03月「 旭丘 光志」さん - 氣のリラクゼーション SHINKIKO |真氣光

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03月「 旭丘 光志」さん

旭丘 光志(あさおか・こうじ)さん

1938年1月2日樺太豊原市(現ユジノサハリンスク市)生まれ。ADデザイナー、劇画化、シナリオライターをへて、1977年より小説、評論、ノンフィクションを執筆。ノンフィクションは主として、教育分野と医療分野をテーマとしてきた。劇画『ある惑星の悲劇』劇画『レッツゴーJF・ケネディ』TV『特別機動捜査隊』小説『中川一郎怪死事件』『アイヌモシリ独立戦争シャクシャイン』ノンフィクション『山村留学』『つらい痛みが3分で消えた』など著書多数。

『真氣光の始まりを目撃し、 貴重な記録として残してきた』

先代のいつも笑顔で 威張ることのない姿にひかれた

中川:
旭丘先生、ごぶさたしています。
実は、今年は先代が生きていれば90歳になる年です。氣の中継器のハイゲンキが生まれて40年になります。
旭丘先生はハイゲンキが誕生するあたりから先代を取材してくださっていて、初期の真氣光のことをご存知の貴重な方です。『つらい痛みが消えた』『医療気功の衝撃』『霊象の真実』といった真氣光に関する本も書いてくださいました。
当時のこと、いろいろお聞かせいただければと思い、お訪ねしました。
旭丘:
私は今年の1月2日に88歳になりました。足腰が弱ってしまって、昔みたいに動き回ることができなくなりました。寂しいですが、こうやって懐かしい方が訪ねて来てくださるのはうれしいですよ。
でも、記憶力も低下してきていますので、40年も前のこと思い出せるかな(笑)。
中川:
私は1月1日生まれです。お正月だと、どこもかしこも「おめでとう」だらけで、改めて誕生日のお祝いはやらないですよね。誕生会をやってもらった記憶はないですよ(笑)。
旭丘:
同じですね。ははは…。
中川:
先生は樺太(サハリン)で生まれて、終戦後に札幌に引き揚げられたそうですね。うちの母方も樺太からの引揚者です。
旭丘:
そうでしたか。私は豊原市というところで生まれました。今のユジノサハリンスク、サハリン州の州都ですね。
中川:
ソ連は終戦になってから攻めてきたんですね。
旭丘:
私は小学校3年生でした。近所の人がたくさん殺されましたよ。私のところはキツネの牧場をやっていました。牧場は何十町歩もあって、中には川が流れているような広いところでした。キツネも300頭以上いたんじゃないかな。
引き揚げの一年ほど前、親父はソ連の人たちにキツネの飼い方を教えていました。そうでないと接収後、困るので。それで殺されなかったんですね。
「宗谷」という船で引き揚げてきました。最後の引き揚げでした。「宗谷」は戦後、南極観測船として活躍しますが、戦時中は帝国海軍の船として物資の輸送や測量船として活躍していました。魚雷が命中したけれども、それが不発弾だったり、米軍の大編隊から銃撃されても生き残るなど、すごい強運の船だったようですね。
あのとき、ぼくはひどいやんちゃ坊主で、みんなが港で船を待っているのに、一人で小学校の屋上で寝ていて、置いて行かれるところでした(笑)。みんなが必死に探してくれて、ギリギリのところで帰ることができました。すごく怒られたのを覚えています。
中川:
先生はもともとは劇画を描かれていたんですよね。
旭丘:
いろいろやりました。最初は広告デザイナーでした。その後、劇画は少年マガジンとかにも連載しましたし、小説もノンフィクションもテレビのシナリオも書きました。出版もテレビも元気な時代でしたから仕事は面白かったですね。自宅の近くに仕事場を建てて、アシスタントも4人くらい使って、忙しかったですよ。
中川:
そんな中で、1980年代だと思いますが、先代との出会いがあったわけですね。どんな経緯で出会ったのか、覚えておられますか。
旭丘:
どこでだったかな。定かではありませんが、当時、いろいろな集まりをやっていて、その流れで、同郷ということもあって、中川先生を紹介されたのかもしれないですね。
氣のことはまだオカルトとしてしか見られていなかった時代でしたが、何かピピッと感じるものがあったのではと思います。
中川:
ハイゲンキはもうできていたんでしょうかね。
旭丘:
まだでしたね。あのころはハイゲンキとよく似た形の治療器でしたが、10数本の針の束をバイブレーターで動かせて、ツボを刺激するものでした。その治療器を販売する仕事をされていました。
ただ、中川先生は単に売るだけでなく、効果的な治療方法についての研究会を作られて、医師や治療家とも協力しながら研究を重ねていました。
普通のハリ治療では考えられないような劇的な治療効果もありました。しかし、面白いことに、同じ治療器を使っても、中川先生がやるのと、ほかの人とでは効果が違ったりしたのです。
このあたりから中川先生は「氣」のことを意識するようになられたのではないでしょうか。よく言われましたよ。「旭丘さん、見えない世界を信じないとダメだよ」って。
ちょうどそのころ、アメリカではエイズの蔓延が社会問題になっていて、ハリ治療は敬遠されるようになりまた。日本でもエイズの患者が出始めましたからね。集合ハリの治療器も売りにくくなっていたと思います。
中川:
なるほど。そういう背景があって、夢に白髭の老人が出てきて、ハイゲンキの誕生につながったんですね。
旭丘:
ハイゲンキはヘッドの先端部にプラスティックでできた小さなピラミッドが並んでいる構造でしたから、だれもが安心して治療が受けられるし、構造上は考えられないような高い効果が出ましたしね。(続きはハイゲンキマガジンで・・)

埼玉県・旭丘先生のご自宅にて 構成/小原田泰久

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