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12月「清水 克衛」さん

清水 克衛(しみず かつよし)さん

1961年東京生まれ。書店「読書のすすめ」店主。NPO法人「読書普及協会」理事長。94年「読書のすすめ」を東京都江戸川区篠崎にて開業。2003年に「読書普及協会」を設立し、「良質なご縁から生まれる成幸の法則」をテーマにした講演活動を全国で行っている。著書に、「5%の人」「他助論」(サンマーク出版)「非常識な読書のすすめ」(現代書林)などがある。「読書のすすめ」公式サイト <a href="http://dokusume.com/" target="_blank">http://dokusume.com/</a>

『たった一冊の本との出あいで、人生はがらりと変わる』

八百屋さんで新鮮な野菜をすすめるように本をすすめる本屋さん

中川:
清水さんは、「本のソムリエ」ということで、よくマスコミでも取り上げられていて、たくさんの本も出されています。私も『他助論』という本を読ませていただきましたが、この人、ただ者ではないぞと感じまして、今日は、お話をうかがいにまいりました。よろしくお願いします。
清水:
ありがとうございます。「本のソムリエ」というのは、3年前に「エチカの鏡」という番組に出たときに、ディレクターから「そう呼んでもいいですよね」と言われて、「いいですよ」と言ったことが始まりです。自分からは恥ずかしくて言ったことなんてないですよ(笑)。
中川:
そうですか。お客さんに、その人が読むといいだろうなと思える本をずっとすすめてこられたんですよね。本を選ぶ手助けをするという意味では「本のソムリエ」という言い方も間違ってないかもしれません。本屋さんで本をすすめられるというのは珍しいですよね。私は、そんな体験ないですね。
清水:
あんまりないでしょうね(笑)。立ち読みしていると、店員さんに肩を叩かれて、「こんな本があるけどいかがですか」ってすすめられるんですから。最初のうちは、声をかけると、みなさんびっくりされました。すーっと店を出て行ったり、中には、「何かの宗教ですか」といぶかしがったり、「放っておいてくれ」と怒鳴る人もいました。でも、だんだんと私の気持ちがわかっていただいたのか、口コミで、あの店は面白いという話が伝わって、店に足を運んでくれる人も増えてきました。
中川:
どうしてそんなことを始められたのですか?
清水:
たとえば、八百屋さんや魚屋さんへ行けば、「今日はこんなにイキのいいのが入っているよ」ってすすめられるじゃないですか。それと同じですよ。
中川:
なるほど。そう言われればそうですね。本屋さんで本をすすめるのは当たり前のことかもしれませんが、私の知る限り、そんなお店はないですね。
清水:
世間で売れている本は、うちくらいの規模では入荷しません。世間で売れているものを売るという発想だったら、とっくにつぶれていたと思いますよ。それに、うちの店は、駅からも離れているし、人通りが多いわけでもないし、繁盛する要素はまったくありません。ここで本屋を始めるとき、だれもが反対しました。「エッチな本の専門店だったらいいかもしれない」というありがたいアドバイスをしてくれた人もいました(笑)。そんな状況ですから、生き残るためには、工夫するしかありません。
中川:
確かに立地はいいとは言えませんね。
清水:
あるとき、斎藤一人さんがふらっとお店に入って来られたことがありました。タイトルは忘れましたが、ある本を探していました。私はその人が斎藤一人さんだとは知らず、「お客さん、もっと面白い本がありますよ」とおすすめしました。1時間くらい話しましたかね。あのころ暇でしたから(笑)。「じゃあ、それも買っていくよ」と言ったあと、一人さんは、「君みたいに元気な人が江戸川区でがんばっているのはうれしいよ。これとっときなよ」と、1万円くれました。一人さんも江戸川区にお住まいなんですね。それがきっかけで、「何か面白い本はないの」と、昔は週に3回くらいきてくれました。おすすめして、面白いとなると、2千冊とか3千冊買ってくれました。自分がすすめた本をそんなに買ってもらうと、もっと勉強しないといけないと思いましたね。
中川:
出会いのドラマですね。普通の本屋さんだったら、そんなことは起こらなかったですからね。
清水さんは、本との出あいで、何か印象的なことはあったのですか。
清水:
大学生のときでしたが、3時間くらい電車に乗らないといけないことがあって、そのとき暇つぶしに読もうと思って買ったのが、司馬遼太郎さんの「竜馬がゆく」でした。この本が、私の人生をがらりと変えました。竜馬は、独自の商人感覚で武士の時代を変えていきました。「まわりに流されず、時代に流されず、常に自分流で生き抜く男の中の男に出会った、この男に惚れた!」と思いました。そして、それをきっかけに、「商売って面白い」「商人ってかっこいい」と、自分の進むべき方向が決まりました。

(後略)

(2012年9月25 日 東京都江戸川区「読書のすすめ」にて  構成 小原田泰久)

著書の紹介

「他助論」(サンマーク出版)
「非常識な読書のすすめ」(現代書林)

           

11月 「鈴木 七沖」さん

鈴木 七沖(すずき なおき)さん

1964年愛知県生まれ。日本大学、文化服装学院を卒業後、さまざまな職業をへて、33歳のときに㈱サンマーク出版に入社。現在、取締役TB編集部編集長。担当書籍の累計実売数が300万部を突破。2011年3月、ドキュメント映画「SWITCH」を制作。各地で自主上映会が広まっている。英語版も完成し、海外上映も始まっている。

『本と映像作品で、楽しく豊かな人の輪を作っていく』

自分で作っていた50部の新聞が人生を変えるきっかけに

中川:
はじめまして。鈴木さんは、編集者としていろいろな本を作られていますが、『「原因」と「結果」の法則』など、みなさん、よく知っている本がたくさんありますね。ずいぶんとベストセラーを世に出されているとお聞きしていますが、私は、沖縄で『いのちのまつり』という絵本を見つけて、とても良かったので、会員さんにご紹介したことがあります。あれも、鈴木さんが編集されたそうですね。
鈴木:
ありがとうございます。おかげさまで、絵本としては異例とも言える大変な売れ行きで、小学校の道徳の副読本としても使われています。週に2~3校から、スライドにして全校生徒に見せてもいいだろうかというような問い合わせをいただきます。小学生のお子さんをおもちの親御さんは、きっとこの絵本のことをご存じじゃないでしょうかね。
もともとは、佐賀に住んでいる草場一壽さんという男性が自費で出版したものです。男の子がパーキングビルから突き落とされた事件や西鉄バスジャック事件が九州の近県で起こり、これは黙っていられないというので、絵本という形でいのちのことを訴えたんですね。
それが、口コミで広がって、約5000部も出ました。自費出版では考えられないことですよ。その本が、回り回って、私のところへ来ました。読んだ瞬間に、「これをやりたい」と思いましたね。
中川:
見た瞬間に、ぴぴっときたわけですね。
鈴木:
どの仕事も瞬間ですね。この本を、うちの代表のところへもっていきました。そしたら、代表のところへも、違うルートからその本が届いていました。5000冊のうちの2冊が、うちの会社へ来ていたわけです。
そういう偶然の多い編集者人生ですね。
中川:
一瞬のひらめきというのは大事だと思います。考えて考えて、考え抜いて決断するというのも必要なことはあるかもしれませんが、ぱっとひらめいたことに従うと、うまくいくというのは、私も、氣をやっていてよく感じますね。
この絵本の何ページ目かにある仕掛けにはびっくりさせられました。ある絵が折りたたまれているページがあって、それを広げていくと、「あっ」と思ってしまいました。「なるほど」と納得する人もいるでしょうね。
鈴木:
だれにでもお父さんとお母さんがいて、さらにその上にお父さんとお母さんがいて…それをずっとさかのぼっていくと、無数とも言えるご先祖様がいるわけですよ。それを絵にしたんですね。言葉で、「たくさんのご先祖様がいる」と言っても、なかなか実感できませんが、こうやって絵にすると、納得できるのではないでしょうか。
中川:
その通りですね。私は長年、氣をやっていますが、氣とはこんなものだと、いくら言葉で説明してもなかなか伝わりません。でも、体験してもらうと、何も言わなくても、わかる人にはわかります。
ところで、鈴木さんは、編集者になる前、いろいろな仕事をされてきたようですが。
鈴木:
いやいや、威張れるようなことではないのですが、両手の指ではおさまらないくらいの仕事をしてきました。今の会社へ入る前は、産業廃棄物を回収するトラックの運転手でした。今はお台場と言われていますが、当時は夢の島という関東地方のゴミの最終処理場へ、ゴミを運んでいました。
中川:
それがまた、どうして出版社へ入ることになったのですか。
鈴木:
妻が乳がんになりまして、田舎で暮らした方がいいと思って、埼玉県の伊奈町というところに引っ越しました。産廃の仕事をやめて、新居近くの町工場で働き出しました。そのころ、ずっと50部くらいの新聞を出して、親しい人に配っていました。そしたら、そのうちの一部が、当時のサンマーク出版の社長の目に止まりまして、会いたいと呼び出されました。そしたら、うちに来ないかという話になりまして、それがきっかけですね。一度はお断りをしたのですが、こんな話はなかなかないだろうと思って、お世話になることにしました。
中川:
ご自分で作っておられた新聞が縁だったわけですね。それも、たった50部だけなのに、それで人生が変わってしまいましたね。どんな新聞を作っておられたのですか。
鈴木:
そのころはパソコンもありませんでしたから、ワープロで自分の思いを書いて、写真を切り張りして作った新聞です。それまでいろいろな仕事をしてきて、広告業界でも働きましたし、文章を書くのは好きでした。
内容は、夢の島で仕事をして感じたことですね。たとえば、いくら川下の夢の島で仕分けをしたって、川上の私たちの生活が変わらなければ、ゴミ問題は何も解決しないということを訴えたり、夢の島の土壌の微生物を調べたり、当時はEM菌というのが流行りはじめていて、それを飲むとどうなるかという人体実験を自分の体でしたりもしましたね。会長がやっておられるような目に見えない世界のことにも興味がありましたので、そういう話も書いていました。

(後略)

(2012年9月 19 日  東京日比谷 松本楼にて 構成 小原田泰久)

           

10月 「柴田 保之」さん

柴田 保之(しばた やすゆき)さん

1958 年大分県生まれ。1987 年東京大学大学院教育学研究科単位取得退学。 同年より、國學院大學に勤務し、現在、人間開発学部初等教育学科教授。専門は、重度・重複障害児の教育に関する実践的研究。障害の重い子にも内的な言語があることに気づかされ、障害児教育の根本的な問い直しを続けている。 <a href="http://www2.kokugakuin.ac.jp/~yshibata/" target="_blank">http://www2.kokugakuin.ac.jp/~yshibata/</a> 著書「みんな言葉を持っていた―障害が重い人たちの心の世界―」(オクムラ書店)

『障害の重い人たちの心の世界に耳を傾ける』

心の中で、豊かで潤いの ある美しい世界を紡ぎ出す人たち

中川:
柴田先生のことは、私どもの会員の神原康弥君の お母さんから紹介していただきました。康弥君は、幼いころに、突然の発作を起こし、体が不自由になり、言葉も話せなくなりました。しかし、お母さんに手を添えてもらうことで字が書けるようになり、自分の意思を表現したり、詩を書くこともできるようになりました。 先生に出あって、ずいぶんと励まされ、勇気をもらったとおっしゃっていました。康 弥君と知り合ったのはいつごろのことですか。
柴田:
年くらい前でしょうか。康弥君が小学校の低学年でしたから。
中川:
先生は、重度の障害 をもつ人たちにも言葉があるということで、障害者や家族の方々の相談に乗ったり、パソコンの文字盤を使って、彼らに心のうちを表現させてあげたりしておられます。 脳に問題があって、重度の肉体的な障害をもっている人は、自分の意思表示がないので、言葉もないと思われていましたが、実際には言葉もあるし、すばらしい感性をもっていると、先生は言われています。どういうことがきっかけでそう思われたのですか。
柴田:
私の恩師はとてもユ ニークな人で、障害をもった人には深い感性、研ぎ澄まされた感覚があると常々おっしゃっていました。彼らは健常者と呼ばれる私たちよりもずっと偉い存在だということもおっしゃっていて、言葉がないとは一切おっしゃっていませんでした。しかし、私たちは時代の流れもあって、言葉のある障害者とない障害者があると考えていました。重度の障害のある人の中には、言葉をもっている人もいるだろし、いない人もいるだろうとは思って接していました。言葉の理解の ある人とない人という具合に分けて考えていたわけで す。
しかし、長年、彼らと接しているうちに、どうもそうではない、だれもが言葉をもっているのではと思うようになってきました。
私たちは、一般に障害のある人に質問して 、「ハイ」と「イイエ」を答えられるかどうかで、言葉があるかないかを判断しています。たとえば、まばたきで質問に「ハイ」「イイエ」の返答ができれば、この子には言葉があると判断するわけです。でも、まばたきもできないし、自由に体が動かせなかったり、不随意運動が激しい人は、言葉を理 解していても、返答ができませんから、言葉がないとみなされてしまうのです。
中川:
そうですか。康弥君の場合、お母さんは知的な遅れはないと確信していたようですが、「ハイ」「イイエ」の返答ができなかったので、コミュニケーションはできないと、外からは見られていたわけですね。
柴田:
そうですね。でも、少し考えてみればわかりますが、目の前の人が、私たちにわかるような表現をしない からと言って、どうして言語がないと結論づけることができるのでしょうか。表現すべき内容はもっているのだけれども、表現するのに必要な運動を起こすことに障害があるだけだと考える方が自然なのではないでしょうか。
中川:
先生の本には、重度の障害をもった方のすばらしい詩が紹介されています。本来なら、それらが外に出ることはなかったわけですね。先生がコミュニケーションをとる方法を考え出されて、実際にコミュニケーションすることで、それが表に出て、読ませていただくと、すごく心にしみる言葉が並んでいます。彼らは、外に表現できない中で、ずっと詩を作っていたということですよね。
柴田:
15年ほど前から、パソコンとスイッチを使ってコミュニケーションをしてきたのですが、最初は、ゆっくりと一文字ずつを綴っていくくらいで、長い文章にはなりませんでした。しかし、彼らの短い文章の中に、とても深い表現があることには気づいていました。援助の方法も進歩して、より速くたくさんのコミュニケーションができるようになったとき、彼らの使う言葉があまりにも美しいので、「詩を作ったことがありますか」とたずねたら 、「ハイ」と答え 、「 今 、書けますか」とお願いすると、すらすらとよどむことなく 詩がつづられてきたのです。 最初に詩を聞き取れるようになったときには驚きました。発表をする機会もないのに、一生懸命に自分の頭の中に美しい世界を作り出しているのだなと感激しました。彼らの置かれた状況としては、非常に殺伐としたものです。にもかかわらず、ちゃんとした豊かで潤いのある世界を作り上げているのです。現実のつらさから逃避するためだけではなく、彼らにとっては、厳しい現実に再び向かい合うために、心を見つ めてもう一度自分を見つめ直すための大切なひとときだと感じました。
東日本大震災のとき、「故郷 (ふるさと)」という歌が、こんなにも心に染みるものだとは思わなかったと感じた方も多いと思います。素朴な歌詞が、一人ひとりの望郷の念を掻き立てたのではないでしょうか。つらい出来事があったからこそ、そういう気持ちになったのだと思い
ます。つらいときの詩の意味というのは大きいのでしょうね。
中川:
私が想像するに、これまで自分の思いを伝えられなかった人が、やっとわかってくれる人がいて、それを外に伝えてくれるとわかったとき、自分のつらさや愚痴のようなものが最初に出ると思ってしまいました。しかし、最初の言葉として、みなさんが、お母さんやまわりの人への感謝の気持ちを言っているのには驚きました。
柴田:
そうなんですね。お母さんが一生懸命に世話をしていることに、彼らはすごく感謝していますし、その気持ちを伝えてきますね。付き合いが長くなると愚痴も出てきますけどね(笑)。愚痴と言っても、自分たちは言葉がわかっているのに、なぜそのことをわかっても らえないのかといったことですけどね。

(後略)

(2012年8月8日 國學院大學 たまプラーザキャンパスにて 構成 小原田泰久)

著書の紹介

「みんな言葉を持っていた ―障害が重い人たちの心の世界―」(オクムラ書店)

           

9月 「町田 宗鳳」さん

町田 宗鳳(まちだ そうほう)さん

1950年京都市生まれ。14歳で出家し、臨済宗大徳寺で修行。20年間の修行の後、寺を離れて渡米、ハーバード大学で神学修士号を、ペンシルバニア大学で博士号を習得する。プリンストン大学助教授、国立シンガポール大学准教授、東京外国語大学教授をへて、現在、広島大学大学院総合科学研究科教授。著書に、「法然の涙」「ニッポンの底力」「異端力」などがある。

『異端力によって、自分で納得し楽しめる人生を切り開く』

14歳で出家。 20年間の禅寺での修行の後、ハーバード大学へ留

中川:
はじめまして。車で来たのですが、途中で道がわからなくなりまして(笑)。福山の市街から、5~6キロ離れるだけで、こんなにも静かなところがあるんですね。この永照院というのは先生のお寺ですか。
町田:
ようこそおいでくださいました。ここは、本来はお寺ではなくて、ある大手造船会社が、月見の宴を開くために建てた古民家です。それを私が譲り受けて、観音菩薩をお迎えしてお寺にしました。人工の建物がここからはまったく見えないでしょ。
中川:
駐車場から池のほとりを歩いて、坂道を登ってきましたが、下界とは氣がまったく違いますね。すばらしいところです。
実は、先生のことは、青山学院大学の石井光先生からご紹介いただきました。石井先生は、私どもが行っている真氣光研修講座で講師をしてくださっていて、内観のエッセンスを参加者に体験してもらっています。
町田:
そうでしたか。私も内観のことはすごく評価していまして、石井先生からはいろいろとお話をうかがったことがあります。内観というのは、日本人にしか効果がないかと思っていたのですが、石井先生は長年ヨーロッパでやっておられて、そうじゃないことを証明されましたね。すばらしいことを世界に発信されていると思いますよ。
中川:
町田先生は、今は広島大学大学院の教授をされていますが、経歴を拝見すると、何と言えばいいのか、ちょっとこういう方はいないのではと驚かされます。14歳で出家されたということですが、まだ中学生ですよね。どうして出家しようと思ったのですか? ご家族の影響とかあったのですか?
町田:
うちの家族は、まったく宗教には関心がありませんでした。私は、小学校のときからキリスト教の教会に出入りして聖書の勉強をしていましたから、宗教には関心があったのだと思います。中学生のクラスメイトにお寺の小僧さんがいまして、休みの日に遊びに行ったりしたのですが、禅寺の生活がとてもシンプルで、私には魅力的に映りました。当時、体が弱くて、お寺で修行すれば強くなれるんじゃないかという気持ちもあって、中学二年生の大みそかに「除夜の鐘を撞きに行く」と親に言って、風呂敷包一つで家を出ました。
中川:
ご両親は心配したんじゃないですか。
町田:
ひどく心配したと思いますよ。でも、どこのお寺へ行ったかはわかっていましたから。
中川:
中学生がお寺へ行って、どういう生活をするのですか?
町田:
朝、早くに起きて、お経をあげてから掃除をします。それから学校へ行きます。学校では普通に授業を受け、終わったら、走って帰ってきます。そして、畑仕事をして、薪を割って、お風呂をわかすというような生活ですよ。
中川:
遊びたい盛りの中学生が、わざわざそういう生活に飛び込むというのは、何か突き動かされるものがあったんでしょうね。でも、ほかの子が遊んでいて、うらやましいとか思わなかったんですか。
町田:
もちろん、友だちと比べて、自分には遊ぶ時間も勉強する時間もなくて、つらいと思ったことはありますよ。でも、自分で決めてやったことですから。なんでこんな道を選んだのだろうと疑問に思うことはありましたが、失敗したと思ったことはなかったですね。
中川:
そのお寺で20年間修行をされた後、アメリカへ行かれますよね。それもハーバード大学で勉強をすることになるわけですが、それはどういういきさつだったのですか。
町田:
20年間お寺にいて、仏教を外から見てみたくなりましてね。師匠が亡くなるということもあって、思い切って外へ出てみようと思ったわけです。
中川:
それでハーバード大学というのも、またすごい飛躍ですね。
町田:
別に私がハーバードを望んだわけではなかったのです。外国に留学してみたいという思いはあったので、機会があるごとに、いろいろな人に、その思いを伝えていました。そしたら、アメリカの有名な数学者の方が、アメリカの主要な大学に、日本に非常に変わったお坊さんがいて、留学したがっているが受け入れてもらえないかと、手紙を出してくださいました。それを、ハーバード大学の神学部の先生が見てくださって、私を受け入れてくれたという流れです。
中川:
すごい流れですね。道というのは、人とのご縁の中から開けていきますね。
町田:
私は、ずっとたなぼた人生ですよ(笑)。自分から動くことはなくて、声がかかるのを待っています。
中川:
結婚はされていたんですか。
町田:
アメリカへ行くと同時にしました。家内とは、京都の大原の小さな庵で一人暮らしをしていたときに出あいました。アメリカへ行く2~3ヶ月前でしたかね。まだ、ハーバードへの留学も含めて、先がまったく見えていないときに結婚を決めたのですが、私よりも家内の方が、勇気がいったんじゃないかなあ。アメリカへ行ってからは、勉強はもちろんしなければならなかったし、アルバイトをしないと食べていけませんでしたから、大変と言えば大変でしたね。

<後略>

(2012年7月19日 広島県福山市の永照院にて 構成 小原田泰久)

著書の紹介

異端力――規格外の人物が時代をひらく(祥伝社新書283) 町田 宗鳳 (著)

           

8月 「阿岸 鉄三」さん

阿岸 鉄三(あぎし てつぞう)さん

1934年(昭和9年)札幌生まれ。北海道大学医学部卒業。同大学院(外科系)修了。神戸大泌尿器科講師、2度のアメリカ留学をへて、東京女子医大腎センター外科教授、所長を務め、2000年に定年退職。現在、同大名誉教授、大分大学客員教授、桐蔭横浜大学客員教授、江戸川病院ヘルシーエイジングセンター長。

『医学部教授が気功師になって気づいたこと』

透析患者の血流が良くなれ ばと外気功を試してみた

中川:
先生と初めてお会いしてからもう20年ほどになりますかね。お変わりなくお元気そうで何よりです。まだ現役で診療されているそうですね。
阿岸:
77歳になりましたけど、おかげさまで元気にしています。会長とお会いしたのは、先代会長のころで、私が生駒の研修所へ見学におうかがいしたときです。1994年だったかな。
中川:
18年前ということになりますね。研修講座にお医者さんが来られることはありましたが、現役の医学部教授がお越しになるというのは初めてだったと思います。先生は一泊してお帰りになりましたが、その一泊が先生の人生に大きな影響を与えたわけですよね。
阿岸:
本当にそうでしたね。自分でも想像できないような展開となりました。
中川:
もともとは、当時、東京女子医大の助教授だった本田宏先生がきっかけですか。
阿岸:
そうですね。そのころ、私は腎臓病総合医療センターの外科教授でした。あるとき、本田先生が、病院に気功師を連れて来ました。先代の弟子だった方です。私は手をかざして何かが起こるなどということは信じていませんでした。医学なり医療というのは、科学技術を応用したもの以外には考えられなかったからです。
それでも、せっかく来られたのですからお話だけはお聞きしました。その方の話をお聞きして、私が興味をもったのは、手をかざすと患者さんの体が温かくなるということでした。透析の患者さんの中には、閉塞性動脈硬化症と言って、血液の巡りが悪くなって、体が芯から冷えてたまらないという方が少なくありません。下肢に起こることが多くて、夏でも毛糸の靴下を3枚重ねてはき、湯たんぽやアンカを使っても足が冷たくて眠れないという人もいます。
体が温かくなるなら、そういう患者さんに外気功を受けさせたらどうだろうと、ひらめいたんですね。
中川:
いやあ、それはすごいですよ。頭から拒絶せずに、試してみようと思われたのですからね。
阿岸:
何だったんでしょうね(笑)。すぐに数人の患者さんにお話をして、外気功を体験してもらいました。そしたら、みなさん、体が温かくなったと言うんですね。それで、私は温かくなったというのをもっと客観的にとらえられないかと思って、サーモグラフィで測定してみることにしました。あと、血流の測定ですね。
過去の医学論文も調べてみました。過去10年間検索をしましたが、気功のことを書いた医学論文はなかったですね。あとからわかったのですが、気功を研究する団体というのはほとんどなくて、あっても小さな団体で、それも医学者よりも理工学を専門とする人が多く、権威ある学会誌や商業誌に気功をテーマに投稿しても、査読の段階で掲載を拒否されてしまっていたようでした。気功のことがわかっている査読者なんていませんからね。結局、少部数の雑誌に掲載されるだけなので、論文検索をしても引っかかってこなかったんですね。
中川:
なるほど。ある意味、先生はパイオニアですから、すべて自分で考えてやっていかなければならなかったわけですね。でも、サーモグラフィで調べてみようとひらめいたのはすばらしいですね。あれを使えば、体が温かくなるのが一目瞭然ですからね。
阿岸:
気功師の方に毎週1回来てもらって、下肢閉塞性動脈硬化症の患者さんに対して外気功をしてもらいました。女子医大の地下にサーモグラフィの検査室があって、気功治療を行うに当たっては私も責任がありますから、数時間の治療の間、そこに詰めていました。20名の患者さんに、それぞれ1回から6回、延べ30回の外気功治療を行いました。
その結果ですが、まず、患者さんの自覚症状では、気功を受けて数分以内に、下肢が温かくなってきて、温かくなるに従って痛みも軽減してきたと言う人が多かったですね。お風呂に入っているみたいに温かいのですが、お風呂だと出るとすぐに冷えるのに、外気功だと24時間、温かさが継続するという方もいました。
30回の外気功のうち、25回はやや改善以上の“有効〟という結果が出ました。

(後略)

(2012年5月23 日  SAS東京センターにて 構成 小原田泰久)

著書の紹介

科学的医療と非科学的医療の統合―統合医療の本質 (スコム・同時代医学双書) 金原出版

           

7月 「篠浦 伸禎」さん

篠浦 伸禎(しのうら のぶさ)さん

1958年生まれ。東京大学医学部卒。東大医学部附属病院、国立国際医療センターなどで脳神経外科医として勤務。シンシナティ大学分子生物学部に留学し、帰国後、国立国際医療センター、都立駒込病院に。現在、都立駒込病院脳神経外科部長。脳の覚醒下手術ではトップクラスの実績をもつ。著書に「人に向かわず天に向かえ」(小学館)「臨床脳外科医が語る人生に勝つ脳」(技術評論社)など。

『脳外科の臨床現場から見た瞑想・氣・人間学の効果』

脳の覚醒下手術によって脳の各部の機能がわかってきた

中川:
先生は、脳外科医なのに、心のことや人間学の大切さを盛んにお話されています。ユニークなお医者さんもいるものだと思いまして、本を読ませていただいたら、とても興味深いお話がたくさん書かれていましたので、ぜひお会いしたいと思っていました。こうやってお会いできて光栄です。
篠浦:
ありがとうございます。私は、脳外科医で、脳の覚醒下手術を行っています。文字通り、患者さんが起きたままの状態で手術を行います。実際に、患者さんと話をし、反応を見ながら脳の手術をしていると、さまざまなことがわかってきます。言い方は悪いかもしれませんが、どんな脳科学の実験よりも、はるかに具体的で重要な情報を手に入れることができたのです。その経験から、人間の行動や感情をコントロールしているのは脳だと、実感できるようになりました。そんなことから、心とか人間学に興味をもつようになってきました。
中川:
意識がある中で脳の手術をするというのは、正直、驚きなのですが、どれくらい前からそのような手術は行われているのですか? 想像すると、怖いような気もしますけど(笑)。
篠浦:
都内では、駒込病院と東京女子医大病院くらいですかね。一番技術レベルが高いのはうちだと自負しています。この手術が始まったのは6~7年前で、脳腫瘍の患者さんの手術のときに、覚醒下で行っています。初めてこの手術をしたときには感動しました。この手術中、脳を露出した患者さんが普段どおりに、私たち医師と話したり、手を動かしたりします。脳には痛覚がありませんので、皮膚などに局所麻酔を効かせておけば、患者さんはほとんど痛みを感じずに開頭手術ができるのです。
中川:
驚きですね。覚醒下での手術のメリットというのはどういうことがあるのですか?
篠浦:
患者さんの反応を見ながら手術が進められるということです。腫瘍を摘出するとき、脳の一部に電気刺激を与えたりしながら、患者さんの反応を見ます。これまでの脳外科手術では、全身麻酔で行っていましたので、手術中に、大事な機能のある部分の神経回路に傷をつけてしまって、麻痺や失語症が残ったりしたこともありました。覚醒下で行えば、大事な神経回路を圧迫したりすると、即座に目の前の患者さんに変化が出るので、そこで手術をストップすることができます。その段階だと、少し休めば、回復することが多いので、手術によって障害が残ることを最小限に抑えることができます。
この間、女性の患者さんでしたが、自分の手術をずっとモニターで見ていた人もいました。途中で出血があったりして、それでも動揺しませんでしたからね。大変なツワモノだと感心しました。
中川:
そういう時って、女性の方が強いみたいですね(笑)。私だったら、怖くて見られないですよ。
そうやって、何例もの患者さんの手術を覚醒下で行われているわけですが、その手術をするうちに、脳の機能が具体的にわかってきたということです。
篠浦:
右脳は感性の脳、左脳とは論理の脳と、よく言われますが、確かに右脳と左脳の機能は違います。右の前頭葉の手術をしていると、それまで普通に会話できていた患者さんの集中力が急に途切れ、眠くなり始めることがあります。逆に、左の前頭葉の手術をしているときには、数を逆に言っていくような簡単なことも面倒くさがり、怒り出したりします。
外来に来られる方で観察しても、右脳に障害のある方は、どこか活気がありません。知的なことは問題なくこなせるのですが、料理などをすると非常に時間がかかったりします。左脳に障害があると、気分が高揚していてお酒を飲んだときのように、よくしゃべります。しかし、感情の起伏が激しくて、急に怒りっぽくなったりします。複雑な課題に取り組むのが苦手で、不機嫌になったりします。
中川:
面白いですね。氣は、よく右脳だと言われていますが。
篠浦:
そうでしょうね。右脳は、直観とか感性とか芸術の脳ですし、他人の考えを憶測したり、感情を読むときに使われますね。
日本人は基本的には右脳の民族です。右脳は多義的と言われていて、さまざまな価値観を同時に受け入れられてそれを器用にこなせる脳です。日本人のように、宗教でも、あらゆるところに神様はいるし、神道も仏教もキリスト教も受け入れられます。変化の多い社会の中でもすばやく対応できるという特徴があります。
しかし、右脳に過大なストレスがかかるとどうなるかというと、防衛反応として、人は逃げようとします。手術中でも右脳に刺激を与えると逃げ出そうとする人もいますからね。それが高じるとうつ病になって、自殺に結びつきやすくなります。

(後略)

(2012年4月18日 都立駒込病院にて 構成:小原田泰久)

著書の紹介

左上:「臨床脳外科医が語る人生に勝つ脳」(技術評論社)
右下:「人に向かわず天に向かえ」(小学館)

           

6月 「有田 秀穂」さん

有田 秀穂(ありた ひでほ)さん

1948年東京生まれ。1973年東京大学医学部卒業。その後、東海大学医学部内科で臨床、筑波大学基礎医学系で脳神経の基礎研究に従事。その間ニューヨーク州立大学に留学。現在東邦大学医学部統合生理学教授。セロトニン研究の第一人者。脳内セロトニンを活性化させる技法を教えるセロトニン道場の代表。著書は、「脳からストレスを消す技術」(サンマーク出版)、「セロトニン脳健康法」(講談社+α新書)、「セロトニン欠乏脳」(NHK生活人新書)「思春期の女の子の気持ちがわかる本」(かんき出版)など多数。

『セロトニン脳でストレスと上手に付き合う』

ストレスには勝てないからうまく受け流すようにする

中川:
私どもは、氣という癒しのエネルギーをベースにして意識とか気づきの大切さをお伝えしています。私の父の代から25年ほどやっている中で、氣を受けることによってさまざまな変化が起こってくることは、体験的にわかってきました。しかし、理論的には説明できないことが多々ありまして、何とかもっと多くの人にわかりやすいようにお話できないかと思ってきました。
ちょうどそんなときに、和歌山でクリニックを開業されている西本真司先生から、有田先生のことをお聞きし、ご著書を読ませていただきましたら、いろいろな疑問が解けていきました。これは、ぜひお会いしてお話をうかがいたいものだと思いまして、今日、こういう機会を設けていただきました。
さっそくですが、まずはいろいろな病気の原因とされているストレスについてお聞きしたいと思います。先生は脳科学という視点で、ストレスについて語っておられますね。
有田:
よろしくお願いします。ストレスですが、私たちの脳は、心身が不快に感じることは、すべてストレスと認識します。仕事のプレッシャーとか人間関係のトラブルといった精神的なものばかりでなく、痛みとかかゆみ、疲れ、空腹、暑さ、寒さなどもストレスです。
つまり、人は生きている限り、何らかのストレスを感じているということです。よく、ストレスに打ち勝つと言いますが、ストレスというのはどう頑張ってもなくなることのないものですから、打ち勝とうとすることが無理な話です。打ち勝とうとすると、それが余計にストレスになってしまうという矛盾をはらんでいるのです。
では、どうしたら、なくそうと思ってもなくせないストレスとうまく付き合うことができるのか。この問題に世界で最初に取り組んだのがお釈迦様でした。お釈迦様は6年間、大変な苦行をします。まさに、ストレスに戦いを挑んだわけです。しかし、結果は完敗でした。お釈迦様でもストレスには勝てなかった。その経験によって、お釈迦様は、ストレスには勝つことはできない、だから上手に受け流せばいいと気づきました。これは、最新の脳科学がたどり着いた結論でもあります。
中川:
ストレスをなくそうとするのではなくて、あって当たり前だと思うことですね。どうやったらストレスを上手に受け流せるかということを考えることの方が重要で、それができないから、現代は、うつ病をはじめ、さまざまな病気が蔓延しているということでしょうね。
有田:
ストレスについての西洋医学的な研究は、100年ほど前、ハンス・セリエというカナダの免疫学者が取り組みました。ストレスという言葉も、彼の提唱した「ストレス学説」によって認知されたものです。
セリエは、生体にストレスがかかるとどうなるかを、動物実験で調べました。ストレスを受けると、生体はストレスホルモンを出します。そして、そのストレスがずっと続くとどうなるか見るため、ラットにストレスをかけ続けたところ、ラットは死んでしまいましたが、その過程でとても興味深いことがわかりました。最初にストレスがかかったときには、ラットは何とかしようと大騒ぎしました。払いのけよう、打ち勝とう、逃れようとするわけです。このときには、自律神経の交感神経が緊張して、血圧も代謝も上がりました。しかし、しばらくして、いくら抵抗してもらちがあかないとわかると、生体は抵抗しなくなりました。血圧も上がりません。
そのときに、ラットの体に何が起こっているか、セリエは調べました。胃潰瘍ができていました。胸腺やリンパ腺が委縮していました。副腎皮質が肥大していました。これは、「セリエのストレス三兆候」と呼ばれていて、ストレスを受け続けると、生体に必ずと言っていいほど起こる反応です。
中川:
ストレスによって肉体にも変化が出てくるわけですね。副腎皮質というのはよく聞きますが、ステロイドホルモンを出すところでしたよね。ステロイドというと、アトピー性皮膚炎で治療薬として使われているので、よく耳にします。これが、ストレスホルモンなのですね。
有田:
そうですね。おっしゃるように、ステロイドというのは副腎皮質ホルモンのことです。アトピー性皮膚炎や火傷などの炎症に効く薬ですが、これが体内で出すぎると、高血圧になったり糖尿病になったりします。また、副腎皮質ホルモンは免疫を抑える作用があります。これが大量に分泌されるということは、免疫を低下させますから、病気にかかりやすくなります。
さきほど、ストレスが続くと、ラットも抵抗することをやめると言いましたが、体内でも副腎皮質ホルモンを大量に出して免疫を抑制し、外敵と戦うことをやめてしまうという現象が起こってきます。

(後略)

(2012年4月4日 東邦大学医学部にて 構成 小原田泰久)

著書の紹介

左上・「思春期の女の子の気持ちがわかる本」(かんき出版)
右下・「脳からストレスを消す技術」(サンマーク出版)

           

5月 「棚次 正和」さん

棚次 正和(たなつぐ まさかず)さん

1949年香川県生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程(宗教学専攻)修了。筑波大学哲学・思想学系助教授、シカゴ大学神学校・高等宗教研究所シニア・フェロー、筑波大学哲学・思想学系教授をへて、現在、京都府立医科大学教授(人文・社会学教室)。著書に、『宗教の哲学』(創言社)『宗教の根源』(世界思想社)『人は何のために「祈る」のか』(村上和雄先生との共著 祥伝社)『祈りの人間学』(世界思想社)

『「祈る」ことは「生命をその根源から生きる」こと』

人間は絶対的なものを 求めずにはいられない 生き物

中川:
去年3月11日の地震と津波と原発事故で、たくさんの人が悲しい思いをしました。今でもつらい状況の人がたくさんいます。たくさんの物的な支援が行われると同時に、日本全国、世界各国の人たちが、被災地の人たちのために祈りのエネルギーを送り続けています。私たちも、たくさんの仲間が集まって、被災地に氣のエネルギーを送ろうというイベントを行いました。
私は、祈りの気持ちはすごく大事だし、間違いなく、被災地にその気持ちは届いていて、被災者の方々を元気づけたり、勇気を与えたりできると信じています。しかし、何分にも、祈りも氣も目に見えないものなので、証明のしようがありません。今日は、祈りのことを研究されている棚次先生に、祈りがいかに大切かということをお聞きしたくておうかがいしました。どうぞよろしくお願いします。
先生は、宗教哲学というのがご専門ですが、京都府立医科大学という、お医者さんになる学生さんたちの学校で、どういうことを教えられているのですか。
棚次:
こちらこそよろしくお願いします。この大学では、宗教学とか医療倫理学というのを教えております。授業は熱心に聞いてくれるのですが、あまり専門的なことは、理系の学生たちなので、それほど興味がないみたいです。卒業して、医療の現場に入れば、病気で苦しむ方とか亡くなる場面とも向き合うことになるので、そのときに、私の話したことが少しでも役に立てばいいのではないかと思っています。ターミナルケアなどの話は、医療倫理学でしっかりと話しています。
中川:
日本人というのは、あまり宗教のことは前面に出して語りませんよね。○○教の信者という形で宗教にかかわっている人も少ないですしね。そのへんは、世界でも異質なんじゃないですか。
棚次:
日本人というのは、宗教がらみの話は嫌う傾向にありますね。特に、若い人はそうかもしれません。オウムの事件以来、宗教というと、非常にネガティブにとらえられています。
でも、世界的に見ると、70億人の人口のうち、55億人以上が宗教の信仰をもっています。日本人は、ほとんどが宗教の信仰を持たないという特異な民族なんですね。そのへんの話をすると、学生もショックを受けるみたいですね。
中川:
日本人は、特定の宗教はなくても、宗教的な精神性をもっていますよね。大きな山があれば、そこに神様を感じるとかですね。
先生は、宗教体験を、「相対と絶対との統一」とおっしゃっていますね。非常に哲学的で難しいのですが、わかりやすく説明してくださいますか。
棚次:
相対と絶対とは、明らかに次元を異にする2つの世界です。相対とは、他の相対との関係においてあるものを指します。絶対とは相対を絶しているものを指して、他との関係なしに独立自存する実在です。その両者が統一されるというのは矛盾なのですが、宗教体験では、それが統一されているのです。
たとえば、私たちの欲望ですが、それが充足されることは決してありません。欲望の本質はそれが決して満たされないところにあります。なぜなら、欲望というのは、相対の存在だからです。これは、どこまでいっても絶対的なものにはなりません。幸せにしても、それが永続的なものかというと違いますよね。何かあると不幸のどん底に陥ったような気分になってしまいます。私たちが肉体をもっている限り、こういった相対的なものに支配されざるを得ないですし、相対的なものである限り、苦がつきまといます。
私は、人間というのは、「絶対と相対との関係」だと考えています。絶対だけでもなく相対だけでもない。多くの人は、相対的なところで人間をとらえている。その限りだと、いつまでも落着はないでしょうね。
相対からくる苦しみを乗り越えるには、絶対的なものを意識する必要があります。宗教というものが、絶対を考えるきっかけになります。
中川:
人間は、どうしても人と比べて自分はどうだとか考えてしまうわけですよね。そこに苦しみとか悩みが生じてきて、そこから脱するには、どうしても神のような絶対的な存在を意識するしかないということですよね。よく、弱いから宗教に逃げるという考え方をする人もいますが、それはどうなのでしょうか?
中川:
そういう側面もあるでしょうね。でも、私は違うとらえ方をしています。宗教にしても祈りにしても、弱いから絶対的なものを求めるのではなく、人間はもともと絶対的なものを求めざるを得ないようになっているのではないでしょうか。

(後略)

(2012年2月22 日 京都府立医科大学にて 構成 小原田泰久)

著書の紹介

左上・『祈りの人間学』(棚次正和著 世界思想社)
右下・『人は何のために「祈る」のか』(村上和雄先生との共著 祥伝社)

           

4月 「森山 徹」さん

森山 徹(もりやま とおる)さん

1969年生まれ。神戸大学理学部化学科卒。同大学院の博士後期課程修了後、公立はこだて未来大学助手、助教をへて、現在、信州大学ファイバーナノテク国際若手研究者育成拠点(繊維学部応用生物学系バイオエンジニアリング課程)助教。専攻は、比較認知科学、動物心理学。「オカダンゴムシにおける状況に応じた行動の発現」で日本認知科学会奨励論文賞を受賞。著書に「ダンゴムシに心はあるのか」(PHPサイエンス・ワールド新書)がある。

『科学の目で心に迫る。ダンゴムシにも心があった!』

心は発達した大脳のみに宿るわけではない

中川:
ある書店へ入ったら、先生の書かれた本が、ぱっと目に止まりました。「ダンゴムシに心はあるのか」という、とても興味をそそられるタイトルだったので、さっそく買い求めて読ませていただきました。面白かったので、ぜひお話をうかがいたいと思いまして、研究室までお邪魔した次第です。よろしくお願いします。
森山:
ありがとうございます。お送りいただいた雑誌を拝見しましたが、中川会長は工学部のご出身だそうですね。
中川:
機械工学です。卒業後は、電機メーカーで研究開発の仕事をしていました。森山先生も、メーカーで開発の仕事をされていたそうですね。
森山:
私は化学の出身で、修士課程を卒業した後、やはり電機メーカーに就職しました。電車の推進制御装置の新製品開発グループというところに配属されまして、大電力半導体の開発にかかわっていました。
中川:
私は化学の出身で、修士課程を卒業した後、やはり電機メーカーに就職しました。電車の推進制御装置の新製品開発グループというところに配属されまして、大電力半導体の開発にかかわっていました。
森山:
当たってますね(笑)。心って何だろうということは昔から興味がありました。学部のときは、化学も面白くて一生懸命に勉強しました。しかし、化学というのは、根気が勝負の研究ですからね。ノーベル化学賞を受賞された、ある先生の研究室では24時間電気が消えなかったという話を聞いたことがあります。その精神力には大いに感心しますし、当時の先生や先輩から学んだ研究者の心構えが、今の私の研究を支えています。しかし、当時の私は、そのような態度を続けられるかどうか不安でした(笑)。それで、もともと興味のあった心や意識について研究してみようという気持ちになり、修士課程では、個人的に興味のある研究をさせてくれる研究室があったので、そこで勉強をすることにしました。しかし、どう研究を進めていいかわからなくて、試行錯誤でした。ただ、「心は発達した大脳のみに宿るという考え方には賛成できない」という思いはあったし、それを示すには「動物が行動を自分で選択するという様相を実験で提示することが必要なのではないか」という考えまではたどりついていました。
そこまでは行っても、その先へはなかなか進みません。そんなある日、今でも共同で研究をしている同級生が、「タコって面白そうだなあ」というようなことを言っているのを聞いて、私はこれもきっかけだと思い、タコで研究をすることに決めたわけです。
中川:
最初はタコだったのですか。でも、心というと、人間だけにあると考えたり、せいぜい、犬とか猫に心があるかなというくらいの見方しかできないのに、タコで実験しようというのは、なかなか出ない発想ですよ。先生の研究のポイントとなっているのは、心とは何かを独自に定義していることだと思います。その上で、対象となる生き物と長く付き合う中で、心の存在を明らかにするというアプローチをしているわけですが、なかなか根気のいる研究ですよね。
森山:
この定義も、独自と言えば独自だし、自分勝手と言えば自分勝手なものですけどね(笑)。科学の現場では、心というと、脳の特定部位の働きによるものだと思われています。しかし、心の概念を「脳の特定部位」だと言う科学者は、自分の知り合いの、心を司る脳の特定部位が機能しなくなったとしたら、その人は心も失ってしまったと考えるかと言うと、そうじゃないと思いますね。心を感じるはずです。記憶や思考、判断といった認知的活動や感情を司る特定部位が脳にあるのは確かですが、その機能を挙げ連ねるだけでは、心とは何かという問いへの答えにはなりません。心というのは、もっと抽象性の高いものではないかと思いますね。
中川:
先生は、心というのを、「私の中にある何者か」というとらえ方をされていて、それは第六感で把握する気配のようなものだと言われていますね。ある人を前にして、その人に心があると思うのは、その人の内に隠れている気配を感じるからだとおっしゃっていますが、これは、まさに氣のことだなと、私は思いました。私どもがやっている真氣光というのは、私の父が始めたものですが、父が「氣は心だ」と、ずっと言っていたのを思い出しましたよ。

(後略)

(2012年2月1日 信州大学上田キャンパスにて 構成 小原田泰久)

著書の紹介

「ダンゴムシに心はあるのか」(PHPサイエンス・ワールド新書)

           

3月 「南 研子」さん

南 研子(みなみ けんこ)さん

女子美術大学油絵科卒。NHK「ひょっこりひょうたん島」「おかあさんといっしょ」などで美術制作を担当。1989年イギリスの歌手スティングのツアーに同行したアマゾンの先住民のリーダー、ラオーニと出会ったことがきっかけで、熱帯森林保護団体を設立。その後、約22年間、2011年までに25回現地を訪れ、年数ヶ月アマゾンのジャングルで先住民とともに暮らし、支援活動を続けている。著書に「アマゾン、インディオからの伝言」「アマゾン、森の精霊からの声」(ほんの木)がある。 <a href="http://www.rainforestjp.com/news/index.html" target="_blank">http://www.rainforestjp.com/news/index.html</a>

『アマゾンのインディオからもらった大きな気づき』

スティングのツアーで長 老と会い、アマゾンにか かわることに

中川:
はじめまして。この22年間、1年に数か月はアマゾンのジャングルで暮らしておられるというので、どういう方が来られるのだろうと、ちょっとドキドキとしていました(笑)。
南:
頭に鳥の羽の飾りが乗っていると思っていましたか(笑)。いたって普通でしょ。
中川:
ほっとしています(笑)。私どもは、宇宙のエネルギーである氣を扱っている団体ですが、どんなことをやっているか、説明がなかなか難しいんです。南さんの活動も、簡単に言えば、アマゾンの森林を守ろうということですが、本を読ませていただくと、すごいドラマがいっぱいありますね。南さん自身、アマゾンの森林の破壊をずっと憂えていて、やむにやまれずに行動を起こしたのではなく、最初は、衝動的に動き出したと、そんな印象を受けましたが。
南:
だいたい、私は、人生の中で「こうやるぞ!」と決めたことはありません。直感だけ。とってもアバウトな人間です。あまり物事を深く考えても変わらないじゃないですか。力を入れればいれるほど、その力が自分にかえってきて疲れるばかりです。私が大事にしているのは、出会いとご縁ですね。出会いとご縁がないと、人生が進んで行きませからね。
中川:
アマゾンにかかわるようになったのも、ちょっとした出会いからでしたよね。
南:
1989年でしたね。当時も私はわがままに生きていましたが、それでも何か、自分らしく生きてないなって感じがしていました。そんなときに、アメリカ人の友だちが、イギリスのスティングのことを私に話してくれました。彼は今、アマゾンの森がなくなっているので何とかしたいと、長老を引き連れてツアーをしているというのです。私は、あまり音楽に興味はなかったのですが、アジアで唯一日本に来るので、手伝ってほしいと言われて、「いいですよ」と軽く返事をしてしまいました。それが始まりですね。友だちの話を聞いたとき、アマゾンっていいサウンドだなと思って、アマゾンというのはどこにあるんだろうと、地図を調べました。一生懸命にアフリカを探していましたからね(笑)。アマゾン川は、ナイル川と並行して流れていると思っていましたよ。その程度の知識で始まったわけです。
中川:
それがどうしてこんなにものめりこんでしまったんでしょうね。
南:
長老と会ったときは、この人は違う星の人かなと思いました(笑)。でも、しばらく一緒にいるうち、氣がいいというか、見ていて心地いいんですね。帰りに空港まで送ったとき、握手をしました。そのとき、行ったこともないアマゾンの景色が一瞬見えたんです。音もにおいも感じました。勘違いかなと思いましたが、そういうことを感じさせるというのは、自我がない人なんだろうなと、とても彼のことを気に入りました。空っぽで、アマゾンの精霊なんかの思いを運んできたメッセンジャーなんだこの人は、と思って目を見たら、アマゾンの状況を日本に伝えてほしいと言っているように感じたんですよ。勘違いなら勘違いでいいやって思いましてね。この男のためにひと肌ぬぐかと、そのときに決心しました。悪い男につかまったみたいなものですよ。アマゾンと離れられなくなってしまいました(笑)。資金繰りとかうまくいかなくなってもうやめようと思ったら、そんなときに限って、ちょろっといいことがあったりするわけです。ジゴロみたいでしょ(笑)。このままいっちゃえ。こんな軽い乗りですよ。がんばったら続かなかったでしょうね。
中川:
それですぐにアマゾンへ行かれたんですね。すごい行動力ですね。
南:
軽いんですよ(笑)。とにかく、現場を見ないと始まりませんからね。こんなに遠いのかってびっくりしました。ブラジルまでが飛行機で24時間。そこからジャングルの現場へ行くのに4日ほどかかりました。日本から1週間はかかります。そんなこと前もって調べていませんでしたから。ただ、遠いところへ行くんだなというくらいで出かけました。
中川:
そんなにかかると知っていたら行かなかったかもしれませんね(笑)。それで、ジャングルは今、どういう状況になっているんですか。
南:
年間に四国の1・5倍の面積の森林が、大豆畑や牧場になったり、鉱物の採掘やダムの建設で壊されています。東京都の12倍ですね。科学的には証明されていませんが、アマゾンの森林が地球上の酸素の4分の1から3分の1を作ってくれていると言うじゃないですか。それを壊していくというのは、人間は自分で自分の首を絞めているようなものですね。私たちの支援地域は、本州と同じくらいの面積があります。そこで、植林をしたりしているのですが、砂漠に水をまくようなものです。それでも、まかないよりはいいだろうと、毎年、行っています。マンモスに立ち向かうアリみたいなものかな。でも、アリをたくさん増やせば何とかなるかもしれないと、一生懸命にアリを集めています。

(後略)

(2012年1月 25 日 東京日比谷松本楼にて 構成 小原田 泰久)

著書の紹介

アマゾン、森の精霊からの声 [単行本]
南 研子 (著)
出版社: ほんの木

           

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