12月「清水 克衛」さん
清水 克衛(しみず かつよし)さん
1961年東京生まれ。書店「読書のすすめ」店主。NPO法人「読書普及協会」理事長。94年「読書のすすめ」を東京都江戸川区篠崎にて開業。2003年に「読書普及協会」を設立し、「良質なご縁から生まれる成幸の法則」をテーマにした講演活動を全国で行っている。著書に、「5%の人」「他助論」(サンマーク出版)「非常識な読書のすすめ」(現代書林)などがある。「読書のすすめ」公式サイト <a href="http://dokusume.com/" target="_blank">http://dokusume.com/</a>
『たった一冊の本との出あいで、人生はがらりと変わる』
八百屋さんで新鮮な野菜をすすめるように本をすすめる本屋さん
- 中川:
- 清水さんは、「本のソムリエ」ということで、よくマスコミでも取り上げられていて、たくさんの本も出されています。私も『他助論』という本を読ませていただきましたが、この人、ただ者ではないぞと感じまして、今日は、お話をうかがいにまいりました。よろしくお願いします。
- 清水:
- ありがとうございます。「本のソムリエ」というのは、3年前に「エチカの鏡」という番組に出たときに、ディレクターから「そう呼んでもいいですよね」と言われて、「いいですよ」と言ったことが始まりです。自分からは恥ずかしくて言ったことなんてないですよ(笑)。
- 中川:
- そうですか。お客さんに、その人が読むといいだろうなと思える本をずっとすすめてこられたんですよね。本を選ぶ手助けをするという意味では「本のソムリエ」という言い方も間違ってないかもしれません。本屋さんで本をすすめられるというのは珍しいですよね。私は、そんな体験ないですね。
- 清水:
-
あんまりないでしょうね(笑)。立ち読みしていると、店員さんに肩を叩かれて、「こんな本があるけどいかがですか」ってすすめられるんですから。最初のうちは、声をかけると、みなさんびっくりされました。すーっと店を出て行ったり、中には、「何かの宗教ですか」といぶかしがったり、「放っておいてくれ」と怒鳴る人もいました。でも、だんだんと私の気持ちがわかっていただいたのか、口コミで、あの店は面白いという話が伝わって、店に足を運んでくれる人も増えてきました。 - 中川:
- どうしてそんなことを始められたのですか?
- 清水:
- たとえば、八百屋さんや魚屋さんへ行けば、「今日はこんなにイキのいいのが入っているよ」ってすすめられるじゃないですか。それと同じですよ。
- 中川:
- なるほど。そう言われればそうですね。本屋さんで本をすすめるのは当たり前のことかもしれませんが、私の知る限り、そんなお店はないですね。
- 清水:
- 世間で売れている本は、うちくらいの規模では入荷しません。世間で売れているものを売るという発想だったら、とっくにつぶれていたと思いますよ。それに、うちの店は、駅からも離れているし、人通りが多いわけでもないし、繁盛する要素はまったくありません。ここで本屋を始めるとき、だれもが反対しました。「エッチな本の専門店だったらいいかもしれない」というありがたいアドバイスをしてくれた人もいました(笑)。そんな状況ですから、生き残るためには、工夫するしかありません。
- 中川:
- 確かに立地はいいとは言えませんね。
- 清水:
- あるとき、斎藤一人さんがふらっとお店に入って来られたことがありました。タイトルは忘れましたが、ある本を探していました。私はその人が斎藤一人さんだとは知らず、「お客さん、もっと面白い本がありますよ」とおすすめしました。1時間くらい話しましたかね。あのころ暇でしたから(笑)。「じゃあ、それも買っていくよ」と言ったあと、一人さんは、「君みたいに元気な人が江戸川区でがんばっているのはうれしいよ。これとっときなよ」と、1万円くれました。一人さんも江戸川区にお住まいなんですね。それがきっかけで、「何か面白い本はないの」と、昔は週に3回くらいきてくれました。おすすめして、面白いとなると、2千冊とか3千冊買ってくれました。自分がすすめた本をそんなに買ってもらうと、もっと勉強しないといけないと思いましたね。
- 中川:
-
出会いのドラマですね。普通の本屋さんだったら、そんなことは起こらなかったですからね。
清水さんは、本との出あいで、何か印象的なことはあったのですか。 - 清水:
-
大学生のときでしたが、3時間くらい電車に乗らないといけないことがあって、そのとき暇つぶしに読もうと思って買ったのが、司馬遼太郎さんの「竜馬がゆく」でした。この本が、私の人生をがらりと変えました。竜馬は、独自の商人感覚で武士の時代を変えていきました。「まわりに流されず、時代に流されず、常に自分流で生き抜く男の中の男に出会った、この男に惚れた!」と思いました。そして、それをきっかけに、「商売って面白い」「商人ってかっこいい」と、自分の進むべき方向が決まりました。
(後略)
(2012年9月25 日 東京都江戸川区「読書のすすめ」にて 構成 小原田泰久)

著書の紹介
「他助論」(サンマーク出版)
「非常識な読書のすすめ」(現代書林)
はじめまして。鈴木さんは、編集者としていろいろな本を作られていますが、『「原因」と「結果」の法則』など、みなさん、よく知っている本がたくさんありますね。ずいぶんとベストセラーを世に出されているとお聞きしていますが、私は、沖縄で『いのちのまつり』という絵本を見つけて、とても良かったので、会員さんにご紹介したことがあります。あれも、鈴木さんが編集されたそうですね。
どの仕事も瞬間ですね。この本を、うちの代表のところへもっていきました。そしたら、代表のところへも、違うルートからその本が届いていました。5000冊のうちの2冊が、うちの会社へ来ていたわけです。
そのころはパソコンもありませんでしたから、ワープロで自分の思いを書いて、写真を切り張りして作った新聞です。それまでいろいろな仕事をしてきて、広告業界でも働きましたし、文章を書くのは好きでした。
私の恩師はとてもユ ニークな人で、障害をもった人には深い感性、研ぎ澄まされた感覚があると常々おっしゃっていました。彼らは健常者と呼ばれる私たちよりもずっと偉い存在だということもおっしゃっていて、言葉がないとは一切おっしゃっていませんでした。しかし、私たちは時代の流れもあって、言葉のある障害者とない障害者があると考えていました。重度の障害のある人の中には、言葉をもっている人もいるだろし、いない人もいるだろうとは思って接していました。言葉の理解の ある人とない人という具合に分けて考えていたわけで す。
私が想像するに、これまで自分の思いを伝えられなかった人が、やっとわかってくれる人がいて、それを外に伝えてくれるとわかったとき、自分のつらさや愚痴のようなものが最初に出ると思ってしまいました。しかし、最初の言葉として、みなさんが、お母さんやまわりの人への感謝の気持ちを言っているのには驚きました。 
うちの家族は、まったく宗教には関心がありませんでした。私は、小学校のときからキリスト教の教会に出入りして聖書の勉強をしていましたから、宗教には関心があったのだと思います。中学生のクラスメイトにお寺の小僧さんがいまして、休みの日に遊びに行ったりしたのですが、禅寺の生活がとてもシンプルで、私には魅力的に映りました。当時、体が弱くて、お寺で修行すれば強くなれるんじゃないかという気持ちもあって、中学二年生の大みそかに「除夜の鐘を撞きに行く」と親に言って、風呂敷包一つで家を出ました。
アメリカへ行くと同時にしました。家内とは、京都の大原の小さな庵で一人暮らしをしていたときに出あいました。アメリカへ行く2~3ヶ月前でしたかね。まだ、ハーバードへの留学も含めて、先がまったく見えていないときに結婚を決めたのですが、私よりも家内の方が、勇気がいったんじゃないかなあ。アメリカへ行ってからは、勉強はもちろんしなければならなかったし、アルバイトをしないと食べていけませんでしたから、大変と言えば大変でしたね。
そうですね。そのころ、私は腎臓病総合医療センターの外科教授でした。あるとき、本田先生が、病院に気功師を連れて来ました。先代の弟子だった方です。私は手をかざして何かが起こるなどということは信じていませんでした。医学なり医療というのは、科学技術を応用したもの以外には考えられなかったからです。
気功師の方に毎週1回来てもらって、下肢閉塞性動脈硬化症の患者さんに対して外気功をしてもらいました。女子医大の地下にサーモグラフィの検査室があって、気功治療を行うに当たっては私も責任がありますから、数時間の治療の間、そこに詰めていました。20名の患者さんに、それぞれ1回から6回、延べ30回の外気功治療を行いました。
都内では、駒込病院と東京女子医大病院くらいですかね。一番技術レベルが高いのはうちだと自負しています。この手術が始まったのは6~7年前で、脳腫瘍の患者さんの手術のときに、覚醒下で行っています。初めてこの手術をしたときには感動しました。この手術中、脳を露出した患者さんが普段どおりに、私たち医師と話したり、手を動かしたりします。脳には痛覚がありませんので、皮膚などに局所麻酔を効かせておけば、患者さんはほとんど痛みを感じずに開頭手術ができるのです。
そうでしょうね。右脳は、直観とか感性とか芸術の脳ですし、他人の考えを憶測したり、感情を読むときに使われますね。
よろしくお願いします。ストレスですが、私たちの脳は、心身が不快に感じることは、すべてストレスと認識します。仕事のプレッシャーとか人間関係のトラブルといった精神的なものばかりでなく、痛みとかかゆみ、疲れ、空腹、暑さ、寒さなどもストレスです。
そうですね。おっしゃるように、ステロイドというのは副腎皮質ホルモンのことです。アトピー性皮膚炎や火傷などの炎症に効く薬ですが、これが体内で出すぎると、高血圧になったり糖尿病になったりします。また、副腎皮質ホルモンは免疫を抑える作用があります。これが大量に分泌されるということは、免疫を低下させますから、病気にかかりやすくなります。
日本人というのは、宗教がらみの話は嫌う傾向にありますね。特に、若い人はそうかもしれません。オウムの事件以来、宗教というと、非常にネガティブにとらえられています。
人間は、どうしても人と比べて自分はどうだとか考えてしまうわけですよね。そこに苦しみとか悩みが生じてきて、そこから脱するには、どうしても神のような絶対的な存在を意識するしかないということですよね。よく、弱いから宗教に逃げるという考え方をする人もいますが、それはどうなのでしょうか? 
当たってますね(笑)。心って何だろうということは昔から興味がありました。学部のときは、化学も面白くて一生懸命に勉強しました。しかし、化学というのは、根気が勝負の研究ですからね。ノーベル化学賞を受賞された、ある先生の研究室では24時間電気が消えなかったという話を聞いたことがあります。その精神力には大いに感心しますし、当時の先生や先輩から学んだ研究者の心構えが、今の私の研究を支えています。しかし、当時の私は、そのような態度を続けられるかどうか不安でした(笑)。それで、もともと興味のあった心や意識について研究してみようという気持ちになり、修士課程では、個人的に興味のある研究をさせてくれる研究室があったので、そこで勉強をすることにしました。しかし、どう研究を進めていいかわからなくて、試行錯誤でした。ただ、「心は発達した大脳のみに宿るという考え方には賛成できない」という思いはあったし、それを示すには「動物が行動を自分で選択するという様相を実験で提示することが必要なのではないか」という考えまではたどりついていました。
先生は、心というのを、「私の中にある何者か」というとらえ方をされていて、それは第六感で把握する気配のようなものだと言われていますね。ある人を前にして、その人に心があると思うのは、その人の内に隠れている気配を感じるからだとおっしゃっていますが、これは、まさに氣のことだなと、私は思いました。私どもがやっている真氣光というのは、私の父が始めたものですが、父が「氣は心だ」と、ずっと言っていたのを思い出しましたよ。
1989年でしたね。当時も私はわがままに生きていましたが、それでも何か、自分らしく生きてないなって感じがしていました。そんなときに、アメリカ人の友だちが、イギリスのスティングのことを私に話してくれました。彼は今、アマゾンの森がなくなっているので何とかしたいと、長老を引き連れてツアーをしているというのです。私は、あまり音楽に興味はなかったのですが、アジアで唯一日本に来るので、手伝ってほしいと言われて、「いいですよ」と軽く返事をしてしまいました。それが始まりですね。友だちの話を聞いたとき、アマゾンっていいサウンドだなと思って、アマゾンというのはどこにあるんだろうと、地図を調べました。一生懸命にアフリカを探していましたからね(笑)。アマゾン川は、ナイル川と並行して流れていると思っていましたよ。その程度の知識で始まったわけです。
年間に四国の1・5倍の面積の森林が、大豆畑や牧場になったり、鉱物の採掘やダムの建設で壊されています。東京都の12倍ですね。科学的には証明されていませんが、アマゾンの森林が地球上の酸素の4分の1から3分の1を作ってくれていると言うじゃないですか。それを壊していくというのは、人間は自分で自分の首を絞めているようなものですね。私たちの支援地域は、本州と同じくらいの面積があります。そこで、植林をしたりしているのですが、砂漠に水をまくようなものです。それでも、まかないよりはいいだろうと、毎年、行っています。マンモスに立ち向かうアリみたいなものかな。でも、アリをたくさん増やせば何とかなるかもしれないと、一生懸命にアリを集めています。