体験者の声からみた「氣」の力
真氣光とともに30年:自分の本当の気持ちを言えるようになりました。
姉の紹介で真氣光を知り、30万円のマッサージ機の代わりにハイゲンキを購入。戦後に苦労した母への愛情を求める子ども時代を経て、研修講座を機に母への理解を深める。20年間続けた塾経営では、子どもの心を受け入れることを重視し、氣の助けも実感。近年は会長セッションに毎月参加し、自己を振り返る体験を語る
マッサージ機の代わりにハイゲンキ
私が真氣光を知ったきっかけは、姉から教えてもらったことです。姉が以前の大阪センター近くの事務所にあった「氣の体験ができる」という看板が気になって行ってみたそうです。その後、私に「行ってみるといい」と勧めてくれました。体験会へ行くと、先代会長が舞台に上がり、歩けない人を呼んで氣を当てたりしていて、すごいものを見ました。
私は肩こりがひどく、30万円くらいするマッサージ機を買おうと思っていたのですが、真氣光の方に「これがいいよ」と言われて、ハイゲンキにしました。それが1994年です。その後、1年後に会長が亡くなられましたが、真氣光の内容に共感していたので、やめようとは思わなかったです。もともと母方の家系から宗教心があり、心の勉強もできる真氣光に興味を持てたのだと思います。
母からの愛情を求めた子ども時代
父は私が生まれて2ヶ月後に結核で亡くなっています。母は子ども3人を抱え、戦後を迎え、生きること、食べことに精一杯で、私たち子どもの気持ちを考える余裕はなかったと思います。母は姉に全幅の信頼を置いていて、私には振り向いてくれませんでした。小さい頃から、母への愛情を求めていて、ずっと寂しかったです。
初めて研修講座に参加したのは、2006年の生駒市での最終講座です。思い切って参加しました。その研修講座に参加してから、母への思いが湧いてくるようになりました。子どもなりに母の大変さがわかるので、自分の気持ちを抑えて、我慢して生きてきました。
子どもの頃、母に「人間って、なんのために生きているの?」と聞いたことがあります。母は驚きあきれていましたが、私はどういう生き方をするのが一番いいのか、いつも考えていました。
塾経営での気づきと氣の助け
私は家で塾をしていました。母が「社会人になったら、社会に還元しないとだめよ」と言っていたため、子どもが好きなので、勉強を教えることで社会に恩を返せるかなと思い、20年間やりました。
塾では勉強を教えるよりも、子どもたちの心を見る方が好きでした。最初は勉強を一生懸命教えていましたが、子どもたちが喜ばないため、まずは子どもたちの心を受け入れていこうと思いました。すると、子どもたちが「先生、めっちゃ腹立つねん」とか「先生、今日は寝る」とか言ってくるようになり、次第に自分のペースで勉強する塾になっていきました。来てくれる子は、なぜか優秀な子が多かったです。
教室には真氣光のシールを貼ったり、氣のグッズも置いていたので、氣の助けもあったと思っています。子どもたちは勉強しながら、知らないうちに氣を受けていたのですね。塾をやめてから20年が経ちます。
自分の気持ちが言えるようになり、主人との関係が変わりました
私は、小さい頃から心を抑えて生きてきたので、以前は自分の気持ちを人に伝えることができませんでした。そのため、つい相手に「こうしてほしい」と要求したり、咎めるように言ってしまう癖があったのです。
でも、氣を受けてきたからこそ、最近は自分の本当の素直な気持ちを言えるようになりました。
今は、「こうしてほしい」という要求はせず、「寂しい」とか「悲しい」といった自分の気持ちだけを伝えるようにしています。
そうすることで、言いたいことが円満に伝わるようになりました。以前のように要求をして主人がしんどくなることもなくなり、自分自身もとても楽になりました。
そして、最近では主人の良いところばかりが見えるようになったと実感しています。