2014年 - 氣のリラクゼーション SHINKIKO |真氣光

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12月 「山口 創」さん

山口 創(やまぐち はじめ)さん

1967年静岡県生まれ。早稲田大学大学院人間科学研究科博士課程修了。現在、桜美林大学教授。専攻は健康心理学・身体心理学。スキンシップの大切さなど、心と体の癒しをテーマに研究している。主な著書に「愛撫・人の心に触れる力」(NHKブックス)「幸せになる脳はだっこで育つ。」(廣済堂出版)「手の治癒力」(草思社)など多数。

『手には治癒力がある。鍵はオキシトシンというホルモン』

心が体に影響を与える場合もあれば、その逆もある

中川:
日本ホリスティック医学協会の情報誌「HOLISTIC NewsLetter」で、山口先生の講演要旨を読ませていただいて、とても興味をもちました。「手の治癒力」という演題でしたが、私どもは氣功をやっていますので、手に治癒力があると聞くと、自分たちがやっていることが裏付けられたような気がしてうれしくなります。昔から、治療や癒しを「手当て」と言いますから、手の治癒力というのは感覚的にはとらえられていたのでしょうが、それが理論として説明できれば、薬だけに頼らずに、手の力をもっと活用しようという人がさらに増えるのではと思います。
先生は、心理学がご専門ですよね。心理学と言うと、心のことを研究する学問ですが、手の治癒力とどう結びつくのか、そのあたりからお話いただけますか。
山口:
講演要旨を読んでいただき、ありがとうございます。私の専門は健康心理学です。一番新しい心理学です。大学として講座をもっているのは2校だけです。桜美林大学と大阪人間科学大学ですね。これは、健康な人がストレスを感じたときそれをどう回復させていくか、あるいはもっと幸福で充実感をもって生きるにはどうしたらいいかということを考えていく学問です。
アメリカではとても注目されていて、認知度も高いのですが、日本ではまだまだですね。
中川:
私も初めて聞きます。もともと、身体心理学という分野から始められたそうですが、身体心理学というのも、あまり耳慣れない学問ですが。
山口:
心理学の中の一分野として確立されたものではないのですが、体の方から心を見ていくという考え方で研究活動をしているものです。心理学というと、心だけを追求する学問で、体のことはあまり考えません。ストレスによって胃潰瘍になるといったように、心の状態が体に影響を与えるというのは、心と体の関係としてずっと語られてきました。しかし、その逆もあるのではということから、身体心理学は始まっています。東洋的な思想では、「身心一如」と言って、心と体は分けて考えられないわけで、心が体に影響を及ぼすこともあれば、逆に体が心に影響を与えることもあるはずです。
19世紀後半に、ウイリアム・ジェームズという心理学の大家が、「我々は悲しいから泣くのではなくて、泣くから悲しくなるのだ」と言いました。泣くという身体変化が悲しいという心を生み出すというわけです。その時代には、それを証明する手段がなかったのですぐに否定されてしまいましたが、最近では、体を動かしたときにどのような変化が脳に伝わり、心がどのように変わっていくかというメカニズムが次々と明らかになってきたのです。
中川:
心というのはなかなか思うようにコントロールできませんが、体から入れば、心のコントロールもしやすいかもしれませんね。笑顔でいれば心も晴れてくるといったような、そういう解釈でいいのでしょうか。
山口:
その通りですね。姿勢もそうですね。自分の意志で姿勢を変えると、心に変化が出てくるという実験結果も出ています。
中川:
以前に対談した禅宗の枡野俊明さんも、所作を整えることで、言葉が変わり、心が豊かになるとおっしゃっていました。たとえば、礼服を着れば、背筋がピンと伸びて、心もシャキッとしますよね。ジャージ姿でソファに横になっているときとは心の状態も変わってきます。
ところで、体と心の関係で、手の治癒力というのは、どうかかわってくるものなのでしょうか。
山口:
身体心理学という学問の中で、私がとても興味をもってかかわっているのが「人に触れる」という行為です。人に触れる、あるいは触れられるというのは、まさに体に働きかける行為なので、8体から心を変えるアプローチの一つなのです。たとえばマッサージをしてもらうと、とても気持ち良くて、心もリラックスしますよね。手で触るというのは、人の根源的なところに浸み込んでいく力があります。辛い思いをしているとき、ハグされたり、手で背中をなでてもらうと、とても勇気づけられます。相手の心に働きかける不思議な力を手はもっているのです。もっともっと活用した方がいいと、私は思っています。

<後略>

(2014年10月1日 東京都町田市・桜美林大学にて 構成 小原田泰久)

著書の紹介

「手の治癒力」 山口 創 著 (草思社)

           

11月 「田口 ランディ」さん

田口 ランディ(たぐち らんでぃ)さん

1959年東京生まれ。作家。2000年に初の長編小説「コンセント」でデビュー。2001年「できればムカつかずに生きたい」で第1回婦人公論文芸賞を授賞。近年は、福祉や医療、原発、水俣問題をはじめとする現代社会が抱える問題や宗教、精神、生死などをテーマに、小説やノンフィクションを執筆。著書に、「アンテナ」「モザイク」(新潮文庫)「富士山」「ドリームタイム」「被爆のマリア」(文春文庫)「キュア」(朝日文庫)「サンカーラ」(新潮社)「座禅ガール」(祥伝社)などがある。

『人間の奥底にある霊的なものはものすごく傷ついています』

兄が引きこもりの末にアパートの一室で餓死した

中川:
はじめまして。ランディさんとは初めてお会いするわけですが、ご著書を拝見していると、共通の知り合いがいたり、ランディさんの関心が、私ども真氣光が伝えようとしていることと重なっているところがあったりして、失礼ながら、すごく親しみを感じてしまいます。
ランディさんは、この月刊ハイゲンキに連載してくださっている帯津良一先生ともお知り合いだし、以前に対談に出ていただいた佐藤初女先生とも親しくされています。それに、「アルカナシカ」(角川学芸出版)という本には、無農薬リンゴの木村秋則さんも登場してきますしね。私も、木村さんとは2度対談させていただいています。リンゴ園にもおうかがいしましたし、私どものセンターに講演に来ていただいたこともあります。まだまだ木村さんがこんなにも有名じゃないときですけどね。
ランディさんは、UFOや霊的なことなど、見えない世界にも非常にお詳しいし、原発や原爆の問題にも触れておられますよね。
今日は、いろいろな話がお聞きできそうで、楽しみにして参りました。
田口:
こちらこそ、よろしくお願いします。木村さんですが、私は、彼の自然栽培塾に通っていたんですよ。石川県の能登までね。羽咋(はくい)市に高野誠鮮(じょうせん)さんという方がいます。彼は、もともと東京でUFO関係のテレビ番組を作っていたのですが、実家のお寺を継ぐために羽咋へ帰り、市長が高校の同級生だったこともあって、市役所に入って地域興しに貢献するようになった方です。NASAやロシアから宇宙船の現物を買い付けてきて、「宇宙科学博物館コスモアイル羽咋」を作りました。また、限界集落の復興なんかもやっています。
その高野さんが、羽咋で農協を巻き込んで自然栽培をしたいということで、木村さんを呼んで自然栽培塾を開催しました。これまでの常識だと、農協が自然栽培をするというのはあり得ないことですよ。高野さんから、その取材をしてみないかと誘われて、自然栽培塾に通うことになりました。
中川:
能登の自然栽培の動きと一緒に、木村さんのUFO体験を取材されたわけですね。自然栽培とUFOとどういうつながりがあるのか、とても興味深いですね。
ところで、ランディさんが、作家になり、見えない世界に興味をもたれたというのは、どういうことがきっかけだったのですか?
田口:
作家になるひとつのきっかけは、兄が引きこもりを20年くらいしていて、その兄が、最終的に引きこもりの末にアパートの一室で餓死をしたことですね。1995年ですから、世の中はとても豊かだし、引きこもった兄が何も食べずに亡くなったのは、私にとっては、大変な衝撃でした。
兄が引きこもりになった原因としては、父との関係がありました。父は、お酒を飲んだり、気に入らないことがあると、急に逆上して暴れたりする人でした。専門家に診断してもらえば、境界性人格障害という病名がつくかもしれません。
子どもたちは、なぜ怒られているのか、なぜ機嫌が悪いかわからないので、混乱するわけです。私は、兄よりも8つ年下で、父が年を取ってからの子どもだったし、女の子だったので父に殴られた記憶はありませんが、兄はよく暴力を振るわれていました。
そのせいか、兄は中学時代から内気で引っ込み思案で、就職しても転職を繰り返して、だんだんと家に引きこもるようになりました。
父は働き者でしたから、家でぶらぶらしている兄が許せなかったんですね。それでまたぶつかるわけです。今考えると、兄は怠け者だったということではなく、働こうにも働けなかったのだと思います。それこそ、氣がだだ漏れ状態でね。
中川:
そうですか。そのころランディさんは?
田口:
私は東京で広告関係のプロダクションを経営していました。私は、兄のような人はカウンセリングを受けさせる必要があると思い、説得して東京へ出て来させました。そして、私が仕事場にしていたアパートに住まわせました。それが1993年か4年ごろのことですね。
1995年は、1月には阪神淡路大震災があり、3月には地下鉄サリン事件がありました。世の中が揺れていて、自分も揺れていて、すごく嫌な年でしたね。
その6月、兄が突然、アパートから姿を消しました。お金もないのにどうしたのかなと思って家に電話をしたら、少し前に兄から父に連絡があって、今度こそ自立するからお金を貸してくれと言ってきたそうなんですね。ぜったいにお金は渡さないでねと言っておいたのに、父は100万円を、手切れ金だと言って渡したと言うのです。お金が手に入ったからどこかへ行ってしまったんですね。そのお金をもとに、部屋を借りて、アルバイトを探して、自分で生活できるようになればいいなと思っていましたが、8月1日、アパートの一室で餓死しているのが発見されたという連絡が入りました。

<後略>

(2014年9月18日 神奈川県足柄下町湯河原町の田口ランディさんの仕事場にて 構成 小原田泰久)

著書の紹介

「座禅ガール」 田口ランディ 著 (祥伝社)

           

10月 「枡野 俊明」さん

枡野 俊明(ますの しゅんみょう)さん

1953年神奈川県生まれ。曹洞宗徳雄山建功寺住職、庭園デザイナー、多摩美術大学環境デザイン学科教授。玉川大学農学部卒業後、大本山總持寺で修行。禅の思想と日本の伝統文化に根ざした「禅の庭」の創作活動を行い、国内外から高い評価を得る。2006年「ニューズウイーク」誌日本版にて「世界が尊敬する日本人100人」にも選出される。カナダ大使館、セルリアンタワー東急ホテル日本庭園、ベルリン日本庭園などをデザイン。著書は「心配事の9割は起こらない」(三笠書房)「禅が教えてくれる美しい人をつくる「所作」の基本」(幻冬舎)など多数。

『無駄なものをそぎ落とせば心配や不安が消えていく』

所作を整えることで、言葉が変わり、心も豊かになる

中川:
ご住職の「心配事の9割は起こらない」(三笠書房)という本を拝見しまして、まずタイトルにひかれて買ったのですが、内容もとてもすばらしくて、ぜひお目にかかりたいと思っていました。そしたら、ご住職が書かれた「禅が教えてくれる 美しい人をつくる『所作』の基本」(幻冬舎)という本を家内がすでに買っていたみたいで、家の本棚にあったので、それも読ませていただきました。この本にも感銘を受けました。デザイナーの芦田淳先生の推薦文が帯に書かれていますよね。芦田先生の書かれている本を何冊か読んだことがあり、お人柄には惹かれておりました。
枡野:
ありがとうございます。私は、芦田先生とはまったく面識がなかったのですが、先生がこの本をとても気に入ってくださいまして、社員の方全員に配ってくださったそうなのです。それがきっかけで、芦田先生のお宅におうかがいしました。縁というのは不思議なものです。
中川:
「所作」という言葉は日本的でとてもいい響きですよね。今は、日本人が脈々と受け継いできた伝統が西欧化によって失われつつあると思います。日本人がずっと大切にしてきた所作を見直すことで、日本人の心も取り戻せるのではないでしょうか。
枡野:
私は禅宗の僧侶ですから坐禅をしますが、坐禅というのはとらわれない心を得るためにやります。心を整えるためには、ルールがあります。三さん業ごうを整えるといいます。
最初の整えるのが、身しん業ごうです。これが、所作なんですね。心を整えるといってもどうしていいかわかりません。心を整えるためには、正しく体を動し、折り目正しい生き方をして、一つひとつのことを心を込めてやっていくことを心がけます。そうすると、不思議と出てくる言葉もていねいになって、雑な言葉が出なくなります。所作と言葉はリンクしています。所作が整っていると、そこから出てくる言葉もきちんとしてきます。それを口く業ごうといいます。
身体の動きが整い、言葉が整えば、心が整います。それを意い業ごうといいます。心を整えてくださいというと何をしていいかわかりませんが、所作を整えると、連動して言葉が整い、所作と言葉が整えば、心も整ってきます。
中川:
確かに、服装ひとつでも気持ちが変わりますね。服装だけでなく、朝起きたら手を合わせてみるとか、自然を感じながらゆっくりと歩くとか、背筋を伸ばすとか、深い呼吸を心がけるとか、そんなことでも、心は変わります。受験生も、はちまきをするとやる気が出たりしますしね(笑)。
枡野:
そうなんですね。サラリーマンの方は、昔は夏でもネクタイをしていましたですね。今は省エネルックということでノーネクタイの方が増えましたが、ノーネクタイだと心がしまらないと言う人は多いのではないですか。ネクタイをキュッとしめると、仕事をするというモードになるのでしょうね。たかがネクタイ、されどネクタイですね。
中川:
私ももともとはサラリーマンでしたから、その気持ちはわかります。確かに、形から入ると、気持ちも変わりますね。でも、今は、形ばかりが優先されている風潮があると思います。心の大切さが、どこかへ置き去りにされているように思えてなりません。
枡野:
心の問題というのは、形がないものですから、見える部分だけが重要視されてしまいがちですね。きれいな服を着るとか、ブランドのバッグをもつとかといったことばかりに目がいってしまってます。そこが終着点になってしまって、心をきれいにしていくということが、欠落しがちですね。しかし、いくらブランド品で着飾っていても、心が曇っていると、必ずそれは表に出てきてしまいます。形をしっかりと整えることで心が磨かれ、磨かれた内面が外見も輝かせる。そうなると一番いいのですが。

<後略>

(2014年8月5日 横浜市鶴見区の曹洞宗徳雄山建功寺にて 構成 小原田泰久)

著書の紹介

「心配事の9割は起こらない」 枡野 俊明 著 (三笠書房)
「日本人はなぜ美しいのか」 枡野 俊明 著 (幻冬舎新書)

           

9月 「やました ひでこ」さん

やました ひでこ(やました ひでこ)さん

東京都出身。早稲田大学卒。学生時代に出あった沖ヨガの行法哲学「断行・捨行・離行」に着想を得た「断捨離」を、日常の「片づけ」に落とし込み応用提唱、誰もが実践可能な自己探訪メソッドを構築。全国各地でセミナー、講演をするほか、新聞、雑誌、テレビ、ラジオ等、さまざまなメディアでも精力的に発信をしている。著書は、「断捨離」「俯瞰力」「自在力」(ともにマガジンハウス)「伝説のヨガマスターが教えてくれた究極の生きる智慧」(龍村修先生との共著 PHP)「捨てる勇気」(大和出版)など多数、ミリオンセラー作家でもある。

『断捨離で、心地よい快適な氣の環境を演出する』

タンスに着ない洋服がたくさんあるという話にはっとした

中川:
やましたさんが出された「断捨離」という本が大ベストセラーになって、家を片づけることの大切さがずいぶんと浸透したと思います。でも、断捨離は、もともとはヨガで言われてきたものだそうですね。やましたさんは、ヨガを長くやっておられたし、驚くことに、真氣光の研修講座が下田の沖ヨガ道場で行われていたとき、参加されたそうですね。調べてみたのですが、やましたさんが参加されたのは92年でしたね。
やました:
それくらいになるかもしれませんね。あのときに連れて行った小学生の子どもが30歳になりましたから。私は、もともと沖ヨガを学んでいて、下田の道場は何度も行ったところです。そこで氣の合宿が行われているのを知り、懐かしさもあり、とても興味があったので参加させていただきました。
中川:
実は、私も92 年に受講しています。そのころは電機会社のサラリーマンで、ストレスで体調を崩したので参加してみました。
やました:
汚い道場でびっくりしたのではないですか? 私は、ヨガの研修に行くたびに、龍村先生にもきれいにした方がいいですよと言っていたくらいですから(笑)。
中川:
せんべい布団でしたしね(笑)。
やました:
はい。私は慣れていたからいいけど、初めての人は氣どころではなかったかもしれませんね(笑)。
中川:
道場が汚かったのと、断捨離とは関係あるんですか?
やました:
あるようなないような(笑)。断捨離というのは、ヨガの行である「断行」「捨行」「離行」からくるもので、断行=執着を断つ、捨行=執着捨てる、離行=執着から離れる、ということです。私は大学4年のときに沖ヨガに出あって、以来、ずっとヨガをやっていますが、自分には、執着を断つことも捨てることも離れることもとても無理だと思って、しばらくは、なるべく考えないようにしていました。
断捨離についてはっと思ったのは、沖正弘先生が亡くなって、お葬式から帰るときでした。沖ヨガの先輩と一緒に帰ったのですが、そのときに、断行、捨行、離行の話になって、私にはできませんよという話をしたのを覚えています。何しろ、執着だらけですから。
そのときに、先輩の先生が、家のタンスの中も着ない服でいっぱいだものと言われてハッとしました。女性は、着る服がないとよく言いますが、タンスの中を見ると、たくさんの服がしまってあります。それでも、心の中ではないと思っている。つまり、それは、着る服がないのではなく、「着たい服」がないということです。逆に言うなら、「着たくない服」がいっぱいあるわけです。どうして着たくない服がたくさんあるのだろうか。
そんな疑問が頭から消えませんでした。だれかにもらったとか、いつか着るだろうとか、そんな理由で、好きでもない、着ることもない服がたくさん眠っているのです。関係が終わっているのに元カレや元カノにずっと未練をもっているようなものです。
心の中の執着というのは、目に見えなくてつかみどころがないけど、こんなところに証拠品があるじゃないかという発見があったのです。そこから、断捨離と片づけがつながっていきました。
中川:
沖ヨガは生活ヨガとも言われています。道場で習ったことは生活の中で役立てていくという教えですよね。やましたさんの場合は、断捨離を片付けという形で生活の中に取り入れたわけですね。
やました:
でも、時間はかかりましたね。まずは、断行、捨行、離行のことは知っていたけれど、知識として知っていただけだったのだということに気づきました。それを生活の中で実践しようとすれば大変なことになるので、無意識に封印していたのだと思います。10年20年と右往左往してきて、30年たってやっと人に伝えられるようになったかなということでしょうか。
中川:
頭ではわかっていてもそれを実践するとなると、なかなか大変ですよ。私なんかも、長く真氣光をやっていますが、頭ではわかっているんだけどという部分は、まだまだ多いですよ。知識を一つひとつ、生活の中に落とし込んでいくのが修行ですね。知識のまま終わらせてしまうと、わかったつもりになっているだけで、魂が成長していきません。私どもは、やましたさんが参加してくださった研修講座を、今もずっと続けていますが、そこで学んだことを日常の中にどう生かしていけるかが大切なんだと、いつもお話させてもらっています。
やました:
学校で言えば、部活動と同じだって私は言っています。テニス部なら、知識としてラケットの振り方を習ったら、次は実際にコートに出て振ってみないことには、テニスはうまくなりません。できるできないではなく、やるしかないんですね。やらないことには本当のトレーニングになりません。

<後略>

(2014年7月10日 東京日比谷松本楼にて 構成 小原田泰久)

著書の紹介

「捨てる勇気! あなたの日常にも新陳代謝を」 やましたひでこ 著 大和出版

           

8月 「髙橋 史朗」さん

髙橋 史朗(たかはし しろう)さん

昭和25年兵庫県生まれ。早稲田大学大学院修了後、スタンフォード大学フーバー研究所客員研究員に。政府の臨教審専門委員、少子化対策重点戦略検討会議分科会委員、自治省の青少年健全育成調査研究委員会座長、埼玉県教育委員長などを歴任。現在、明星大学教授、内閣府の男女共同参画会議議員、一般財団法人親学推進協会会長などを務める。著書に「歴史の喪失」(総合法令出版)「日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと」(致知出版社)など。

『日本の真の姿を知って、日本人が自信と誇りを取り戻すために』

アメリカへ留学し、占領軍の資料を 片っ端から調べた

中川:
先月号の「行動派たちの新世紀」で、髙橋先生のことを紹介させていただきました。その記事では、親としてどう生きればいいのかという「親学」のお話が中心でしたが、先生は、もともと歴史がご専門で、戦後のアメリカの占領政策が日本人の意識を大きく変えてしまったとおっしゃっています。今回の対談では、そのあたりのお話をお聞きしたいと思っておうかがいしました。
最近、『日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと』(致知出版)を出されましたね。250万ページもの占領文書を読まれて研究されたそうですね。
髙橋:
私が30歳のときですが、新聞に「アメリカで陸軍と海軍の文書が25年、30年たつと公開される」という記事が載りました。私は、その記事を読んで、アメリカへ行って、公開されている陸軍、海軍の文書を読めば、占領時代の隠された事実がわかるのではないかと、メリーランド州立大学の大学院に留学しました。
中川:
占領文書に興味をもったというのは、なにかきっかけでもあったのですか?
髙橋:
いくつか理由がありました。戦前の人たちは、教育勅語で育ってきたわけです。教育の柱として教育勅語がありましたから。ところが、戦後になると、教育勅語は、まるで軍国主義の元凶のように思われるようになりました。180度、評価が変わってしまったのです。それを決めたのは、教育勅語で育ってきた国会議員たちです。どうして、教育勅語が全会一致で否決されてしまったのだろうという疑問の答えを見つけたかったというのがひとつです。
中川:
教育勅語には、私もとても興味があります。明治天皇が、人が人として生きていくために必要な心得として著わしたものだと聞いてます。内容も、親孝行をしましょうとか、兄弟姉妹は仲良くしましょうとか、夫婦は仲良く、友だちは信じ合って付き合いましょうとか、とても大切なことが書かれていて、どうして軍国主義につながっていくのか、理解できません。先生が言われるように、それが廃止されてしまって、悪い教えのように思われるのはどうしてか、私も疑問を感じます。この話は、あとで詳しくお聞きするとして、ほかの理由も教えてください。
髙橋:
その通りですね。そして、3つ目の理由が、大学時代の経験ですね。私は、大学紛争の時代に大学に行きました。東大の入試がなかったし、東京教育大学の入試も一部中止になったころです。私は早稲田に入りましたが、入学式の翌日から、無期限バリケードストライキになりました。6ヶ月授業がなかったのです。兵庫県から東京へ出てきて、勉学を楽しみにしていたのに、無期限のストライキです。授業が始まっても、学生運動の活動家がやってきて、先生を追及して、授業が成り立ちません。内ゲバもありました。そんな中、学内で一人の学生が殺されるという事件がありました。すごくショックでした。どうして、日本人同士が殺し合いをしなければならないのか。我々は戦後教育で民主主義と平和教育を学んできたはずなのに、どこに平和があるんだ。民主主義は相手を尊重することじゃないのか。大学には、平和も民主主義もない。どうしてそんなことになってしまったのか。そんな憤りで胸がいっぱいになりました。戦後という時代に、私たちが学んできたことには嘘がある。占領文書で日本とアメリカがどんな議論をしたか残されているはずだ。どういう思想の戦いがあったのか、それを研究してみたい。学生時代に、そういう気持ちになりました。
中川:
きっと、突き動かされるような思いがあったのでしょうね。それで、先生はアメリカに渡ったということですが、いくら公開されたとは言え、膨大な量の資料の中から、必要なものを探すのは大変なことだったのではないですか。
髙橋:
占領軍の担当官の名前が書いてある段ボールが乱雑に置いてあるだけで、体系的に整理されていません。とにかく、手当り次第に調べるしかありませんでした。2年半、まったく資料は見つかりませんでした。このまま見つかりませんでしたと日本に帰るわけにはいきません。それで、女房を先に帰国させ、インスタントラーメンと乾燥ワカメとシイタケばかりを食べて、人とも会わずに文書探しに専念しました。腹をくくると集中力が高まるのでしょうか、直感で探し求めていた資料に行き着いたりしました。最後の半年の間に、今回本にしたような重要な文書を見つけることができました。当時、年間にコピーできる枚数は100枚に限られていましたので、私はひたすら筆写しました。それが、段ボール10箱以上にもなりました。
中川:
いやあ、すごい執念ですね。でも、腹をくくると直観力が増すというのはわかります。心に強い決意をもつと、氣が満ちてきますからね。氣が満ちてくると、まわりからいろいろな応援がやってきます。たぶん、先生に歴史の真実を突き止めてほしいというエネルギーもあったと思います。先生が腹をくくったことで、そういうエネルギーがサポートしてくれたという部分もあるかと思いますね。

<後略>

(2014年6月11日 明星大学、日野キャンパスにて 構成 小原田泰久)

著書の紹介

「日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと」
髙橋 史朗 著 (致知出版社)

           

7月 「金山 秋男」さん

金山 秋男(かねや まあきお)さん

1948年栃木県生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。専攻は死生学、宗教民俗学。明治大学法学部教授、明治大学死生学・基層文化研究所代表、明治大学野生の科学研究所副所長、国際熊野学会副代表。著書に『歎異抄』(致知出版社)『古典にみる日本人の生と死』(共著・笠間書店)『生と死の図像学』(共著・至文堂)などがある

『日本人独特の死生観。その根底にあるのは魂の信仰』

日本人の死生観を知りたくて、沖縄や熊野へ行くようになった

中川:
先日は、沖縄センターまでお越しいただき、ありがとうございました。あのときは、ごあいさつ程度しかできませんでしたが、今日は、ゆっくりと、先生のご専門である死生学についてお聞きしたいと思っています。先生がセンターへ来てくださったのは、アウエハント静子さんのご紹介でしたよね。
金山:
直接先生のもとへお連れいただいたのは石嶺えりさんです。彼女も熱心に真氣光の道を歩んでおられて、ちょうど先生が沖縄に来ておられるから是非会ってみてということで。静子さんとは数年前からのご縁で、明治大学が行っている社会人向けのリバティアカデミーという教養・文化講座の講師をお願いしたこともあります。スピリチュアルなお話、いろいろと聞かせていただいています。彼女も、真氣光とは、ずいぶんと古いご縁だとお聞きしましたが。
中川:
先代が初めてヨーロッパへ行ったころですから、25 年くらい前からのご縁ですね。通訳をやってくださったり、いろんな方をご紹介くださったり、ずいぶんとお世話になりました。今回も、こうやって先生とのすばらしいご縁を作ってくださって、ありがたいですね。ところで、先生のご専門の死生学ですが、そういう学問というのは古くからあったのですか?
金山:
学問として意識されてくるのは90年代でしょうか。それまでも英語でサナトロジーと言い、どう死ぬかということをテーマにした死学というのはありましたけどね。がんで亡くなった千葉敦子さんというジャーナリストに、『よく死ぬということはよく生きることだ』という著書がありますが、それがとても印象に残りました。以来、死ぬことと生きることとの関係をずっと考えてきました。それを死生学という名前で呼んで、8年ほど前に、死生学研究所というのを作りました。ですから、まだ学問体系として整っているものではありません。
中川:
どうして先生は死のことを考えるようになったのでしょう。あまり、死のことは考えたくないというのが普通じゃないですか。
金山:
私は、死生学をやる前は英文学をやっていました。ところが、30代半ばで神経症になりまして、自分の首を吊る枝ぶりを探して歩いている時期がありました。以前に、夏目漱石の『行人』という小説を読んでおりましてその中で、主人公の一郎が、人生の出口は三つしかないと言っているんですね。ひとつは死ぬこと、それから狂うこと、三っつめが門を叩くことだって言うわけですよ。狂い死ぬのはきついなと思って、私は門を叩くことを選び、横浜の鶴見にある總持寺の門を叩き、坐禅を組むようになりました。それが縁で、道元禅師のことを勉強するようになりましたが、これが難しい。『正法眼蔵』にはとても歯が立たず、そのまわりをグルグルと回っていました。どこかとっかかりがないかと入口を求め続けて、5~6年たってやっと論文が書けました。そのとっかかりが、生しょう死じの巻で、そのあたりから、今の方向へと進んできた訳です。それが1990年代の末ですね。
中川:
死ぬとか狂うではなく、門を叩くという道を選んだのが良かったのでしょうね。マイナスの状況になったとき、ちょっとした気持ちの切り替えで、それが大きなプラスに転換することはよくありますね。
先生自身が死まで考えるほどの状況になったからこそ、死を現実的にとらえることができるわけで、神経症になったのも、今の研究をされる上で、とても意味があることなんだって思いますね。
日本人というのは、独特の死生観をもっているんじゃないですか。
金山:
そうですね。日本人独特の死生観の背後にあるのは、やはり日本人特有の霊魂観、他界観だと思います。私は、それが知りたくて、熊野とか沖縄とか出雲に行くようになりました。それが2000年以降ですね。
中川:
日本人は、霊魂とかあの世とか、信じている民族じゃないかと思うのですが。
金山:
私もそう思います。日本人の根底にあるのは魂の信仰です。そのあと、遺骨の中に魂が宿るということで、遺骨を大事にするようになりました。もともとは魂の信仰で、高野山など聖地への納骨信仰を通して、骨に執着する文化はあとから出てきたものです。日本人は、まず魂があって、次に遺骨があって、最後にお墓がくるんです。昔はお墓はなかったですからね。たいてい風葬でした。
中川:
太平洋戦争で亡くなった方のお骨を拾いに行くとかありますからね。魂を信じつつも、骨とか遺体がないと、なかなか死は実感できませんよね。

<後略>

(2014年4月30日 明治大学・駿河台キャンパスにて 構成 小原田泰久)

           

6月 「岩崎 靖子」さん

岩崎 靖子(いわさき やすこ)さん

映像作家。OLから転身し、映画を撮り始める。2007年に、入江富美子監督の「1/4の奇跡」をプロデュースし、映画を配給するためのNPO法人「ハートオブミラクル」を設立。その後、監督として、「宇宙の約束」「僕のうしろに道はできる」「日本一幸せな従業員をつくる!」を次々と発表。たくさんの気づきを与える映画作りを続けている。ハートオブミラクル <a href="http://www.heartofmiracle.net/" target="_blank">http://www.heartofmiracle.net/</a>●自主上映を希望される方、上映に関する最新情報は、ホームページをご覧ください。<a href="http://www.heartofmiracle.net/" target="_blank">http://www.heartofmiracle.net/</a>

『夢や希望を失わないで!こんなにもすてきな生き方がある』

まるごとの自分を受け入れることができたことで大きく変われた

中川:
岩崎さんの撮られた「僕のうしろに道はできる~奇跡が奇跡でなくなる日に向かって」という映画を拝見しました。脳幹出血で倒れて、あと3時間の命と言われた男性(注:宮田俊也さん=愛称・宮ぷー)が奇跡的に回復していくドキュメンタリーですが、その男性を一生懸命に介護されていたのが山元加津子さんでした。山元さんとは、1999年に、彼女のご自宅にうかがって対談させていただきましたから、懐かしい思いで映像を見させていただきました。あの当時、山元さんは、特別支援学校の先生で、彼女の人柄というか、一生懸命さというか、何とも言えない温かな雰囲気によって、障がいをもった子どもたちとの間にとても強い信頼関係ができているという話に、私はとても感動しました。中には、すてきな詩を書くなど、もっている能力を最大限に発揮できるようになった生徒もいるといった話も聞かせてもらったのを覚えています。
岩崎:
映画を見てくださって、本当にありがとうございます。そんなにも前から、かっこちゃん(注:山元加津子さんはまわりから「かっこちゃん」と呼ばれている)をご存知だったとはびっくりです。本当にすてきな方です。
中川:
岩崎さんは、今は、ドキュメンタリー映画の監督さんという肩書ですが、もともと、映画関係の仕事をしておられたのですか。
岩崎:
いえいえ、ずっとOLをやっていました(笑)。OLをやめて10年くらいになります。「僕のうしろに道はできる」は、私にとっては3作目の作品です。
中川:
どうして、OLをやっておられた方が映画を撮るようになったのですか。何かきっかけがあったと思うのですが、とても興味深いですね。
岩崎:
OL時代の私というのは、ちょっとしたことですぐに落ち込んでしまうタイプでした。ホント、ヘコタレ虫でした。人前に出ると極度に緊張するし、生きて行くのがとても大変でした。そんな自分を何とかしたいと、コーチングを受けたりしていたのですが、そのときに、コーチから言われたひと言が、私の人生を変えましたね。そのコーチは、「心理的なことと結果とは関係ない。自信がない人の方がいい結果を出すものだ」と教えてくれました。つまり、自信があるとかないということと、いい結果が出るかどうかは関係ないと言うのです。自信がないからいい結果が出せないと思い込んでいた私にはびっくりするような言葉で、自信がなくてもいいんだ、ヘコタレ虫でもいいんだと、そのときはじめて、自分を受け入れることができました。
このままの自分で、やりたいことにチャレンジしてもいいんだと思ったら、人前に出ることをあんなにも嫌がっていたのに、今度は、人前に出てみたくてたまらなくなりました。女優もやったことがあるんですよ。コマーシャルなんかに出たりしました。でも、こういう役をやりたいというこだわりがあって、女優を続けるのは無理だと思い、それなら大好きなドキュメンタリー映画を撮ろうと、方向転換したわけです。
中川:
そうですか。変われないと悩んでいる人が多いのに、OLから女優、そして映画監督と、この転身はすごいですね。それも、変わらなくていいと気づいたら変わるんですからね。ちょっとしたアドバイスで、ぱーっと世界が開けたわけですね。
岩崎:
そうなんですね。でも、映画監督をするとは思ってもみませんでしたけどね(笑)。振り返ってみれば、人との出会いが大きかったなと思います。
中川:
山元さんとの出会いは大きかったでしょうね。
岩崎:
そうですね。もともとは、今、一緒に映画を作っている入江富美子さんという監督のご縁です。私たちは、ふーちゃんと呼んでいますが、ふーちゃんもすごい人ですよ。一人の平凡な主婦が、大晦日の夜、感謝を呼び起こす映画を作るんだというひらめきをもらって、かっこちゃんを撮り始めました。でも、彼女は映画なんて撮ったこともないし、かっこちゃんとも会ったことがありませんでした。かっこちゃんの描いた絵の展覧会に一度行っただけでした。感じるところはあったのでしょうが、まったく無謀な話ですよ。ふーちゃんは、初めてかっこちゃんの講演会に行って、カメラを回すわけですが、その映像はとても使い物にならないものでした。彼女は、かっこちゃんの話に感動して、カメラを回しながら泣いているわけですよ。だから、鼻水をすする音が、いっぱい入っている。それじゃとても使えません(笑)。そんなド素人が作った映画が、何と、世界16か国で上映されているんですからね。「1/4の奇跡~本当のことだから~」という映画です。ぜひ、ご覧ください。

<後略>

(2014年4月11日 東京都中央区内の喫茶室にて 構成 小原田泰久)

           

5月 「安藤 久蔵」さん

安藤 久蔵(あんどう きゅうぞう)さん

1911年(明治44年)千葉県生まれ。慶應義塾大学卒業。貿易会社を経て、家業の水産業を継ぐ。50歳で引退し、学生時代からの趣味である登山に没頭。日本の山々だけにとどまらず、世界各地に遠征する。85歳から、コーヒー豆の輸入・販売の事業を始める。現在、東京都杉並区西荻窪で「アロマフレッシュ」という店を営む。

『長生きの秘けつ? 生きることが好きになればいいんじゃないかな』

若い人が喜ぶことをすれば若い人が集まって来て若返る

中川:
安藤さんは、今年の2月で103歳になられたとか。これまでたくさんの方とお会いしてきましたが、103歳の方というのは初めてです(笑)。それにしても、お若くてびっくりしています。100歳を過ぎているとはとても思えませんね。
安藤:
みなさん、そう言ってくれるね。最近、また若くなったみたいでね(笑)。私、山へよく行くでしょ。そのとき、若い人を連れていくんですよ。山ガールね(笑)。若い人と付き合うと若返るよ。
若返るには、何と言っても、気力が大事だね。年を取って「ダメだあ」とか言っていると、どんどんとしわが増えてくる。気力をなくしちゃおしまいだね。
昔から、健康でいるには、食べること、運動が大事だって言うでしょ。でも、それだけじゃ足りなくて、三番目に思考ね。これが大事。今は、この思考が欠けている。食べて多少運動はしても、あとはテレビを見ているだけ。人と付き合うのを嫌がるしね。それじゃあ、若くいられるはずがない。
中川:
なるほど、気力ですか。私どもは、氣をテーマにしています。きっと、安藤さんがこうやって元気で生き生きとされているのは、氣のエネルギーが高いからだと思いますよ。氣が満ち満ちている人のそばにはたくさんの人が集まってきます。安藤さんのまわりにも、人がいっぱい集まってきますよね。
安藤:
毎年、春になると近くの善福寺公園で花見をするんだけど、300人くらい集まってくるからね。ほとんどが若い人。10時くらいに集まり出して、若者は夜の11時くらいまで大騒ぎしている。私は、早めに失礼するけど、よく集まってくれると思うね。
中川:
みんな安藤さんのエネルギーに引き寄せられて集まってくるんですよ。安藤さんは、西荻窪でコーヒー豆を販売されていますが、お店にもたくさんの人が来られるみたいですね。
安藤:
ニートの兄ちゃんも来たことがあったね。平日の昼間に、それも2人で。「仕事は何やっているの?」って聞いたら、「何もやってない」って言う。私は、ほめてやるの。偉いねって。皮肉じゃないよ。だって、働かないで食っていけるんだから大したものでしょう。私なんかこの年で働かないといけないんだから。
私は、生まれ変わったら、あんたたちみたいに、働かなくても生きて行ける人生を選ぶよって言ってやる。だから、一生、この生き方を通しなさいよって、励ましてあげるわけだ。
彼らは、ニートでほめられたことなんかないから、最初は面食らうんだけど、居心地がいいのか、しょっちゅう、顔を出すようになる。まあ、うちへ来ればただでコーヒーが飲めるからね(笑)。
中川:
説教ばかりされてきたでしょうから、ほめられたらうれしくなりますよね。でも、ほめられているうちに、彼らも変わっていくんじゃないですか。
安藤:
そうね、何ヶ月か通ってくるんだけど、だんだんと来なくなる。久々に顔を出したときに、どうしてたんだと聞くと、働き始めたって言う。「何言ってんだ。一生、ニートを通すって言ったじゃないか」って、文句言ってやるんだけど、ここへ通っているうちに、自分みたいな若いのがぷらぷらしていちゃいけないなって思うようになったって言い出してね。レストランでアルバイトを始めたんだって。「近くへ来たら寄ってよ。焼きそば、二人前おまけするから」なんて言ってたよ(笑)」
中川:
安藤さんの働く姿を見て、何か感じるものがあったんでしょうね。言葉だけで言ってもなかなかわかってもらえないけど、行動していれば、それを見て感じてくれますね。
安藤:
100歳を過ぎて働いているんだから、何か感じたんだろうね。人間は、ついつい、口でわからせようとしてしまう。昔は、職人なんか、見て覚えろと言われたものでね。親方のやるのを見て覚えて一人前になったから、腕も確かだよ。いまは、一から十まで当たり前のことまで教えてあげるから。
中川:
でも、安藤さんのところに若い人が集まってくるというのは、何かコツがあるんでしょうかね。
安藤:
簡単、簡単。若い人が喜ぶことをすればいいだけのこと。年寄りはすぐに説教をしたがるから若者が寄り付かない。特に、現役時代に偉かった人は、若いころの自分はこうだった、ああだったって自慢したりするから、若者が寄りつかない。そういう人が定年になると、さみしい人生になるよ。自分は大したものじゃないという気持ちで若者と接すれば、若者も話に乗ってくる。
それと、年寄りだから面倒を見てもらうのが当たり前だと思ったら嫌がられるね。反対に、何かをやってあげれば、まわりがありがたがってくれる。長生きしてねと大事にしてくれるものですよ。だから、やってもらうよりもやってあげることを考える。そのためには健康じゃないといけないよね。
もてる年寄りになるには秘けつがある。教えてあげるよ。まず、愚痴らないこと。次にさみしいからと言って相手をべたべたと触らないこと。そして、仲良くなったからと言って、ふだんの買い物とかまでお願いしちゃダメ。とにかく、いつになっても自立していることが大事なんだよ。その気力を失わないことだね。

(後略)

(2014年3月12日 杉並区西荻窪「かがやき亭」にて構成 小原田泰久)

           

4月 「松崎 運之助」さん

松崎 運之助(まつざき みちのすけ)さん

1945年旧満州生まれ。長崎市立高校(定時制)をへて明治大学第二文学部を卒業後、江戸川区立小松川第二中学校夜間部、足立区立第四中学校夜間部などに勤務。2006年3月に教職員を退職した。山田洋次監督作品の映画「学校」のモデルであり原案者。著書に『夜間中学があります!』(かもがわ出版)、『母からの贈りもの』(教育史料出版会)『学校』(晩声社)「ハッピーアワー」(ひとなる書房)などがある。

『母親の深い愛、夜間中学校の生徒たちから学んだこと』

予期せぬことばかり起こる夜間中学校の授業。だからこそ学びになる

中川:
松崎先生は、長年、夜間中学校の教員をやっておられたそうですが、夜間中学校というのがあるとは知りませんでした。夜間の高校というのは全国にありますけどね。
松崎:
夜間中学校は、全国に35校あります。東京には8校ですね。ぼくは、東京の下町、江戸川区の小松川第二中学校、足立区の第九中学校、第四中学校の夜間部で教員をしていました。
中川:
夜間中学校というと、どのような生徒さんが来られているのですか。
松崎:
実にいろいろな方が来られています。ぼくが勤めていた学校だと、生徒が80人くらい。10クラスにわけて勉強していますから、1クラス7~8人ですね。貧困や病気や学校嫌いなど、さまざまな理由で長期間学校を休み、義務教育を修了できなかった人、障がいがあって就学を断られた人、中学校の卒業証書はもっているけれども、掛け算の九九や「あいうえお」が満足にできない人、在日朝鮮人の方、タイやフィリピンから来られている人など、事情も国籍もさまざまです。年齢も、16歳の若者から80歳くらいのおじいちゃん、おばあちゃんまで、本当にバラエティに富んでいます。
いずれも、基礎教育から切り捨てられ、文字と言葉を奪われ、生活を脅かされてきた人たちです。学びたくても行くところがない人たちが集まってきているところです。
中川:
そうですか。どんな授業が行われているか、ちょっと、想像もつかないですね。
松崎:
めちゃくちゃ楽しいですよ。普通の学校だと、教師は授業の準備をしていって、それに沿って授業を進めるのですが、そんなのは通用しませんからね。
あるとき、教育委員会から視察の方々が見えましてね。みなさん、背広にネクタイ姿で教室に入ってくるわけですよ。生徒の皆さんは、いつもと違う雰囲気に緊張しています。そんなところへパートが長引いてしまったおばちゃんの生徒が遅れて入ってきます。そのおばちゃんは、焼き芋を抱えている。「今日、給料が出たの。駅を出たら焼き芋を焼いているおっちゃんがいたの。おいしそうだったし、みんなも寒い中やってきているので、みんなの分を買ってきた」なんて、うれしそうに言うわけですよ。普通の学校では、授業中に飲食するというのは許されていませんが、ぼくは、寒いのでみんなに食べさせたいとか、給料が出たうれしさを分かち合いたいという気持ちが大事だと思うから、みんなで焼き芋をいただくことにしました。教育委員会の人にも、「どうぞ」なんて渡したりして。すっかり、緊張感がほぐれて、いつもの雰囲気になるんですね。教育委員会の人たちは、目を白黒させていましたよ(笑)。
毎日、予期せぬことが起こります。予期せぬことが起こるからドラマなんですね。
中川:
視察中に焼き芋ですか。教育委員会の方もさぞかしびっくりされたでしょう(笑)。でも、先生は、どうして夜間中学校の教師になろうと思われたのですか。
松崎:
ぼくは、終戦の年に生まれたのですが、貧しい中、長崎のバラック小屋でおふくろに育てられました。中学校を出てから造船所で働き、18歳になって定時制高校に行きました。大学へ行きたかったので、東京の大学の夜間部へ入り、昼間は町工場で働きながら、夜は大学へ通うという生活をしていました。教員免許を取ろうと思いましたが、そのためには3週間の教育実習が必要でした。私にとって、昼間の仕事は大切だったので、昼間の実習には行けません。その稼ぎを、体調を崩していたおふくろや弟や妹の生活費として仕送りしていましたから。
それで、大学に相談したら、8校の公立の夜間中学校があって、そこで実習をすればいいということを教えてくれました。それだったら、昼働きながら夜に実習ができるということで、夜間中学校で教育実習をすることにしたのです。それがきっかけですね。
中川:
夜間中学校のことは、そのときはご存知なかったんですね。行ってみていかがでした。ずいぶんと驚かれたんじゃないですか。
松崎:
びっくりですよ(笑)。中学校だから中学校の勉強をすると思っているじゃないですか。私は国語が担当ですから、「走れメロス」とか、一生懸命準備をして出かけて行きました。ところが、ここがあなたの教室ですよと、指導の先生に連れて行かれて、生徒の皆さんが何をやっているのか見ると、ひらがなの勉強なんですよ。どうして中学生でひらがなやっているのかと、まずは驚きました。こんな調子じゃ、ぼくの用意した「走れメロス」にたどりつくのにどれくらいかかるかと途方に暮れてしまいました(笑)。
ぼくは、いっぱい教材研究してきましたから、それをやりたいわけですよ。でも、生徒の皆さんは、最初こそ、あいさつするぼくを見てニコッとしてくれましたが、あとは下を向いてひたすら字の練習ですよ。ぼくには、ひらがなをどう教えればいいかわからないし、一人一人違うことをやっているし、だれもぼくの方を見てくれないし、イライラしてきました。皆さん、自分のことだけを夢中になってやっているわけですよ。

(後略)

(2014年2月19日 SAS東京センターにて 構成 小原田泰久)

著書の紹介

『学校』 松崎 運之助 著 (晩声社)
「ハッピーアワー」 松崎 運之助 著 (ひとなる書房)

           

3月 「長堀 優」さん

長堀 優(ながほり ゆたか)さん

1958年東京都生まれ。群馬大学医学部卒業。横浜市立市民病院研修医をへて、横浜市立大学医学部第二外科(現・消化器腫瘍外科)に入局。ドイツ・ハノーファー医科大学に留学。その後、横須賀共済病院外科医長、横浜市立みなと赤十字病院外科部長をへて、現在、「財団法人 船員保険会 横浜船員保険病院」副院長・外科部長。著書に「みえない世界の科学が医療を変える」(でくのぼう出版)がある。

『えない世界を受け入れたとき医療は大きく変化する』

病気がきっかけで 今まで以上に充実した 毎日を送れる人もいる

中川:
先生は「見えない世界の科学が医療を変える」(でくのぼう出版)という本を出されましたが、病院の副院長と外科部長をやっておられる方がこういう本を書かれたというので、とてもワクワクしながら読み進めました。本の中にいろいろな先生方が登場してきますが、推薦文を書かれている村上和雄先生をはじめ、池川明先生、安保徹先生、寺山心一翁先生、鈴木秀子先生、それに臨死体験の話で出てくる木内鶴彦さんら、対談させてもらったことのある方がたくさん出ていて、先生にはとても親近感を感じています。先生とはご縁が深そうですね(笑)。
長堀:
そうですか。何か深いつながりを感じますね。今日、こうやってお会いできたのも、きっと必然なのでしょうね。
中川:
先生は、昔から見えない世界のことには興味をもたれていたのですか。
長堀:
いえいえ、若いときは唯物論者でした。学生時代は物理が大好きでしたし、医者になりたてのころは、大学で教えてもらった医学以外には目が向かなかったですね。ですから、死についてはもちろん、患者さんの心についても考えたことはほとんどありませんでした。
中川:
それがまたどうしてこういう本をお書きになるようになったのでしょうか。
長堀:
医師として経験を積むうち、いろいろなことを感じるようになりました。たとえば、人間の治る力ですね。若いころは、術後の経過が順調じゃないときには、自分の手技が良くなかったからだと思っていました。しかし、ある程度の経験をつんで技術も安定してくると、治療の結果には、手技の良し悪しだけではない、別の要因もあることがわかってきました。それが、患者さんの治る力ですね。同じように手術はうまくいったのに、Aさんはすぐに回復して、Bさんはなかなか元気になれないということは、よくあることです。これは、科学では説明できません。
中川:
機械なら、同じ処置をすれば同じ結果が出ますからね。人間はそういうわけにはいきませんね。
長堀:
そうなんですね。私の学位論文を指導してくださった先生は、徹底的に科学的な思考を仕込んでくれたのですが、私の論文が出来上がったときに言った言葉がとても印象的でした。「医療は科学ではないんだ。科学らしくしているだけなんだぞ」って言いました。これは本当に意外でした。それがずっと頭に残っていました。そのあと、医学に対する見方を変える上でとても影響があったひと言でしたね。
中川:
アプローチ的には科学的なものの見方は大事ですよね。ただ、それだけでは説明できないことがたくさんあるということも知っていないといけないですね。科学を突き詰めていくと、わからないことがたくさんあることに気づくようですね。村上先生も、生命というのはあまりにもうまくできすぎているとおっしゃっていました。
長堀:
その通りですね。医者を何年もやっていると、さっきの治る力もそうですが、患者さんからいろいろなことを気づかせていただけます。特に、がんの患者さんは死と直面している方たちで、中には医療では治せない方もいます。そうした方と接することで、考え方が大きく変わっていきました。
彼らは決して落ち込んでいるばかりではありませんでした。驚いたのは、病気をきっかけに、生き方や考え方を見つめ直して、健康だったときよりも充実した毎日を送っている人がいたことです。さらに、気持ちの持ち方が変わることで、実際に病気の進行が遅くなるという患者さんもおられました。
絶望的な状況を理解しながらも、微笑みすら浮かべながら病気に立ち向かっている患者さんたちと触れ合っていると、目に見えない心のあり方というものが、体の状態や病気の進行に影響を与えているんじゃないかと思うようになってきましたね。今までの私の知識や考え方では説明のつかないことが、医療の現場ではたくさん起こっていたのです。

(後略)

(2014年1月22日 神奈川県横浜市の横浜船員保険病院にて 構成 小原田泰久)

著書の紹介

「見えない世界の科学が医療を変える―がんの神様ありがとう」 長堀 優(著) (でくのぼう出版)

           

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