12月 「倉持 仁志」さん
倉持 仁志(くらもち ひとし)さん
1954年栃木県生まれ。宇都宮大学農学部農芸化学科卒。三井石油化学工業株式会社(現三井化学株式会社)で新規除草剤の開発を担当。92年に退社し、宇都宮大学に。97年からイワダレソウの品種改良に取り組む。現在、宇都宮大学雑草科学センター講師。
『驚きと希望。名もない雑草が砂漠を緑化する切り札に!』
野生の馬に導かれてイワダレソウと出あった
- 中川:
- はじめまして。先生のことを紹介した「夢の扉~NEXT DOOR」というテレビ番組の録画を見せていただきました。イワダレソウという雑草を品種改良されて、砂漠の緑化に取り組んでおられるということでしたが、イワダレソウというのはすごい草ですね。驚きました。
- 倉持:
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ありがとうございます。あの番組は2年くらい前に放映されたものです。
イワダレソウとは13年ほどの付き合いですが、やっと多くの人に、その可能性を感じていただけるようになってきました。 - 中川:
- そもそもイワダレソウは、どういう草なんですか。
- 倉持:
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これがイワダレソウです(机の上の鉢にイワダレソウが植えつけられている)。見てお分かりになるように、あまり上に立ち上がらず、横にびっしりと伸びていきます。(鉢をひっくり返して鉢から取り出し、土の部分を見せながら)こういうふうに、びっしりと根が広がっています。根が土をしっかりとつかんでいますよね。この根は、生育環境が良ければ、1.5メートルの深さまで伸びます。この根があるから、土壌の流出を防ぐことができるし、砂漠でも深いところから水分や栄養を吸収できるんですね。
学問的な分類としては、クマツヅラ科に属します。世界中の熱帯、亜熱帯地方に育っていて、日本では、沖縄で多く見られますね。海岸にあることが多い植物です。 - 中川:
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(イワダレソウを触って)これがそうですか。ひんやりして柔らかくて気持ちいいですね。
こんな小さな葉っぱなのに、1.5メートルも根が伸びるというのはすごいですね。これで、砂漠を緑化しようというわけですね。
イワダレソウと先生のご縁というのは、何がきっかけだったのですか。 - 倉持:
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与那国島から、海岸沿いの芝地が雑草だらけになっているので何とかしてくれないかという依頼がありました。私はずっと除草剤を研究してきましたから、それが本来の仕事でした。
除草の仕事が終わってひと息ついていたときでした。
芝地に野生の与那国馬がいるのに気がついたんですね。小さくてかわいい馬でした。
私も動物が好きなものですから、一頭の馬に近づいて行って、なでようと手を出したんですね。そしたら、その馬がさっと逃げて行きました。そして、少し離れたところから、こっちを見ている。
私は、またその馬に近づいて行きました。今度は逃げませんでした。そのときに、何気なく馬の足もとを見たら、そこに見慣れない草があったんです。
びしっと土をつかむように生えている。
それがイワダレソウだったんです。
茎は太いし、引っ張ってみても簡単に抜けません。これは使えるかもしれないと直感的に思ったんですね。それで、宇都宮へ持ち帰りました。 - 中川:
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馬が逃げなかったら出あわなかったかもしれませんね。導かれたようなご縁ですね。
そこからイワダレソウの研究が始まったんですね。 - 倉持:
- 関東にはない草だったし、元気そうだったので興味をもったんですね。上に伸びずに横に広がっていく草なので、これは芝の代わりになるんじゃないかと思いました。
- 中川:
- そのときから、先生は環境のことには関心をもっておられたんですか。
- 倉持:
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いえいえ。そのときは、雑草を使うなんて考え方はまるっきりありませんでした。
雑草は、作物の害になるなら、全部殺してしまえという考えでしたから(笑)。
ゴルフ場に生える草は除草し、水田の草も殺してしまう。そればっかりやっていましたから、雑草が役に立つなんてことは、思ってもみませんでした。
そうじゃないよって、馬が教えてくれたんでしょうかね(笑)。 - 中川:
- イワダレソウに出あってから、雑草に対する見方が変わったんですね。
- 倉持:
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そうですね。でも、除草の仕事をやめたわけではありません。管理という面では、ときには除草をする必要もあります。
除草するときと生かすときと、使い道がとても大切だと思っています。 - 中川:
- イワダレソウを宇都宮へ持ち帰って、それからいろいろとご苦労もあったかと思いますが。
- 倉持:
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最初は温室で育てました。これなら芝の代替に使えるという感触を得ました。根っこがすごく伸びるから、土壌流出の防止にもいいなと思った。1年くらい、のめりこんで研究しましたね。
でも、温室の中で見ていても仕方ありません。外で育たないと意味がないわけですから。それで、外の畑に植え付けてみたんです。
(後略)
(2008年10月8日 宇都宮大学雑草科学センターにて)
これは一体、何なのだろうと、会場にあった本を全部買ってきました(笑)。ハイゲンキにもとても興味をもちました。手やビデオから出る氣というのは、どこかあいまいなイメージがありますよね。しかし、機械だと、説明しやすいというか、データもとりやすいだろうと、そんなことを思いました。それで、ハイゲンキを購入して、自分の体で試してみたんです。そのころ、下痢や腹痛、血便を抑えるために、サラゾピリンという薬を毎日、8錠飲んでいました。ハイゲンキを毎日使いながら、飲む量を1錠ずつ減らしていったんですね。そしたら、ついに2週間目に薬を飲まなくても下痢も腹痛も血便もなくなってしまったんです。これは、大変なことです。国が指定した難病の症状が薬を飲まなくても治ってしまったのですから。そんなことがあって、92年の3月、伊豆・下田で行われていた『医療氣功師養成講座』に参加して、氣功師の認定もいただいたわけです。
まさに、それこそ真氣光の精神だと思いますよ。マイナスのエネルギーがやってきたときこそ、チャンスですからね。実は、西本先生のように、霊的な世界を理解している方だから言えますが、真氣光をやっていると、宇宙からさまざまなメッセージが届きます。最近、ハイゲンキに関するメッセージがとても多くなっているんですね。今、地球の人々は宇宙意識に目覚めないといけないそうです。そのためには、高い次元のエネルギーが必要です。ハイゲンキは、そのエネルギーを注入する役割を与えられているんですね。ハイゲンキによってエネルギーを魂に入れることで、意識が変わっていきます。自分のことばかりを考えるのではなく、他人のこと、動物や植物のこと、地球全体のことを考えられる意識になっていきます。そういう意識をもつ人が一人でも増えてほしいわけです。だから、何とかしてハイゲンキを使ってほしいと、そんなメッセージがくるんですね。ただ、宇宙からのメッセージとか宇宙意識という言い方だと、抵抗があったり、理解できない人がたくさんいます。魂の世界が分かる人ばかりでなく、目に見えるものしか信じない人にも、少しでもハイゲンキの良さを知ってもらうには、西本先生がとったデータがとても重要な役割を果たすようになるんですね。
たまたまキャンセルがあったのでしょうか、空いていましてね。みんな緊張していましたよ。私が一番緊張したかな(笑い)。 
その通りですね。今の文明は、地球上のあらゆる生物に配慮することなく、人間の発展と繁栄を第一目標にしてきました。自然が奴隷のように使えると思っていました。ベーコンやデカルトがそれをとことん突き詰め、彼らの思想が引き金になって産業革命が起こりました。私は、それを地下資源文明と呼んでいるけど、その結果が、高エネルギー消費であり、地球への負荷もどんどんと大きくなってきています。地下資源文明はもう完全に行き詰っています。
私も氣功には縁が深いんですよ。2年半前に乳がんになって、手術と放射線の後、ホルモン治療を受けたんですね。そしたら、すごく副作用が強くて、夜も眠れないし、つらい毎日を過ごしていました。¥r¥nそんなときに、氣功を習おうと思って、インターネットで調べて、自宅から簡単に通える氣功教室へ行くことにしました。そしたら、氣が体中に充満して、パンパンになった感じなんですね。氣の流し方なんか知らず、ただひたすら氣を入れることばかりやっていましたから。その夜、体が痛いと叫んでいる感じがしました。でも、嫌な感じではなかったですね。それで、とりあえずは寝るかとベッドに入ったら、ぐっすり眠れまして。翌朝は、霧が晴れたようなさわやかな気持ちでした。
ぐっすりと眠れた翌朝ですが、いきなりインスピレーションで「こんなことをしている場合ではない」と感じたんです。こんなことってどんなことだろうと考えたら、それはホルモン治療のことだって思いました。再発を予防するための治療だけど、こんなにも副作用が出ているのは体のバランスを崩しているに違いないから、もうやめようと思いました。お医者さんにも相談しまして、思い切って、ホルモン療法をやめることにしました。これは私にとって大きな選択、決断だったと思っています。
1988年に、上海で第二回国際気功検討会というのがありまして、私も日本気功協会の山本理事長に誘われて参加したんですね。がん患者を集めて氣功をやっているというのが少しずつ知られるようになった時期で、ぜひ上海でしゃべってほしいと言われましてね。でも、開業医ですから、なかなか病院を空けられません。最初は断っていたんですが、どうしてもと言われるので、しぶしぶ参加しました。そしたら、そこにはなかなか個性的な方が集まっていましてね。中川さんでしょ、それに大阪の吉見猪之助さん、名古屋の林茂美さん、京都の山内直美さん、それに湯浅泰雄先生がいましたね。小原田さんとも、そこではじめて会いました。
中国へ視察に行ったのは1980年です。都立駒込病院にいたころですね。外科医として、たくさんのがん患者さんの治療をしていて、医療技術も急速に進歩していましたので、がんが撲滅できる日は近いと思っていました。しかし、現実には再発して戻ってくる患者さんがたくさんいて、ちょっと方向性が違うのではと思うようになりました。それで、西洋医学とは考え方の違う中国医学を学んでみようという気持ちになったんです。中国医学というのは、氣功ばかりでなく、漢方薬や鍼灸、食養生といったものがありますね。でも、私は、氣功のことを知って、中国医学のエースは氣功だと思いました。
親父は、農業大学を出て、種屋の跡を継げと言っていましから、がっかりしたでしょうね。大学2年のときに、虫プロの社員募集があったのでとりあえず応募して話を聞いたら、ぼくが望む出版の仕事ではなくて、そのときはお断りしたんです。しばらくしてから出版部の募集があったので、それに応募して採用されました。希望通りに手塚先生の担当をさせてもらったのですが、初日から徹夜でした。鉄腕アトムのアニメがテレビで放映されていたころで、とにかくハードな毎日でした。手塚先生というのは、間違いなく天才でしたね。そばにいても、驚かされることばかりです。それに、子どもみたいに無邪気なところがあって。ああいう人のそばにいられたというのは、ぼくにとっては、大変な財産になりましたね。
『ビキニ事件の表と裏』という一番新しい本を読ませていただきましたが、巻末に講話をされたところが紹介されていて、そこを見ると、学校でお話されていることが多いようですね。子どもたちの反応はいかがですか。
氣とか元気は、今、とても大切にしなければならないものだと思いますよ。私はベトナムへ43度も行っていますが、あるとき『元気の詩』というのを見つけたんです。これはすばらしいメッセージだと思います。ちょっと紹介しますね。賢材は国家の元気なり元気盛んなれば則ち国勢強を以って隆く、元気飢えれば則ち国勢弱をもって汚る是を以って聖帝明王、材を育て土を取り元気を培植するを以って先の務めと為さざる者なしと言います。 元気があれば国は栄えるんだと、改めて元気の大切さを教えられました。今の日本に一番、必要なことなんじゃないかと思いました。ベトナムで合気道を教えていますが、その合言葉が『元気・勇気・合気』で、道場にも書いて張ってあります。
内面的なものの前に、肉体に対する興味がありました。舞踏やモダンダンスを見ると、肉体はすごい表現力をもっているということがわかります。舞踏家の土方巽さんや大野一雄さんと出会って、彼らの踊りにものすごく感動しました。それで、彼らの肉体を撮ることで人間を表現できないものだろうかという思いをもちました。そんな中で気づいたのは、写真は対象があるけれども、対象に対してどんな考え方をもつか、表現者の表現意識が非常に重要だということです。被写体は重要だけど、それを上回る、表現者の思想があるんだなということでした。