2010年 - 氣のリラクゼーション SHINKIKO |真氣光

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12月 「大橋 照枝」さん

大橋 照枝(おおはし てるえ)さん

1963年京都大学文学部哲学科社会学専攻卒業。㈱大広マーケティングディレクター、國學院大學栃木短期大學助教授をへて、現在、麗澤大学経済学部教授。主な著書に、『幸福立国ブータン』(白水社)『未婚化の社会学』(NHK出版)『「満足社会」をデザインする第3のものさし』(ダイヤモンド社)『ヨーロッパ環境都市のヒューマンウェア』(学芸出版社)などがある。

『お金があるからと言って幸せではない。ブータンから学ぶ幸福な社会』

戦争があっても環境破壊があっても、お金が使われればGDPは上がる

中川:
子どもが放置されて死んでしまったり、虐待があったり、お年寄りがどこへ行ったかわからなかったり…。今年も、嫌になるような事件がたくさんありました。そんなニュースを見るたびに、日本は、経済的には非常に発展して、それなりに豊かな生活をしているのに、決して幸せな国ではないなと思えてきます。そんなことを考えていたときに、ブータンのことを聞きました。ブータンでは、幸福度をベースにした国づくりが行われていて、今、世界中から注目されているということですが、その実態はどういうものかを教えていただきたいと思いまして、「幸福立国ブータン」という本を書かれている先生に対談をお願いしたわけです。ブータンのことを知ることで、幸せって何なのかが見えてくるんじゃないかと思いましてね。私たち日本人は、どう生きればいいのかということについても、何かいいヒントがあるのかなと思うんですね。
大橋:
国の豊かさの尺度としてGDP(国民総生産のことです。)というのがありますね。40年も前から疑問が上がっていましてね。私も、とても疑問に感じていたんですよ。と言うのも、戦争があっても環境破壊があっても、そこでお金が使われれば、GDPはプラスに計算されますから。交通事故があれば、救急車が来て、けが人は病院へ運ばれて治療を受けます。そこではお金が動きますから、GDPはプラスになるわけです。一方でわれわれの福祉にとって欠くことのできない家事・育児・介護(主として家庭内で女性が担っている)には、金銭的支払いがないということでGDPには一切加算されません。それが豊かさを示す指標になるでしょうか。それで、私は10年前から経済だけでなく、社会や環境を織り込んだ新しい指標を作ろうとしてきました。それが、人間満足度尺度(HMS)と名付けている指標です。民主主義も入れて現在バージョン6を開発しました。18カ国で算出していますが、その数値を見ると、日本は18カ国中最下位になっています。トップがスウェーデンで、日本はベトナムや中国よりも、満足度が低いという結果になっています。
中川:
確かにGDPは経済だけを対象にしていますからね。経済が発展すれば幸せになるわけではないというのは、日本を含めた先進国が証明してくれていますよね。その点、そこに環境や社会という要素が入ってくれば、かなりその国の幸せ度が反映されますね。
大橋:
そうなんですね。そんな指標作りに取り組んでいたとき、2007年1月1日付の東京新聞ですが、そこにブータンが大きく紹介されていました。フォブジカ谷というところがありまして。そこには、中国のチベットからオグロヅルという絶滅が心配されるツルが飛来するのだそうです。山裾には3000人くらいが生活している村があります。だけど、そこには送電線がきてないので、電気が使えません。なぜ送電線がないのかというと、オグロヅルが飛来するのに邪魔になるから、村全体が電化を拒絶したということらしいのです。オグロヅルの邪魔にならないように、太陽光発電で得られる少ない電力で、彼らは生活しているという話でした。ツルのために電気のある便利な生活を我慢するというのに、私はびっくりしたわけです。それに、ブータンという国は、世論調査をすると、国民の97%が幸せだと答えるというんですね。研究室で幸福度の指標作りをするのも大事だけど、まずは、何が幸福か、ブータンへ見に行こうと思って、その年の8月下旬から9月にブータンへ出かけて行きました。後日談ですが、2009年にオーストリア政府の一部援助によって、フォブジカ谷の村では送電線の地下埋設工事が行われて、電化が実現したということです。
中川:
ツルのために便利な生活を我慢したというのはすごいですね。日本だったら、間違いなく便利な生活を選択しますね。先生のご著書によると、国王がずいぶんと立派な方のようですね。
大橋:
今の王様は5代目です。そのお父様である第4代の王様が立派な方でした。ロンドンへ留学しているときに、その前の王様が亡くなって、1972年に16歳で国王に即位しました。そのころから、国王は、ブータンはGNP(国民総生産)よりGNH(国民総幸福)でいくべきだと考えていたようで、ブータンのビジョンとして打ち出していました。GNHというのは、グロス・ナショナル・ハピネス、日本語にすれば国民総幸福という国民の幸福度を示す指標です。1976年暮れに、第5回非同盟国諸国会議という国際会議がコロンボで開かれました。その会議が終わった後の記者会見で、国王はGNHがGNPよりも大切だと発言したのです。そのころは、経済的な発展の指標は、現在のGDP(国内総生産)ではなくGNP(国民総生産)という指標を基準にしていました。GNPもGDPと同様、環境破壊があっても、お金が動けば数値が高くなるというもので、60年代、70年代には、世界の有識者たちが、激しくGNPを批判していました。
中川:
それにしても思い切ったことをされましたね。世界中が経済的な豊かさを求めているときに、本当に幸せというのは何かということを考えておられたのですね。
大橋:
1972年に即位された年に国連に加盟して以来、UNDP (国連開発計画)、世界銀行などへ次ぎ次ぎと国際的な機関に加盟し、ブータンを閉ざされた国からオープンな国にしていきました。GNHをスローガンとして掲げている国として、世界中から注目されました。GNHは世界のどこの国からも異論の出ないスローガンですから、非常に好感をもたれて、多くの国際援助を獲得しました。日本も、1964年からJICA(国際協力機構)はブータンに入り、農業支援や道路、橋、学校の建設をODAで支援してきました。だから、王様がGNHと言い出してから、国が年々良くなっていくわけです。橋ができたし、道ができたし、学校ができたという具合に、まわりが改善されていきますから、国王を信頼します。GNHのスローガンをかかげ、実現していくという統治の仕方がすごく上手だったと言えますね。
中川:
ブータンは仏教という宗教的な基盤があるということも大きいでしょうね。
大橋:
その通りですね。この国は、チベット仏教の信仰が厚いところです。チベット仏教の教えが、お年寄りから子どもにまで浸透しています。もっとも大切なものが互助互恵。助け合い、恵み合うということです。それに知足少欲。足るを知って欲を少なくという精神です。だから、オグロツルのために電気を我慢できるんですね。
中川:
日本は、戦後、経済が常に優先されてきましたから、お金にならないことはあまりやらないという風潮になりましたからね。自分のことばかり考えるようになって、隣で何が起こっているかも関心がないというような社会になってきていますよね。
大橋:
ブータンへ行ったとき、道端で犬がたくさん寝そべっています。そばを通っても、悠然と寝転んだままなんです。この犬は野良犬ですかって聞いたら、野良犬じゃない、みんなの犬でみんなで世話していますとの答えが返ってきました。そんな社会なんです。犬も幸せですよね。世界銀行の基準は、一日1・25ドル未満で暮らす人を貧困としています。そういう人が世界には14億人いるとされています。私は、もっといるのではと思っていますが。ブータンは、世界銀行の基準で言っているのかどうかはわかりませんが、国民の23・2%が貧困だと言われています。若者の失業率も5%と高いんですね。でも、世論調査をすると、国民の97%が幸せだと答えているんです。実際、町を歩いていても、物乞いや路上生活者が一人もいないんですね。きっと、今日はうちで泊まりなさいとか、食事をしていきなさいと言って、誰かが助けているんでしょうね。助け合いとか恵み合いというのは、GDPではカウントされません。だから、GDPが低くても、満足度は高くなるのは不思議でも何でもありません。もちろん、GDPも大事なんですよ。雇用がなくなったりしたら大変ですから。でも、GDPを上げることばかりを考えて、福祉や環境を犠牲にするのはおかしいのではと思いますね。
中川:
だけど、ブータンはGNHという幸せ度の指数を上げるのに、条件がそろっていたという見方もできますね。今、先生がおっしゃったチベット仏教の精神が行き渡っているということもあるし、それに小さな国であるということですね。ですから、そのまま日本に当てはめることもできないですよね。
大橋:
ブータンは、人口が67万人ほどです。日本で言うと、鳥取県とか島根県という人口の一番小さな県と同じ規模ですね。だから、王様もがんばれたということもあるかもしれません。日本では、東京の荒川区が、ブータンを参考にして、グロス・アラカワ・ハピネスといってGAHというのを区長が考えましてね。研究所を作って、ブータンへの視察に行きましたが、ブータンのGNHをそのまま使うわけにはいかないことがわかりました。ブータンのGNHの場合、国民に調査をして足りていないことは何かと聞くと、ブータン式の弓ですが、伝統的スポーツであるダツェとか、瞑想というものが足りていないことのトップに出てきます。そういうことが幸福度を計る上で重視されています。それはそのまま荒川区では使えません。だから、荒川区は、区と区民が、荒川区民にとっての幸福とは何なのかを、自分たちで考える必要があります。日本が、ブータンから学ぶとしたら、小さな自治体の単位で、市民と行政とが自分たちの幸福とは何なのかを考え、それを目標として達成しようとする。そういう動きを作ることじゃないでしょうか。かつて、岐阜県が、夢おこし県政というのを行いました。県民の夢を集めて夢を形にしようというものでした。まずがやがや会議と言って、言いっぱなし、聞きっぱなしの会議をして、県民から夢を集めて、集まった夢に投票して、それから実現すべき夢を決めて具体化していきました。たとえば、お母さんが、小さい子を連れていける図書館がほしいという夢を語り、それに賛成票が多かったので、岐阜県は岐阜県図書館を作るときに、児童コーナーを作ったり、託児サービスを行ったりするわけです。そういうふうに自治体ごとにやっていくことで、幸福度は高まっていくのではないでしょうかね。
中川:
本来、生活していく上で、幸せを感じるというのはとても大切ですよね。お金があっても不幸せじゃ困りますからね。
大橋:
幸せを感じるための大切な要素として家族がありますね。ブータンは、とても家族の絆が強いんです。家族だけでなく、学校や職場でも、人と人との絆を大切にしています。ブータンは大家族主義で、3世代同居が当たり前になっています。ですから、お年寄りが社会の淵に追いやられることはありません。家族を大切にすることが、社会のセイフティネットになっているんですね。ブータンの首都のティンプーであなたにとって一番幸福なのはどんなときですか? と聞くと、「家族と一緒のとき」という答えが返ってきました。
中川:
日本にも昔はあったんでしょうがね。日本は核家族という大家族とは逆の方に進んでしまいました。
大橋:
ブータンでは、毎年、11月末から1月初めの間に、家族が全員集まるチョクという行事があります。家族と言っても、少なくとも20人くらいは集まりますから。この期間に、1年間の家族が無事だったことに感謝して、来年の平安を祈るんです。いくら福祉制度を充実させても、形だけですと、必ず問題が起こってきます。制度よりも大事なのは絆ですからすね。

<後略>

(2010年10月5日 東京浅草ビューホテルにて 構成 小原田泰久)

著書の紹介

『幸福立国ブータン』(白水社)

           

11月 「新城 卓」さん

新城 卓(しんじょう たく)さん

1944年沖縄生まれ。映画監督。今村昌平、浦山桐郎らの助監督をへて、1983年に沖縄人としての葛藤を描いた「オキナワの少年」で監督デビュー。その後、八重山諸島を舞台にした「秘祭」、知覧の特攻隊員を描いた「俺は、君のためにこそ死ににいく」などの監督を務める。1974年に制作された「氷雪の門」では助監督を務め、1998年に「氷雪の門」上映委員会を立ち上げる。

『36年たって上映が実現。隠された史実を知らないと、本当の平和は語れない。』

8月15日に終戦を迎えていたのに樺太では悲惨な出来事が

中川:
はじめまして。私どもの会員さんが、こんな映画が話題になっていると、新聞記事を送ってくれました。それが「氷雪の門」で、私もさっそく拝見したのですが、36年前に封切られるはずだったのに、それが今になってやっと日の目を見たということで、とても興味深く見させていただきました。新城監督は、この映画を上映にこぎつけるために、中心になって動かれたそうですが、樺太のことについては、前々から興味がおありだったのでしょうか。
新城:
観ていただいてありがとうございました。私は、36年前に、そのころの出来事を映画にすることになった際、助監督としてこれに関わることとなり、台本をもらってから史実を調べてみたのです。樺太に関する資料はあまりなくて、北海道へ引き上げた人に取材をしたり、六本木にある樺太連盟で話を聞いて、こんなことがあったんだと唖然としましたね。
中川:
戦前、樺太は南半分が日本の領土だったんですよね。実は、私の母方の祖父が、熊本から樺太に渡りまして、あの映画のころは、母は6歳だったと思いますが、樺太で暮らしていて、命からがら逃げ帰ってきたという体験をしています。戦争が終わったのにソ連が攻めてきたと、幼心にも恐怖があったのでしょう、よく話してくれました。それまで比較的平和に暮らしていた樺太の人たちが、日本が降参した後で、ソ連の攻撃で大変な目にあうわけですね。そんな中に、電話の交換手をしていた若い女性たちがいて、彼女たちが、家族や恋人のことを思いつつも、自分たちの仕事がとても大切だということで、ソ連軍が攻め込んできても仕事を放棄せず、最後には自ら命を絶つという悲劇を、映画では描いていました。私も、北海道出身で、稚内へも行ったことがあって、そこに氷雪の門というモニュメントがあったので、樺太であった悲しい出来事のことは知っていましたが、映画を拝見して、その現実をリアルに知ることができました。平和のこと、戦争のこと、家族のこと、生きるということ、いろいろなことを考えさせられました。それにしても、私たちは8月15日に戦争は終わったと教えられていますが、樺太ではその後も戦争は続いていたわけですからね。それも、一方的に攻撃されて、一般人がバタバタと亡くなっていたというのは、映画を見ていて胸が締め付けられる思いがしました。電話交換手の女性たちが自決したのが8月20日ですからね。
新城:
あの映画は、間違いのない史実を描いたものです。そんな話は、教科書にも出ていないし、先生も教えてくれません。広島、長崎に原爆が投下されて、日本がひん死の状態のときにソ連は参戦してきて、満州や樺太に攻め込んできました。樺太には、囚人部隊を送ってきています。だから、半端ではないですよ。逃げ惑う婦女子に投降を呼びかけもせず、後ろから撃っているわけですよ。そんな事実が公にされればソ連も困りますよね。だから、映画上映には横やりが入ったんですね。
中川:
だけど、大変な大作で、相当なお金をかけていると思うのですが。
新城:
おっしゃる通り、超大作ですね。当時で、映画にかける製作費というのは普通は3億円くらいでしたが、この映画は5億円かけていますから。戦車が出てきますが、もちろんあれは本物です。自衛隊の全面協力を得て、あの戦車が使えたわけです。自衛隊が映画に協力するなんてことはありませんから。前代未聞のことです。戦車は、アメリカ軍が日本に上陸するときのために作ったもので、それが御殿場に15台あったので修理して使わせてもらいました。砲撃するシーンがあるでしょ。あれは実弾です。実弾だと10万円、空砲だとその半分くらいでいいと言うので、実際に撃ってもらったら、迫力が全然違うんですね。それで、実弾でやりたいと言ったら、お金は大丈夫ですねって聞かれて、「えーっと」と考えていたら、ドーンドーンと撃ち始めました。だけど、その費用の請求もなかったし、後日、自衛隊に聞いたら、映画に協力した記録はないと言われました。ここでも、何か裏の力が働いていたんでしょうね。

<後略>

(2010年9月22日 東京日比谷松本楼にて 構成 小原田泰久)

DVDの紹介

樺太1945年夏 氷雪の門
最新の公開劇場予定については、下記へお問い合わせください。
ホームページ:<a href="http://www.hyosetsu.com" target="_blank">http://www.hyosetsu.com</a>
太秦株式会社:TEL:03-5367-6073
【DVDのお申し込み先】
(株)新城卓事務所 TEL:03-5453-7037
E-mail: <a href="mailto:taku@shinjo-office.com">taku@shinjo-office.com</a>

           

10月 「陽 捷行」さん

陽 捷行(みなみ かつゆき)さん

1943年山口県生まれ。71年東北大学大学院農学研究科博士課程修了。77年米国アイオワ州立大学客員教授、2000年農林水産省農業環境技術研究所所長、01年独立行政法人農業環境技術研究所理事長をへて、05年より北里大学教授。現在、北里大学副学長。日経地球環境技術賞など受賞歴も多数。著書に「土壌圏と大気圏」(朝倉書店)「農と環境と健康」(アサヒビール)などがある。

『分離の病から脱却し、連携の科学を大切にする方向へ』

生き物はすべて土から生まれて土に帰っていく

中川:
なるほど。私はそんなことは考えたこともありませんでしたが、私どものやっている真氣光の「氣」という文字は、昔ながらの中が米になっている字です。先代が、この字は、私たちの命の素でもある米から出ているエネルギーを表しているんだということで、この文字を使っています。一般的に使われている「気」と比べると、「氣」の方がはるかにエネルギーが高いように、私も感じています。漢字は、神様と交信するために作られたとおっしゃいましたが、その話をお聞きして、私どもも、氣という文字を通して、神様と交信しているのかなと思いましたね。
陽:
その通りでしょうね。だから、名前は大事なんですよ。親が思いを込めてつけてくれた名前です。それを、選挙に出るときには、ひらがなにしてしまったりするのはおろかしいことですよ。氣という文字を使われるのは、すごくいいと思いますよ。
中川:
私の名前の「雅仁」というのも、父がある高名な神道家の方からつけていただいた名前を引き継いだものです。会社や組織を任されたというより、真氣光というエネルギーを引き継ぐという意味合いが強かったものですから。ところで、先生は農学がご専門で、今は北里大学で農医連携というテーマを進めておられますが、そのあたりの経緯について、お話いただけますか。
陽:
漢字の話を聞きに来られたわけではなかったですね(笑)。そろそろ本題に入りますか。私の専門は「土壌学」です。川にいるドジョウじゃないですよ(笑)。「土壌学」というのは、土壌がどのように生成され、分布し、分類されるかという研究のほか、食料を大量に生産するにはどうしたらいいかとか、生態学や物質循環とのかかわりでの研究が行われたり、さらには民族の文化や文明、健康に深くかかわったものとしての学問でもあったりと、非常に幅広く研究されています。いろいろな研究があるわけですが、土壌を語る上で、一番大切なことは、土壌は生命の源だと言うことですね。明治時代の小説家の徳とくとみ冨蘆ろ花かは、「みみずのたはごと」という作品で、次のように書いています。《土の上に生まれ、土の生むものを食うて生き、而して死んで土になる。我等は畢ひっきょう竟土の化物である。土の化物に一番適當した仕事は、土に働くことであらねばならぬ。あらゆる生活の方法の中、尤もっともよくものを撰み得た者は農である》孔子も、あまり自然を語らなかった人ですが、土については非常に含蓄のある言葉を残しています。《人の下なるもの、其はなお土か! これ種えれば、すなわち五穀を生じ、禽きん獣じゅう育ち、生ける人は立ち、死せる人は入り、その功多くて言い切れない》いいことを言っていますよね。生き物は、すべて土から生まれて土に戻っていくことになっているんす。「星の王子さま」のサン=テグジュペリも、いろいろなところを旅している人ですが、その土地土地で土が語りかけてくるんだと言っています。私も、高校生のときに、人間は土から生まれたのだから、土壌のことを勉強しなければと思いました。何がそう思わせたのかはわかりませんが。

<後略>

(2010年8月3日 北里大学相模原キャンパスにて 構成 小原田泰久)

著書の紹介

「人びとの健康と地球環境保全のために―農医連携」(エムオーエー商事)

           

9月 「阿部 宣男」さん

阿部 宣男(あべ のりお)さん

1955年東京都板橋区生まれ。1980年板橋区役所入所。板橋区立「淡水魚水族館」「こども動物園」をへて、「温室植物園」の担当となり、無農薬生態園を作ることに成功。1989年よりホタルの飼育を開始し、1992年には「ホタル飼育施設」の担当となる。独学で研究を続け、難しいと言われるホタルの完全飼育に成功。クロマルハナバチの繁殖にも成功し、ハウス栽培の受粉を全国展開中。

『ホタルから学んだ自然環境の大切さや命の尊さを後世に伝えていきたい』

「ホタルはご先祖様の魂だ」と言われて、ホタルが怖くなった

(2010年7月13日 東京都板橋区ホタル飼育施設にて 構成 小原田泰久)

著書の紹介

「ホタルがすきになった日」
都会にホタルを取りもどした阿部宣男
(佼成出版社)

           

8月 「早乙女 勝元」さん

早乙女 勝元(さおとめ かつもと)さん

1932年生まれ。12歳で東京大空襲を体験。1952年、「下町の故郷」が直木賞候補に推される。1991年、映画「戦争と青春」の原作・脚本で日本アカデミー賞特別賞。現在、東京大空襲・戦災資料センター(江東区北砂)館長。著書「東京が燃えた日」(岩波ジュニア新書)「空襲被災者の一分」(本の泉社)「下町っ子戦争物語~ずっと心に残る19話」(東京新聞)など多数。

『平和な未来のために東京大空襲の悲惨さを伝える』

原爆と同じくらいの被害があった東京大空襲

(2010年6月23日 東京大空襲・戦災資料センターにて 構成 小原田泰久)

著書の紹介

「下町っ子戦争物語~ずっと心に残る19話」(東京新聞)

           

7月 「樫尾 直樹」さん

樫尾 直樹(かしお なおき)さん

1963年富山県生まれ。慶応義塾大学文学部准教授。専門は宗教学。日本、フランス、韓国、コートディボワール、カリブ海などをフィールドとして「スピリチュアリティ」をキーワードに、現代人のこれからの絆のあり方と宗教文化のかかわりを研究している。著書に、「スピリチュアリティ革命」(春秋社)「スピリチュアル・ライフのすすめ」(文藝春秋)などがある。

『ブームに踊らされず、真のスピリチュアリティを求める生き方へ』

キリスト教に興味をもって神父になろうと真剣に考えたことも

(2010年5月13日 慶応義塾大学三田キャンパスにて 構成 小原田泰久)

著書の紹介

「スピリチュアル・ライフのすすめ」(文藝春秋)

           

6月 「越川 禮子」さん

越川 禮子(こしかわ れいこ)さん

1926年(昭和元年)東京都生まれ。86年にアメリカの老人問題をルポした「グレイパンサー」で潮賞ノンフィクション部門優秀賞を受賞。口伝により語り継がれてきた商人しぐさ、繁盛しぐさを、最後の江戸講の講師・芝三光氏から聞き書きを行い、現在、江戸しぐさの語り部として、講演・執筆活動を行っている。NPO法人江戸しぐさ理事長。著書「江戸の繁盛しぐさ」(日本経済新聞出版社)「暮らしうるおう江戸しぐさ」(朝日新聞出版社)など多数。

『江戸しぐさで気持ち良く生きられる世の中を作る』

江戸しぐさと同じことがハイゲンキに書かれていた

(2010年4月22日 東京日比谷松本楼にて  構成 小原田泰久)

長所の紹介

「暮らしうるおう江戸しぐさ」(朝日新聞出版社)

           

5月 「水谷 孝次」さん

水谷 孝次(みずたに こうじ)さん

アートディレクター・グラフィックデザイナー。1951年名古屋市生まれ。
数々の賞を獲得し、トップデザイナーとして活躍する。99年より「笑顔は世
界共通のコミュニケーション」を合言葉に「メリー・プロジェクト」を始める。
愛知万博、北京オリンピックなどで、笑顔のすばらしさを世界に発信してき
た。これまで撮影してきた30,000人以上のメリーな笑顔はウェブサイトで
見られる。著書「デザインが奇跡を起こす」(PHP研究所)。

『笑顔とやさしい言葉を与えればあなたにも笑顔とやさしい言葉が帰ってくる』

心を込めて歌ったら、万雷の拍手をもらった体験が原点に

中川:
はじめまして。水谷さんの書かれた「デザインが奇跡を起こす」(PHP研究所)という本を拝読させていただきました。最初は、デザインというのは私にはあまり関係ない世界だと思っていたのですが、読ませていただいているうちに、水谷さんのデザインは、私たちのもっているデザインのイメージと全然違って、ポスターを作るとか雑誌を作るといったことを超えた、人生のデザインみたいな、そんな感じがしたんですね。今日は、いろいろな話をお聞きしたいなと思っておうかがいしました。よろしくお願いします。
水谷:
こちらこそよろしくお願いします。中川会長がやられているのは氣ですよね。ぼくは、これがとても大事だと、ずっと思ってきました。もっとも、ぼくの場合は、医学的とかスピリチュアルということではなくて、デザインという仕事をやる上での気合いとか気迫ですね。その大切さは身をもって感じてきましたね。
中川:
私も、今でこそ氣について語っていますが、もともとは電機会社のエンジニアでしたから、医学的なこともスピリチュアルなことも全然興味ありませんでした。しかし、体調を悪くして、父がやっていた氣の研修に参加してから価値観ががらりと変わってしまいました。それで父の仕事を手伝うようになったら、父が急死して跡を継ぐことになってしまったという経緯があります。
水谷:
ぼくがデザイナーというのを意識したのは就職を考える時期ですかね。子どものころは、いろいろと習いごとはやりましたが、どれも長続きしなかったですね。塾も行ったし、英語も習いました。ひとつだけ続いたのがお習字でした。これは小学校1年生から6年間でやりました。字を書くという感覚が好きで、それがデザイナーになろうと思ったベースにあるかもしれません。今も、たとえば請求書を書くときでも、習字の基本ですが、左手を紙の手前にきちんと置いて書きますから(笑)。それと、もう一つが音楽かな。
中川:
音楽ですか。
水谷:
高校生から大学生のころは、フォークソングに夢中になっていて、「音楽で世界を変えよう」「フォークソングでメッセージを」と、自分で歌を作って、歌っていました。名古屋だったのですが、地元のラジオ局から出演依頼が来たり、学園祭の時期には女子大からオファーが来たりと、けっこう活発に活動していましたね。ちょうど60年安保と70年安保の間で、63年にJ・F・ケネディが、68年にはR・ケネディが暗殺されるなどして、若者を中心に反戦運動が盛んになっていたころです。ぼくも、ケネディ一家は好きだったので、彼らが暗殺されたのはすごいショックでした。ロバート・ケネディが暗殺された日も、女子大でコンサートがあって、ぼくは自作の「ロバート・ケネディの歌」を歌いました。連日のコンサートで声は枯れ、ギターの弦も途中で切れてしまって最悪でした。でも、心は無に近い状態になって、自分の気持ちを込めて歌ったものですから、1000人くらいの人がシーンとして聞いてくれたし、終わった後には万雷の拍手がきまして、自分が心を込めて歌えば、みんなが喜んでくれるんだということを実感して、すごく感動しました。それまでは、たった数人の観客でも、自分のステージに気持ちをひきつけることができませんでしたから。上手に歌おうとか格好良く見せようとか、そんな邪心があるとダメですね。この「ロバート・ケネディの歌」のときの感動が、東京へ出ようという自信にもつながりましたね。
中川:
氣が通じたんでしょうね。テクニックを超えた世界だと思います。それと、お父さんの影響もあったと書かれていましたね。
水谷:
父親は戦争で耳を負傷して、片方の耳が聞こえなくなってしまって、耳も変形していました。何度も入退院を繰り返し、通院もしていました。もともとは明るい父だったのに、戦争によって耳が聞こえなくなって、怒りっぽかったし、いつもイライラしていましたから、家の中も暗い感じでした。そんな父を見ていて、戦争が悪いんだ、世の中が悪いんだ、ぼくが大人になったら世の中を変えてやろうと思っていましたよ。3歳のときですから、ずいぶんと早熟だったかもしれませんが(笑)。父は絵が得意で、飼っていた鳥や庭の植物を一緒に描いた記憶があります。絵を描いているときだけは、父はとても穏やかでした。ぼくは、勉強もスポーツも取り立てて得意ではありませんでしたが、絵を描くことだけは大好きでしたね。それもデザイナーになるベースとしてあったでしょうね。
中川:
その後、東京へ出て、デザイナーとして大変な成功を収めたわけですが、いろいろとご苦労もあったと思いますが。
水谷:
苦労と言われれば苦労かもしれませんが、夢中でやってきましたからね。やっぱり氣ですよ。気合いとか気迫とか。気合いや気迫があれば、流れを呼び込むことができるんですね。たとえば、東京へ出て、桑沢デザイン研究所という学校へ入ろうとしたんですが、とても難しいところで、ぼくの実力ではとても入れません。案の定、一年目は不合格。どうしたらいいかわからないので、2年目はひたすら自分の手のデッサンばかりやっていました。そしたら、その年の試験問題が「手の動きを描きなさい」でしたから。これしか合格できないというような問題が出るなんて奇跡的ですよ。その後も、有名な先生のところで働いたりしましたが、すべて気合いと気迫。金曜日に面接があって不合格になったのに、月曜日にはその事務所へ出かけて行って仕事をしていたこともあります。そのまま雇ってくれて、給料もくれましたから(笑)。

<後略>

(2010年3月11日 東京都港区にある水谷事務所にて 構成 小原田泰久)

著書の紹介

『デザインが奇跡を起こす』(PHP研究所)
mizutani studio
<a href="http://www.mizutanistudio.com" target="_blank">http://www.mizutanistudio.com</a>
メリー・プロジェクト
<a href="http://www.merryproject.com" target="_blank">http://www.merryproject.com</a>

           

4月 「清水 博」さん

清水 博(しみず ひろし)さん

1932年愛知県生まれ。東京大学医学部薬学科卒業。九州大学理学部教授、東京大学薬学部教授をへて、現在、NPO 場の研究所理事長(研究所長)。著書に、「生命を捉えなおす」(中公新書)「生命知としての場の論理」(中公新書)「場の思想」(東京大学出版会)など。

『場の文化によって現代の行き詰まりを打破する』

私たちは命の居場所で生きているのであって、一人で生きているのではない

中川:
はじめまして。今日は、先生の場の理論をお聞きしたくておうかがいしました。私どもは、生命エネルギーである氣という側面から生き方とか考え方を見直していこうという活動をしていますが、なかなか論理的に説明するのが難しいんですね。先生のように科学的な立場から、漢字についてちょっとお話させてください。漢字というのは、王様が神様と交信するために36世紀前に作られたという話です。陽という字のこざと偏は、梯子を意味しているんですね。そこから神様が降りてくる。そして、つくりのは、まが玉が台の上で光っている様子です。だから、陽というのは、神様が降りて来られて、そこで式典をするという意味です。土偏にで、「場」ですね。これは、式典をする場所のこと。偏にの「揚」は、人が神様を呼んでいる様子。木偏にの「楊」は木に旗を立てて神様を呼んでいる。さんずいにで「湯」ですが、これは川の側で式典をすることです。こうやって覚えると、漢字はとても面白いものです。「口」という字は、人間の口の形が元になっていると聞いたことがありませんか。でも、そんなのおかしいでしょう。四角い口なんかありませんよ。もうお亡くなりになりましたが、有名な漢字学者の白川静先生が、「サイ」という言い方で、口は祝詞を収める箱の形だと解釈されています。だから、古いという字は、十字の剣で祝詞や呪いを抑えていることを示しています。兄というのは、その家の中でももっとも大切な祝詞箱をもっている人を表しています。

<後略>

(2010年1月13日 東京都中央区にあるNPO法人 場の研究所にて 構成 小原田泰久)

著書の紹介

『場の思想』 (東京大学出版会)
NPO法人 場の研究所 ホームページ <a href="http://www.banokenkyujo.org/" target="_blank">http://www.banokenkyujo.org/</a>

           

3月 「龍村 修」さん

龍村 修(たつむら おさむ)さん

1948 年兵庫県生まれ。早稲田大学文学部卒業。求道ヨガの沖正弘導師に入門、内弟子として国内外で活躍。1985 年導師没後、沖ヨガ道場長に就任。1994 年独立して龍村ヨガ研究所を創設。NPO 法人国際総合ヨガ協会理事長。著書に、「生き方としてのヨガ」(人文書院)「深い呼吸で体を癒す」(PHP研究所)「深い呼吸で心が変わる」(草思社)等がある。

『【真氣光研修講座20周年特別企画】 今は全国各地で開催! エネルギーの変化に応じて、講座の形も変わってきた 』

不思議なご縁から、下田で研修講座が始まることに

中川:
今回はちょっと趣を変えた形で対談を進めていきたいと思います。2010年3月で真氣光研修講座が20年を迎えます。そこで、今回のゲストには研修講座でおなじみの龍村修先生をお迎えしました。そして、下田や生駒のころには講師もやってくださっていた小原田さんに司会をお願いします。小原田さんは、何回目くらいから研修講座を見ておられますか? 体験を話していただいた後、進行もお願いできますか。
小原田:
3回目くらいから下田へ行っています。ずっと先代の随行取材をしていましたので、1時間半ほど先代の活動についてのお話を受講生の前でして、1泊か2泊して帰りました。それでも、見るもの、聞くもの、驚きばかりでした。特に、霊的な現象が当たり前のように起こっていたのは、慣れるまではいつも鳥肌ものでした。そのころは氣功師養成ということをうたっていました。私は、先代について歩いているうちに氣を出せるようになっていましたので、受講する必要はないと思っていたのですが、19回目に初めて受講してみたら、とにかく、毎日が新鮮で、自分が内側から変わっていくのがわかりましたね。画期的な講座でしたが、それがどうして下田で行われたか、不思議な縁がありました。龍村先生は、そのいきさつを詳しくご存じですので、お話いただけますか。
龍村:
20年もたちましたか。早いですね。先代は、セルソさんというブラジル人の医師に連れられて道場へやって来られました。セルソさんは、長年沖ヨガを学び、リオで自然医療のクリニックを開業していました。セルソさんは、先代がブラジルで行なったセミナーに参加して、ずいぶんと感銘を受けたみたいで、沖ヨガ道場を紹介したようです。先代は、氣功師を養成する講座をやりたいのだということをおっしゃっていました。アメリカツアーに一緒に行ったお弟子さんたちはみなさん手から氣が出るようになったそうです。しかし、しばらくするとできなくなってしまうので、合宿制の講座を計画しているのだけれども、研修所を貸してくれないかとおっしゃいました。ゆっくりとお話をうかがい、先代の人柄も医療氣功師を養成するという趣旨も、私にはすごく理解できることだったので、協力させていただきますということになりました。
中川:
それが89年の暮れですかね。そして、始まったのが翌年の3月。確か、沖ヨガさんのプログラムを使わせてもらったということでしたね。
龍村:
私たちも、いくつものプログラムがあって、そのうちの1週間のプログラムをもとに、1日に4回の真氣光を受ける時間と先代やゲストの先生方の講義などを入れたりしながら、研修講座のプログラムを作り上げていきました。
小原田:
読経があって、ジョギングがあって、それから朝ご飯、そのあとは講義や氣を受けたりヨガで体を動かしたりする時間があって、非常にバラエティに富んでいましたね。合宿後半には爪木崎という下田の名勝でご来光を拝んだりして、あっと言う間に一週間が過ぎてしまいました。
中川:
私は16回の講座に参加しましたが、さまざまな問題の原因は、外にあるのではなくて自分の中にあるのだと気づけたのは、自分の人生にとって大きな出来事でした。とても充実した1週間でしたね。朝、ジョギングから帰ってくると、みそ汁だけの朝ご飯、昼は玄米菜食、夜は麺類、量はいつも食べる半分以下でした。それでも、そんなに空腹感は感じなかったですね。先代は、「氣を取り入れているからお腹がすかないんだ」って言っていましたけどね。氣を生活の中に取り入れると、意識がどんどんと変わっていくのには驚きました。

<後略>

(2010年1月21日 つくばみらい市スターツ総合研修センターにて 構成 小原田泰久)

ゲスト・司会/小原田 泰久 (おはらだ・やすひさ) さん

1956年三重県生まれ。名古屋工業大学卒。1988年中国で先代と会って、氣の世界の取材を始める。先代のイルカとの意識交流にも同行。それをきっかけに、野生のイルカと交流するイルカの学校を始める。著書に「イルカが人を癒す」(KKベストセラーズ)「イルカみたいに生きてみよう」(大和書房)「犬と話ができる!」「植物と話ができる!」(広済堂出版)など。

           

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