2003年 - 氣のリラクゼーション SHINKIKO |真氣光 - Page 2

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2月 「帯津 良一」さん

帯津 良一(おびつ りょういち)さん

1936年埼玉県生まれ。東京大学医学部卒業。医学博士。東京大学第三外科、静岡県共立蒲原総合病院外科医長、都立駒込病院外科医長を経て、1982年、帯津三敬病院を設立。日本ホリスティック医学協会会長、調和道協会会長、北京中医薬大学客員教授などを歴任。主な著書に『ガンを治す大辞典』(二見書房)、『現代養生訓』『<いのち>の場と医療』(以上、春秋社)、『ガンになったとき真っ先に読む本』(草思社)など多数。

『明日はもう少し良くなっているという期待をもって眠る。そんなささやかな希望をサポートする医療を実現する。』

先代とのホピの村への旅は本当に楽しかった

中川:
すっかりごぶさたしてしまいまして。先生とお会いするのは、7年ぶりくらいですかね。
帯津:
それくらいになりますか。ロンドンのスピリチュアルヒーリングの研修ツアーに一緒に行って、天河神社のドクター・ヒーラーネットワークでお会いして、それ以来かなと思います。だから、そんなものですか。
中川:
先生には、先代の時代からいろいろとお世話になってきました。つい先日(12月11日)が、先代の命日でした。まる7年になります。早いものです。
帯津:
そうですか。もうそんなになりますか。懐かしいですね。
先代とは、あちこちの氣功の集まりでお会いして、面白いお話をたくさん聞かせていただきました。
ホピの村へは一緒に行きましたし。あれは、楽しい旅でしたよ。
中川:
この間、アメリカへ行ってきまして、ホピの村の近くまで足を伸ばしました。先代が帯津先生と一緒に来た場所だと、何となく感慨深く景色を見てきました。
帯津:
モーテルでカレーを作って食べたり、ああいう旅をするチャンスはなかなかありませんね。そうそう、帰りの飛行機では、ビジネスクラスだったのが、ファーストクラスへ移ってくれと言われて。儲かっちゃったなとうれしくなりました(笑い)。
中川先生のそばにいると、こちらまでウキウキしてくるようなところがありました。機内食でも、『こりゃうまい、うまい』って、本当においしそうに食べていましたから。
中川:
食べることが好きな父でしたから。
帯津:
会長は、先代が亡くなってその跡を継がれたわけですが、まったくの別世界から入ってこられて、すんなりとなじめましたか。
中川:
いやー、なかなか大変でしたよ(笑い)。もともとはエンジニアですから。一応、父の会社で働いて、亡くなる前は、あちこちついて歩いて、勉強のようなことをしましたが、それでもそばで見ているのと、実際に自分でやるのとは大違いですね。毎日が発見でしたし、いろいろな人に教えていただいて、何とかやってこれたかなと思います。
帯津:
7年と言えば、かなり経験も積まれて、たくましくなられたと思います。この雑誌(ハイゲンキ・マガジン)をいつも送っていただくので、楽しく拝見しています。雑誌を見ていても、勢いが出てきたなと感じます。
中川:
ありがとうございます。先生もずいぶんとお忙しいでしょう。
帯津:
忙しいことは忙しいですね。病院の仕事のほかに、講演があったり、水曜日は休みになっているのですが、埼玉県立大学に頼まれて、毎週一時間目に講義をもっているものですから、休んでもいられません。
横浜に神奈川看護大学というのがあるのですが、そこも毎年呼ばれています。とにかくその場所に体をもっていかなければならないことが多いので、時間のやりくりは大変ですね。
中川:
看護大学というと看護婦さんの卵ですね。これから医療に携わる人ですから、先生の話を楽しみにしている方が多いんでしょうね。
帯津:
すごく熱心ですよ。看護大学にはガン看護課程というのがあって、半年間でガン患者を介護するプロフェッショナルを養成しようという講義や実習があります。私は、ガンの東洋医学的な疼痛対策というテーマに呼ばれるのですが、東洋医学の話もするけど、ほとんどホリスティックな話に終始しますね。死の問題とか患者さんとの付き合い方を話すのですが、みなさん、喜んでくださいます。講義が終わると、控え室まで来てくれて、感想を述べてくれたりします。すごくうれしいですね。
埼玉県立大学でも、理学療法士科や社会福祉学科という医療関係に進む人たちに講義をしますが、彼らも熱心ですね。試験をやっても、力のこもったレポートを書いてきてくれます。やりがいはありますね。
中川:
ホリスティックな話ということですけど、どんなお話をされるのですか。
帯津:
死のことはもちろんですね。患者さんとは一方通行の関係ではいけないといった話もしますね。パワーをもって接する必要がある。だけど、パワーだけではいけない。ときには、一瞬にして弱々しくなれて、患者さんと痛みを分かち合えるようにもならなければならないといった話ですが、みんな一生懸命に聞いてくれます。
彼らには、自分たちが医療者として、日本の医療に貢献していきたいという志があるように思います。

<後略>

(2002年12 月13日 帯津三敬病院にて 構成 小原田泰久)

           

1月 「藤田 紘一郎」さん

藤田 紘一郎(ふじた こういちろう)さん

1939年旧満州生まれ。東京医科歯科大学医学部教授。東京医科歯科大学医学部卒業、東京大学大学院修了。東大・テキサス大学助手、順天堂助教授、金沢医科大学教授、長崎大学教授を経て、1998年より現職。日米医学会議のメンバーとして、マラリア、住血吸虫、成人T細胞白血病やエイズ関連の免疫研究の傍ら、寄生虫とヒトとのより良い共生をPRする。82年、日本寄生虫学会小泉賞を受賞。95年『笑うカイチュウ』で講談社出版文化賞を受賞。他に『清潔はビョーキだ』(朝日新聞社)『原始人健康学』(新潮選書)など著書多数。

『ヒトはバイ菌とのバランスを保った共生が大切です』

寄生虫がアレルギーを抑えている !?

中川:
はじめまして。先生のご著書、大変面白く読ませていただきました。こういう本をお書きになる先生はどんな方なのだろう、是非お話をお聞きしたいと思っていました。
藤田:
それは、ありがとうございます。私は、はじめは整形外科の医者をやっていたのですが、36年前、熱帯病の調査団の団長さんとたまたまトイレで会っちゃったのが、ウンのつきなんですよ(笑)。
奄美大島の南の波照間島に行く調査団の荷物持ちに頼まれましてね。私は柔道部出身ですので、体力を見込まれたんでしょう。行ってみて、ビックリしました。陰嚢が巨大に腫れ上がった患者がいっぱい居たんですよ。見たこともない奇病でした。
これが、フィラリア病だったんですね。西郷隆盛さんがなった病気で、蚊が吸血すると大金玉になっちゃう。そういう人はうつるからと、山に追いやられたんです。当時の鹿児島県民の5%、波照間島では何と10人に1人が罹患していました。
中川:
えっ、そんなに居たんですか。すごく高い率ですねえ。
藤田:
そうなんですよ。医者が全く足りないところですし、私が、「これは、誰かがやらなければいけませんねえ」と言ったんです。私がやりたいというんじゃなくて、単なるお世辞、言葉の弾みでね。¥r¥nそうしたら、団長さんが、「おお、君はこれが好きらしいから、やれ」と無理矢理、東大の伝染病研究所に入れられました(笑)。私の意志も弱かったのですけどね、こうして寄生虫学とかバイ菌と付き合いが始まったのです。
でも、研究しているうちに、日本はキレイな社会になっちゃって、バイ菌の専門家なんか、どこの大学も欲しくはないというわけですよ。
それで、三井物産木材部の嘱託医になりました。日本の企業が一斉に海外に進出し、ジャングルに入って木材を切り出していた時期です。そこで熱帯病になるでしょう、そういう人たちを診断し、治療をするという契約をしたんです。
インドネシアのカリマンタン島に赴任したんですが、行ってみて驚きました。現地の人は川でウンチをして、同じ川の水で口をすすぎ、顔を洗っているんですね。こんな生活はイヤだと、6ヶ月で辞表を叩きつけて帰国してしまいました。
ところが、東京に戻ったら、こんどは妙にそういう社会が懐かしくてね。非常に恋しくなりました。人々が、ものすごく優しいんです。アトピーも喘息もない。どうしてだろう…と、そこから始まりました。この30数年間、毎年インドネシアに行って1ヶ月滞在しています。若い頃は、1年の三分の二は海外生活でした。
発展途上国の70ヶ国ほど訪れました。現地の飲み水の検査をし、感染症の調査をしました。そして、その一方で、何故アレルギー疾患がないのかを調べたら、みんな寄生虫を持っていたんですね。そうか、寄生虫がアレルギーを抑えているんじゃないかなァ、って。
中川:
なるほど。現地調査で閃いたのですね。
藤田:
私は、高校まで三重県多気郡明星村というところで過ごしました。親父が国立の結核療養所の所長を70歳までしていましたから。結核は感染しますので、ド田舎に病院があるんです。
中川:
「多気郡」ですか。氣が多いところ…いい名前ですね。
藤田:
私はあまり氣のことは知らないのですが、感覚として氣は大事だと思っています。いいところでしたよ、私の故郷は。野山を駆け回って、杉鉄砲で遊んでいましたが、誰も花粉症なんかになりませんでした。その頃、みんな回虫を持っていたんですよ。その経験から、寄生虫だな、って思ったのです。
戦後日本人の回虫感染率は、70%を超えていました。しかし、進駐軍が日本政府に働きかけて、集団駆虫を徹底的に行いましたから感染率は急減し、60年代には20%になり、70年代には2%、80年代には0・2%ですよ。
それでです、このグラフを見てください。寄生虫の感染が低下するとともに、アレルギー疾患が増加していることを、見事に表しているでしょう。
中川:
本当ですね。ぴったり一致しています。
藤田:
回虫が珍しくなると、小学校の検便で回虫の感染が見つかった子は、イジメに遭うようになりました。不潔なヤツ、キタナイって言われて。社会が清潔志向になるにつれ、清潔でないものを排除するようになってくる。これは非常に問題です。
たとえば、浮浪者たちのことが、気になって仕方がなくなる。その人と結婚したり、友達になるということじゃないんだから、放っておけばよいのに、排除したくて叩いたりしちゃう。
少しでもみんなと違うものだとイジメてしまう。異質なものを排除する思想は、危険です。みんな、目立たないようにと、個性尊重なんて言いながら、全く逆な方向に行ってしまうのですね。同質化していくと、社会全体が非常に弱くなってしまいます。

<後略>

(2002年11月20日 東京医科歯科大学藤田教室にて  構成 須田玲子)

           

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