2003年 - 氣のリラクゼーション SHINKIKO |真氣光

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12月 「湯川 れい子」さん

湯川 れい子(ゆかわ れいこ)さん

東京で生まれ、山形で育つ。鴎友学園女子高校を卒業。昭和35年ジャズ専門誌の読者論壇に投稿、これを機にジャズ評論家としてデビュー。ラジオのDJ、ポップスの評論・解説を手がけて現在に至る。『ランナウェイ』『六本木心中』『恋におちて』など作詞も多数。ディズニー・アニメ映画の日本語訳詞や、ミュージカルの日本語詞も。プロデュース作品、スーザン・オズボーンのCD『和美』はレコード大賞企画賞受賞。著書『幸福へのパラダイム』(海竜社)で日本文芸大賞ノンフィクション賞受賞。他に『オーロラ・光ふる夜』(PHP研究社)『今夜もひとりかい』(共同通信社)『幸福への共時性』『幸福への旅立ち』(海竜社)など多数。近年は環境問題を考えグローバルに活動する「レインボウ・ネットワーク」を組織、永久会員にはシャーリー・マクレーン、オノ・ヨーコ、オリビア・ニュートン・ジョンなど。<a href="http://www.rainbow-network.com" target="_blank">http://www.rainbow-network.com</a>

『力で奪い合わず、想像力と笑顔と歌うことで共存の道を』

皆が持っている力、皆が等しく恩恵にあずかれるもの

中川:
本欄で湯川さんと先代と対談していただいたことがありましたが、調べてみましたら92年5月号でした。もう、11年半も前のことなのですね。
湯川:
そう、あのときお父様は、「ハイゲンキは構造的には何もつながっていないけど、どうしてか効くんだよね。一番信じてないのが僕の家族なんだ」とおっしゃっていて、すごく正直な方でした(笑)。
中川:
そうでした(笑)。私はエンジニアでしたから、見えることばかり追っていて、氣なんか錯覚じゃないの?と思っていました。それが体調を崩し、父の開催している研修講座に参加して、魂とか氣とか大きな存在が分かりました。その対談記事を読み返してみたのですが、湯川さんと霊の話や自動書記の話まで、かなり深く触れていますね。
湯川:
あの頃は、私自身、まるでジェットコースターに乗っているようなときで、次から次に不思議で面白いことが起きていました。でもそのうちに、待てよ、こういう追いかけ方をしていると、非常に危険だ、と気がつきました。カルト的になってしまうのではないかと、その危険性に気づかされまして。自動書記にしても、必ずしも高い意識レベルではないことも分かりましたし。
不思議な力を見せてくれたり、病気治しをしてくれる人もいましたが、その人を教祖と勘違いして、教祖の力だと思ってしまうと危険ですよね。例えば、オーラを見せてくださる人がいて、その方は癌を治す前に1千万円、治ったら3千万円なんて言っていました。何で、この人にそんな力があるの?本当に人間として尊敬に値する方なの?と。
近頃は、そういう人は淘汰されてきていますよね。今は、こういう世界を非科学的だと頭から否定するのではなくて、特別な人ばかりではなく皆が持っている潜在的な力であって、皆が等しく恩恵にあずかれるもの、そして、それに気づいて使わせてもらえば、もっと人生は楽しく実りのあるものになりますよ、ということを真摯に教えて下さっている方の時代になってきたかな、と思います。
中川:
まさしくその通りですね。時代ということもあったのでしょう。氣についても知られていませんでしたから、こういうものもあるのだよ、と先代はまるでブルドーザのようにガァーッと走り抜けながら見せてくれた感じがします。その時代は、皆が先代を頼っていました。
湯川:
そうですね。その頃は自然界に溢れている、氣とか宇宙エネルギーとか言われているものを、集約して照射してくださる人は、そんなにいらっしゃらなかったですものね。
中川:
今は、ビックリさせたり霊的なことをおどろおどろしく言わなくても、先代のときに培ったそういう体験を基に、氣の存在を分かる人がずいぶん増えてきました。皆さん一人ひとりが相手に氣を中継することによって自分自身を癒しながら、相手を癒すようになっています。ハイゲンキという機械があったからこそ、真氣光が残っているのだとも思います。
湯川:
お父様は、チェルノブイリの被災者の治療によくロシアにいらしていましたよね。あるときバッタリ、成田空港でお会いしました。荷物が出てくる回転台の縁に腰を掛けていらしたけれど、とても疲れたご様子で驚きました。対談のときは、パチンパチンに元気でいらしたのに。それがお会いした最後でした。
中川:
1ヵ月に数日しか家に帰らず、身体が幾つあっても足りないくらいアチコチに飛び回っていましたから、やはり肉体的にくたびれていたと思います。95年の12月に2度目の脳出血を起こし亡くなりました。
私が下田で行われていた講座に参加したのが92年5月で、父の会社の社員になったのが93年10月でしたから、3年ほど父と行動を共にしていました。
湯川:
でも、ご存命のときにそういうお姿を間近に見ることが出来てお幸せでしたね。お父様はちょっと不思議な(笑)理想的なモデルでいらして、それをそう思わないときがあったけれど、そのスーパーさに気がついたとき、あっ、そうかと思えて、中川さんの今がおありになると思います。

<後略>

(2003年9月25日 「オフィス・レインボウ」にて 構成 須田玲子)

           

11月 「佐藤 憲雄」さん

佐藤 憲雄(さとう けんゆう)さん

1938年新潟県生まれ。駒沢大学仏教学部仏教学科卒業、駒沢大学大学院人文科学研究科仏教学専攻修士課程修了。皆の宗・ニコニコ宗 双本山「永林寺」住職。笑文芸集団「有遊会・ニコニコ響輪国」有遊亭和笑。

『「笑道仏心」とはユーモアと笑いを大事に怒りを鎮め大らかに生きること』

遊び心がいっぱい。「遊び」は「明日美」です

佐藤:
遠いところから、ようこそ。お待ちしていました。
中川:
きょうは、ご住職のお話をうかがえるのを楽しみにして来ました。いただいたお名刺には裏表ビッシリ書かれていますが、この太字の「祈:一斗二升五合」はどういう意味でしょう。
佐藤:
言葉遊びですよ。「一斗」は「五升」の倍ですし、「五合」は「半升」ですから、「五升倍(ごしょうばい)、升升(ますます)半升(はんじょう)」で「ご商売益々繁盛をお祈りしていますよ」、ということです(笑)。
中川:
ハハハ、なるほど。「永林寺」は、「皆の宗・ニコニコ宗」とありますが、これは?
佐藤:
本来は曹洞宗ですが、訪れる皆さんが、「ここのお寺は、何宗ですか?」とお訊ねになられるので、皆ニコニコ楽しく生きていくのが仏の道ですから、宗派にとらわれず、「皆の宗です」とお答えしていたのです。それが、20年も言っていると、だんだん定着してきましてね、それではと、「皆の宗・ニコニコ宗」を名乗るのを申請したところ、7年前の5月3日、雨の日でしたがね、県知事がこちらにいらして認めてくださったんですよ。
ところで、2、3日前に青木匡光さんが寺においでになり、お宅の会社から送っていただいた「月刊ハイゲンキ」に目を留めて、「あれっ、これ、どうしたの?僕も中川会長とお話したんだよ」とおっしゃっていました。
中川:
ええ、そうなんですよ。「人間接着剤」の青木さんですね。出会いを楽しみ、人と人をくっつけるということをなさっている…(編集部注・本誌122号巻頭対談参照)。青木さんとお親しいのですか。
佐藤:
はい。青木さんは、ウチの寺の「友の会顧問」を務めてくださっていますから。それから、送っていただいた今年の8月号には演芸作家の神津友好さんが登場なさっていましたが、神津さんとも四半世紀のお付き合いです。
中川:
神津さんは、毎日の暮らしの中で笑いを大事にしておられて、「笑いの種は、自分の心の中にある」とおっしゃっていました。
佐藤:
そうですね。神津さんとは、「有遊会」でご一緒なんですよ。彼は、師匠をもじって「司笑」。私は、「有遊亭 和笑(おしょう)」です。面白い話を作って披露し合って遊んでいるんですが、例えば…「笑」の字の解釈を話に作ったときは、「子犬が笊ざるを被って山から走り下りて来たのだけれども、3本足だったので、神様が一本、足を下さった。子犬は神様から戴いたその足を大事にして、濡らさないようにオシッコをするときにその足をあげる」…これは、私の作です。
そうしましたら、演芸評論家の小島貞二さんが、3本足の子犬、というところは同じですが、「田んぼの案山子に足を貰ったから、案山子は一本足になった。子犬の名前はコロで、コロが子供を生んでココロ、ココロがまた子供を生んでマゴコロ」と、お作りになりました。小島さんは、この夏に亡くなってしまいましたがね。
こんな駄洒落ばかり言っているのですが、世の中には「バカバカしい」なんて怒って、いちゃもんつけてくる人もいますよ。そんなムキになって生きていたって、ツマンナイでしょう。遊びは大事ですよ。「遊び」は、「明日美(あすび)」ですから。この寺も、遊び心がいっぱいです。既成宗教は悪いと言うわけではないし、とっても教えられることは多いのだけれど、ムズカシイでしょう。坊さんは、「カキクケコ」だと皆さんに思われていますからね。
中川:
「カキクケコ」?
佐藤:
カタイ、キライ、クライ、ケムタイ、コワイです。でも、「アイウエオ」になると、皆さんが親しく感じてくれて、寺にも来やすくなるでしょう。「明るく、生き生き、美しく、笑顔で、おもしろおかしく」です。私は「笑道仏心」だと思っています。
中川:
ご住職が、楽しい方だからでしょうか、ずいぶん参詣の方で賑わっていますね。こちらに着いてタクシーから降りたら、お寺に人がたくさんいらしたので、何か会とか催し物でもあったのかなと思ったほどです。
佐藤:
便利のいいところではないのに、普段でも200人ほどでしょうか、いらっしゃいますね。この寺は、私が25代目で、もう開祖500年以上になります。実は、徳川家康の孫である松平忠直公、その子どもの光長公の位牌を安置してあり、葵の紋章を許された寺なのですよ。作州津山藩松平家より拝領の和幡荘厳具などの数々も残っておりますし、江戸彫りの名匠・石川雲蝶の作品が日本で一番多くあります。そういうことをご存じで参拝される方も多いのです。
中川:
そうですか、それは由緒ある寺ですね。石川雲蝶という人は、どういうお方なのでしょう
佐藤:
江戸彫り、まあ大工さんの気の利いた方ですが、3つの流派があって、石川というのは、そのひとつです。雲蝶は、22歳の若さで名字帯刀を許されたために、兄弟子のヤッカミを受けて迫害されました。そのときに当山の21代目がこの寺に住まわせたのですね。その
13年余りの滞在中に、百点以上の作品を残したのです。
本堂の欄間に、浮き彫り、両面彫り、浅彫りなど、人物花鳥山水が繚乱として刻まれていまして、日本よりヨーロッパで有名で、「日本のミケランジェロ」と言われているんですよ。日本で彫刻が有名な寺というと、皆さん、すぐに日光を思いますがね。雲蝶がヒスイの原石に彫った、寝ている姿の牛と蛙の作品が在るのですが、牛に触ってから蛙に触ると、皆さんがモウかってカエル。その反対に蛙に触って牛に触ると、皆さんが帰ってから寺が儲かることになっています(笑)。

<後略>

(2003年9月8日 永林寺にて 取材構成 須田玲子)

           

10月 「大倉 正之助」さん

大倉 正之助(おおくら しょうのすけ)さん

能楽囃子大倉流大鼓、重要無形文化財総合認定保持者・日本能楽会会員。室町時代より650年続く能楽大・小鼓の大倉流宗家の長男として生まれる。9歳で小鼓方として初舞台。17歳で大鼓に転向。「大鼓独奏」「素手打ち」という独自のスタイルを確立し、至難の業といわれる「素手打ち」にこだわり続け世界各国で演奏活動を繰り広げている。2000年には、ローマ法皇より招聘され、バチカン宮殿内ホールでのクリスマスコンサートに出演する。世界の民族芸能、音楽を紹介する独創的なイベントも多数プロデュースしている。著書に「鼓動」(到知出版社)がある。

『伝統芸能とバイクが合体!鼓に氣を乗せ、鎮魂の旅を続ける』

バイクはただの乗り物ではない。意思がある

中川:
今日は、お忙しい中、事務所までご足労いただきましてありがとうございます。今、外にかっこいいバイクが置いてありますが、あれは大倉さんが乗ってこられたんですよね。
大倉:
そうです。さっきまで明治神宮でイベントの打ち合わせをしていまして、時間がぎりぎりになったので、電車でも車でも間に合わないかなと思いまして、いつも乗っているバイクで駆けつけたという次第です。
中川:
大倉さんは、伝統芸能である大鼓の奏者ですが、伝統芸能とバイクというと、何かミスマッチのようなイメージがありますよね。よく質問されると思いますが、なんでまた、能とバイクが結びついたのでしょう?
大倉:
よく聞かれますね。伝統芸能の家に生まれた者は、バイクのような危険なものに触れないようにするという不文律がありますし、なかなか能とバイクは結びつかないと思います。
でも、私にとっては、バイクは単なる乗り物、移動の手段ではありません。能と同じように、生きることの意味を教えてくれる大切な道具だと思っています。
たとえば、昔の旅には生死が付き物でした。今でも旅に危険はついて回りますが、命がけということはありません。新幹線や車、高速バス、飛行機で快適に移動するのが旅です。
バイクだと、まだ、昔の旅の感覚をもつことができます。途中の空気や風、においを感じることができます。人間の本能や野生を取り戻すことができます。直感や身体能力が必要な乗り物です。そこに能と共通するものを感じるのですが。
中川:
私はバイクには乗りませんが、きっと車とは違った感覚があるんでしょうね。馬で旅している感じなのかな。機械ではなく生き物としてバイクを感じているということでしょうか。
どんな感覚なのか、バイクに乗らない人にもわかりやいように、説明していただくことはできますか。
大倉:
そうですね、中学生のとき、はじめて50ccのバイクに乗りました。近くの広場で、バイクにまたがってエンジンをかけて、クラッチを離した瞬間、いきなりバイクが竿立ちになって後ろに振り落とされました。自転車に毛の生えたような50ccのバイクですから大したことないと馬鹿にしていたのですが、とんでもなかった。バイクは単なる機械ではない。意思をもっている。まさに、今言われたような馬のような存在だと、そのときに思ったわけです。
バイクに乗っていると、環境の変化をダイレクトに感じます。冷たい雨の中を乗っているときは、体がすっかり冷えて歯がかみあわなくなるような事もあります。また、カチカチになって止まったとき、足を伸ばしたつもりが、筋肉が硬直していて足が動かず、バイクを止めた途端にその場でコテンと転んでしまう格好の悪いこともあります。
気持ちのいいこともたくさんあります。しばらく走っているうち雨が上がってきて、太陽の光が差してくる。太陽の暖かさが冷え切った体をふわーっと暖めてくれる。このとき、体がふうーっと伸びていく感覚を味わうことができます。『種子が芽吹くときはこんな感じかもしれない』と自分が植物の種になったような感慨を味わうことができます。
普段の生活では、そうそう味わえるものではないですね。
中川:
なるほど、バイクにもなかなか奥深いところがあるわけですね。
能という伝統芸能とバイクに象徴されるように、大倉さんはこれまでの能の常識をくつがえして新しいことに次々と挑戦して、結果を出されておられますね。
新しいことをやるというのは、いろいろと反発もあって大変だと思います。特に、室町時代から続いている古典的な世界ですから、新しい価値観がそう簡単に受け入れられるものではないでしょう。ご苦労されたと思いますが。

<後略>

(2003年7月18日 エス・エー・エス東京センターにて 構成 小原田泰久)

           

9月 「安保 徹」さん

安保 徹(あぼ とおる)さん

1947年青森県生まれ。東北大学医学部卒。現在、新潟大学大学院医歯学総合研究科教授。1996年、白血球の自律神経支配のメカニズムを初めて解明。ほかにも、免疫関連で世界中をうならせる発表を次々と行っている。免疫について対談形式で非常にわかりやすくまとめた「免疫学問答」(河出書房新社)はベストセラーに。ほかにも、「未来免疫学」(インターメディカル)「医療が病いをつくる-免疫からの警鐘」(岩波書店)「免疫革命」(講談社インターナショナル)など著書多数。

『自律神経が教えてくれる自然界のリズム。 現代人はもっとリラックスした方がいい。』

病気は自然の力でなり、自然の力で治るもの

中川:
免疫というとても難しいテーマを、先生は非常にわかりやすく説明されていて、ご著書を読ませていただきましたが、『ああ、なるほど』と納得することができました。
特に、心と免疫力はとても関係があって、病気になるのも健康になるのも心次第ということを、医学的にお話されているのが興味深かったですね。医学の話というよりも、人生論みたいな、奥深いものを感じました。
安保:
ありがとうございます。私はこう思っています。たぶん、2000年とか3000年前、鉄が使われるようになって、畑を作って定住するようになって、人間は富を獲得しました。以来、富を得ることに心が移ってしまって、自然とともに生きることを忘れてしまった。そんなところへキリストやお釈迦様が出てきて、心の問題をないがしろにしたら破綻をきたすよと教えてくれた。
今がまさに、そういう時代です。
科学が一見進歩して、立派な家も作れるし、新幹線も走るし、飛行機も飛ぶ。薬もいっぱいできてきた。いいことばかりのように思えるけど、実はそうじゃない。
逆に、問題ばかりが多くなっている。
そう思いませんか。
中川:
その通りですね。先生の専門である医学の分野も、進歩しているように見えて、実際には治せない病気がいっぱいあるわけですからね。
安保:
治せないし、逆に病気を作っていると言ってもいいかもしれない。このグラフを見てください。透析患者の数です。どんどんと増えているわけですよ。
ガンもアトピー性皮膚炎も潰瘍性大腸炎も膠原病も、爆発的に増えている病気の多いこと。
今は、病院へ行くと病気になってしまう。そんなおかしな時代になってしまいました。
中川:
すごいですね、このグラフ。私たちが奈良の生駒でやっている5日間の研修講座にも、たくさんの難病の方が見えますから、病院で治らない病気がどんどんと増えていることは実感と
してもっていましたが、こうしてグラフを見せられると、あらためて驚いてしまいますね。
安保:
病気というのは自然の力によってなり、自然の力によって治るものです。それを薬で治ると思ってしまったことに間違いの発端がある。人間様の力で治してやろうということになったからおかしくなった。
腎臓が悪くなって病院へ行くと、水をとらないようにという指導がなされ、むくまないように利尿剤が出されます。腎臓に負担をかけないようにという理由なのですが、水をとらずに利尿剤を飲めばどうなりますか。すぐに脱水症状を起こします。逆に腎臓の大きな負担になり、血液がドロドロになってしまう。
そんなことするから、数週間で透析になってしまうわけですよ。
ちょっと考えればだれでもわかることを、医者は平気でやっているんです。
アトピー性皮膚炎は、抗原を外へ出そうということで発しんができるわけです。抗原が全部外へ出れば治ってしまう。しかし、病院へ行くと、体の排泄反応をステロイドで止めてしまう。せっかく治ろうとしているのにストップをかけてしまうのです。
そうやって治る病気も治らないようにしてしまうのが、今の病院での病気治療の実態です。
中川:
私どもも、痛みとか発熱とかかゆみといった症状は病気が治るために起こっているのだということをお伝えしています。
体が苦痛に感じることを悪者として、何でも排除してしまおうという考え方が、かえってやっかいな結果を生み出していますね。
痛みを排除しようとせず、『これは体が治るためのものだ』と感謝の気持ちで受け入れると、病気そのものの回復も早くなっていくから不思議ですね。
安保:
それは不思議でも何でもない。理屈に合ったことです。
たとえば、しもやけは赤くはれ上がって、血液が集まってきて、熱っぽくなって治っていきますね。このときに、すごいかゆみがあるわけです。
どうしてそうなるのかと言うと、壊れた組織を修復するには血液が必要です。体は、しもやけになった部分に血液を集めて治そうと働くのです。だから、かゆくなってきたら、もうすぐ治るんだと喜ばなければならない。
でも、病院へ行ったらどうなりますか。
薬が出される。その薬というのは、血流を止める作用をもっている。血流を止めて、治ろうという力を弱くすればかゆみがなくなる。そんなことをやっているわけですから、何年たっても、しもやけは治らない。

<後略>

(2003年6月25日 新潟大学医学部にて 構成 小原田泰久)

           

8月 「神津 友好」さん

神津 友好(こうづ ともよし)さん

大正14年8月長野県生まれ。昭和22年上智大学新聞学科卒業。昭和25年法政大学文学部英米文学科卒業。雑誌、業界紙記者を経て、昭和28年より演芸台本の専門作家となる。日本放送作家協会理事、文化庁芸術祭審査委員、芸術選奨選考委員、三越名人会企画委員などを歴任。NHK番組専属作家。花王名人劇場プロデューサー。著書に『笑伝・林家三平』『にっぽん芸人図鑑』『少年少女落語名作選』。平成13年文化庁長官表彰。

『毎日の暮らしの中で笑い発見!笑いの種は自分の心の中にある』

思わず笑ってしまう放送台本を書き続けて半世紀

中川:
神津先生は、放送演芸作家でいらっしゃるとうかがいましたが、具体的にはどういうお仕事なのでしょうか。
神津:
演芸には、古典芸能、落語、漫才、講談、漫談、浪曲など、いろいろなジャンルがあるのですが、私は思わず笑ってしまうような話を50年拾い続けてきました。¥r¥n笑いの芸能は、作が無いとできません。構成者や作者が必要なのです。その中で、私はラジオやテレビの演芸番組をずっと担当していましたから、NHKの方で「放送演芸作家」と呼び名を付けてくれたのですが、そういう職名があるのかどうか(笑)。
中川:
50年ですか。この世界の生き字引のようなご存在ですね。
神津:
日本テレビの昭和28年の開局番組に関わっていますから、ちょうど半世紀になりますね。放送台本をこれだけ長く書いていると、脚本家連盟登録作品だけでも、数百本の駄作の山…と言うと演者さんに悪いけれど(笑)。
最近、テレビ50周年ということで、NHKが持っている演芸番組より、笑芸、喜芸、すっとこ芸を集めて「昭和達人芸大全」をDVD6本に纏める仕事をしました。これがまあ、アッチコッチ、どこにあるのか探すところから始まって、当時はビデオ時代ではありませんから、フィルムでね、その編集でしょう、丸1年かかりました。
もうひとつ、「昭和名人芸大全」というのも同じようにDVD6本に纏めて。これは、珍芸、奇芸、びっくり芸などです。私は、「名人芸は、すごい芸で、達人芸は、みごとな芸の違いである」なんて、屁理屈を付けているんですがね。
まあ、それはさておき、この12本のDVDに収められている芸人さんの全員にお会いしているんですから、やっぱり私は古い人間だと改めて思いましたよ。
先程「生き字引」って、おっしゃっていただきましたが、そんなものではなく、古い人間の「廃物利用」ですよ(笑)。でも、何でこんなに長くやっていて、こんなにも儲からないのだろう。何で、こんなに無名なんでしょうね、ハハハ…。
中川:
貴重なお仕事をされましたね。どなたかがそうしなければ、埋もれたままになってしまいますから。
神津:
古いものに接して感じたのですが、昔は人の繋がりが乾いていなかったな、と思いますよ。今は、人間関係がいやにドライでしょう。ファミリーまで絡んだ付き合いなどあまりしなくなりましたね。
私は、落語家・林家三平さんの影作者などと呼ばれていましたが、その縁で師匠の亡き後もおかみさんやお子さんたちと家族ぐるみのお付き合いをさせてもらっています。
私は好奇心が旺盛で、人間が好きなんでしょうね。いろいろなご縁でいろいろな会に所属しています。例えば、「有遊会」とか「ノータリークラブ」とか、みんな「たまにはお会いして、楽しく暮らしましょうよ」という主旨の会です。地元のボーイスカウトの副団委員長などを40年以上やっていますし。
中川:
「有遊会…遊びが有る会」ですか、楽しそうな名前ですね。どんなことをなさっているのですか。
神津:
これは25年続いていまして、主宰者は相撲評論家・演芸評論家の小島貞二さんです。都々逸や川柳、ナゾ掛けなどを作る宿題が出ましてね、隔月1度、浅草公会堂研修室に集まって、宿題を披露するのです。その出来にそれぞれが点を入れるのですが、プロが3点なのに、素人が30点取っちゃったりして、楽しいですよ。
例えば「新入生と掛けて、何と解く。その心は…」の宿題なら、「遠山の金さんと解く。心は桜が似合います」と。ま、月並みですがこれが見本です。皆さんも挑戦されたらいいですよ。
私は、その会の司笑。師匠をもじっているのですが、これは出席率が良くて、会に何かしらの功績が無いとなれないんですよ。
「ノータリー」は、鯉の絵を描かれている諸橋楽陽さんが代表者ですが、この会も発足して23年です。名門団体「ロータリー」に掛けたネーミングですが、気楽なざっくばらんな会です。
ああ、今日は対談でしたね。私はしゃべるのがへたで、特に対談は苦手なのです。ひとりでペラペラと勝手にしゃべったり、書いたりするのならいいのだけれども。以前、夜、眠れない人たちに人気のある番組、「NHK・ラジオ深夜便」から対談出演依頼があったのですが、その日から私も夜眠れない人になってしまいましたが。いいんでしょうか、ひとりでしゃべってしまって。
中川:
ハハハ。どうぞ、お気になさらず、この調子でお話しください。この欄は各界でご活躍の方たちに、その世界を教えていただくということですので。

<後略>

(2003年6月18日 東京都世田谷区の 神津友好さんのご自宅にて 構成 須田玲子)

           

7月「奥 健夫」さん

奥 健夫(おく たけお)さん

1965年茨城県生まれ。1992年東北大学大学院工学研究科原子核工学専攻博士後期課程修了・工学博士。1992年京都大学工学部金属加工学教室・助手。1994年京都大学大学院工学研究科材料工学専攻・助手。1996年スウェーデン・ルンド大学化学センター第二無機化学科、国立高分解能電子顕微鏡センター・博士研究員。1997年より大阪大学産業科学研究所・助教授、現在に至る。

『現代科学において最大の謎は「人間の意識と生命エネルギー」』

それまでの物質科学の授業内容をすべて変えてしまった

中川:
はじめまして、中川です。本誌に「臨床レポート」を連載してくださっている、麻酔科医師・西本真司先生にご紹介いただきました。本日は大変お忙しい中をどうも有り難うございます。
奥:
西本先生とは国際生命情報科学会(ISLIS=International Society of Life Information Science)で、お会いしました。この学会の方々で、氣に関心をよせていらっしゃる先生は多いですね。¥r¥n今までもいろいろ議論してきたのですが、氣とは何か、氣の本質は科学的にどうなのかということは、結局分かっていないということは皆さん分かっている(笑)。いろいろな現象を追って証拠を積み重ねていって、間接的にでも証明しましょう、ということでやっています。
中川:
ISLISですか、以前ISLISの会長をなさっていた河野貴美子先生と対談をさせていただきましたが(編集部注・本誌1999年11月号に記事掲載)、工学系や医学系の研究者の方が多く、計測されたデータに基づいて論じるというスタンスで行っている学会だとうかがいました。¥r¥n直接的に証明することは難しいですが、体験というかたちで氣の存在を感じる方は多いようですね。西本先生は、ご自身の潰瘍性大腸炎快癒をきっかけに氣に関心を持たれて、私の父である先代が行っていた合宿制の研修講座に参加されました。その後、医学的見地から実験データを出していただいたりして、そういういろいろなお話を含めて、研修講座で講義をしていただきました。¥r¥n先日、西本先生も一部執筆なさった奥先生の本が刊行され、私も読ませていただきましたが、奥先生はその1年前にも、意識、魂の重要性にアプローチする本をお書きになっているそうですね。
奥:
はい、『知的生命情報概論 意識・生命エネルギーの原理と応用』という本を大学院の学生さん4人と書き、三恵社というところから出しました。
中川:
先生のご専門は工学部で、何か材料関係の研究をなさっているとうかがいましたが、工学部の大学院でそういう本を作られたというのは、どういうことなのでしょう。
奥:
知能機能創成工学専攻における授業の一環としてまとめたものなのです。3年前までは、物質科学を中心としながら、半年間で太陽電池、半導体デバイス、核融合エネルギー・高温超伝導、超微粒子・クラスター・フラーレン、原子配列、クオーク・量子宇宙、生命の起源・脳・心・コンピュータ、自己管理・研究論などの授業を行ってきました。
しかし、私がずっと興味を持って抱えていたテーマに思い切って迫ってみようと思い、2年前に今までの物質科学の授業内容をすべて変えてしまって、「人間の意識・生命エネルギーの原理解明及び応用」を授業目的としたのです。
それまでは20人ほど居たのですが、私の提案に興味を持った学生さんが4人残ってくれました。後期の授業だったのですが、学生さんは徹夜をしたり本当にハードでした。この時期は、目の前に就職を控えて大変なときですからね。
単位が取りやすくて、いい成績を付けてくれる先生に、学生さんの人気が集まるのですよ。それが、良い条件で就職する近道ですから。でも私は、授業はハードですし、成績を付けるのも厳しいという評判でしたから、本当に興味を持ってくれた学生さんだけが残ったのです。
中川:
就職するとさらに厳しい環境ですから、学生時代は、本当に学びたいことを自由にのびのびと研究してもらいたいものですね。でも、いい学校に進学して、いい会社に就職して、という教育が小さい頃からなされていますから、お父さん、お母さんの意識から変わることが必要でしょうね。(著書を手にしながら)400ページもあり、立派な本にまとまりましたね。学生さんたちもずいぶん喜ばれたことでしょう。
奥:
ええ、大学院の研究・演習で忙しい中での執筆で苦労しましたから、それだけに本が出来上がったときには大喜びで、「これからは、優雅な印税生活だ」なんて。もちろん、そんなことはありませんけれどね(笑)。
「意識」「生命エネルギー」をキーワードとして、人間というものを今一度見直すというテーマにそれぞれが全く異なる観点で取り組んできましたから、内容は統一されていませんが、あえてそのままで編集をしました。
多数の著書やインターネットによるホームページなど膨大なデータを使用させていただいていますが、昨年3月までISLISの会長を務めてくださっていた、放射線医学総合研究所生体放射研究室室長の山本先生に、いろいろとアドバイスをいただいたりお世話になりました。
中川:
ああ、山本幹男先生ですね。山本先生も、氣に関心を持たれて、もう10年も前になりますか、先代が千葉で行ったセミナーにいらっしゃり、その後に私どもの合宿制の研修講座も体験されておられ、交流がありました。
奥:
そうですか。いろいろなご縁で繋がりがありますね。

<後略>

(2003年5月6日 大阪大学産業科学研究所にて 構成 須田玲子)

           

6月 「三戸 三戸サツヱ」さん

三戸サツヱ(みと さつえ)さん

1914年広島生まれ。1948年から幸島でのサルの研究が始まると同時に、小学校の教師をしながら、京大の今西錦司教授らの研究のお手伝いをする。1970年からは京都大学霊長類研究所幸島野外観察施設の勤務となる。研究者とは違うユニークなサルの観察が「幸島のサル」という本になり、サイケイ児童文学賞受賞。ほかにも、吉川英治文化賞など数々の賞を受賞。1984年に霊長類研究所を退職し、1994年にフリースペース・幸島自然苑を設立。

『サルたちを母親の目で見つめてきて半世紀。彼らの行動からたくさんのことを学びました。』

研究者のお手伝いから サルと付き合うことに

中川:
宮崎からレンタカーで来たのですが、1時間半ほどかかりました。ここは、もう鹿児島との県境ですよね。
今日は、おサルのお話をたくさんお聞きしたいと思っておうかがいしました。三戸先生は、ここでサルとお付き合いされるようになって半世紀にもなるそうですね。
三戸:
昭和23年(1948年)くらいからですから、もう50年を超えていますね。いつの間にかそんなにたったんですね。
中川:
先生はおいくつでいらっしゃいますか。とてもお元気ではつらつとされていますが。
三戸:
1914年4月21日生まれですから。いくつになりますかね。もう90歳くらいかな。
中川:
ここにパソコンがあるんですが、先生がお使いになるんですか?
三戸:
この間買いました。今、勉強しているところです。だから、使うというところまではいかないんですけどね。
中川:
すごいですね。その意欲はまだまだお若い証拠ですね。新しいことにどんどんと挑戦される気持ちがあるのはすばらしいと思います。
でも、どんなきっかけで先生はサルの面倒を見るようになったのですか。サルがお好きだったんですか。
三戸:
いえいえ、サルのことなんか、全然興味なかったですね(笑い)。ちょうど、私がここへ越してきたとき、戦後、朝鮮半島から引き上げてきたんですが、京都大学の今西(錦司)先生と学生たちがサルの研究に来ましてね。彼らの情熱を見ていて、何かお手伝いしたいなという気持ちになったのがきっかけですね。
別にサルが好きで始めたわけではないのですが、やればやるほど面白くなってきましてね。いつの間にやら50年を超えました。
中川:
サルの研究ですか。今は100頭くらいいるということでしたが、そのころもそんなにサルはいたんですか。
三戸:
いえ、そんなにいません。それに、なかなかサルは顔を見せてくれなかった。というのも理由があります。終戦すぐのころは、サルは山奥にしか住んでいなかったのでめったに見られない珍しい動物でした。宮崎の山で猟師が子ザルをとって米軍の司令官にあげたら、すごく喜んで、とてもかわいがっていたんですが、あるときひもが首に絡まって死んでしまいました。司令官が、簡単な気持ちだったのでしょうが、もう1匹ほしいと言ったので、サル取りが始まり、幸島に白羽の矢が立ったんですね。天然記念物だけど、当時はアメリカさんの命令だと言って、ハンティングクラブ、猟師、警察、前村長らが、総出です。サルは、お母さんが子どもをしっかりガードしているので、子ザルをとるためにはお母さんを殺さなければなりません。そんなことで、やっと子ザルをとって帰ったのですが、サルにしてみれば、大変な災難ですよ。
その上、食べ物もない、薬もない戦後ですから、サルの黒焼きが妙薬と言われていたため、密漁が入って、サルたちはさんざんな目にあったわけです。
そんなことがあって、京大の先生が来たときは、サルは絶対に姿を現さなかった。山を一日歩いても、サルが摘んだ木の芽とふんを見つけるだけ。人間と顔を合わせるのに3年かかっています。ところが、村の人が行くと、木のまわりにいたりしました。そんな話を聞いたら、手紙で知らせました。
そのころ、確実にいたのが10匹くらいですね。何年かして、20匹見つかった。それから系図を書くようになりました。
中川:
そんなことがあったのですか。系図も細かく書かれていて、貴重な資料ですね。¥r¥n1頭1頭にコメントがつけられていますね。失踪とかありますが。
三戸:
いなくなるサルがときどきいるんです。後でわかったのですが、それはオスのサルで、オスは必ず一度は外へ出なければならない決まりになっているようなんですね。
だから、ときどき失踪するサルがいて、何年かすると帰ってきて、また群れに入るわけです。¥r¥n私は、それを武者修行と呼んでいます。
中川:
でも、そうやって細かく見ていると、いろいろなドラマがあるんでしょうね。きっと、先生はサルたちのドラマに魅せられてしまって、50年以上もサルとかかわっているのかなと思います。

<後略>

(2003年3月3日 幸島にて 構成 小原田泰久)

           

5月 「龍村 修」さん

龍村 修(たつむら おさむ)さん

1948年、兵庫県生まれ。早稲田大学文学部卒業。龍村ヨガ研究所所長。国際総合生活ヨガ研修会主宰。73年、求道ヨガの世界的権威沖正弘導師に入門。以後、内弟子幹部として国内外で活躍。85年導師没後、沖ヨガ修道場長を経て、94年、独立して龍村ヨガ研修所を創設。またスペース・ガイアシンフォニーを開設し、ホリスティック・ヘルスの指導者を養成中。ヨガ・氣功など東洋の英知を活用し、生命の声、母なる地球の声が聞ける心身づくりを提唱している。著書に「生き方としてのヨガ」(人文書院)と「深い呼吸でからだが変わる」(草思社)がある。

『生駒「真氣光研修講座」を語る』

沖正弘導師と先代の考えは一致していた

中川:
龍村先生とは、真氣光の研修講座開催の一番はじめからご縁をいただいていますが、今までこういう形でじっくりとお話をうかがったことがありませんでした。¥r¥n生駒で開催されている真氣光研修講座を受講される方の中には、どうして内容が真氣光とヨガの二本立てなんだろう、と思われる方もいらっしゃるでしょう。今日は、先生に真氣光研修講座を生の声(笑)で語っていただこうと思いまして。
まず、研修講座は伊豆・下田にあった沖ヨガ道場からスタートしていますので、その辺りからお願いいたします。
龍村 :
1989年12月にブラジルのセルソーという医者が先代を連れて、沖ヨガ道場においでなったのが、先代にお会いした最初ですね。
私は、大学時代に沖ヨガと出合い、卒業後はずっと直接、沖先生に師事し、先生が85年に亡くなられた後も、三島や下田の道場で講習会を開き、先生の教えをお伝えしていたわけです。
中川:
その講習会開催の最中に、先代がおじゃましたのでしたね。
龍村 :
どうもそのときは既に、先代は「合宿」という形の研修講座を考えられていて、施設の下見に見えたようでした。でも、こちらはそういうことまで分かりませんから、館内を案内して、ちょっとお話しただけでした。
セルソー医師は、「ブラジルでお会いした気功の先生で、すごく面白い方なのです」、と先代を紹介されましたが、先代は白髪でニコニコしていて大変印象的な方でした。¥r¥n講習会の終わった、翌年の新年の3日か4日にまたおいでになり、そのときにゆっくりとお話をうかがいました。暮れに差し上げた沖先生の本を全部読んでおられて、「すごく自分の考えと一致している。実は以前、ロサンゼルスの飯島さんという方から、沖先生の講義ノートをいただいている」とおっしゃるじゃないですか、びっくりしました。
飯島さんはロス在住の日蓮宗のお坊さんで、沖先生はそこを拠点にして1960年代にロスの黒人街でヨガを広めたりされていたのです。
中川:
そのときに沖先生が飯島さんに差し上げたノートを、飯島さんはその後に出会った先代にくださったのですね。不思議なご縁ですね。
龍村 :
飯島さんは先代に、「これは、あなたが言っていることと同じようなことを言っていた人のノートです。自分には必要ないから、使ってください」とおっしゃったそうです。
先代は、「ツボは動く。死んだらツボは無くなる」とか言っておられたでしょ。それと同じようなことを、沖先生もそのノートの「ツボの関連部位」に書いているのですよ。それはいわゆる伝統的な経絡、経穴と異なるツボが書かれているノートです。他にもたくさん共通の考えがあったようですが。
先代の話は、とても興味深かったです。「自分と一緒にアメリカ旅行に行ったりすると、参加者はそれだけで氣が出るようになる。でも、帰ってくるとすぐにまたできなくなってしまう。何か修業したというような経験が無いからではないかと思う。だから、そういう場が欲しい」と。
中川:
先代が夢の中で白髭の老人に、「氣功師を作れ」と言われたんですね。どうすればいいんだろうと考えていると、また「お前と一緒に居ればなれるんだ」と言うから、そうか磁石みたいなものかと思って、何人かの人とアメリカに旅行したんです。
そのときの話ですね。どうしてまたできなくなっちゃうのかと考えていたら、また夢でその寿老人みたいな老人に、「遊んでいるだけじゃダメだ」と言われたのだそうです(笑)。
龍村 :
先代は医療に「氣」を取り入れることの重要性を話されましたが、私は、その話にとても賛同しました。また「うちの研修は、おたくの空いている期間でいい」と言われるので、こちらにとっては大変都合がいいでしょ(笑)。それで、最初は社員研修のような感覚でお引き受けしました。
それまでにも、ある会社が、その会社独自の社員の研修にヨガを入れてやって欲しい、というような形で研修講座を行うことがよくありましたから、そのパターンでやりましょう、ということになったのです。
中川:
朝の読経、マラソン、そして玄米菜食の食事、体操などの沖ヨガさんのプログラムを取り入れた研修講座ですね。先代も、マラソンをするんだからと言って張り切って、自分でトレーニングウエアやシューズを買ってきました。

<後略>

(2003年1月15日 奈良生駒「真氣光研修所」にて 構成 須田玲子)

           

4月 「ハワイ発 巻頭座談会」さん

ハワイ発 巻頭座談会(はわいはつ かんとうざだんかい)さん

2月の3日~4日にハワイにて中川会長の真氣光セミナーとセッションが開かれました。初めての方や以前からの会員さんなど約130名の方々が参加されました。中川会長から直接真氣光を受けられ、皆さんとてもリフレッシュされた様子でした。セミナー後、中川会長、平野師範と一緒に会員の皆さんとの座談会が開かれましたので、その様子をお届けしましょう。

『アロハ!フロムハワイ』

体験を通して分かることは多いですね

中川:
4月にハワイからたくさんの方が生駒に来られると聞き、それに先立ってちょうどいい機会なので、ハワイのみなさんにお話をうかがいたいと思って、集まっていただきました。
平野:
昨日、今日(2月3日、4日)とセミナーを開催して大盛況でしたが(編集部注・セミナー開催の記事は本誌62頁に掲載)、その後、こうして座談会の時間をいただき大変嬉しく思っています。
今日ここに集まっていただいた方は、うちの古い会員さんたちで、真氣光の下田や生駒のセミナーに参加された方も多いのです。
中川:
平野師範には、月刊ハイゲンキや先代の本にもご登場いただいていますが、元全日本空手チャンピオンで、このハワイでの真氣光普及に大きな力になってくれている方です。
最近、文化功労賞を受賞されたとうかがいましたが
平野:
長く続けていると評価されるものですね。昨年の10月にワシントンDCで加藤米国全権大使から拝受いたしました。
中川:
それは、おめでとうございます。その賞は、どういったものなのですか。
平野:
海外で文化活動に功労のあった人が受賞対象なのですが、38年以上継続していなくてはなりません。私が空手を始めたのは1951年からで、ハワイに渡って教え始めたのは1962年ですから、長いですよね。
中川:
私が生まれたのが、その前年の1961年ですから(笑)、そりゃあ長いですね。ところで、師範が真氣光に出合ったのは、心臓を悪くされたのがきっかけだったですよね。
平野:
そうです。1988年に突然心筋梗塞で倒れました。そのときに真氣光を教えてくれたのが、今日のセミナーを通訳してくれている福田ロバートさんなんですよ。お蔭さまで命拾いをしました。
そして1990年7月に、下田で行われていた真氣光のセミナーに参加して以来、たびたびハワイの方たちをセミナーに連れて行っていました。それが、ここしばらくご無沙汰していたところ、体調を崩して昨年から腎臓透析の身になってしまいまして…いろいろと気づくことがありました。病気は氣づきのメッセージとは、本当ですね。
中川:
月刊ハイゲンキ2月号にそのいきさつを師範が書いてくださいましたが(編集部注・No.153、55頁に掲載)、体験を通して分かることは多いですね。月刊ハイゲンキもやはり氣グッズですから、記事を読んだ会員さんたちが、「平野師範の魂がますます輝きますように」、という気持ちを持ちますと、それが師範のところにも届きます。氣の交流ですね。
平野:
そうですか、有り難いですね。ハワイ支部再スタートのことはじめに、こうして会長のセミナーを開催することが出来て、感謝しています。これからどんどんハワイは元気なりますよ!
中川:
それでは、皆さんの紹介をしていただきましょうか。
平野:
こちらはロバートさん、シズさん御夫婦です。ロバートさんは85歳。4年前に糖尿病の影響で足の動脈のバイパス手術をしなくてはならなくなり、うちの氣のクラスに参加するようになりました。今は、太極氣功十八式などを教えて、クラスをリードしてくれています。手術はしなかったけれど、元気、元気。
シズさんは、私が下田初受講から帰った4ヶ月後から、ここに通ってきています。だから、一番古い会員さんですね。お化けのような人です(笑)。あの世に一旦行ったんですが、まだ早いからって、追い返されたんですから。しずさん、自分で話してください。
シズ・フチセ:
はい。1990年に心臓発作を起こしました。トイレで倒れて顔面を強く打ちました。心臓バイパスの手術をしなければいけないと言われました。でも、氣を受けていたらこうして元気になりました。2年前の77歳のときに車にはねられました。車の屋根に放り上げられて地面に落とされ、9本骨を折りましたが治りました。氣をたくさん受けているおかげです。
平野:
私が病院に駆けつけたら、意識不明でしょ。それが2日目には意識が回復して、3日目にはもう車椅子に座っているの。2ヶ月で退院して、翌日から、ここにまた毎日、ボランティアに来てくれるようになりました。ね、お化けでしょ(笑)。下田も生駒も受講しています。次は佐久間さん、ハワイの3世です。
エミリー・佐久間:
お祖父さん、お祖母さんが熊本の人です。68歳です。下田の最終回に参加しました。食事良かったです。どこも捨てるところがないのね、あれはとても素晴らしい。生駒にも2回行きました。行くたびに何か習う。スタッフも受講生も皆いい人。桜がいっぱい、日本は美しい国。肩から背中、腰がとても痛くて手が上がらなかった。それが良くなりました。それから、指の関節炎も治りました。
中川房子:
1937年生まれです。沖縄で結婚しましたが、夫が75年に亡くなって、8歳と6歳だった子供を連れて、夫の郷里のハワイに来ました。先代の会長さんがホテルで体験会を開いたときに行きました。人がいっぱいで、氣を受けて、泣いたりダンスしたり。スモークみたいなものが漂っていて電気を点けているのに暗いのです。そのときは全然信じられませんでした。
でも、94年位から道場に通っていますが、肝臓が弱くて、手も上がらなかったのが、良くなりました。氣は素晴らしいです。97年と98年に生駒に行きました。生駒から山崎に行くバスの中で、とてもお腹が痛くなりましたが、今の会長さんが手をずっと当ててくれて治りました。熱く焼けた鉄鍋を間違えてつかんで指先をヤケドしたことがありますが、ハイゲンキとピラミッドのおかげで痛みも止まり、翌朝は水ぶくれにもならずにキレイになりました。
以前は辛いことがあると、「何で私ばかり」と苦しかったけれど、氣を知って、「ああ、勉強しなさい」ということなんだな、と思えるようになりました。昔は臆病で、カウアイ島の夫のお墓に行くときトンネルを通るのですが、とても怖かった。でも、スティックヘッドを持って「お願いします」と言い、犬と一緒に行くと怖くないのです。スティックヘッドは、とても強いプラスの氣を私にくれています。ずっと真氣光を信じて生きていきます。

<後略>

(2003年2月4日 SASハワイ支部にて 取材 須田玲子)

           

3月 「柿坂 神酒之祐」さん

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