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12月 「高山 良二」さん

高山 良二(たかやま りょうじ))さん

1947 年愛媛県生まれ。地雷処理専門家。1966 年陸上自衛隊に入隊。1992 年カンボジアPKO に参加。以来、カンボジアに特別な思いを抱く。2002 年陸上自衛隊を定年退官と同時に認定NPO 法人日本地雷処理を支援する会(JMAS)に参加。1 年の大半をカンボジアの地雷原の村で過ごし村人と共に地雷処理をする傍ら、村の自立を目指した地域復興にも奔走している。現在、NPO 法人国際地雷処理・地域復興支援の会(IMCCD)理事長。著書「地雷処理という仕事」(筑摩書房)。

『カンボジアでスイッチがオンに。人生、これからが本番』

日本に帰るとき、もう一度、カンボジアへ 戻ってきたいと強烈に思った

中川:
カンボジアから日本へ帰られたとお聞きしたので、急きょ、連絡をとらせていただいて、対談をお願いしたわけですが、快く引き受けてくださいまして、本当にありがとうございました。高山さんは、カンボジアで地雷処理の仕事をされていますが、どれくらいの割合で、カンボジアと日本を行き来されているのですか?
高山:
こちらこそ、声をかけていただいて感謝しています。今は、カンボジアに2ヶ月いて日本に帰り、日本には1ヵ月ほど滞在するというペースですね。
中川:
地雷処理の活動を始められて、10年になるそうですね。その前は陸上自衛隊におられて、PKOに参加されたことが、今の活動のきっかけだということでしたね。
高山:
私の所属する部隊がPKOに参加することになり、人事の担当をしていた私は、派遣部隊の編成をする立場になりました。600人の人選をしたわけですが、人を行かせて自分だけ残るわけにはいきませんので、自分の名前もリストの中に入れました。カンボジアには、1992年10月から93年4月まで行っていました。
中川:
PKOというのは、日本としては初めてのことでしたし、国内でも賛否両論、大変な騒ぎでしたね。高山さんにしても不安はあったのではないですか。
高山:
正直なところ、「地雷で足を吹っ飛ばされたり、悪くすれば命をなくすこともあるかもしれない」と、不安に感じたことはありましたね。
中川:
でも、この体験が、高山さんの人生を大きく変えることになるんですよね。
高山:
私は、PKOに参加するまで、確たる夢があったわけではないし、日々を、思いつくまま、優柔不断に生きてきました。行き当たりばったりで生きてきた人生でした。
しかし、PKOでの体験は、言葉では言い表せないのですが、これまで感じたことのない「桁違いのやりがい」を感じました。一人でジープを運転しているときなど、「もう、命なんかなんぼでもあげるわい」という気持ちになるくらいでした。
PKOの仕事を終えて日本に帰るとき、飛行機の窓から見た光景が強烈に目に焼き付いています。眼下に広がるカンボジアの光景を見て、「私の求めているものはこれだ」と思いましたね。
中川:
何かのスイッチが入ったんでしょうね。それで、またカンボジアへ戻ろうと、そう思ったわけですね。
高山:
みなさんから、「どうしてカンボジアへ戻ったのですか?」と聞かれるのですが、よくわからないんですね。なぜ、あんなに強烈なものを感じたんでしょうね。地雷処理をしようとかカンボジアの人に何かやってあげたいということではないんですね。理由はわからないけれども、それしか選択肢がないように、私には思えて仕方ありませんでした。
今から考えると、悔しいというか、6か月の仕事に対して中途半端だったという気持ちが強かったのかもしれません。要するに、やったという満足感がなかったんですね。ボクシングでぼこぼこにされながら、それでも立ち上がって、まだ負けるわけにはいかないと、相手に向かっていこうとしたときにタオルを投げられて強引にリングの外に出されたという感じですかね。もっと戦わせてくれという思いのまま、半年が過ぎてしまったということかな。だから、何をしたいということもなかったけれども、ただ、カンボジアへ戻りたい。それだけでしたね。
中川:
何か目に見えない力が働いていたのではないでしょうか。私どもは、氣という目に見えないエネルギーを扱っていますが、世の中は、目に見える部分よりも、目に見えない部分の方が大きいと、感じることがよくあります。そういう得体の知れない力に、高山さんは導かれてカンボジアへ行き、そこで自分の使命のようなものを感じ取ったのではないでしょうかね。
高山:
私も、目に見えるものはわずかで、目に見えないものがほとんどだと思っています。作家の天童荒太さんと対談したとき、カンボジアへ戻りたかった理由がわからないという話をしたら、天童さんは、「高山さんの前世はカンボジア人だったんじゃないですか」と笑っていました。
中川:
そんなこともあるかもしれませんね。でも、PKOに行く前は、カンボジアに興味はなかったんですか。
高山:
まったくないですよ。カンボジアがどこにあるか、正確なことは知りませんでしたから(笑)。

(後略)

(2013年9月27日 羽田空港ティーラウンジにて 構成 小原田泰久)

           

11月「稲垣 栄洋」さん

稲垣 栄洋(いながき ひでひろ)さん

1968 年静岡県生まれ。農学博士。岡山大学大学院農学研究科修了後、農林水産省に入る。1995年に退職し、静岡県職員に。現在、静岡大学大学院農学研究科教授として農業研究に携わるかたわら、雑草や昆虫などに関する著述、講演を行っている。著書に、『雑草に学ぶ「ルデラル」な生き方』(亜紀書房)『身近な雑草の愉快な生きかた』(ちくま文庫)『都会の雑草、発見と楽しみ方』(朝日新書)などがある。

『逆境をプラスに変える雑草の生き方から人生を学ぶ』

雑草は、弱いから競争相手のいない場所を選んで芽を出す

中川:
先生のご著書『雑草に学ぶ「ルデラル」な生き方』(亜紀書房)を拝読しました。やっかい者だと思われている雑草ですが、現代のような激動の時代にこそ、彼らの〝生き方〟が参考になるというお話、とても興味深く読ませていただきました。
先生がおっしゃっている「ルデラルな生き方」というのはどういうことでしょうか。そこからお話をお聞かせいただけますか。
稲垣:
ありがとうございます。「ルデラル」を理解するには、雑草に対するイメージを変えていただく必要があるかもしれません。
雑草というと、「ぜったいにあきらめない雑草魂」とか「雑草のようにたくましく」とか「踏まれても踏まれても立ち上がる」とか、強いイメージがありますが、実際にはとても弱い植物で、彼らは弱くても生きられる戦略をもっているからこそ、あんなふうにあちこちにはびこることができるのです。彼らは、競争して勝ったから生き残っているわけでもないし、特別にストレスに強いわけでもありません。雑草の生き方は、実にしたたかで合理的なのです。
たとえば、コンクリートの割れ目から顔を出している雑草があります。あの姿を見ると、雑草は強いなと思ってしまいますが、あれこそ、彼らの生き残るための戦略です。弱いから、競争相手のいない場所を選んで芽を出しているのです。ルデラルというのは、荒れ地を生き延びる植物のもつ性質を言います。彼らは、強いから荒れ地で生き残れるわけではなく、荒れ地のような変化に富んでいて、とても困難な環境だからこそ生きていける戦略をもっています。
たとえば、野球でもサッカーでも、条件が整っていれば、実力通りの結果になる場合がほとんどです。しかし、グランドがぬかるんでいて、風が強くて、雨が降っていて、という条件だと、どちらが勝つかわからなくなります。条件が悪ければ、強いものも実力を発揮できません。弱い方も実力が発揮できないかもしれませんが、もし、弱い方のチームがいつもぬかるんだところで練習していたとしたら、番狂わせを起こせる可能性も高まります。
中川:
なるほど。恵まれた環境だと、結局、力の強いものが勝ちますから、わざわざ恵まれない環境を選び、そこに適応できるような形で生き残るということですね。
でも、雑草が弱いというのは、意外な気がしますね。
稲垣:
雑草は、ほかの植物がたくさんあると生えてこられないんですよ。豊かな森林には、雑草は生えてないはずですよ。ほかの植物を押しのけて自分が目立つということを雑草はできないのです。雑草は、道端とか、人が踏んで歩くところに生えてきます。競争しなくても生きられる場所を、雑草たちは選んで、その環境に適応できるようにして、生き残るのです。
中川:
そう言われればそうかもしれないですね。ところで、雑草というのは定義されているんでしょうか。
稲垣:
雑草と言うのは、邪魔者になる植物と考えればいいのではないでしょうか。山野草は雑草とは言わないですからね。田んぼや畑や道端に生えて、邪魔になるものというくらいの認識しかないですね。
実は、雑草という言葉は、あまり科学的な言葉ではありません。アメリカ雑草学会では、望まれないところに生える植物と定義されていますが、とてもあいまいです。たとえば、ヨモギなんかは、それを邪魔だと見る人がいれば雑草ですが、草餅の材料として使う人にとっては雑草ではないわけです。人によって違ってきたりします。だから、邪魔者になりやすい植物ということでいいのではないでしょうか。
中川:
そうですか。雑草というのは、学術的な言葉じゃないんですね。でも、先生は、どうしてまた、雑草を研究しようと思われたのですか。
稲垣:
農学部ですから、作物をどう育てるかというのが本来のテーマです。あるとき、作物を育てていたら、畑の横の方に雑草が生えてきました。指導してくれていた先生に「これは何という植物でしょうか」と聞いたら、「花が咲いたらわかるから、花が咲くまで育ててみなさい」と言われました。それで、いつもこの雑草を見ていたら、作物よりも雑草の方が面白くなってきました。
雑草というのは、知れば知るほど興味深い植物なんですね。作物は、ある程度、人間の予想通り予定通りに育っていきます。しかし、雑草は、そのときの環境に合わせて成長の仕方が変わります。人間の思い通りにはいきません。早く花を咲かせたり、遅かったりするんですね。次、どうなるのか、予測がつきません。雑草は育てるとなると、とても難しいですね。

(後略)

(2013年9月10日 静岡大学農学部附属 地域フィールド科学教育研究センター 藤枝フィールドにて 構成 小原田泰久)

著書の紹介

雑草に学ぶ「ルデラル」な生き方 稲垣 栄洋 著 (亜紀書房)

           

10月 「志賀内 泰弘」さん

志賀内 泰弘(しがない やすひろ)さん

24年間金融機関に勤め、2006年に独立。コラムニスト、経営コンサルタント、俳人など、幅広い分野で活躍。「感謝の心」と「ギブ&ギブの精神」こそ、人生がうまくいく秘訣だと説く。「プチ紳士・プチ淑女を探せ! 運動」の代表として、思いやりでいっぱいの世の中を作ろうと東奔西走中。「毎日が楽しくなる17の物語」(PHP研究所)「つらくなったとき何度も読み返す「ポジティブ練習帳」」(同文館出版)「「また、あなたと仕事したい!」と言われる人の習慣」(共著 青春出版社)など、著書多数。

『ギブ&ギブ。与え続けていれば、必ず、自分に戻ってくる』

世の中には、うれしいことや感動することがあふれている

中川:
はじめまして。名古屋に、「いい話」をたくさん集めて、それを新聞や本で紹介しておられる方がいるとお聞きしまして、ぜひお会いしたいということで、対談をお願いしました。新聞やテレビは、不安になるニュースばかりですので、いい話をお聞きして、ほっとしたいと思いましてね。
志賀内:
ありがとうございます。会長のおっしゃる通りで、新聞もテレビもネガティブな情報ばかりです。「人の不幸は蜜の味」と言いますが、テレビのワイドショーというのは、他人の不幸をネタにして視聴率を稼いでいるようなものだと、私は思っています。ああいう情報は、知らず知らずのうちに、人の心をむしばんでいきます。私は、テレビを見ていて暗いニュースになったらチャンネルを変えたり、新聞なら三面記事は読まないようにしたり、ネットでもネガティブな話題はクリックしないようにしています。
今の時代は、暗い話があふれていますから、いい話を伝えるのは大事だと思って、私は、「プチ紳士・プチ淑女を探せ!」という活動を始めました。「プチ紳士・プチ淑女」というのは、ついつい見過ごしがちな、小さな小さな親切をする人のことです。たとえば、車を運転していて渋滞に巻き込まれたとします。先で工事をしていて車線が減っているので、隣の車線に移ろうとしても、なかなか割り込ませてくれないときってありますよね。イライラしてしまいます。そんなときに、横に来た車が、入っていいよと合図してくれる。ありがとうということで、ハザードをつける。相手も、ライトをぱっとつけて、どういたしましてと返してくれる。うれしいですよね。
エレベーターに乗るときに、走ってきた人のために、手でドアを押さえてあげるという光景もよく見ますね。手でドアを押さえていると、待っていますよという合図にもなって、走ってくる人にとっては安心感になります。
だけど、親切にしてくれた方々とは、通りすがりの関係でしかないから、あとからお礼も言えません。あまり大したことだとは思わない人が多いのですが、こうした小さな親切というのは、見返りを求めない、とても貴重な行為だと、私は思っています。そういう話をずっと集めては、あちこちで発表しています。
中川:
確かに、車で割り込ませてもらっても、エレベーターで待っていてもらっても、当たり前のこととして流してしまいがちですよね。でも、実際には、とてもありがたいことです。日常の小さなことに、感謝の気持ちがもてると、その人の心の中の喜びは増えていくでしょうね。
志賀内:
世の中には、うれしいことや感謝することがいくらでもあるはずです。でも、それに気づいていない場合が多いんですね。忙しいとか俺が俺がと言っていると、小さな親切を見逃してしまいます。世の中には親切があふれているのにもったいないことです。
私は、人から親切にしてもらったら、それを今度は他の場所で他の人にしてあげるといいと思っています。小さな親切がぐるぐると回れば、世の中が「思いやり」でいっぱいになるのではと思って、この運動をしているのです。
中川:
人は、どうしてもあら探しをしたり、悪口を言ってしまう方向に流れがちですよね。意識していないと、小さな親切にはなかなか気づけません。そういう意味で、志賀内さんが、こんないい話があるよと教えてくれると、そちらの方向にスイッチが入ったりするんでしょうね。
ところで、志賀内さんは、もともとはサラリーマンだったそうですが、どうして、いい話を集めようという活動をするようになったのですか?
志賀内:
そうなんですよ。しがないサラリーマンなんで、「志賀内」というペンネームをつけました(笑)。
私が勤めていたのは金融会社でした。人間関係で大きなストレスを抱えてしまいましてね。特に、上司との関係が最悪でしたね。叩かれて叩かれて、つらい毎日だったんですよ。でも、サラリーマンというのは、上司に仕えるのが当然だと思っていたので、反抗もできなかったですね。あのころは、真面目過ぎたんですね(笑)。それで、35歳のころに、原因不明の高熱、下痢、吐き気が続いて、あるとき大量の出血をして、生死の境をさまようようなことになってしまいました。
その後、両親が倒れて、2人の介護をすることになり、会社を辞めることにして、今の仕事に移行していきました。

(後略)

(2013年8月20日 SAS名古屋センターにて 構成 小原田泰久)

著書の紹介

左:「また、あなたと仕事したい!」と言われる人の習慣  高野 登、 志賀内 泰弘 著  青春出版社
右: 毎日が楽しくなる17の物語  志賀内 泰弘 著  PHP研究所

           

9月 「吉澤 誠」さん

吉澤 誠(よしざわ まこと)さん

明治大学卒業後、大学院に進学し国際政治を学ぶ。国際交流のための本や地球環境問題を考える本の出版に携わるなど、多数の本の編集を手がける。世界各国をまわり、一貫して社会貢献を目的とした活動を続けている。著書に、イラク人の友達との共著『旅の指さし会話帳 イラク』がある。絵本『カーくんと森のなかまたち』は全国各地の小中学校や幼稚園、保育園等で、心の健康のための授業に取り入れられており、児童教育評論家、絵本作家として、講演や読み聞かせもしている。株式会社 エムケイプランニング 顧問、社団法人 国際文化芸術交流協会 理事、特定非営利活動法人日本バングラデシュ交流基金(JBCF)監事などを務める。

『絵本の読み聞かせを通して、命の尊さ、支え合いの大切さを伝える』

後輩が自殺し、力になってあげられなかった自分を責めた

中川:
はじめまして。「カーくんと森のなかまたち」という絵本を拝見しました。自分みたいにダメな鳥はいないと落ち込んでしまったホシガラスのカーくんが主人公で、彼は、こんな自分なんか死んでしまった方がいいとまで思い詰めてしまうのですが、まわりの仲間たちに支えられて、自分の良さやみんなの優しさに気づいて元気を取り戻して行くという物語ですね。吉澤さんは、子どもたちの自殺を防ぐために、小中学校や幼稚園、保育園等で、この絵本の読み聞かせをやっておられるそうですね。
吉澤:
ありがとうございます。あの絵本は、画家で絵本作家の夢むら丘実み果か先生が絵を描かれて、私が文を担当しました。今日は、夢ら丘先生も一緒におうかがいするつもりだったのですが、どうしても都合がつかず、失礼しました。
WHO(世界保健機関)の報告によりますと、自殺の原因のほぼ100%に精神疾患がかかわっているそうです。そのうちのかなりの割合をうつ病が占めているということです。そして、うつ病になる前には、必ずうつ状態があります。このうつ状態のときに何か対策を講じておけば、うつ病も少なくなりますし、自殺も減るはずです。この絵本を作り、読み聞かせをしているのは、うつ状態を何とかできないだろうかという思いがあるからです。
専門家としては、「日本いのちの電話連盟」の齊藤友紀雄理事(内閣府自殺対策推進会議委員)と厚生労働省科学研究班の主任研究者で元東海大学医学部精神科の保坂隆教授(現・聖路加国際病院精神腫瘍科医長)に協力をいただきました。「いのちの授業」に取り組まれている聖路加国際病院の日野原重明理事長にも、推薦文もいただきました。
出版したのは平成19年9月10日。「世界自殺予防デー」でした。
中川:
自殺を防ぎたいと思うようになったきっかけというのはあるのですか。
吉澤:
そうですね。夢ら丘先生も、親しい友人が自ら命を断つという悲しい体験をお持ちです。それに、子どものころからぜんそくがあって、学校も休みがちで、いじめにもあったそうです。また、2002年1月に、自宅近くの交差点で自転車に乗っていて、車にはねられました。100%、相手の過失でした。その後遺症で右手がしびれるようになって、絵も描けないし、家事もできないような状態になってしまいました。すごくショックで、重いうつ病になってしまいました。2年ほどリハビリ生活を送ったようですが、「死んでしまいたい」という気持ちになることもたびたびだったとおっしゃっていました。あるとき、当時小学校3年生だった娘さんに、「死んじゃいたい」と漏らしたら、娘さんは「私は、ママがいるだけでうれしいよ」と言ってくれたそうです。
そういった体験がありますから、自殺を防ぐという活動には、とても思い入れをお持ちです。
中川:
2年前に、滋賀県大津市で中学生がいじめを苦にして自殺するというショッキングな事件があって、さらに最近でも名古屋で同じようなことがありました。
「命を大切に!」といくら口で言っても、なかなか子どもたちの心の中には響いていきません。でも、この物語を作られた吉澤さんたちの思いは、氣として子どもたちにも伝わっていっているのではないでしょうか。だから、子どもたちもいろいろなことを感じてくれるのだと思います。
吉澤:
先ほど、14年連続して自殺者が3万人を超えたというお話をしましたが、危惧すべきことは、10代、20代、30代の死因の1位が自殺だということです。これは、何とかしないといけないでしょうね。
やっと日本でも、2~3年前から、自殺予防教育に力を入れるようになってきました。欧米では、1970年代に自殺が増えたときに、自殺予防教育に力を入れ、中長期的に考えれば、必ず減っていくということがわかっています。我が国では、性教育と同じようにタブー視されていて、なかなか取り入れられませんでした。寝た子を起こすと思われてきました。性教育の場合は、エイズの問題もあって、知識として知っておいた方が対処できるということで、真剣に取り組むようになってきました。自殺の予防教育も、同様に寝た子を起こすのではと、危惧されていましたが、小学生の10人に1人、中学生の4人に1人が「うつ状態」という調査結果もあって、そんなことも言っていられなくなっています。自殺のこと、自殺につながるうつ病やうつ状態のことを、もっと知っておくべきだという流れになりつつありますね。

(後略)

(2013年7月16日 東京日比谷松本楼蘭の間にて 構成 小原田泰久)

DVDの紹介

『カーくんと森のなかまたち』読み聞かせDVD(ワイズ・アウル社)¥2,800(税別)体育館等でも映像授業が出来ればと教師や人権擁護委員からの要望で今年4月に女優中井貴恵さんのナレーション入りのDVDが完成し、読み聞かせに活用されている。鳥のさえずりや川のせせらぎ等も入っており、絵本の付録同様、DVD付録には、「いのちの電話」「チャイルドライン」等の電話番号の他、法務省の「子どもの人権110番」「子どもの人権SOSミニレター」「SOS-eメール」等がリスト掲載されている。絵本、DVDと指導案があれば、簡単に効果的な「心の健康ための教育」が出来るようになったと、現場の先生方に喜ばれている。幼児用と小中学校用の道徳授業での活用方法を記した指導案は、夢ら丘実果さんのHPからダウンロードできる。<a href="http://mika-muraoka.com" target="_blank">http://mika-muraoka.com</a>

           

8月 「宮田 太郎」さん

宮田 太郎(みやた たろう)さん

1959年東京都多摩市生まれ。玉川大学農学部卒。1986年に関東で国内最大級の鎌倉街道や古代東海道跡を発見。以来、全国や近隣国で古街道跡や山城、古代祭祀遺跡や古墳、古代都市遺跡、など未知の遺跡を数多く発見。独自の“古街道学”を考古学と歴史地理学の視点で考案。未知の遺跡や身近な歴史を地域活性に活かす歴史系総合プロデューサー。総務省地域力創造アドバイザー。歴史古街道団・団長。歴史ライフ総合研究所・代表。著書に、「新視点・日本の歴史」(中世編・共著 新人物往来社)「鎌倉街道伝説」(ネット武蔵野)他がある。

『古街道を通して古代の人たちからのメッセージを聞く』

土器に夢中になり、将来は考古学者になりたいと思った少年時代

中川:
実は、ずっと、歴史を研究されている方にお話をお聞きしたいなと思っていたんですね。氣をやっていると、ご先祖様と私たちは、非常に大きな影響を与え合っていることがわかってきましたし、もっと歴史のことを知らないといけないなと思っていました。でも、目に見えない世界のこともわかっておられる方でないと、なかなか氣のことを理解していただけないし、さて、いい方はいないかと、探していましたところ、宮田さんはUFOにも関心をもっておられたことがあるとお聞きして、そういう研究者の方だったら、ぜひお会いしてお話をうかがいたいと思って、対談をお願いした次第です。
宮田:
ありがとうございます。私の祖父は、東洋医学とかちょっと変わった治療をやっていた人で、その影響を受けたのか、私も未知の世界には早くから興味がありました。UFOに夢中になっていたのは、中学生から大学入学くらいまでのころですかね。当時は、UFOという言葉もなくて、空飛ぶ円盤と言っており、「円盤太郎」などとあだ名されました。作家の小松左京さんや星新一さんらが、日本空飛ぶ円盤研究会というのを作っていましてね。私は、その最年少の会員でしたよ。でも、やっぱり考古学の方が好きだということで、UFOからは足を洗った形になりました。
中川:
考古学ですか。私は、年号を覚えるのが不得手で、どうしても歴史が好きになれませんでした。でも、学校で習う歴史と考古学とは違いますよね。
宮田:
私も年号を覚えるのは嫌いだったですよ。だけど、小さいころから、土器を拾ったり掘り出したりするのが大好きでした。私はずっと東京の多摩市に住んでいましたが、子どものころは多摩丘陵が開発される前で、どこへ行っても土器片に出会えました。学校が終わると土器を拾いに行く毎日で、畑の横に土器が埋もれているようなスポットを見つけてはそれを掘り出し家に持ち帰って接着剤でくっつけて形を作っていくのが楽しみで、大きくなったら考古学者になりたいとずっと思っていました。小学校4年の時に、両親が僕の誕生日にトロイの遺跡を発見したシュリーマンの本「夢を掘り当てた人」を買ってくれましてね。数人が大型の土器を肩に乗せて高く掲げている表紙の写真は今でも覚えていますよ。それを読んで、考古学者への憧れがどんどんと膨らんでいきました。
中川:
そうですか。土器から、古代の人のエネルギーを感じておられたのだと思いますね。でも、土器というのは、そんなにゴロゴロと落ちているものなのですか。
宮田:
今でも、毎日のように拾っていますよ(笑)。みなさん、気がつかないけど、あちこちにあります。だいたい、人間が生活をしてきたところは、その痕跡が地面に残っているものです。でも、地面を見ながら歩いている人はいませんから、気づかずに生活しているだけです。
中川:
そうですよね。意識しないと目に入らないですからね。歴史フットパスという活動をされているということですが。
宮田:
フットパスというのは「歩くことを楽しむ小径」というような意味で、イギリスから入ってきた地域活性や観光の新しい方法でもあります。昔から生活のために使われてきた何気ない小路や裏道、産業や信仰などによって育まれてきた街道を歩きながら、地域の人と交流していくというものですが、私の場合は、歴史ストーリーや歴史ロマン、遺跡の魅力などをテーマに歩きます。どんな小さな山里でも、人間の営みが行われてきたところであれば、そこには古い道があり、そこで暮らしてきた人たちの生きた証があり、人間ドラマの数々が眠っています。それを探り、味わい、楽しみながら道を歩くことの価値は大きなものです。もちろん一片の土器片からも古代人の息吹やメッセージを感じとることもあります。歴史フットパスに参加すると、みなさん、次第に土の上に転がる昔のものが気になって下ばかり見て歩くようになり、はたからみると妙な集団に見えることもあるようです(笑)。
日本の歴史ツアーの多くは、江戸時代を時代背景とする史跡巡りや旧街道歩きが多いのですが、私は「古街道(こかいどう)」がテーマで、縄文時代の初めから戦国時代まで約8000年に渡る時代の道と歴史をテーマにしています。
中川会長がお生まれになった北海道は本当に歴史的にも素晴らしい地域ですね。アイヌ以前の文化の痕跡をたくさん見ることができます。
中川:
そうですか。道をたどっていくと、大昔に戻っていくというわけですね。そんなこと考えてもみませんでした。
宮田:
「道」を調査していると、次々と「未知」の遺跡にあたるんですね。それで、いくつもの研究会を作り、また発掘調査や探索ウォーク、講演などで紹介してきました。朝日カルチャーセンターほかでの講師もいつの間にか30年目になりますね。
中川:
道を発掘するというのは、どうやってやるのですか?
宮田:
道は人が歩くとそこだけが固まりますよね。人が歩かなくなると、そこに柔らかな土が積もっていきます。地面を掘っていくと、急に固い層にぶつかることがあります。さらに掘るとまた柔らかくなります。さらに、その周囲には、土器などの遺物や生活の痕跡が出てきたりして、そこが道だということが特定されます。縄文時代の道だと、場所によっては2メートルくらい掘らないと出ないし、別のところでは30センチ掘れば出てくるところもあります。

(後略)

(2013年5月28日 東京 日比谷松本楼にて 構成 小原田泰久)

著書の紹介

「鎌倉街道伝説」 宮田太郎 著
この本の購入は下記へお申し込み下さい。
「歴史ライフ総合研究所」
Tel&Fax:042-719-6336 
E-mail:<a href="mailto:kokaido@r3.dion.ne.jp">kokaido@r3.dion.ne.jp</a>

           

7月 「すずき じゅんいち」さん

すずき じゅんいち(すずき じゅんいち)さん

本名・鈴木 潤一。1952年神奈川県生まれ。東京大学卒業後、日活に助監督として入社。『マリリンに逢いたい』『砂の上のロビンソン』『秋桜』など、22本の劇映画を監督する。2001年、女優の榊原るみと結婚。以降、11年にわたってアメリカに住み、日系アメリカ人社会との出あいから、戦時下の日系人の歴史を記録することを決意した。著書に「1941 日系アメリカ人と大和魂」(文藝春秋)がある。

『貴重な映像から明らかになる戦時下の日系アメリカ人の真実』

日系アメリカ人の歴史をあまりにも知らないことに呆然

中川:
ロスにお住まいの会員さんから、「日系アメリカ人のことを描いた、すごくいいドキュメンタリー映画がある」と教えていただきました。太平洋戦争のとき、日系アメリカ人が情報収集に大活躍して、そういう人たちがいたから、戦争の集結も2年早まったと言われているのだそうですね。自分が住んでいる国と故郷とも言える国が戦争したのですから、日本で生まれて育った者にとっては、想像できないような難しい立場にいたわけですよね。正直、申し訳なかったと思うのですが、そういった方々のことは、考えたこともなかったですね。
ぜひ、見たいと思っていたのですが、上映が終わってしまっていて、残念だったと思っていたら、その前にも2作、監督は、日系アメリカ人のことを描いておられるとわかったので、すぐにDVDで拝見しました。3部作となっていますが、どういうきっかけでこういう映画を作ろうと思われたのですか。
すずき:
見ていただいてありがとうございます。ボクは、2001年にアメリカの永住権をもらって、せっかくもらったからと、アメリカに移住し、ロスに11年間住みました。ロスでは、多くの日系アメリカ人と知り合いになりました。彼らと親しくなるうち、彼らの歴史を自分があまりにも知らないことに気づいて呆然としました。日系アメリカ人のことは、日本人として知らないといけないし、その足跡も残さないといけないと、柄にもなく真面目に考えましてね(笑)。こういうことに偶然出会ったのも意味があることだし、ボクにできることは映画を作ることだから、映画にして残そうと思って動き始めました。
そしたら、Yさんという70代後半の女性に会いまして、彼女から収容所体験によって家族がバラバラになったという話をお聞きしました。戦争が始まって、日系アメリカ人は刑務所のような収容所へ強制的に入れられました。その仕打ちを彼女は心から恨んでいました。そして、膨大な量の強制収容所に関する本やDVD、ビデオテープ、写真集をもっていて、自分でその意味を考え続けていました。ボクが、日系アメリカ人の歴史に興味をもっていると知って、その資料を貸してくれました。それが3部作を作るきっかけですね。
中川:
私もDVDを拝見して、自分は何も知らなかったということを思い知らされました。みなさん、高齢になっていますし、証言を残すチャンスは、今しかないですよね。収容所の生活を撮り続けてきたカメラマンの東洋宮武さんを描いた『東洋宮武が覗いた時代』(2008年)から始まって、ヨーロッパの戦線で大活躍した日系兵士中心の部隊が主役の『442日系部隊・アメリカ史上最強の陸軍』(2010年)、それに日系兵士中心の軍秘密情報組織(ミリタリー・インテリジェンス・サービス=MIS)をテーマにした『二つの祖国で・日系陸軍情報部』(2012年)と続くわけですが、最初から3部作というのは意識されていたのですか。
すずき:
3本できればいいけれども、ビジネス的には期待できないので、無理だろうなと思っていました。だから、1本目の東洋宮武を作ったときには、この1本で終わってしまっても悔いはないようにと、442部隊のことも、MISのことも入れて、戦争のときの日系史全体を描くようにしました。442部隊のときも、これで終わってもいいようにと考えましたね。
MISのことはほとんどの人が知りませんから、これを一番描きたかったのですが、強制収容所のことも、戦地で戦った人たちのこともきちんと描いておかないと、なかなか理解できない部分もあるので、ここまでたどりつけて、本当に良かったと思っています。
中川:
とても意味のあるお仕事ですから、きっと、いろいろな力にも応援されて、3本作ることができたのだと思います。
すずき:
日本では一本目の「東洋宮武が覗いた時代」は、あまりお客さんが入りませんでしたし、アメリカでもメジャーにはなりませんでした。それでも、リトル東京で上映したときは、日米劇場という800席以上ある大きな会場でやったのですが、25年以上の歴史ある劇場ができて以来の一日当たりの最高の動員数を記録しました。3回の上映予定だったのですが、入りきれない人が続出したので4回やりました。
この映画を見てくださったポール・テラサキさんという方が、次、映画作るなら支援してあげると、好意的なことを言ってくださったのです。その支援があったので、2本目、3本目と進むことができました。

(後略)

(2013年4月17日 東京都千代田区のフィルムヴォイスにて 構成 小原田泰久)

著書・DVDの紹介

左上:1941 日系アメリカ人と大和魂 [単行本] 出版社: 文藝春秋
右上:二つの祖国で日系陸軍情報部 [DVD] 販売元: ワック
左下:442日系部隊 アメリカ史上最強の陸軍 [DVD] 販売元: フイルムヴォイス
右下:東洋宮武が覗いた時代 [DVD] 販売元: ワック

           

6月 「広田 千悦子」さん

広田 千悦子(ひろた ちえこ)さん

文筆家。うつわ・ことば・絵の作家。三浦半島の西海岸に暮らし、にほんの歳時記・暦・四季、日々の暮らしの中にあるたからものなどをテーマに新聞や雑誌でイラスト&エッセイを連載中。「ほんとうの「和」の話」(文藝春秋)「暮らしを楽しむ七十二候」(アース・スターブックス)「おうちで楽しむ日本の行事」(三笠書房)など著書多数。

『変わりゆく季節の中にささやかな幸せを見つける』

宇宙の不思議をたどっていくうちに日本の行事にたどり着く

中川:
はじめまして。先々月は、こちらでご主人(広田行正さん)と対談させていただきました。そのときには、ご執筆がお忙しいということでお会いできず、ご著書をいただいて帰りました。それを読ませていただいたところ、とても面白くて、ぜひ、ゆっくりとお話をうかがいたいと、再度、お邪魔した次第です。今日は、よろしくお願いします。
広田:
ありがとうございます。私も、氣のことには興味がありますので、お会いできるのを楽しみにしていました。
中川:
すてきな着物ですね。日本の行事とか、和の魅力を書かれておられる方だけに、とてもお似合いですよ。普段から着物が多いのですか。
広田:
そうですね。着物を着ますと、背筋がぴっと伸びますし、気持ちが引き締まりますね。着物は、特別なときに着るというイメージが多いですが、本来は普段着からハレの日の服装まで、あらゆる場で着分けすることができます。面倒な決まりごとがあると敬遠されがちですが、慣れてしまえば簡単です。お店によっては、洋服と同じような値段で買い求めることもできますので、もっとたくさんの方に着物を着ていただきたいですね。中川会長も着物を着られたらいかがですか。お似合いになると思いますよ(笑)。
中川:
似合いますかね(笑)。なかなか着るチャンスはないですが、機会があったら、ぜひチャレンジしてみます。
だけど、この場所は、なんとも言えないいい氣に包まれていますね。この間と比べると緑がまぶしくなっていますし、季節感がありますね。さっきから、うぐいすの鳴き声が聞こえてきて、なんだか別世界に来たような感じですよ。広田さんは、もともとは東京にお住まいだったんですよね。
広田:
長い間、東京で暮らしていました。でも、結婚していずれ生まれてくる子どものためには、もっと自然の多い環境がいいのではないかと、こちらへ引っ越してきました。慌ただしく暮らしていると、どうしても季節を感じて生きることが難しくなりますが、こういう環境にいると、季節の変化が身近にあって、心が豊かになってくるような気がしましたね。
中川:
ここに座っているだけで、その感じはわかるような気がしますよ。
ところで、広田さんは、日本の行事などにとても詳しくて、日本人の伝統的な生活や行事について、たくさんの本を書かれていますが、もともと、そういうことに興味があったのですか?
広田:
特に専門的な知識があるわけではありません。生きていることはどういうことなのだろうと、小さいころからよく考えていて、それをたどっていくうちに、日本の伝統とか行事に行き着いたという感じですかね。日本の行事について、その方法を伝えるのも大事ですが、私にとっては、それが一番の目的ではなくて、宇宙の不思議が、日々の生活の中に落とし込まれているということがすごいということを伝えたいなと思っています。
中川:
『ほんとうの「和」の話』(文藝春秋)という本を拝見すると、「私は星を見るのが好きです」という書き出しですね。星を見ながら、自分たちはどこから来てどこへ行くのかと思いを馳せておられるわけですが、それが日本の伝統や行事とどうつながっていくのか、すごく興味をひきますね。
広田:
私としては、そのつながりを、宇宙とか自分たちがどこから来てどこへ行くのかといったことにあまり興味をもたない人に、どうやったら伝えられるだろうと考えて本を書いているのですが、なかなかうまくいかなくて(笑)。
お彼岸なども、天体の動きと関係しているわけで、日本の行事は、宇宙の摂理を日々の生活の中でだれもが楽しめるようにしているものですよね。特に宇宙を意識しなくても、生活の中に宇宙があるんですよね。そこがすごいことだと、私は思っています。
中川:
私は、週に一度、FM西東京というラジオで話をしていますが、お彼岸の時期には、広田さんのご本からお話を拝借しました。ぼた餅とおはぎの違いも、普段はまったく意識していませんでしたが、春のお彼岸はぼた餅、秋のお彼岸はおはぎなんですね。春と秋と、季節の花に合わせて名前がつけられているという説があると聞いて、なるほど、日本の行事というのは季節と密接な関係があるんだなと思わされました。お彼岸は宇宙の動きとも関係あるわけですから、ぼた餅やおはぎは宇宙ともつながっているということですよね。そんなこと、思ってもみませんでした(笑)。
広田:
不思議なことには以前から興味があって、魂ってどういうものだろうかと、よく考えていました。本を読んだり、瞑想をしたり、ワークショップを受けたりもしました。氣功はやりませんでしたが、中川会長のお名前は存じ上げていました。
いろいろなことをやって、ある程度、自分では納得できたし、これくらいでいいかなというところにたどり着いて、次は、それを日々の生活にどう生かしていけばいいかということを考えるようになりました。
私の場合は、仙人になろうとか悟りを開こうといった大それたことではなく、自分自身もさまざまな葛藤をしてきて、その中でこれでいいんだというところに落ち着けたので、同じような気持ちをもった人と、体験や気づきを共有したいなという気持ちで、本を書き始めました。

(後略)

(2013年4月22日 神奈川県横須賀市 ギャラリー&スタジオ「秋谷 四季」にて 構成 小原田泰久)

著書の紹介

左:「おうちで楽しむにほんの行事」(三笠書房) 広田 千悦子・著
右:「ほんとうの「和」の話」(文藝春秋) 広田 千悦子・著

           

5月 「小原田 泰久」さん

小原田 泰久(おはらだ やすひさ)さん

1956年三重県生まれ。名古屋工業大学卒業。6年間のサラリーマン生活をへて、28歳でフリーライターに。1988年中国旅行で、先代の中川雅仁会長に出会って氣の世界を取材するようになり、取材をしているうち、自らも氣が出せるようになった。先代のイルカとの意識交流にも同行し、その体験をまとめた「イルカが人を癒す」(KKベストセラーズ)がベストセラーに。以来、「イルカみたいに生きてみよう」(大和書房)など、イルカに関する著書を何冊も出す。ほかにも、「ヒーリング・ドクター」(法研)「犬たちのネバーエンディングストーリー」(廣済堂)「木村さんのリンゴ 奇跡のひみつ」(学研パブリッシング)「原爆と原発 ホピの聖なる預言」(学研パブリッシング)など、著書多数。

『統合医療の施設がオープン。真氣光もその一員に』

統合医療の施設がオープン。真氣光もその一員に

中川:
今度、メディカルプラザ市川駅という病院がオープンしましたが、そこは、統合医療の施設ということで、西洋医学だけでなく、東洋医学や代替療法が必要に応じて受けられるようになっています。その中に、気功療法として真氣光が取り入れられることになりました。小原田さんは、医療ジャーナリストして、活動されていますが、今の医療は、徐々に統合医療という方向に進んでいるのでしょうか。
小原田:
西洋医学の以外の治療法をCAM(Complementary and Alternative Medicine=補完代替医療)という言い方で呼んでいます。CAMを取り入れている医師はとても増えていると思います。ただ、CAMに関する評価というのは、医師によって違いますので、大きな病院で統合医療を実践するのは難しいようで、個人のクリニックという形での広がりがほとんどです。
中川:
今回、私どもがお手伝いすることになったメディカルプラザ市川駅は、母体が江戸川病院という総合病院です。今回、統合医療施設を作る上で、中心となって動いてこられた阿岸鉄三先生は、世界に類を見ない施設だとおっしゃっていましたが、画期的な試みがなされていると考えていいのでしょうか。
小原田:
とても大きな一歩だと思いますね。江戸川病院は、ベッド数が418床の総合病院ですからね。昭和7年に開設された歴史のある病院ですし、最初にこの話をお聞きしたときには、ずいぶんと思い切ったことを始めるものだと驚きました。でも、今、どこの病院も過渡期にあって、江戸川病院の試みがうまくいけば、一気に、統合医療が広がる可能性もありますね。そういう意味では、とても大事な一歩だと思いますね。
今回、真氣光の入るメディカルプラザ市川駅は、駅前ということでアクセスもいいし、450坪というのも、なかなかぜいたくな広さだと思います。保険診療がベースのようですが、医師の診断のもと、必要に応じて、気功、ヨーガ、アロマセラピー、カイロプラクティック、鍼、温泉療法などを自由診療としても受けられるわけで、患者さんとしては、どの療法を受けるにしても、医師の指導のもとなので、とても安心できると思います。
オープンに先立っての内覧会におうかがいしました。療法ごとに部屋が分かれていましたが、これは患者さんにとっても施療する側にとってもとてもやりやすいだろうなと思いました。真氣光の部屋も、ベッドが2つ置けるスペースがあって、非常にゆったりと施療が受けられますね。
お医者さんの方々のお話もうかがいましたが、とても代替療法に対する造詣が深くて、感心しました。
今回、真氣光がこういった医療施設で採用されたということは、真氣光の可能性が、さらに広がっていくように思いますね。
中川:
もともと、先代のころは、たくさんの難病の方がセミナーにも研修講座にも来られました。しかし、法的な制約もあって、気功を医療として広げていくのは難しいのが現状でした。今回、こういう形で採用されて、お医者さんの管理のもとで、病気の方に真氣光を体験していただけるというのは、とてもありがたいことです。私どもは、真氣光によって患者さんの苦痛が少しでも和らげばいいなと思いますし、同時に、真氣光でいつも話しているように、病気は気づきのチャンスだということを、おいおいお伝えしていけるようになればと思っています。
小原田:
阿岸先生もおっしゃっていましたが、WHO(世界保健機関)では、健康の定義として「スピリチュアリティ(霊性)」を入れようということが検討されましたからね。採択はされていませんが、これからの医療はその方向に進んでいくと思いますね。人間は、体ばかりでなく心もあって、さらには、もっと深い部分、いわゆる魂もあるということは、昔から言われていることですから、そこまで目を向けないと、本当の意味での健康は得られないのではないでしょうか。そういう意味で、真氣光はこれからの医療でも、とても重要な役割を果たすことになると思います。その第一歩が、今回、メディカルプラザ市川駅で始まったというふうに考えられると思いますね。
中川:
私どもも、そういうことをきちんと自覚して、せっかくのご縁ですので、西洋医学を手助けするような働きができればと思っています。
まだまだ始まったばかりで、手探りの部分は多いのですが、これからの展開が、私は楽しみで仕方ないんですよ。

(2013年3月30日 メディカルプラザ市川駅にて 構成 小原田泰久)

           

4月 「広田 行正」さん

広田 行正(ひろた ゆきまさ)さん

1962年生まれ。写真家。タヒチ、モルディブ、バハマ、ハワイなど南の海を中心に100回近い海外ロケを行っている。長く読み続けられる本を作ることを目標とし、奥さんで作家の広田千悦子さんとの共著は多数ある。「湘南ちゃぶ台ライフ」(阪急コミュニケーションズ)「「捨て犬サンの人生案内」(メディアファクトリー)「おうちで楽しむ日本の行事」(技術評論社)など。東京新聞、中日新聞で毎週月曜日、「くらし歳時記」連載中。

『湘南発! 身近にあるすてきな光景を写真で伝える』

山の中なのに海まで歩いて数分、富士山も見えるというロケーション

中川:
はじめまして。この家は、広田さんが仕事場にされている所ですか。縁側にお日様が当たって、古き良き日本の家屋という感じがします。
広田:
この家は、築70年ほどたちます。お年寄りのご夫婦が住んでおられたのですが、ご主人が亡くなって、おばあちゃん一人じゃちょっとと言うので、出て行かれて、空家になっていたのをお借りしました。壁にしっくいを塗ったりして補修しましてね、今はスタジオとして使ったり、展覧会をやったりしています。庭で、仲間を集めて焚き火をやることもあります。
中川:
映画の撮影とかでも使われるそうですね。
広田:
昨日も、秋に公開される映画の撮影がありました。こたつを置いたり、塀を作ったり、すっかり様子が変わってしまってびっくりでしたよ。
以前、モスバーガーのCMでも使われました。この庭で、忽那汐里ちゃんが、ハンバーガーを食べるというシーンを撮っていました。小泉今日子さんが雑誌の撮影で来られたこともありました。
中川:
この家の雰囲気もいいし、まわりにも自然がたくさんあって、いいですよね。今日は、車でおうかがいしましたが、1時間くらいで来られますからね。東京の近くに、海あり、山ありの、こんないいところがあるとは驚きですよ。
広田:
この下に川がありますが、梅雨の季節にはホタルが出ます。昔、護岸工事をする前は、ホタルが乱舞していたようですが、今は毎年30匹ほどですかね。
中川:
いいですね。このあたりに住まれてどれくらいになるのですか。
広田:
もう20年くらいになります。前は東京に住んでいたのですが、この近くに友だちが住んでいるので、ときどき遊びに来ていました。子どもが欲しくなって、自然の中で暮らしたいと思い、そういう物件を探したら、この場所を紹介されました。山の中なのに、海まで歩いても数分で出られます。富士山も見ることができて、なんてすてきなところだと気に入ったのですが、東京の生活に慣れていると、山の中の静けさや、真っ暗な夜というのは、最初は怖かったですね。
中川:
広田さんはカメラマンで、横須賀とか葉山とか、このあたりの風景を撮っておられて、中日新聞や東京新聞には、毎週、「くらし歳時記」というのを連載されていますね。広田さんの写真に奥さんの文章が添えられて、すごく温かいコラムになっていると思います。きれいな富士山がバックにあって、海では漁師さんがわかめを取っていたり、とても季節感のある写真を撮っておられますね。
私がびっくりしたのは、蜃気楼の写真です。富山湾の蜃気楼は有名ですが、こちらでもあんなにはっきりと蜃気楼が見られるんですね。
広田:
ありがとうございます。新聞の連載は5年半になります。毎週締め切りが来ますから、今度はどうしようかと、いつもネタを探しています。幸い、山も海もあるので、何かしらいいネタは見つかります。蜃気楼は、1月の寒い朝でしたが、8時ごろに海を見たら、あの蜃気楼が出ていたんですよ。蜃気楼はときどき見るのですが、あんなにはっきりと見えたのは初めてでしたね。
中川:
蜃気楼は衝撃的な光景ですから、ぱっと目につくとは思いますが、そのほか、小さな発見がいっぱいあるじゃないですか。日々、まわりを観察していないと、なかなか目につかないことですよね。
広田:
私は、毎朝、高校生の子どもを逗子の駅まで送って行って、ゆっくりと朝の海を見ながら帰ってきます。毎日のように見ていますから、ちょっとした変化でもキャッチできるようになりました。カメラはいつももっていますから、何かあると、それを撮るようにしています。山も、ゆっくりと歩きながら見ていると、そろそろふきのとうが出てきたなとか、いろいろと発見がありますよ。
中川:
玄関に、富士山の頂上に夕日が沈む写真が飾ってありますよね。すごい写真ですね。日常の景色を撮りつつ、ああいったスケールの大きな写真も撮られるわけですね。
広田:
ダイヤモンド富士ですね。あの写真も、我が家の周辺で見られる光景です。春と秋に、あの位置に太陽が落ちるのが見られます。でも、ちょうどモヤがかかりやすい時期なものですから、なかなかうまく撮れません。あの写真は3年前に撮ったのですが、それ以降、天候の関係でうまく撮れていませんね。
この近くでは、富士山に満月が沈むパール富士も見られますし、いいところに住めたと感謝していますよ。

(後略)

(2013年2月25日 神奈川県横須賀市 ギャラリー&スタジオ「秋谷 四季」にて 構成 小原田泰久)

著書の紹介

「湘南ちゃぶ台ライフ」
広田行正、広田千悦子 共著
(阪急コミュニケーションズ)

           

3月 「瀬戸 謙介」さん

瀬戸 謙介(せと けんすけ)さん

昭和21年父親の赴任先である旧満州で生まれる。獨協大学卒業。14歳で空手を初め、現在社団法人空手協会7段。A級指導員、A級審査員、A級審判員、空手東京都本部副本部長、同技術局長などを務める。平成18年第6回空手協会熟練者全国空手道選手権大会形の部で優勝。著書に『子供が喜ぶ「論語」』『子供が育つ論語』(ともに致知出版)などがある。

『論語や武士道を学んで、日本人の誇りを取り戻そう』

ご先祖様の名を汚さないような生き方をするにはどうしたらいいか

中川:
先生の『子供が育つ論語』を読ませていただきましたが、考えてみれば、論語に触れるのは、高校時代の漢文以来じゃないかと思います。人間としてどう生きればいいか、とても大事なことが書かれていると、改めて思いましたが、論語については、学校でも、私のころのように、漢文でちょっと勉強するくらいなんでしょうね。
瀬戸:
このごろは、ほとんどやってないかもしれませんね。笑い話ですが、大学を出た若者に論語を見せたところ、ルビが振ってないものでしたが、「子曰わく」を見て、「先生、コーヒーわく」ってどういう意味ですかって質問してきましたから(笑)。きっと習ってなかったんでしょうね。
中川:
そうですか。そう読めないこともないですからね(笑)。もっとも、私たちの世代も、内容をよく知っているわけではないですから、彼らを笑えませんけどね。
ところで、先生は空手を教えながら、論語も教えているということですが、これは何か理由があるのですか?
瀬戸:
空手の練習のあとに論語の素読をしています。今月の論語というのを決めて、1ヶ月、練習が終わると毎回やって、最後の日曜日に1時間半かけてその論語を座学で勉強するようにしています。
私の場合、空手を教えていますが、空手が上達することだけを目的としてやっているわけではありません。あくまでも、空手は自分を磨く手段です。もし空手よりももっと自分を磨く手段としていい方法があれば、そちらをやってもいいと思っています。論語も自分を磨く方法のひとつだと考えています。論語というよりも、私は武士道に興味があって、武士道を理解するには論語は必要ですから、そういう意味で論語を取り入れているわけです。子どもたちには、論語は暗記しやすいし、わかりやすいということもあります。先ほど言った、月に一度の1時間半の勉強のときも、論語を40分やって、残りは武士道という割合で教えています。
中川:
武士道に興味をお持ちなんですね。昔からですか。
瀬戸:
本格的に武士道を研究しだしたのは大学時代からです。子どものころ両親から武士道と言った言葉はしょっちゅう聞かされていましたので、自然と興味を持つようになっていました。父は、全ての論語を暗記していましたので、何か子どもに言い聞かせることがあると、論語を持ち出していましたから、自然に武士道とか論語とか、私の中に染み込んでいたのだと思います。
中川:
体を動かす空手と精神性や生き方を説く論語や武士道と、とてもいい組み合わせになっていますね。
武士道というと、日本独自のもので、ヨーロッパには騎士道とかありますが、かなり違うものなのですか?
瀬戸:
武士道の素晴らしさ、日本人の感性の素晴らしさは、激しい戦場において、命のやり取りの中から無常感を感じ取ったところにあります。生死に直面し仏教の死生観を受け入れ、儒教の人倫(注)を学び、己を磨き、苦悩の果てについにその壁を破り、勝負から離れ生死を超越した域に達したことです。騎士道や外国の武術と呼ばれるものでこの域にまで達したものは見当たりません。武士道とは表面的美しさを求めるのではなく「心の美学」を追求したもので、これは日本独特の哲学です。
(注)
人倫…君臣・兄弟・夫婦などの人間関係を保持していくための道徳。人としての道
武士はとても名を惜しみました。名を惜しむというのは、自分の名前を汚さないということだけではなくて、ご先祖様の顔に泥を塗らないということまで含んでいます。いつの時代も、日本人には、自分が生きているということはご先祖様のおかげだという意識があります。縦の関係を意識して生きている民族です。ご先祖様の名を汚さないためにどういう生き方をすればいいのかというのを追求しているのが武士道なんですね。
『菊と刀』という有名な本がありますが、その中で、日本は恥の文化だと書かれています。その本では、どこか、恥の文化を見下したようなニュアンスを感じるのですが、恥の文化は重要だと、私は思っています。恥ずかしいという感覚がなくなればなんでもできてしまいます。これをやったら恥ずかしいと思うからこそ、身を正して生きるんじゃないですか。時には命に代えてでも名誉を守る。それが武士の生き方です。
中川:
確かに、日本人はご先祖様を意識して生きていますね。お盆とかお彼岸にはきちんとお墓参りをしてご先祖様にごあいさつしますからね。
瀬戸:
お墓と言えば、去年、ドイツからお客さんが来ましてね。ちょうどお彼岸だったのでお墓参りに連れて行きました。なんでお墓に行かないといけないのだと変な顔をしていましたけど、お墓に行って、掃除をして、わいわいと賑やかにお墓参りをしたら、驚いていました。ドイツでは、しんみりとして暗くて、日本のようににぎやかなお墓参りなんかしないって言うんですね。まるで、ご先祖様と対話しているようだって感心していましたよ。

(後略)

(2013年1月8日 東京日比谷松本楼にて 構成 小原田泰久)

           

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