しんきこう - 氣のリラクゼーション SHINKIKO |真氣光 - Page 3

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2月「廣澤英雄」さん

廣澤英雄(ひろさわ・ひでお)さん

1937年茨城県に生まれる。1958年に合気道「龍ヶ崎道場」に入門。1961年から68年までの約7年間、開祖・植芝盛平師の弟子。1994年に7段を取得。2006年イタリアに招待され合気道の模範演技を披露し指導。現在、公益財団合気会廣澤塾(岩間)師範。他に大学や道場、カルチャースクール、クラブなどで合気道を指導。

『勝ち負けを捨て宇宙と一体になって世界平和を実現』

85歳になってやっと合気道の真髄をつかむことができた

中川:
ご無沙汰しています。前回対談に出ていただいたのは2006年8月号でしたから、16年以上前のことです。先生をご紹介くださったのは会員の山田秀明さんでしたが、今回も山田さんから「廣澤先生も85歳になられてすばらしい境地に達しておられるのでぜひ会ってみてください」と言われて、お話をうかがいたいと思った次第です。
廣澤:
85歳ですが、まわりには65歳だと言っています(笑)。まだまだやることがいっぱいあるので年を取っていられないんです。山田さんも、前に会長とお会いしたときにはたまにお会いしてお話をするくらいの関係でしたが、2年ほど前から道場へ通うようになって、本格的に合気道を始めています。
中川:
そうでしたか。氣のことをずっと勉強されていますので、上達も早いと思います。もうひとり、尾崎靖さんも真氣光の会員さんですが、先生のお弟子さんで、先生を東京にお呼びして、ワークショップを開いたりしていますね。
廣澤:
2人ともいろいろ協力してくださってありがたいですよ。


中川:
先生はタクシーの運転手さんをやっておられて、2人ともたまたま乗せたお客さんだったそうですね。
廣澤:
そうなんですよ。お客さんで弟子になってくれたのは2人だけですよ(笑)。まさに氣が合ったんでしょうね。山田さんとは25年ほど前、尾崎さんとは15年ほど前ですね。山田さんを乗せたのは六本木だったかな。大雨でした。どういうわけか氣の話になりましてね。降りるときに名刺の交換をして、ときどき電話で話をするようになりました。尾崎さんは仕事帰りじゃなかったかな。以来、長くお付き合いさせてもらっています。縁があったのでしょうね。

中川:
タクシーは、狭い車の中で運転手さんと二人きりになるじゃないですか。運転手さんが嫌なことがあってかイライラしていると、こっちも居心地が悪くなります。私はそんなときには運転手さんに氣を送ります。それで雰囲気が変わることがあります。

廣澤:
私もいろいろなお客さんを乗せました。タクシーの運転手は、人間観察もできたし、合気道のいいトレーニングにもなりました。呼吸によって相手の意識と自分の意識を結びます。そうすると、お客さんがどんな人かがよくわかるし、私と一体化しますから、イライラしていた人もご機嫌になります。行先を聞く前にどこへ行くかがわかるようなこともあります。私の車に乗ると気分が良くなると、銀座のママさんがファンになってくれて、たくさんのお客さんを紹介してくれたこともあります。
中川:
氣の交流ができているんでしょうね。先生はあの当時から合気道の達人だったわけですが、修行は終わりがないとおっしゃっていました。最近になって、すごい境地に達したそうですが。
廣澤:
武術をやっていると、「これでよし」と思うことはないですね。まだまだ修行をしないといけないのですが、それでも「ここまでこれたか」と感慨深くなることもあります。私の手相は50代からどんどん変わりました。二つの線(感情線と頭脳線)がくっつき始めました。今では一直線になってしまいました。両手ともです。知り合いの手相見がびっくりしていました。こりゃ豊臣秀吉と一緒だってね。なかなかこんなのはなくて、天下取りの手相だっていうんですね。70歳を過ぎたらとんでもないことになるよと言われました。天下を取ろうとは思っていませんが、人はどんどん変わるし、強く思って行動していれば、夢が叶います。65年前、合気道の開祖である植芝盛平先生から一回だけ習った技がついにできるようになりました。ずっとその技が頭に中にあって、毎日稽古をしてきたのですが、うまくできません。それができたのです。
中川:
どうすればできるのか、ずっと考えていたのですね。
廣澤:
私の部屋には大きく伸ばした大おお先生(植芝先生)の写真が飾ってあります。じっと見ていると何か伝わってくるものがあります。
中川:
あちらの世界から開祖が教えてくれているんでしょうね。やっとわかったかとおっしゃっているのではないでしょうか。
廣澤:
合気道は「和の武術」です。戦わず競い合わない。だから試合はありません。敵を作らず勝ち負けはない。宇宙と一体になることを目的としています。大先生も、その境地に達したのは晩年になってからです。私は、理屈としては宇宙と一体になることはわかっていましたが、心底は理解していませんでした。だから、大先生が教えてくれた技ができなかったのだと思います。それができたというのは、私も80歳を過ぎて、先生の境地に手が届いたのかなとうれしくなりました。<後略>

東京都千代田区内神田にて「 構成/小原田泰久

           

1月「長島 彬」さん

長島 彬(ながしま・あきら)さん

CHO研究所代表、ソーラーシェアリング推進連盟最高顧問。1943年神奈川県生まれ。東京 都立工業短期大学(現東京都立大学)を卒業後、約40年にわたり農機具の総合メーカーに勤 務。2003年定年退職後、慶應義塾大学法学部に入学、同時にCHO研究所を設立。2004 年に光飽和点の存在を知り、ソーラーシェアリングの考え方を発案。2010年には千葉県内に 実証試験場を開設し、ソーラーシェアリングの普及に務める。著書『日本を、変える、世界を変え る! 「ソーラーシェアリング」のすすめ』(リック刊) <a href="https://higashi9.jimdofree.com" rel="noopener" target="_blank">ソーラーシェアリングのすすめ</a>

『電気を自分で作る。 ソーラーシェアリングの可能性』

上は発電、下は農地として使える ソーラーシェアリング

中川:
先日、『原発をとめた裁判長そして原発をとめる農家たち』という映画を見ました。映画の中に、原発事故で一度は農業をあきらめた福島の農家の人たちが、ソーラーシェアリングという太陽光発電で電力を自分たちで作るという場面があって、こういうシステムがあるんだと驚きました。長島先生はソーラーシェアリングの開発者で、映画でもコメントされていました。今日は、ソーラーシェアリングについてお聞きしたいと思っています
長島:
映画で紹介されていた福島のソーラーシェアリングに関しては、私は直接かかわっておりませんが、あの映画もなかなか評判が良いみたいで喜んでいます。会長のように、映画を通してソーラーシェアリングを知っていただいた方もたくさんいるでしょうしね。
中川:
ソーラーシェアリングというのは、田んぼや畑に3メートルほどの支柱を立て、その上に適度な間隔でソーラーパネルを並べて発電をするという方法です。発電をするという方法です。 従来の太陽光発電だと、山を削ったり、田畑を使えなくしてしまうので、自然エネルギーと言っても、どこか自然破壊をしているようなイメージがありました。だけど、ソーラーシェアリングだと、下は農地として使えますから、耕作放棄地を発電と農地の両方に活用できるということですよね。
長島:
太陽光発電は普及とともにいろいろ非難され始めていますが、化石燃料の使用を減らすにはどうしても必要な技術です。 従来のメガソーラーは、自然と共生する方法といいにくいのが現状です。しかし、ソーラーシェアリングにすれば、太陽光発電が大面積が必要という大きな問題点が解決できますし、私たちが生活するのに十分な電力を供給できることがわかりました。

中川:
私も映画を見て、これは期待できると感じました。そのあたりのことをじっくりとお聞きしたいと思います。
長島:
私たちは石炭や石油、天然ガス、ウランを地下からとってエネルギーを作るのが当たり前だと思ってきましたが、それは産業革命以降の約400年の技術に過ぎません。人類が火を使うようになってからおよそ50万年です。そのうちの400年ですから、ほんの一瞬です。その一瞬で地球環境をどれだけ悪化させたか。人類はあらゆる生物に対して愚かで申し訳ないことをしてきたと思います。石油で財を成してきたロックフェラー財団の後継者も、化石燃料を使う企業には投資しませんと言っているくらいですから、いよいよ人類もその愚かさに気づき始めているのではないでしょうか。 化石燃料での発電は限界ですし、原子力を推進したい経産省が出した2030年の発電コストの予測データでも、太陽光発電が一番安いことを認めました。いろいろな側面から見て、太陽光発電はもっと広がっていかないといけません。
中川:
政府は原子力発電を増やすような発言をしていますが。
長島:
原子力は地震の危険もありますが軍事的な標的になります。そのことはロシアとウクライナの紛争で明らかです。いくら防衛費をかけても、原発があると、それが急所になりますから、国を守るには大きな困難が生じます。原発にミサイルを撃ち込まれたら、国だけじゃなく地球全体が大変なことになってしまいます。それに原発の発電単価はとても高いのです。福島第一原発の事故で危険性は痛感したと思いますし、ウクライナのことで有事のときの攻撃対象になることもわかりました。もはや経済的にもまったく優位性はありません。高くて危険なエネルギーです。いずれ立ち枯れていくしかないと思います。ほかにも水素の時代になると言っている方もいます。だけど、私はそうはならないと思います。と言うのも、水素は長期保存ができません。鉄のタンクに入れても、分子が小さく徐々に分解して漏れてしまいます。水素を液体にして貯蔵する方法はあるけれども、マイナス260度近くまで温度を下げないといけません。そのための設備と極低温を保つためのエネルギーをどうするのかという問題が残ります。
中川:
化石燃料に変わるエネルギー源はいろいろ言われていますが、なかなか実用化できないのが現状ですね。
長島:
そもそも大きな発電所を作ってみんなに配るという考え方を変える必要があります。もともと発電所は大きく作る方が発電の効率が上がりコストが下がります。だから、ずっと電力会社の仕事として評価されてきました。 今は太陽光発電を使えば、だれでも電力会社と同じように効率よく電気が作れます。まさにエネルギーの民主化と言えるでしょう。電力料金の中に原子力維持や超高圧の送電網の負担金も均一に分担される仕組みになっていますが、これは、お酒が飲めないのに宴会の飲み放題の参加費を払っているようなものだったのです。これからは、必要なときに必要な分だけ自分で作ることができる時代が到来するでしょう。北海道で地震による大規模停電がありました。大きな発電所に依存していたから、発電所に異常が起こったことで、あんな大事に至ったのです。各家庭で電気を作っていれば、あれほどの大騒ぎにはならなかったのではないでしょうか。<後略>

千葉県市原市 ソーラーシェアリング実証実験場にて 構成/小原田泰久

           

12月「中野 節子」さん

中野 節子(なかの せつこ)さん

信州内観研修所所長。長野県飯田市に生まれる。法政大学社会学部卒業。 心理学博士号取得。現在 心身カウンセラー、日本矯体療術師協会会員、 日本内観学会会員、国際内観学会日本代表、上海交通大学名誉教授、上海 精神衛生中心医学顧問

『不満を感謝に。内観で気づきを得て幸せな人生を歩む』

クライアントの劇的な変化を見て内観を受けようと思った

中川:
中野先生とお会いするのは2回目ですね。長野県の安曇野での真氣光研修講座のとき、研修講座で講師をしてくださっている石井光先生を会場まで案内してきてくださいました。先生は安曇野の信州内観研修所の所長さんをやっておられますが、石井先生とのお付き合いは長いのですか。
中野:
石井先生と初めてお会いしたのは35年くらい前、私が東京の小金井市にあった意識教育研究所でお手伝いをしていたころです。意識教育研究所は、もうお亡くなりになりましたが、波場武嗣先生が主宰されていて、内観をもとに、いろいろな手法を取り入れた「内省」という手法で、さまざまな問題を抱えた方たちを救っていました。石井先生は外国からの内観関係のお客様と一緒に意識教育研究所を訪ねて来られました。講演をされたり、内省の面接のお手伝いをされたりもしていましたね。でも、私はただのお手伝いですから、あのころは親しくお話をすることはありませんでした。
中川:
石井先生は学生時代から内観をやっておられて、今では内観の第一人者として世界中に内観を広めておられます。中野先生はいつごろから内観にかかわり始めたのですか。
中野:
25年くらい前ですね。その当時、私は子育てをしながら、東洋医学の資格を取得して、体の治療とカウンセリングをしていました。7年間、毎週通ってくれている女性がいました。その方は、40歳になっていましたが独身で、自宅で編集の仕事をしていました。人との付き合いもほとんどなく、自分はこの先どうなるのだろうと心配していました。私は意識教育研究所でやっていた内観のセミナーに彼女を送り込みました。そしたら、一週間でがらっと変わって帰ってきました。今までずっと会ってなかった親に20年ぶりに会いに行けたり、兄弟とも行き来するようになりました。結婚もして子どももできました。あのままだったら、天涯孤独だったのに、想像もできないような明るい人生が開けてきたのです。その後もクライアントを研修に送り、みなさんとても元気になられました。私は、もちろん内観のことは知っていましたが、自分は特に問題を抱えているわけでもないし、年を取ってから受ければいいやと思っていました。

中川:
なかなか自分のことはわからないものですからね。クライアントさんが教えてくれたんですね。
中野:
栃木の内観研修所の柳田鶴声先生が「これは遺言です」ということで講演をされました。私は、内観を受けるなら柳田先生に面接をしてもらいたいと思っていましたので、栃木で一週間の集中内観を受けました。内観で、一番身近な人から始めて、配偶者、子ども、まわりの人たちに対して、その人から「していただいたこと」「してさしあげたこと」「迷惑をかけたこと」という3つの質問に取り組みます。
中川:
いろいろな気づきがあるんでしょうね。
中野:
私の場合、自分がいかに自己中心の塊であったかわかり懺悔して懺悔して、自分は生きていてはいけないのではと思うくらいでした。でも、最終日でした。窓から外を見ると、山桜や春の色とりどりの花が咲いていて、その花たちが、私に笑いかけているんです。うぐいすが鳴いていました。その鳴き声が「大丈夫だよ。そのままでいいよ」と聞こえてきたんです。見るもの聞くもの生き生きとしていて雲の上を歩いているようなすべてのものと一体になったような気分でした。ああ、生まれ変わったと思いました。内観が終わったあと、柳田先生から、半年間、車の運転をしないでください、と言われました。覚醒状態だったらしいんですね。そして、夜も眠れなくなったらこの先生に電話しなさい、と言って教えられたのが石井先生の電話番号でした。案の定、眠れなくなって、夜、石井先生に電話をしました。まだ帰ってきてないので3時くらいならいいですよと言われて、夜中に電話をして、内観の面接をしてもらいました。その後、大宮に研修所ができて、石井先生が所長になるというのでお手伝いをしました。そうしたご縁から、飯田や、安曇野の信州内観研修所でもずっと応援していただいています。
中川:
内観研修ではどんな気づきがあったのですか。


中野:
カウンセリングをしたり、人のお世話をしていたので、自分はいい人だと思い込んでいました(笑)。自分がよくみられたいという思いが強かったし、クライアントが良くなればうれしいし、良くならなければどうしてだろうと悩んだり、自分の力で何とかしようとしていました。なんとごう慢なことかと恥ずかしくなりました。まわりにさんざん迷惑をかけてきたのに、自分はいいことをやっているのだから、家族は少しは我慢してくれてもいいではないかと、まわりの人への感謝はまるでありませんでした。両親に対しても申し訳なくて仕方なかったですね。大学生のころ、70年安保で、私は学生運動をしていました。そのことを知った両親が長野県の飯田から上京してきて、私を連れ帰ろうとしました。私は「帰らない」と突っぱねました。父は「勘当だ」と怒鳴りました。母は「一緒に帰ろう」と泣いていました。

中川:
内観をしないと思い出さないことだったかもしれませんね。
中野:
私は両親からの束縛を逃れて自由になった気分でいました。でも、内観をして、両親はどれほど心配していたか、娘を勘当しなければならない父の気持ちはどんなだったか、気がつきました。自分が情けなくなって涙が止まりませんでした。飯田には兄と弟が住んでいたので、私は親の面倒を見ることはないだろうと思っていましたが、少しは恩返しをしないといけないなと心から思いましたね。結果的には、実家が一軒空いていたので、そこを研修所にして、両親のそばにいることもできました。内観をしてなかったら、そうはなってなかったと思います。
中川:
親がしてくれることは当たり前だと思ってしまいがちですからね。本当は、たくさんのことをしてくださっている。そのことを見ないで生きるのと、感謝しながら生きるのとでは雲泥の差だと思います。先代は、両親が一番身近なご先祖様だから大切にしなさいと言っていました。両親に感謝して生きることが、ご先祖様を敬うことにもつながるのではないでしょうか。
中野:
両親への思いが変わるだけで、いろいろなことが変化します。私の場合、体調がすごく良くなりました。小さいころから陰性の体質で、ひどい冷え性、肩こりでした。母が心配して、兄も体が弱かったので、玄米を炊いてくれたり、いろいろな健康法を試してくれました。大人になってからも胃が痛くて、特にカウンセリングをしているときは一番ひどくて、金曜日の夕方になると激痛で病院へ駆け込んでいました。検査してもどこも悪くなく、神経性のものだと言われました。内観の前は、すごい低血圧で、上が90、下が60くらいでした。朝も起きられませんでした。内観したら血圧が180まで上がりました。なんか体が熱いし汗が出るんです。それまで、なかったことでした。柳田先生に話したら、細胞まで変わったんだよと言われてうれしくなりました。陰性から陽転したって感じです。それ以来、血圧も普通で、この間の健康診断でも異常はないし、昔は胃薬を飲んでいましたが、今は必要ありません。生まれ変わりましたね。
中川:
心と体は連動しているんでしょうね。真氣光でも氣を受けていろいろな気づきがあると、体調も良くなっていくという人がいます。真氣光研修講座では、石井先生に内観の講義をしていただいていますが、親をはじめまわりの人にどれだけお世話になり、迷惑をかけたか気づけたという受講生の方はたくさんいますね。新型コロナウイルスの影響もあるかと思いますが、人間関係が非常に希薄になって、自分さえ良ければいいと思ったり、自分のことを顧みずに人を責めたりする人が多くなっているような気がします。私は、マイナスの氣の影響を受けてそうなっているように感じています。氣を受けてマイナスの氣がとれていくと、まわりへの感謝の気持ちが出てきます。感謝の気持ちが大きくなれば、光が増えますから、マイナスの氣は減っていって、プラスの氣が増え、ますます感謝の気持ちが出てくるんですね。そういう人は幸せになれます。いくら物質的に恵まれていても、感謝の気持ちがないと幸せは遠ざかっていきます。真氣光は氣を通して、たくさんの人が幸せになるためのお手伝いをするのが役割だと思っています。
中野:
実は、私は真氣光とすごく縁があるんです。父が飯田の公民館で先代の会長の体験会があるというので参加したらしくて、ハイゲンキを買ってきたんです。毎日、喜んで当てていました。そのうち父が使わなくなって、私がいただいて、自分に当てたり、クライアントにやってあげていました。だれかに貸してあげたら返ってこないんです(笑)。その後、東京センターに酵素風呂があるとお聞きして通っていました。そのとき、ハイゲンキミニというのがあるというので買って、石井先生にも貸してあげたりしたんですよ。
中川:
先生は下田の真氣光研修講座に参加されたのですが、その前の話ですか。
中野:
父がハイゲンキを買ったのは、かなり古い話です。渋谷公会堂であった先代の体験会にも参加しました。行ったら満席で、壁に沿って立っていたのですが、どんどん押し出されて、一番前の壁際から先代のお話を聞いていました。先代が氣を送り始めたとき、何をやっているのだろうと薄目をあけて見ていたら、先代の手からオレンジの光が出ていたのが見えました。そういうことがときどきあるんです。座っている人がくねくね動いていました。終わったら、車いすの人が立って歩き始めたんです。あれには驚きました。それも、何人もそういう人が現れたのですから。
中川:
氣には興味があったんですね。

東京・ 池袋のエスエーエス東京センターにて 構成/小原田泰久

中野節子さんの情報

<a href="https://naikan.me/index.html" rel="noopener" target="_blank">信州内観研修所</a>

「内観への誘い」著:石井光・中野節子
<a href="https://naikan.me/book.html" rel="noopener" target="_blank">「素敵な自分に出会いましょう」著:中野節子</a>

           

11月「桑原浩榮」さん

桑原 浩榮(くわはら こうえい)さん

鍼灸医師。米国マサチューセッツ州ボストン在住(1989,1991-現在)クーリア氣クリニック院長
日本はり協会、北米小児はり協会会長ニューイングランド鍼灸大学元助教授

『鍼灸師は直観が命。真氣光で直観力を高める』

真氣光と鍼灸では 道具の使い方がまったく違う

中川:
ここ3年は、新型コロナウイルスの影響で桑原先生とはオンラインでしかお会いできません。先代の時代から先生はボストンでセミナーを開いてくださっていて、私も毎年ボストンへうかがっていました。
桑原:
先代が亡くなる前の年、1994年からでしたかね。だから28年間ですか。私はその3年前に日本の古典鍼灸を指導するためにボストンに渡りました。当時は『氣功師養成講座』と言っていましたが、下田で行われていた一週間の講座にも参加しました。
中川:
桑原先生は鍼灸師ですが、治療のときはほとんど鍼を刺さないそうですね。鍼を刺さない鍼灸治療というのはあまり聞かないのですが、氣に通じるところがあるように思います。
桑原:
刺さない鍼は日本で発展しました。中国の文献にも出ていますが、中国ではほとんど使われていません。鍼灸治療も氣がとても大切で、術者の心の使い方、意識の持ち方がとても大切です。先代のころから真氣光では当たり前に言われていますが、中国では、古典には書かれていても、今では霊や魂、心のことはあまり言いません。このツボに打てばこんな変化が起きるという経験的なものになっています。私もツボに鍼を打つことはやりますが、術者の心の持ち方、受ける側の気持ちの変化が治療結果に大きくかかわることは常に実感していますね。だから、術者は精神的な修行をする必要があるんですね。真氣光と同じですね。


中川:
真氣光も、ここまでやったからもういいというのがありません。常に向上心が必要で、真氣光を実践しながら成長していくことが大事です。先代は、病気治しに力を入れていましたが、「これは療法ではない。療道だ」と言っていました。患者さんを治療するという行為を通して、自分を成長させ、同時に患者さんの意識も高めていくということだと思うんですね。その精神は、今も続いています。
桑原:
3年前に会長がボストンに来られたとき、すばらしいものを作っていただきました。私は真氣光ぺろぺろキャンディと呼んでいるのですが、氣グッズであるディスクヘッドに鍼灸で使うてい鍼という鍼をくっつけてもらったんですね。てい鍼というのは先端が丸くなっていて、刺さない鍼灸治療に使います。これがいいんですよ。
中川:
てい鍼の頭の部分にネジを切っただけです。ディスクヘッドの枠にあるネジ穴とサイズがぴったりでした。これには驚きました。使っていただいているんですね。
桑原:
もちろん使わせてもらっていますが、使い方は簡単ではないですよ。真氣光と鍼灸では道具の使い方がぜんぜん違います。それを合体させてしまったのですから、作ってもらったのはいいけれどもどう使えばいいのか、ずいぶんと悩みました。真氣光は、たとえばハイゲンキなら、それを体に当てなくても瞑想をしていれば氣がどんどん入ってきますよね。触れなくていいというのが本来の真氣光のグッズの使い方です。私は、これまでの体験から触れない方が効果が上がるのではないかと考えています。でも、鍼灸だと、道具を患者さんに見せるだけ、横に置いておいて瞑想させるだけでは効果が出ません。刺したりこすったりさわったりすることで肉体が反応するわけです。ぺろぺろキャンディはどっちの使い方をすればいいのだろう。そんなことを考えたら迷いが生じるんですね。迷いは治療効果に大きな影響を及ぼします。迷っているうちは、真氣光的な効果も鍼灸的効果も出にくいんです。せっかく会長に作っていただいたのにどうすればいいのだろうと悩みましたよ。
中川:
そうでしたか。今は使い方をマスターしたのですか?


桑原:
おかげさまで、いろいろいじくりながら考えているうちわかりました。鍼灸は、どのツボにどう打てばいいか、長年の研究によってかなりわかっています。刺さない鍼も、それなりに日本では研究がなされています。しかし、真氣光のグッズは技術的なことはあまり関係ありません。逆に、操作しようという意識が働くと良くないみたいです。お任せの気持ちが大事なんですね。もっと言えば、お任せの気持ちになれないと働いてくれないんです。ですから私は、ぺろぺろキャンディは、鍼灸の道具とは考えないようにしました。ほかの真氣光のグッズと同じで、お任せの気持ちをもって使っています。直観を大切にして、患者さんによっては、触れた方が効果が出るという直観があったりするので、そのときはてい鍼をツボに当てたりします。
中川:
ディスクヘッドは真氣光のエネルギーを自分に入れるという目的で作ったものです。でも、てい鍼と合体させることで、方向性が自分だけでなく、患者さんにも向くようになったのでしょうかね。
桑原:
そうかもしれません。真氣光でも鍼灸でも、私たち術者の気持ちがとても大切ですが、人間である以上、どうしてもぶれてしまいます。嫌なことがあっても動じてはいけないとわかりつつも、動揺したり落ち込んだりするわけです。その気持ちは患者さんにも伝わってしまいます。でも、真氣光の氣グッズだと、自分の気持ちがどんな状態であっても、あるレベルの安定した氣を中継してくれます。ぶれがないんですね。そういう意味で、本当にありがたいですよ。
中川:
桑原先生は、ニューイングランド鍼灸大学の先生として世界中の方たちに鍼灸を教えてらっしゃいますよね。刺さない鍼とか氣のこととか、すんなりと受け入れてもらっていますか。
桑原:
大学は大丈夫です。真氣光のクラスもあるし、大学内にクリニックも作りました。そのときに、学長とお話ししました。「真氣光はある意味、宗教のようなところもあるけれども、問題ありませんか?」と聞きました。学長は即座に「まったく問題ありません。気にする必要はありません」と言ってくれました。学長も真氣光にとても興味をもって、「そんな簡単にできるの?」「悪い影響は受けないの?」といろいろ質問し受けないの?」といろいろ質問してきました。
中川:
日本よりもわかってもらえやすいんですかね。日本では魂とか霊という言葉を出すと宗教じゃないのと敬遠されますからね。
桑原:
こちらの鍼灸の大学は古典医学が中心ですから、魂とか霊とか神といった言葉は常に使っています。何の抵抗もありません。日本の鍼灸学校では氣のことは教えませんが、アメリカは氣が基本です。魂のことも普通に教えますね。ただ、中には頭で理解しないと納得できない学生もいます。そういう学生に氣のことを理解させるのは時間がかかります。
中川:
頭で考えることは大切ですが、真氣光の場合は、理屈では説明できないことが多いのも事実で、それを頭で理解しようとしても難しいですね。
桑原:
私は治療の際には3つの力をうまく使う必要があると考えています。一つ目が「霊能力」ですね。今風に言えばスピリチュアルな能力です。二つ目が「超能力」です。三つ目が「科学的・理論的な力」です。真氣光は一つ目の霊能力ですね。中国の気功は二つ目の超能力です。トレーニングをして宇宙のエネルギーを自分の体に取り込み、普通の人にはできないようなことをやってしまいます。治療でも、自分の体にためたエネルギーを使います。科学的・理論的な力というのは、エビデンスに基づいた方法ですね。
先代の会長は、「真氣光は第三医学だ」とおっしゃっていました。第一医学が西洋医学に代表される科学的な医学です。第二医学が鍼灸などの経験的医学です。そして、第三医学が直観に基づいた医学ですね。第一医学も第二医学も、道具が主役です。しかし、第三医学は道具は直観をサポートする手段として使います。真氣光の氣グッズはまさにそういう道具ですよね。
中川:
先代は直観で生きていました。そもそもハイゲンキは先代が夢を見て作ったものです。氣グッズは、基本的な使い方は伝えていますが、使う方それぞれがさまざまな工夫をして直観を磨くのに役立てています。逆に私たちが使っている人から「こんな使い方をしたらすごく良かったですよ」と教えられることもよくあります。
桑原:
私は一か月半くらい前からハイゲンキ8型を使っています。昼間はパソコンの裏に置いてあって、夜になると枕の下に敷くんです。直観が冴えるんですね。夢がどんどんクリアになってきています。昔はノイズが含まれていて、理解できない夢が多かったですよ。ところが、8型を枕にしてから、役に立つ夢ばかりです。<後略>

ZOOMにて 構成/小原田泰久

桑原浩榮さんの情報

<a href="http://www.culia.net" rel="noopener" target="_blank">Culia Ki Clinic Inc.</a>
25 Church St., Watertown MA02472 TEL:617-926-6986

YouTube それ気のせいです【中川雅仁】の動画 <a href="https://www.youtube.com/watch?v=nUkNdtklrkY&list=PLg2lJt03ysJKj_eMONy5DTylJLMtFyxQe&index=8" rel="noopener" target="_blank">Shinkiko Webinar 2022 from Japan & USA ボストンとのオンラインセミナーについて桑原先生にインタビュー</a>もご覧ください。

           

10月「ミネハハ」さん

ミネハハ(みねはは)さん

ネイティブアメリカンの言葉で、MINEは水、HAHAは微笑みの意味をもつ。本名は松木美音。フェリス女子短期大学音楽科声楽卒業。CMソング3000曲、バックコーラス2万4000曲、アニメの声優、主題歌など、多岐に渡る活躍の後、アフリカへのバックパック一人旅で人生が大きく転換。1994年ミネハハとしてソロデビュー。全国のミネハハファンがコンサートを開催。37枚のCDをリリース。

『歌声を宇宙に響かせて、すべての生き物の命を癒したい』

3000曲以上のCMソングを歌うCMソングの女王

中川:
これまで3000曲を超えるCMソングを歌ってこられたそうですね。ミネハハさんが歌ったCMソングをCDで聴かせていただきましたが、よく知っている曲ばかりでびっくりですよ。今は、感動して涙を流しながらミネハハさんの歌を聴く人がたくさんいますが、ここまでに至る道のりはとてもドラマチックです。まずは、CMソングの女王だったころのお話からお聞かせください。
ミネハハ:
お菓子に宅配便、フィルム、インスタントラーメン、コーヒー、サラダオイル、化粧品、トイレ用品などなど、1978年から93年までの間は、毎日スタジオに通って歌っていたし、大袈裟ではなく、一日中、私の歌声がテレビから流れていました(笑)。
中川:
どれも声のトーンが微妙に違ってきて、一人の方が歌っているとは思えないですね。
ミネハハ:
声をかえて歌っていました。商品に合う声、歌い方がありますから。

中川:
商品に合わせて声が決まるんですね。
ミネハハ:
私の特性は、商品そのものになって歌うことです。スタジオへ入ると、クライアント、広告代理店の偉い人が背広を着て座っているわけですよ。CMの映像を作る監督さんや音楽制作会社の方もいらっしゃいました。そこに私も座らされて、商品の映像を見せられます。ぱっと映像を見た瞬間にどの音色で、どの活舌で、どういうトーンで、どういう語尾で、どういう表現をしたらいいかわかるんですよ。
中川:
商品のエネルギーを感じるということでしょうか。
ミネハハ:
その商品の役割の波動がくるって感じです。たとえば、トイレに置いておくと、ブルーの水が流れる商品があるじゃないですか。青い水が流れて便器まできれいにする感じを歌ってほしいって商品から伝わってくるので、そういう歌になるんですね。

中川:
確かに、あのCMソングを聴くと、「置くだけでいいんだ」という、ちょっとした驚きがありますよね(笑)。

ミネハハ:
みかんのジュースのCMのときは自分がみかんになったつもりで歌います。太陽の光、土の栄養、水、人々のまごころによって、完熟したみかんになって、それをジューサーにかけてコップに注いで、ぐっと飲んだときに、ああおいしいと感じる。その気持ちがCMソングになりました。日本人形のCMでは、箱にしまわれていたお人形が一年ぶりに箱から出されて、「ああ、うれしいな」という気持ちを込めて歌うんです。そんな私の感性の特性があるものですから、私が歌うと商品が売れるという評判になって、次々とオファーがくるようになりました。
中川:
もともとは短大の音楽科で声楽を習っておられたんですよね。
ミネハハ:
そうなんですよ。始まりは小学校の入学式です。清泉小学校というキリスト教ミッションスクールに入ったのですが、入学式で「君が代」を斉唱したとき、土屋友子という先生が、「すばらしい声の生徒がいる」と私の才能を見つけ出してくれたんです。父と母が呼び出されて、「お嬢様すごい声をおもちなので、将来音楽の道に進ませてあげてください」と言ってくれました。8歳のときに、鎌倉のカトリック雪ノ下教会に聖歌隊があると知って、父と母は、そこに入れてくれました。NHKの番組にもしょっちゅう出させてもらいました。中学3年までそこで歌っていました。また、父が中学校の英語の教師だったことから、歳くらいからは海外のアーティストの歌もよく聴いたり歌っていました。
中川:
音楽の道に進むのは必然だったんですね。
ミネハハ:
私の本名は松木美音というのですが、松の木にそよぐ風が美しい音を奏でるようにという願いを込めて父がつけてくれました。だけど、学校での声楽の勉強は向かなくて、学生時代は新宿や六本木のディスコで、ホットパンツと編み上げのブーツ、ビーズじゃらじゃら、カーリーヘアのかつらをかぶって、ソウルバンドのボーカルとしてステージに立っていました。
中川:
ディスコですか。あの当時は流行っていましたからね。
ミネハハ:
会長も行かれました?。
中川:
いやいや、私はあまり得意じゃなかったですから(笑)。
ミネハハ:
ディスコで歌っていたときに、某有名歌手のプロデューサーにスカウトされたんです。オーディションがあるといわれて、何のオーディションですか?って聞いたら、「スタジオミュージシャンのコーラスガールを探している」と言われました。そのころは、スタジオミュージシャンって知らないわけです。でも、とにかく行ってみよう、なんでもチャンス・チョイス•チャレンジ!というノリで出かけて行きました。私は譜面も読めるし、音の高さやハーモニーのバランスも問題なし。いろいろなジャンルの歌をこなせるということもあって、スタジオミュージシャンにぴったりでした。それがきっかけで、レコーディングのバックコーラスやアニメ声優、そしてCMソングと、どんどん仕事が広がっていきました。
<後略>

東京・ 品川にて 構成/小原田泰久

ミネハハさんの情報

最新コンサート情報
9月17日(土) 静岡県三島市 連馨寺本堂
9月24日(土) 福岡市中央区 鳥飼八幡宮 神徳殿
9月25日(日) 福岡市早良区 ユーテラス高取
10月 1日(土) 静岡県榛原郡 川根本町文化会館
10月 2日(日) 静岡県三島市 カフェ&スペースほとり
10月 8日(土) 福岡県久留米市山本町豊田1957
10月19日(水) 岡山県岡山市 まほろばの里
10月29日(土) 埼玉県本庄市 五州園
11月 3日(木) 伊東市観光会館別館
11月 4日(金) 千葉県千葉市美浜区文化ホール
*詳細は<a href="https://minehaha.com/official/" rel="noopener" target="_blank">ホームページ</a>をご覧ください。

           

9月「小原浩靖」さん

小原浩靖(おばら ひろやす)さん

テレビのCMを中心に企業プロモーションなどの映像広告を手がけ、作品数は700本を超える。2020年『日本人の忘れものフィリピンと中国の残留邦人』で劇場用ドキュメンタリーを初監督。第26回平和・協同ジャーナリスト基金賞奨励賞、第38回日本映画復興賞奨励賞を受賞。『原発をとめた裁判長そして原発をとめる農家たち』では、企画・製作も務めた。

『樋口理論プラス被災農家の復活劇で脱原発へ!』

原発が危険だという話だけでは 広がりがないと思った

中川:
監督の作品、『原発をとめた裁判長原発をとめる農家たち』を拝見しました。今は試写の段階で、9月から全国で上映が始まるそうですね。映画に登場する"原発をとめた裁判長"樋口英明さんには、この対談でも明快な理論で原発の危険性をお話していただきました。とてもわかりやすくて、たくさんの人に聞いてもらいたいと思っていましたので、映画化されるとお聞きしてとても楽しみにしていました。映画では、イラストやグラフを使って、樋口理論がよりわかりやすく説明されていましたね。それに、原発は危ないからやめようということだけではなく、被災された農民の方が自ら立ち上がって太陽光発電に取り組んでおられる姿が紹介されていました。これから、電力をどうすればいいか、ひとつの指針になると思いました。
小原:
ありがとうございます。会長は、<A href="https://shinkiko.com/iv/201906/">樋口さんと対談</A>をされて、この映画にも興味をもってくださるくらいですから、原発は危険だという考えをおもちなんですね。

中川:
真氣光の創設者である父は、氣の観点から見て、原爆はもとより原発に対しても反対だという立場でした。当時はソ連でしたが、チェルノブイリの被ばく者の治療に何度も足を運んでいましたし、被ばくした子どもたちを日本に呼んで静養させたりしました。アメリカインディアンのホピ族の村を訪ねて、原爆の原料になったウランの採掘に従事させられて体調を崩している人たちの治療もしました。そうした経験から、「ウランは利用時だけでなく、採掘から処分まで問題」だと考えていました。私も原発には疑問をもっていて、脱原発を訴える元スイス大使の村田光平先生や京都大学の原子炉実験所にお勤めだった小出裕章先生とも、この対談でいろいろお話をうかがいました。
小原:
そうでしたか。この雑誌を読んでくださっている方にも応援していただけそうでうれしいです。

中川:
原発問題には興味をもっている方たちが読んでくださっています。原発の危険性は多くの人がわかっていると思います。でも、原発を止めてしまって電力は大丈夫なのだろうかという心配もあるわけです。この映画は、みなさんが原発のことを知り、これからどうしたらいいかを考える上で、とても参考になると思います。樋口さんのお話でびっくりしたのは、原発の耐震性が普通の住宅より低いということです。確かに、原発の建屋は頑丈に作られているかもしれませんが、揺れで配管が壊れたら大事故につながる危険があるわけです。なのに、原発の建っているところには大きな地震はこないという、エッと驚くような前提で原発が作られてきたわけですよね。そういうことを知ることから始めないといけないと、映画を見ながら感じました。
小原:
樋口理論は、そのあたりのことがとてもわかりやすいですからねこの映画は、樋口さんの大飯原発訴訟の弁護団代表だった河合弘之弁護士から「樋口理論を映像化してYouTubeで流さないか」という提案を受けたことからスタートしました。昨年の2月ごろの話です。私はすぐに返事をしませんでした。と言うのも、原発は危険だとか、こういう被害があったという話だけだと、広がりという面では限界があるかなと思ったからです。YouTubeはたくさんの人が見てくれるというイメージがあるかもしれませんが、ぼくの感覚だと、せいぜい3万人くらいしか見てくれません。これまで、河合さんと一緒にYouTubeで原発関連の動画を流したことがありますが、3万回くらいの再生で終わっています。
中川:
YouTubeだと、原発に関心のある人しか見ないですからね。
小原:
そうなんですね。原発の危険性をよく知っている人しかアクセスしてくれないのではと危惧したわけです。

中川:
原発に関心のない人、CO2削減や電力不足がやかましく言われている中で再稼働は仕方ないかと思っているような人にも見てもらいたいですからね。問題意識を植え付けるということでしょうかね。

小原:
脱原発しないといけないと思っている人の数が、ぼくの感覚でいうと2017年くらいから伸びていないような気がするんですね。福島第一原発での事故の記憶が薄れている人もいるし、まあ大丈夫なんじゃないかという気持ちになった人もあると思うんですね。だから、原発の問題点ばかりをテーマにしても、これまでそういう映画を見たことのある人しか見てくれないのではと思いました。だから、すぐに「やりましょう」と言えなかったんです。
<後略>

東京・ 池袋のエスエーエス東京センターにて 構成/小原田泰久

原発をとめた裁判長そして原発をとめる農家たち

上映館(2022 年7 月時点)
・東京  ポレポレ東中野(9/10~)
・福島  フォーラム福島(10/7~)
・山形  フォーラム山形(10/7~)
・宮城  フォーラム仙台(10/7~)
・群馬  シネマテークたかさき
・長野  長野相生座・ロキシー
・神奈川 横浜シネマ・ジャック&ベティ
・静岡  シネマイーラ(11 月公開)
・愛知  名古屋シネマテーク
・京都  京都シネマ
・大阪  第七藝術劇場
・兵庫  元町映画館
・広島  福山駅前シネマモード
・広島  横川シネマ(10/14~)
・愛媛  シネマルナティック
・大分  別府ブルーバード劇場(9/16~)
・鹿児島 ガーデンズシネマ
・沖縄  シアタードーナツ(10月公開)
<A href="https://saibancho-movie.com">https://saibancho-movie.com</A>

           

8月「井下田 久幸」さん

井下田 久幸(いげた ひさゆき)さん

1961年生まれ。青山学院大学理工学部卒業後、日本 IBMに入社。その後、 IT企業4社を渡り歩き、東証一部上場企業で執行役員を務めたあと、独立してドルフィア株式会社代表取締役。今も現役のプログラマーとして活躍している。著書『コンペ 300戦無敗のトップエンジニアが教える理系の仕事術』(かんき出版)は、理系に限らず幅広く読まれている。

『コンペ300戦無敗。根底にはお客さん目線の温かさ』

再現性があり応用が利く法則を見つけて対応する

中川:
井下田さんの『理系の仕事術』というご著書を読ませていただきました。私も、大学は工学部したし、卒業後も10 年くらい電機会社でエンジニアをやっていました。バリバリの理系です。氣の世界には30 年近くいますが、氣というとどうしてもあいまいな部分が大きいので、最初はずいぶんと戸惑いました。敏感な人もいればぜんぜん感じない人もいます。測定もできないし、再現性もないし、物質だかエネルギーだか、それも明確になっていません。私自身、氣によって体調が良くなったり、人生観が大きく変わったりしましたので、氣をもっとわかりやすく伝えることができる方法はないものかと、ずっと試行錯誤してきました。エンジニアという立場で、プレゼン 300戦無敗というすごい成果をあげた井下田さんの体験は、理系の人間として伝え方を考える上でとても参考になりました。
井下田:
ありがとうございます。中川会長は、氣の出る機械を作っておられるとお聞きしました。
中川:
私の父が夢で見て作ったものです。時計の技術者だった父が夢で教えられた通りに作ったところ、使った人から元気が出たとか体調が良くなったとか、喜びの声が寄せられました。でも、なぜ体調が改善するのか作った本人もわかりませんでした。あるとき、中国の氣功師がその機械を見て、「氣が出ている」と教えてくれたそうです。父は、宇宙にある癒しのエネルギーを中継しているという言い方をしていました。当時、私はエンジニアだったので、機械を分解してどういう構造になっているのか調べたこともありました。とても気になる部分が一つだけありました。小さなピラミッドとセラミックの板と永久磁石が意味ありげに組み合わさっていたのです。
私はそこに氣を中継するカギがあるのではないかと思い、父の死後、もっと性能を向上させようと、サラリーマン時代にやってきたコンパクト化、集積化という技術を使って、機械を改良して今に至っています。エンジニアのときはマイクロマシンという小さなロボットを開発していましたが、そのときの経験が生きましたね。
井下田:
お父様も理系だったのですね。私は氣については門外漢なのですが、世の中にそういう機械はあまりないように思うのですが。

中川:
あまり聞かないですね。一般的には機械と氣というのはなかなか結びつかないみたいですね。理屈ではなかなか理解していただけなくて、今の時点では、体験して判断してもらうしかないかなと思っています。
井下田:
会長は、それを何とか論理的に説明しようと努力されているわけですね。

中川:
氣というと感覚的にとらえることが多いのですが、そればかりではなく、しっかりと頭で考えることも必要だと、私は思っています。人は、理論的に考えたら起こる確率の非常に低いことに不安や恐怖、怒りを感じて落ち込んだり、イライラしたりします。そんなときこそ、しっかり考えることが大切だと思います。考えることで感情に振り回されることが少なくなるのではないでしょうか。余計なことで不安にならないし、取り越し苦労をしなくてすみます。感情に振り回されて落ち込んだりすると、良くない氣の影響を受けてしまいます。それを防ぐためにも、しっかり考えていく理系的なアプローチは必要かと思っています。
井下田:
ノリや直感も大切ですが、それだけではなくて、再現性があり応用が利く法則のようなものを見つけて対応する人には、まわりの人もついてきます。会長のようなリーダーにとって、理系の戦略的思考はとても大切なスキルではないでしょうか。
中川:
ただでさえもわかりにくい氣というものをどう伝えればいいか、まだまだ工夫しないといけないと思っています。
ところで、井下田さんのご著書では、最初に「人生すごろく」でご自身の半生を紹介しているじゃないですか。とてもわかりやすくて、自分をプレゼンするのにとてもいいツールだと感じました。
人生すごろくに沿ってお話をお聞きしていきたいのですが、おじいさんがドイツ人で、子どものころは父親のDVでずいぶんとつらい思いをしたようですね。

井下田:
ひどい暴力を受けていました。部屋に閉じ込められたりして、私は引っ込み思案なのですが、あのころの体験が原因ではないかと思っています。まわりからもいじめられましたし、学校でも、勉強が遅れました。
だけど、今振り返れば、とてもつらかったですが、その分、人の痛みがわかる人間になれたかなと思います。弱い人を見ると助けたくなるんですね。

<後略>

東京都品川区・シンシア高輪にて   構成/小原田泰久

コンペ 300戦無敗の
トップエンジニアが教える
理系の仕事術

井下田久幸著
かんき出版

           

7月「侑季蒼葉」さん

侑季蒼葉(ゆうきあおば)さん

一般社団法人伝筆協会理事長。1961年愛知県生まれ。センスがなくても、クセ字を矯正しなくても、だれでも一定以上のグレードのうまさを再現できるノウハウを構築。2015年一般社団法人伝筆協会設立。2017年エヴァンゲリオン展とのコラボを実現。手書き文字を通して、心が通い合う喜びを世界中に広げたいというビジョンのもと、オーストラリア、アメリカ、ヨーロッパなどにも展開中。著書「直線で書けば今すぐ字がうまくなる!」(サンマーク出版)

『筆一本で世界中に「笑顔」と「元気」を広げたい』

難しい技術を捨てて単純な線さえ書ければ何とかなる

中川:
侑季先生は『伝筆(つてふで)』という筆文字を教えておられますが、拝見すると、心が温かくなるような字で、とてもいいですね。こんな文字ではがきをもらえば幸せな気持ちになると思います。 4時間半ほどのレッスンで書けるようなるということですが。
侑季:
90分を3回ということで初級コースを設けています。90分あれば大体のコツはつかめます。でも、それだと「書ける」ということはわかっても、なかなか普段の生活で使ってみるところまで行かないことが多いんですね。自信をもって書けるよう、あと90分を2回やります。そうすると、手紙を書いたり、カフェをやっていればメニューを書くといったようなことに使ってくれます。
中川:
でも、けっこう芸術的なセンスが必要なんじゃないかと思います。たった90分でコツがつかめるんですか。
侑季:
字を上手に見せるには規則性があるんですね。それに則って練習すればだれでも簡単にできます。「私は字がへたくそなので」と言っていた人が、90分後にはしっかりとした筆文字が書けるんです。みなさん、びっくりされますね。 ある程度書けるようになると、楽しくて仕方なくなります。「練習しなさい」と言わなくても、どんどん書くからますます上手になにくい。だったら、それは捨ててしまえばいいと気づきました。つまり、直線で書くことを意識するんです。それだけでも、字全体の統率がとれると同時に、図形のような字になって、バランスが整います。
中川:
そういうものですか。先生はもともと字がお上手だったのではないんですか。
侑季:
とんでもありません。謙遜ではなく、とてもへたくそで、人前で字を書くのが恥ずかしいくらいでした。でも、面倒で練習もしなかったものですから、字にはずっとコンプレックスがありました。特に筆なんて、小学校、中学校の習字の授業以来もったこともありませんでした。
中川:
私もそうですが、多くの日本人は学校の習字で挫折しているのではないでしょうか。どうがんばってもお手本のような字は書けませんから嫌になってしまいますよね。
侑季:
学校教育では、できないことをできるようにしようというのがあって、いつもできないことを指摘されるので気持ちがなえてしまいますね。 習字は難しいものだと思い込んでしまうと、筆をもつのが怖くなります。 でも、難しいハネやハライ、ソリを捨てて単純な線さえ書ければ何とかなるんだと思うと、チャレンジしてみようと思いますよね。ダメだと思っていたものができるかもしれないと思えるうれしさってあるじゃないですか。 そして、やってみたら書けちゃったとなると、エネルギーは一気に上がります。家に帰って家族に見せると、「買ってきたの?」と言われて、「私が書いたの」とどや顔で答えるのって快感だと思いません(笑)。
中川:
それは快感ですよ。ところで、先生はどういう経緯で伝筆を始められたんですか?
侑季:
そうそう、いつごろだったか忘れましたが、「真氣光」のことをどこかでお聞きしたことがありました。と言うのも、私は22歳のころからヨガのインストラクターをやっていました。今のようなおしゃれなヨガではなくて、瞑想とか断食といった修行的なことをやっていたころです。だから、東洋的なことにとても興味があって、真氣光のことを聞く機会があったのだと思います。

中川:
ヨガをやっておられたのですか。真氣光も、伊豆下田にある沖ヨガさんの道場で研修講座をやっていました。
侑季:
私が習った先生も沖ヨガの関係じゃなかったかな。
中川:
ヨガのインストラクターは長くやられていたのですか?
侑季:
20年間やっていましたね。その後、コミュニケーションのコーチングを知って、そちらに力を入れるようになりました。 ヨガはみんなが元気になればいいなと始めたのですが、体からのアプローチが中心でした。私は、元気になるには、人間関係や自分らしく生きるためのアプローチも必要なのではと思い、コミュニケーションの世界に足を踏み入れました。 コーチングも好きでしたが、もっと簡単に人が笑顔になって元気になれるものはないかと、コーチングをやりながらずっと模索していました。
<後略>

東京・日比谷松本楼にて   構成/小原田泰久

直線で書けば今すぐ字がうまくなる!

侑季蒼葉 (著)
サンマーク出版

           

6月「屋宮直達」さん

5月「覚 和歌子」さん

覚 和歌子(かく わかこ)さん

作詞家・詩人。平原綾香、SMAP、沢田研二などの作詞を手掛ける。2001年『千と千尋の神隠し』の主題歌『いつも何度でも』の作詞でレコード大賞金賞。詩集に『ゼロになるからだ』(徳間書店)、『海のような大人になる』( 理論社)など。自唱ソロCDに『青空1号』(ソニー)、『カルミン』(valb)、『ベジタル』(valb)、『シードル』(モモランチ)がある。エッセイ、絵本など著作多数。

『不思議な感覚で降りてきた『千と千尋の神隠し』の主題歌』

詩は、もともと祝詞から始まっているのではないか、と思います

中川:
覚さんはスタジオジブリの映画『千と千尋の神隠し』の主題歌「いつも何度でも」を作詞された作詞家であり詩人です。音楽やアニメにそれほど詳しくない私でも、この歌はよく知っています。不思議な詩だな、と思いながら聴いていました。その作者にお会いできるとは本当に光栄です。今日はご自宅におうかがいしたのですが、テーブルの上にはCDや詩集、それに占いのカードを用意してくださっていて、いろいろなことをやっておられる覚さんですから、何からお話をうかがいましょうかね。この占いのカードにしますか。「ポエタロ」って言うんですね。覚さんが作られたんですか?
覚:
「ポエタロ」は「ポエムタロット」の略です。一般的にオラクルカードと呼ばれるものの一種ですが、友だちがくれたカードで私自身、気持ちが楽になったことがありました。それで、詩でも作れるんじゃないかと思いました。心理学者のユングが偶然に見えることにはすべて意味があると言っています。ぱっと開いたカードにも意味がある。自分で聞きたいことを考えながら直感と結びついてる左手で引くんですね。 でも、いきなりカードの話でいいんですか(笑)。さすが氣功の先生ですね。
中川:
何となくふっと気になったあるのではないでしょうか。 詩も短い言葉でメッセージを伝えるわけですから、詩人の覚さんがこういうカードを作るのも意味があるのかと感じました。
覚:
ふっと気になったとおっしゃいましたが、詩も作るものではなく、ふっと生まれるものほど、エネルギーがあるように、私は感じています。 私は、詩はもともとは祝の り詞とが始まりだと考えています。神様と交感する言葉が芸能になり、詩になったのではないでしょうか。 目で読む文字言葉と発声する言葉のうち、私が大事にしているのは音声としての言葉です。記録としては残らないけれども、波動が残ります。私の場合、そこへのアクセスが強いと思っています。
中川:
なるほど。お経を作りたいとお書きになっていましたが、お経も祝詞も意味を知ることよりも、波動を感じることが大事なのかもしれないですね。ポエタロも言葉の波動を感じて引くんでしょうね。 詩集の中にはひらがなだけのものもありましたが。
覚:
ひらがなは響きにとても近い文字だと思います。ひらがなは一文字一音です。漢字は意味を伝えるけれどひらがなからは音が伝わってきます。
中川:
ひらがなの方が、波動を感じられるということでしょうか。私も日本語は不思議だなと思っています。50音があって、その組み合わせで言葉ができるわけですから。 覚さんは、子どものころから波動を感じるような特殊な感性があったのでしょうか。
覚:
幼いころからカンの強い子で、見えないものの存在をキャッチして生きてきたように思います。HSPというのをご存じでしょうか。HighlySensitivePersonの略で、過剰な感受性をもって生まれた人という意味です。昔は、単に神経質な人で精神修養が足りないのだと見られていましたが、HSPという形でカテゴライズされたときに、「自分はこれなんだ」とわかってとても安心しました。背が高いのと同じように生まれ持った個性だとわかって、居場所が見つかったような気がしました。
中川:
初めて聞きますが、どんな特徴があるのですか。
覚:
細かいことを過剰に気にするというのが特徴の筆頭です。また私は聴衆がいないところで歌ったり合唱するようなときには、上手に歌えるんですが、ソロで人前でとなると膝がガクガク震えて声が出なくなるんですね。それもHSPの大きな特徴で、衆目の中で自分を発揮できないという気質です。
中川:
でも、ライブをやっておられますよね。
覚:
実はライブのときもすごく怖いんです。でも、どういうわけかやらずにいられません。どうしてでしょうね(笑)。小学生のとき、所属していた合唱団から先生に推薦されて、独唱コンクールに出ることになりました。練習では上手に歌えたのに本番では緊張してボロボロ、その後のトラウマになりました。歌は大好きですが、自分では失敗体験を重ねているという認識です。
中川:
まわりの人の氣を敏感に感じ取ってしまうんでしょうね。覚 詩も気が乱れている東京では書けなくて。今は八ヶ岳にアトリエがあって、詩作はもっぱらそちらですね。 人の気配があると集中できないんです。『千と千尋の神隠し』の主題歌のときは、八ヶ岳にまだ家がなかったので、静かな夜の時間を使って東京で書きましたけど。 
<後略>

都内の覚和歌子さんご自宅にて 構成/小原田泰久

はじまりはひとつのことば

覚 和歌子 (著)
出版社 ‏ : ‎ 港の人

           

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