2月「廣澤英雄」さん
廣澤英雄(ひろさわ・ひでお)さん
1937年茨城県に生まれる。1958年に合気道「龍ヶ崎道場」に入門。1961年から68年までの約7年間、開祖・植芝盛平師の弟子。1994年に7段を取得。2006年イタリアに招待され合気道の模範演技を披露し指導。現在、公益財団合気会廣澤塾(岩間)師範。他に大学や道場、カルチャースクール、クラブなどで合気道を指導。
『勝ち負けを捨て宇宙と一体になって世界平和を実現』
85歳になってやっと合気道の真髄をつかむことができた
- 中川:
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ご無沙汰しています。前回対談に出ていただいたのは2006年8月号でしたから、16年以上前のことです。先生をご紹介くださったのは会員の山田秀明さんでしたが、今回も山田さんから「廣澤先生も85歳になられてすばらしい境地に達しておられるのでぜひ会ってみてください」と言われて、お話をうかがいたいと思った次第です。
- 廣澤:
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85歳ですが、まわりには65歳だと言っています(笑)。まだまだやることがいっぱいあるので年を取っていられないんです。山田さんも、前に会長とお会いしたときにはたまにお会いしてお話をするくらいの関係でしたが、2年ほど前から道場へ通うようになって、本格的に合気道を始めています。
- 中川:
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そうでしたか。氣のことをずっと勉強されていますので、上達も早いと思います。もうひとり、尾崎靖さんも真氣光の会員さんですが、先生のお弟子さんで、先生を東京にお呼びして、ワークショップを開いたりしていますね。
- 廣澤:
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2人ともいろいろ協力してくださってありがたいですよ。
- 中川:
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先生はタクシーの運転手さんをやっておられて、2人ともたまたま乗せたお客さんだったそうですね。
- 廣澤:
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そうなんですよ。お客さんで弟子になってくれたのは2人だけですよ(笑)。まさに氣が合ったんでしょうね。山田さんとは25年ほど前、尾崎さんとは15年ほど前ですね。山田さんを乗せたのは六本木だったかな。大雨でした。どういうわけか氣の話になりましてね。降りるときに名刺の交換をして、ときどき電話で話をするようになりました。尾崎さんは仕事帰りじゃなかったかな。以来、長くお付き合いさせてもらっています。縁があったのでしょうね。
- 中川:
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タクシーは、狭い車の中で運転手さんと二人きりになるじゃないですか。運転手さんが嫌なことがあってかイライラしていると、こっちも居心地が悪くなります。私はそんなときには運転手さんに氣を送ります。それで雰囲気が変わることがあります。
- 廣澤:
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私もいろいろなお客さんを乗せました。タクシーの運転手は、人間観察もできたし、合気道のいいトレーニングにもなりました。呼吸によって相手の意識と自分の意識を結びます。そうすると、お客さんがどんな人かがよくわかるし、私と一体化しますから、イライラしていた人もご機嫌になります。行先を聞く前にどこへ行くかがわかるようなこともあります。私の車に乗ると気分が良くなると、銀座のママさんがファンになってくれて、たくさんのお客さんを紹介してくれたこともあります。
- 中川:
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氣の交流ができているんでしょうね。先生はあの当時から合気道の達人だったわけですが、修行は終わりがないとおっしゃっていました。最近になって、すごい境地に達したそうですが。
- 廣澤:
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武術をやっていると、「これでよし」と思うことはないですね。まだまだ修行をしないといけないのですが、それでも「ここまでこれたか」と感慨深くなることもあります。私の手相は50代からどんどん変わりました。二つの線(感情線と頭脳線)がくっつき始めました。今では一直線になってしまいました。両手ともです。知り合いの手相見がびっくりしていました。こりゃ豊臣秀吉と一緒だってね。なかなかこんなのはなくて、天下取りの手相だっていうんですね。70歳を過ぎたらとんでもないことになるよと言われました。天下を取ろうとは思っていませんが、人はどんどん変わるし、強く思って行動していれば、夢が叶います。65年前、合気道の開祖である植芝盛平先生から一回だけ習った技がついにできるようになりました。ずっとその技が頭に中にあって、毎日稽古をしてきたのですが、うまくできません。それができたのです。
- 中川:
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どうすればできるのか、ずっと考えていたのですね。
- 廣澤:
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私の部屋には大きく伸ばした大おお先生(植芝先生)の写真が飾ってあります。じっと見ていると何か伝わってくるものがあります。
- 中川:
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あちらの世界から開祖が教えてくれているんでしょうね。やっとわかったかとおっしゃっているのではないでしょうか。
- 廣澤:
- 合気道は「和の武術」です。戦わず競い合わない。だから試合はありません。敵を作らず勝ち負けはない。宇宙と一体になることを目的としています。大先生も、その境地に達したのは晩年になってからです。私は、理屈としては宇宙と一体になることはわかっていましたが、心底は理解していませんでした。だから、大先生が教えてくれた技ができなかったのだと思います。それができたというのは、私も80歳を過ぎて、先生の境地に手が届いたのかなとうれしくなりました。<後略>
東京都千代田区内神田にて「 構成/小原田泰久
先日、『原発をとめた裁判長そして原発をとめる農家たち』という映画を見ました。映画の中に、原発事故で一度は農業をあきらめた福島の農家の人たちが、ソーラーシェアリングという太陽光発電で電力を自分たちで作るという場面があって、こういうシステムがあるんだと驚きました。長島先生はソーラーシェアリングの開発者で、映画でもコメントされていました。今日は、ソーラーシェアリングについてお聞きしたいと思っています
ソーラーシェアリングというのは、田んぼや畑に3メートルほどの支柱を立て、その上に適度な間隔でソーラーパネルを並べて発電をするという方法です。発電をするという方法です。 従来の太陽光発電だと、山を削ったり、田畑を使えなくしてしまうので、自然エネルギーと言っても、どこか自然破壊をしているようなイメージがありました。だけど、ソーラーシェアリングだと、下は農地として使えますから、耕作放棄地を発電と農地の両方に活用できるということですよね。
そもそも大きな発電所を作ってみんなに配るという考え方を変える必要があります。もともと発電所は大きく作る方が発電の効率が上がりコストが下がります。だから、ずっと電力会社の仕事として評価されてきました。 今は太陽光発電を使えば、だれでも電力会社と同じように効率よく電気が作れます。まさにエネルギーの民主化と言えるでしょう。電力料金の中に原子力維持や超高圧の送電網の負担金も均一に分担される仕組みになっていますが、これは、お酒が飲めないのに宴会の飲み放題の参加費を払っているようなものだったのです。これからは、必要なときに必要な分だけ自分で作ることができる時代が到来するでしょう。北海道で地震による大規模停電がありました。大きな発電所に依存していたから、発電所に異常が起こったことで、あんな大事に至ったのです。各家庭で電気を作っていれば、あれほどの大騒ぎにはならなかったのではないでしょうか。<後略>
25年くらい前ですね。その当時、私は子育てをしながら、東洋医学の資格を取得して、体の治療とカウンセリングをしていました。7年間、毎週通ってくれている女性がいました。その方は、40歳になっていましたが独身で、自宅で編集の仕事をしていました。人との付き合いもほとんどなく、自分はこの先どうなるのだろうと心配していました。私は意識教育研究所でやっていた内観のセミナーに彼女を送り込みました。そしたら、一週間でがらっと変わって帰ってきました。今までずっと会ってなかった親に20年ぶりに会いに行けたり、兄弟とも行き来するようになりました。結婚もして子どももできました。あのままだったら、天涯孤独だったのに、想像もできないような明るい人生が開けてきたのです。その後もクライアントを研修に送り、みなさんとても元気になられました。私は、もちろん内観のことは知っていましたが、自分は特に問題を抱えているわけでもないし、年を取ってから受ければいいやと思っていました。
心と体は連動しているんでしょうね。真氣光でも氣を受けていろいろな気づきがあると、体調も良くなっていくという人がいます。真氣光研修講座では、石井先生に内観の講義をしていただいていますが、親をはじめまわりの人にどれだけお世話になり、迷惑をかけたか気づけたという受講生の方はたくさんいますね。新型コロナウイルスの影響もあるかと思いますが、人間関係が非常に希薄になって、自分さえ良ければいいと思ったり、自分のことを顧みずに人を責めたりする人が多くなっているような気がします。私は、マイナスの氣の影響を受けてそうなっているように感じています。氣を受けてマイナスの氣がとれていくと、まわりへの感謝の気持ちが出てきます。感謝の気持ちが大きくなれば、光が増えますから、マイナスの氣は減っていって、プラスの氣が増え、ますます感謝の気持ちが出てくるんですね。そういう人は幸せになれます。いくら物質的に恵まれていても、感謝の気持ちがないと幸せは遠ざかっていきます。真氣光は氣を通して、たくさんの人が幸せになるためのお手伝いをするのが役割だと思っています。
先生は下田の真氣光研修講座に参加されたのですが、その前の話ですか。 
ここ3年は、新型コロナウイルスの影響で桑原先生とはオンラインでしかお会いできません。先代の時代から先生はボストンでセミナーを開いてくださっていて、私も毎年ボストンへうかがっていました。
3年前に会長がボストンに来られたとき、すばらしいものを作っていただきました。私は真氣光ぺろぺろキャンディと呼んでいるのですが、氣グッズであるディスクヘッドに鍼灸で使うてい鍼という鍼をくっつけてもらったんですね。てい鍼というのは先端が丸くなっていて、刺さない鍼灸治療に使います。これがいいんですよ。
てい鍼の頭の部分にネジを切っただけです。ディスクヘッドの枠にあるネジ穴とサイズがぴったりでした。これには驚きました。使っていただいているんですね。 
商品に合わせて声が決まるんですね。
いやいや、私はあまり得意じゃなかったですから(笑)。 
原発問題には興味をもっている方たちが読んでくださっています。原発の危険性は多くの人がわかっていると思います。でも、原発を止めてしまって電力は大丈夫なのだろうかという心配もあるわけです。この映画は、みなさんが原発のことを知り、これからどうしたらいいかを考える上で、とても参考になると思います。樋口さんのお話でびっくりしたのは、原発の耐震性が普通の住宅より低いということです。確かに、原発の建屋は頑丈に作られているかもしれませんが、揺れで配管が壊れたら大事故につながる危険があるわけです。なのに、原発の建っているところには大きな地震はこないという、エッと驚くような前提で原発が作られてきたわけですよね。そういうことを知ることから始めないといけないと、映画を見ながら感じました。
脱原発しないといけないと思っている人の数が、ぼくの感覚でいうと2017年くらいから伸びていないような気がするんですね。福島第一原発での事故の記憶が薄れている人もいるし、まあ大丈夫なんじゃないかという気持ちになった人もあると思うんですね。だから、原発の問題点ばかりをテーマにしても、これまでそういう映画を見たことのある人しか見てくれないのではと思いました。だから、すぐに「やりましょう」と言えなかったんです。
あまり聞かないですね。一般的には機械と氣というのはなかなか結びつかないみたいですね。理屈ではなかなか理解していただけなくて、今の時点では、体験して判断してもらうしかないかなと思っています。
ひどい暴力を受けていました。部屋に閉じ込められたりして、私は引っ込み思案なのですが、あのころの体験が原因ではないかと思っています。まわりからもいじめられましたし、学校でも、勉強が遅れました。
字を上手に見せるには規則性があるんですね。それに則って練習すればだれでも簡単にできます。「私は字がへたくそなので」と言っていた人が、90分後にはしっかりとした筆文字が書けるんです。みなさん、びっくりされますね。 ある程度書けるようになると、楽しくて仕方なくなります。「練習しなさい」と言わなくても、どんどん書くからますます上手になにくい。だったら、それは捨ててしまえばいいと気づきました。つまり、直線で書くことを意識するんです。それだけでも、字全体の統率がとれると同時に、図形のような字になって、バランスが整います。
20年間やっていましたね。その後、コミュニケーションのコーチングを知って、そちらに力を入れるようになりました。 ヨガはみんなが元気になればいいなと始めたのですが、体からのアプローチが中心でした。私は、元気になるには、人間関係や自分らしく生きるためのアプローチも必要なのではと思い、コミュニケーションの世界に足を踏み入れました。 コーチングも好きでしたが、もっと簡単に人が笑顔になって元気になれるものはないかと、コーチングをやりながらずっと模索していました。
ひらがなは響きにとても近い文字だと思います。ひらがなは一文字一音です。漢字は意味を伝えるけれどひらがなからは音が伝わってきます。
まわりの人の氣を敏感に感じ取ってしまうんでしょうね。覚 詩も気が乱れている東京では書けなくて。今は八ヶ岳にアトリエがあって、詩作はもっぱらそちらですね。 人の気配があると集中できないんです。『千と千尋の神隠し』の主題歌のときは、八ヶ岳にまだ家がなかったので、静かな夜の時間を使って東京で書きましたけど。 