12月 「湯川 れい子」さん
湯川 れい子(ゆかわ れいこ)さん
東京で生まれ、山形で育つ。鴎友学園女子高校を卒業。昭和35年ジャズ専門誌の読者論壇に投稿、これを機にジャズ評論家としてデビュー。ラジオのDJ、ポップスの評論・解説を手がけて現在に至る。『ランナウェイ』『六本木心中』『恋におちて』など作詞も多数。ディズニー・アニメ映画の日本語訳詞や、ミュージカルの日本語詞も。プロデュース作品、スーザン・オズボーンのCD『和美』はレコード大賞企画賞受賞。著書『幸福へのパラダイム』(海竜社)で日本文芸大賞ノンフィクション賞受賞。他に『オーロラ・光ふる夜』(PHP研究社)『今夜もひとりかい』(共同通信社)『幸福への共時性』『幸福への旅立ち』(海竜社)など多数。近年は環境問題を考えグローバルに活動する「レインボウ・ネットワーク」を組織、永久会員にはシャーリー・マクレーン、オノ・ヨーコ、オリビア・ニュートン・ジョンなど。<a href="http://www.rainbow-network.com" target="_blank">http://www.rainbow-network.com</a>
『力で奪い合わず、想像力と笑顔と歌うことで共存の道を』
皆が持っている力、皆が等しく恩恵にあずかれるもの
- 中川:
- 本欄で湯川さんと先代と対談していただいたことがありましたが、調べてみましたら92年5月号でした。もう、11年半も前のことなのですね。
- 湯川:
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そう、あのときお父様は、「ハイゲンキは構造的には何もつながっていないけど、どうしてか効くんだよね。一番信じてないのが僕の家族なんだ」とおっしゃっていて、すごく正直な方でした(笑)。 - 中川:
- そうでした(笑)。私はエンジニアでしたから、見えることばかり追っていて、氣なんか錯覚じゃないの?と思っていました。それが体調を崩し、父の開催している研修講座に参加して、魂とか氣とか大きな存在が分かりました。その対談記事を読み返してみたのですが、湯川さんと霊の話や自動書記の話まで、かなり深く触れていますね。
- 湯川:
-
あの頃は、私自身、まるでジェットコースターに乗っているようなときで、次から次に不思議で面白いことが起きていました。でもそのうちに、待てよ、こういう追いかけ方をしていると、非常に危険だ、と気がつきました。カルト的になってしまうのではないかと、その危険性に気づかされまして。自動書記にしても、必ずしも高い意識レベルではないことも分かりましたし。
不思議な力を見せてくれたり、病気治しをしてくれる人もいましたが、その人を教祖と勘違いして、教祖の力だと思ってしまうと危険ですよね。例えば、オーラを見せてくださる人がいて、その方は癌を治す前に1千万円、治ったら3千万円なんて言っていました。何で、この人にそんな力があるの?本当に人間として尊敬に値する方なの?と。
近頃は、そういう人は淘汰されてきていますよね。今は、こういう世界を非科学的だと頭から否定するのではなくて、特別な人ばかりではなく皆が持っている潜在的な力であって、皆が等しく恩恵にあずかれるもの、そして、それに気づいて使わせてもらえば、もっと人生は楽しく実りのあるものになりますよ、ということを真摯に教えて下さっている方の時代になってきたかな、と思います。 - 中川:
- まさしくその通りですね。時代ということもあったのでしょう。氣についても知られていませんでしたから、こういうものもあるのだよ、と先代はまるでブルドーザのようにガァーッと走り抜けながら見せてくれた感じがします。その時代は、皆が先代を頼っていました。
- 湯川:
- そうですね。その頃は自然界に溢れている、氣とか宇宙エネルギーとか言われているものを、集約して照射してくださる人は、そんなにいらっしゃらなかったですものね。
- 中川:
- 今は、ビックリさせたり霊的なことをおどろおどろしく言わなくても、先代のときに培ったそういう体験を基に、氣の存在を分かる人がずいぶん増えてきました。皆さん一人ひとりが相手に氣を中継することによって自分自身を癒しながら、相手を癒すようになっています。ハイゲンキという機械があったからこそ、真氣光が残っているのだとも思います。
- 湯川:
- お父様は、チェルノブイリの被災者の治療によくロシアにいらしていましたよね。あるときバッタリ、成田空港でお会いしました。荷物が出てくる回転台の縁に腰を掛けていらしたけれど、とても疲れたご様子で驚きました。対談のときは、パチンパチンに元気でいらしたのに。それがお会いした最後でした。
- 中川:
-
1ヵ月に数日しか家に帰らず、身体が幾つあっても足りないくらいアチコチに飛び回っていましたから、やはり肉体的にくたびれていたと思います。95年の12月に2度目の脳出血を起こし亡くなりました。
私が下田で行われていた講座に参加したのが92年5月で、父の会社の社員になったのが93年10月でしたから、3年ほど父と行動を共にしていました。 - 湯川:
-
でも、ご存命のときにそういうお姿を間近に見ることが出来てお幸せでしたね。お父様はちょっと不思議な(笑)理想的なモデルでいらして、それをそう思わないときがあったけれど、そのスーパーさに気がついたとき、あっ、そうかと思えて、中川さんの今がおありになると思います。
<後略>
(2003年9月25日 「オフィス・レインボウ」にて 構成 須田玲子)
言葉遊びですよ。「一斗」は「五升」の倍ですし、「五合」は「半升」ですから、「五升倍(ごしょうばい)、升升(ますます)半升(はんじょう)」で「ご商売益々繁盛をお祈りしていますよ」、ということです(笑)。
江戸彫り、まあ大工さんの気の利いた方ですが、3つの流派があって、石川というのは、そのひとつです。雲蝶は、22歳の若さで名字帯刀を許されたために、兄弟子のヤッカミを受けて迫害されました。そのときに当山の21代目がこの寺に住まわせたのですね。その
そうです。さっきまで明治神宮でイベントの打ち合わせをしていまして、時間がぎりぎりになったので、電車でも車でも間に合わないかなと思いまして、いつも乗っているバイクで駆けつけたという次第です。
ありがとうございます。私はこう思っています。たぶん、2000年とか3000年前、鉄が使われるようになって、畑を作って定住するようになって、人間は富を獲得しました。以来、富を得ることに心が移ってしまって、自然とともに生きることを忘れてしまった。そんなところへキリストやお釈迦様が出てきて、心の問題をないがしろにしたら破綻をきたすよと教えてくれた。
それは不思議でも何でもない。理屈に合ったことです。
演芸には、古典芸能、落語、漫才、講談、漫談、浪曲など、いろいろなジャンルがあるのですが、私は思わず笑ってしまうような話を50年拾い続けてきました。¥r¥n笑いの芸能は、作が無いとできません。構成者や作者が必要なのです。その中で、私はラジオやテレビの演芸番組をずっと担当していましたから、NHKの方で「放送演芸作家」と呼び名を付けてくれたのですが、そういう職名があるのかどうか(笑)。
西本先生とは国際生命情報科学会(ISLIS=International Society of Life Information Science)で、お会いしました。この学会の方々で、氣に関心をよせていらっしゃる先生は多いですね。¥r¥n今までもいろいろ議論してきたのですが、氣とは何か、氣の本質は科学的にどうなのかということは、結局分かっていないということは皆さん分かっている(笑)。いろいろな現象を追って証拠を積み重ねていって、間接的にでも証明しましょう、ということでやっています。
ええ、大学院の研究・演習で忙しい中での執筆で苦労しましたから、それだけに本が出来上がったときには大喜びで、「これからは、優雅な印税生活だ」なんて。もちろん、そんなことはありませんけれどね(笑)。
昭和23年(1948年)くらいからですから、もう50年を超えていますね。いつの間にかそんなにたったんですね。
いなくなるサルがときどきいるんです。後でわかったのですが、それはオスのサルで、オスは必ず一度は外へ出なければならない決まりになっているようなんですね。
龍村先生とは、真氣光の研修講座開催の一番はじめからご縁をいただいていますが、今までこういう形でじっくりとお話をうかがったことがありませんでした。¥r¥n生駒で開催されている真氣光研修講座を受講される方の中には、どうして内容が真氣光とヨガの二本立てなんだろう、と思われる方もいらっしゃるでしょう。今日は、先生に真氣光研修講座を生の声(笑)で語っていただこうと思いまして。
どうもそのときは既に、先代は「合宿」という形の研修講座を考えられていて、施設の下見に見えたようでした。でも、こちらはそういうことまで分かりませんから、館内を案内して、ちょっとお話しただけでした。
飯島さんは先代に、「これは、あなたが言っていることと同じようなことを言っていた人のノートです。自分には必要ないから、使ってください」とおっしゃったそうです。
先代は医療に「氣」を取り入れることの重要性を話されましたが、私は、その話にとても賛同しました。また「うちの研修は、おたくの空いている期間でいい」と言われるので、こちらにとっては大変都合がいいでしょ(笑)。それで、最初は社員研修のような感覚でお引き受けしました。
昨日、今日(2月3日、4日)とセミナーを開催して大盛況でしたが(編集部注・セミナー開催の記事は本誌62頁に掲載)、その後、こうして座談会の時間をいただき大変嬉しく思っています。
こちらはロバートさん、シズさん御夫婦です。ロバートさんは85歳。4年前に糖尿病の影響で足の動脈のバイパス手術をしなくてはならなくなり、うちの氣のクラスに参加するようになりました。今は、太極氣功十八式などを教えて、クラスをリードしてくれています。手術はしなかったけれど、元気、元気。
私が病院に駆けつけたら、意識不明でしょ。それが2日目には意識が回復して、3日目にはもう車椅子に座っているの。2ヶ月で退院して、翌日から、ここにまた毎日、ボランティアに来てくれるようになりました。ね、お化けでしょ(笑)。下田も生駒も受講しています。次は佐久間さん、ハワイの3世です。
1937年生まれです。沖縄で結婚しましたが、夫が75年に亡くなって、8歳と6歳だった子供を連れて、夫の郷里のハワイに来ました。先代の会長さんがホテルで体験会を開いたときに行きました。人がいっぱいで、氣を受けて、泣いたりダンスしたり。スモークみたいなものが漂っていて電気を点けているのに暗いのです。そのときは全然信じられませんでした。