1997.06「足立 育郎」「小林 正観」さん

足立 育郎・小林 正観(あだち いくろう・こばやし せいかん)さん
足立育朗氏
あだちいくろう
1940年東京生まれ。稲田大学第一理工学部建築学科卒。1968年、高生建受研究所設立。1990年 形烟波動エネルギー研究所設立。宇宙は波動のエネルギーで構成されていることを科学的に理解し、研突する形波動エネルギー研究者。
小林正観氏
こばやし せいかん(本名・正寛)
1948年東京深川生まれ。中央大学法学部卒。旅行作家。心学研究家。学生時代より人間の潜在 ESP現象等を研究、今日に至る。人に「嬉しい」「楽しい」「幸せ」と喜ばれる存在になろうと唱え、その頭文字をとった「うたし会」を主宰。
『地球の振動波が上がる いよいよ気づきの時代に』
三人は過去生でも深い関わりが…
- 中川:
- 今日(注・・三月十二日)は、足立先生と、足立先生の波動の世界を本にされた小林正観さんにお話をうかがうわけですが、お忙しいお二人が、足立先生が設計してくださったこの場所(注:下田・健康科学研究所)で顔を合わせることができたというのも、何か意味があるような気がしてなりません。今日は、よろしくお願いします。
- 小林:
- 実は、下田で仕事だってまわりの人に言いましたら、みんなが地震なのに大丈夫かって心配してくれましてね。中川さんや足立さんと会って喋ることには、それなりの宇宙的意味があるのだろうから大丈夫だよって笑っていたんですけど、昨日、きちんと終息宣言が出されましたね。
- 中川:
-
そうですよね。面白いですね。伊豆は地震が多い所ですから、前会長も、健康科学研究所をここにつくるとき、どうしようかと迷っていました。
- 足立:
- そうでしたね。関(英男)先生に紹介されて、前会長とは下田で初めてお会いしたのですが、地震が多いところだからこそ、波動を調整するために、この建物を作るのではないですかと、お話しさせていただきました。そうしましたら、その通りだっておっしゃって、ゴーサインが出たんですね。作らせていただいて良かったと思いますよ。この建物によって、相当波動が調整されましたから。地震も、この建物のお陰であの程度で済んでいるようです。
- 中川:
- 実はですね、私が小林さんとお知り合いになれたのも、この建物がつくってくれた縁でした。小林さんがここをお訪ねになって、管理をしてくださっている方に、『波動の報告書~足立育朗の世界~』という本を預けていってくださった。それを読ませていただいて、これだけ足立先生を理解されている方ならぜひお会いしたいと思いましてね、連絡をとらせていただいたんですよ。ところで、小林さんが足立先生と知り合われたきっかけを教えていただけますか。
- 小林:
- 私は、本職は旅行関係の著述業なんですが、学生時代から精神世界の研究をしたり、人相や手相を観てきましたから、いろんな分野の方から相談を受けたり、親しくお付き合いさせていただいたりしています。一九九五年五月六日でしたけれども、知り合いから『六月三日に足立育朗先生の講演が浜松であるので行きませんか』と誘われましてね。
- 中川:
- 浜松の講演会に行かれたんですか。私も前会長のお供をして行っているんですよ。いやあ、偶然が重なりますね。
- 足立:
- 私も覚えていますよ。たくさんのお客さんがいても、前会長はすぐに分かりましたから。白い髪の毛が目立っていました(笑)。
- 小林:
- 仏教では、対面して同席する人は、過去の人生のなかで五〇〇回は会っていると言われていますよね。我々の縁は深いと思いますよ。こんな風に、ずっと前の過去にも、三人でお話していたことがあるんでしょうね。足立先生の情報によりますと、私が生まれ変わったのは九万六〇〇〇回くらいだそうです。たぶん、中川会長も同じくらいでしょう。これまでに、二〇〇〇から三〇〇○回はご一緒させていただいたんじゃないかと思いますよ(笑)。
- 足立:
- そうですね、中川会長の場合は(ちょっと間を置く)九万八〇〇〇回くらいですね。
- 小林:
- やはり、九万台の後半ということですね。足立先生との出会いの話しに戻りますね。浜松の講演の後、立食パーティがあって、さらにそれが終わってから足立先生を囲んで飲むチャンスがありました。そのときに、私は二つの点で、足立先生に感動したんです。一つが、私が二十五年間研究してきた人間の潜在的な能力やUFOや生と死などについて、足立先生がひとつの矛盾もなく説明してくれたことでした。もう一つの感動が、講演会をやると何千人も人が集まるようなすごい人であるにもかかわらず、まったく自慢めいた話をされなかったことです。言葉で言わないだけでなく、存在そのものに自己顕示欲というものを感じさせない方だったんですね。瞬時に共鳴してしまいました。
- 中川:
- よく分かります。心のこととか精神とか魂を説いておられる方のなかには、自分はこんなことまで知っているんだ、みんなもこうしなきゃいけないんだといった、何となく押し付けがましいことを言う方もおられます。確かに、足立先生からはそんなお話を聞いたことがありませんね。
- 小林:
-
半可通という言葉があるでしょう。精神世界のことがちょっと分かるようになると、人に説教めいたことをついつい言いたくなってしまう。分かった分だけ鼻持ちならなくなってしまうことがよくありますね。本当に分かった人は、あまり言わないですよ。
待つことは愛であり重要なエネルギー - 足立:
- 原子核の集合体をエクサビーコ(EX A PIECO)と言います。本質、あるいは魂といった言い方でもいいかもしれません。エクサビーコは、人間の場合で言えば、人間というボディを選択して、その制約のなかでスタディをしながら成長していくわけですね。こういうボディでこういうスタディをしようと、エクサピーコはプログラムしてやって来るのです。エクサピーコが成長していくと、役割はどんどん拡大していきます。しかし、権限は拡大しません。現代の地球文化ですと、役割が拡大すると権限も拡大しますよね。つまり、総理大臣とか社長といったような大きな役割を持つ人は、権限も大きくなります。重要な決定権があったり、部下にいろいろと命令することができるわけです。エクサビーコの成長段階は、大きく分ければ十二段階あります。そして、上のエクサピーコは下のエクサピーコをサポートするのですが、そのサポートというのは、命令とか援助といったものとは違います。気づきのヒントを送るだけです。『まだ、気づいてないですよ。役割を果たしていませんよ』というヒントだけを送って、決して「こうしなさい」といった命令はしません。
- 小林:
- 干渉しないけれど、求められればヒントを与えるということでしょうね。仁という字は、人が二人と書きますよね。愛の究極はそばにいてあげること、それが仁という字の意味です。サポートはするが、命令も援助もしないというのは、イコール「仁」なんです。愛の究極は、黙って側にいてあげて、助けてと言われれば力を貸してあげるということだと思いますね。求められるまで無限に待ち続けるんでしょうね。
- 足立:
- 待つということも愛ですから。サポートするということは、直接伝えた方がいい場合もあるし、待ち続けた方が気づけるときもある。どういうサポートをすればいいか工夫することも、自分自身のスタディです。いろいろと工夫しながらサポートして、相手に気づいてもらえれば、それによって自分自身も成長できるのです。別の言い方をすれば、待つということは時間のエネルギーを使っていることです。サポートの一つとして、非常に重要なエネルギーですね。
- 中川:
- 真氣光でも、病気治しは気づきをともなわなければ意味がないとしています。だから、具合の悪い人がいたら、すぐに元気にしてあげるというのも決して悪いことではないけれども、せっかく病気というチャンスをもらったのだから、気づくのを待つという選択も重要なことだと考えています。
- 小林:
- でも、ついつい手を出してしまうこともありますよね。
- 足立:
- この文化では、その方が親切だとされていますからね。伝えないことが一番のサポートだと言っても、分かってもらえないことが多いですね。
- 中川:
- 今、何が大切か気づいている人が急速に増えているように、私は感じているんですが。(つづきはハイゲンキマガジン1997年6月号で・・・)
構成/小原田泰久