのは大学を出て福島民報社に入ってからです。地元の新聞社ですから、会津藩のこととか白虎隊のことを記事にする。調べたり勉強したりしているうちに会津藩のことに詳しくなって、興味も出てきて、いつの間にかライフワークになってしまいました。
中川:
相当調べないとこれだけの本は書けないと思いますね。
星:
斗南へもたびたび足を運びましたが、あまりにもひどい歴史なので触れないようにしてきたということもあって、最初はなかなか話してくれませんでした。会津藩は賊軍だから、ときの政権を批判するようなことを言うのは好ましくないという風潮もあったでしょう。でも、私は新聞記者ですから、たくさんの会津人の末裔の方に会って話を聞き、資料を調べたりするうち、いろいろなことがわかってきました。中には、最初は口が重くてなかなか話してくれなくても、少しずつ話すうちに「かわいそうだ、かわいそうだ」といって突然、泣き伏す人もいました。地べたに手をついてオンオン泣くのです。いかに無念であったかという事でしょう。胸が締め付けられました。
中川:
そうでしたか。戊辰戦争は会津にとっては屈辱の歴史ですからね。
星:
戊辰戦争というのは慶応4年(1868年)正月の鳥羽伏見の戦いから、上野戦争、越後戦争、会津戊辰戦争と続き、明治2年(1869年)の箱はこ館だて戦争で終了する内戦です。会津藩は鳥羽伏見の戦いから長州や薩摩と敵対し、会津戊辰戦争で敗れるまで勇猛果敢に戦い続けました。
幕末、会津藩主の松平容かた保もりは幕府に頼まれて京都守護職になりました。そのときの将軍は15代慶よし喜のぶです。慶喜は鳥羽伏見の戦いでは敵前逃亡をしたりして、あまり評判は良くありません。会津藩に藩祖保ほし科な 正まさ之ゆきは徳川家康の孫、三代将軍家光に実弟ですから幕府そのものでした。それで会津藩は幕府に忠義を尽くすわけです。
容保はとても真面目な人でしたから孝明天皇からも信頼されていました。元治元年(1864年)に長州軍が御所に攻め込みました。いわゆる「禁門の変」です。「蛤はまぐり御ご 門もんの変」とも呼ばれています。
このとき会津藩は薩摩藩とともに長州藩を撃退しました。このときに孝明天皇から宸しん翰かんと呼ばれる天皇直筆の文書を受け取りました。つまり、このときの朝敵は長州藩です。しかし、孝明天皇が謎の死を遂げ、長州と薩摩が手を結び、いつの間にやら会津藩は朝敵にされてしまいました。西郷隆盛とか大久保利通らは戦いに長けていましたから、会津藩ではとても太刀打ちできません。武器の差もあり、会津藩は会津戊辰戦争で玉砕しました。以来ずっと朝敵、逆賊の汚名を着せられてきました。生真面目、一本気な会津人にとっては、それが耐えられない苦しみだったと思います。
中川:
最初のうちは奥羽諸藩や越後が味方してくれましたが、やがては孤立無援の状態になってしまいましたよね。どこかで和解ができなかったのでしょうか。
星:
薩長にとって和解という選択はありませんでした。徹底的に叩こうとしました。そうしないと革命は成立しません。その標的に会津がなったわけです。
仙台藩は東北の雄藩です。京都できな臭いことが起こっているときに動くべきだったと思いますよ。もし、あの時代に伊達政宗がいたら1000人くらいの兵を率いて京に上って、会津と薩長の間に割って入りましたよ。そうすれば、あんなひどい結末にはならなかったでしょう。政宗のようなスーパースターがいなかったのは残念ですね。

<後略>

2020年2月7日 福島県郡山市のホテルロビーにて 構成/小原田泰久

著書の紹介

斗南藩―「朝敵」会津藩士たちの苦難と再起  星 亮一(著)  (中公新書)

           

3月「髙信 幸男」さん

髙信幸男

髙信 幸男(たかのぶ・ゆきお)さん

1956年茨城県大子町生まれ。水戸、札幌、さいたま、甲府、東京、横浜の法務局に勤務し、2017年(平成29年)に退官する。高校時代から名字の研究をし、名字の由来やエピソードを本に書いたり、講演会等で発表している。多くのテレビやラジオの番組にも出演している。主な著書『難読稀姓辞典』『名字歳時記』(日本加除出版)『トク盛り「名字」丼』(柏書房)など。

『すべての名字に ご先祖様の思いがのっている』

四月一日と書いて 「わたぬき」さん。 小鳥遊で「たかなし」さん

中川:
茨城にお住いの私どもの会員さんが、髙信先生の講演をお聞きしてとてもいいお話だったので対談してみてはいかがですかとすすめてくださいました。さっそく先生の書かれた『トク盛り「名字」丼』(柏書房)を読ませていただきました。面白かったですね。名字がこれほど奥深いものとは思いませんでした。
髙信:
ありがとうございます。私は16歳のときに名字に興味をもちましてね。以来、半世紀近く名字を研究しています。珍しい名字は限りなくあって、珍名を探すのは昆虫や植物の新種を追いかけるのと同じですよ。この名字のルーツは何だろうとか、興味は広がっていくし、終わりのない研究ですね(笑)。
中川:
16歳のときに名字に興味をもたれたのですか。髙信さんはもともと法務局に勤める国家公務員で、今は司法書士をしておられるので、その関係で名字研究を始めたのだと思っていましたよ。
髙信:
法務局は戸籍や不動産登記に関する業務を行っていますから仕事絡みで名字に興味をもったと思われますが、そうじゃないんですね。仕事と名字研究とはたまたまの縁でしかありません。
中川:
16歳というと高校生ですが、どんなきっかけで名字に興味をもたれたのですか。
髙信:
私が生まれたのは茨城県北部の大だい子ご 町という福島県や栃木県と接する小さな町です。かつては人口4 万2 0 0 0 人くらいの町だったのですが、今は1万5000人ほどに減りました。
日本三大名瀑の一つである袋田の滝が有名ですが、私の生家は滝の上、源流にありました。とんでもないところでしょ(笑)。
中川:
滝の上ですか?
髙信:
そうですよ。観光客は下から滝を見上げていますが、断崖絶壁の上に家があるなんてだれも想像しないと思います(笑)。ここで生まれなければ名字の研究などやってなかったでしょうね。
中学校のとき、生徒が360人くらいいましたが、名字は30くらいしかありませんでした。みんなが同じ名字で下の名前で呼び合っていました。そのころは、名字の数はそんなにないと思っていました。
高校に入ってびっくりしました。50人のクラスで45の名字があったんですね。みんな名字がバラバラ。こんなに名字ってあるの? と思って、電話帳で町の名字を調べ始めました。意外に多くて数百種類はあったかな。小さな田舎町でこんなにあるなら日本全国ではどれくらいあるだろうと興味が湧いてきて、電話帳を丹念に見るようになりました。
中川:
それで珍名さんに出あうんですね。
髙信:
あるとき電話帳で「四月一日」という名字を見つけました。最初は、どうしてこんなところに日付があるのだろうと不思議に思いました。でもよく見ると名字らしい。それも渡辺さんが並んでいるあとにポツンとあるんですね。なんて読むのだろう?
俄然、興味が湧いてきました。疑問に思うとすぐに解明したくなるたちで、すぐにそこに出ている電話番号に電話をしてみました。そしたら「わたぬきです」と電話に出られたんです。四月一日と書いて「わたぬき」と読むんだ。私にしてみればとんでもない発見をした気分でした。すぐにどうしてそんな読み方をするのですかと質問しました。先方は迷惑がらずにていねいに答えてくれました。
中川:
確かに四月一日という名字があるとは思わないし、だれも「わたぬき」なんて読めないですよね。
髙信:
由来を聞いて、こんなふうに名字がつけられることがあるんだとまたまたびっくりしました。4月になると綿入れから綿を抜いたからというのが理由の、トンチのきいた名字なんですね。それでますます興味が出てきたというわけです。
中川:
名字をつけるにも遊び心があったんですね。「小鳥遊」と書いて「たかなし」と読ませる名字もあるそうですね。
髙信:
1872年(明治5年)に全国的な戸籍制度(壬申戸籍)ができ、1875年(明治8年)には全国民が戸籍に名字を登録しなければならなくなりました。そのときに、先祖から伝わった名字をそのまま役所に届けを出すのではつまらないと考えた人がいたようです。
「たかなし」さんもその1人で、もともとは「高梨」と書いていましたが、高梨を「鷹無」と書き換え、さらに鷹がいなければ小鳥が自由に遊べるということで「小鳥遊」と書いて「たかなし」と読ませたようです。こんなユニークな発想で名字をつけるのは日本人くらいです。
中川:
世界でも日本の名字の数は特に多いそうですね。
髙信:
お隣の中国は人口が14億人もいるのに名字の数は4000種類程度、韓国は約5000万人の人口に対して名字の数が500くらいです。日本は約13万種類もの名字があるんですね。佐藤、鈴木、高橋がベストスリーで、ベスト10だけで日本の人口の1割を占めますが、たった1軒だけだとか数軒しかない名字がたくさんあります。

<攻略>

2020年1月 22日 茨城県水戸市の髙信幸男さんのご自宅にて 構成/小原田泰久

著書の紹介

日本全国歩いた! 調べた! トク盛り「名字」丼 髙信幸男 緒 (柏書房)

           

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