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7月 「帯津 良一」さん

帯津 良一(おびつ りょういち)さん

1936年埼玉県生まれ。東京大学医学部卒業。東大病院第三外科医局長、都立駒込病院外科医長を経て、82年埼玉県川越市に帯津三敬病院、2005年に東京・池袋に帯津三敬塾クリニックをオープン。人間まるごとのホリスティックな医療を実践している。帯津三敬病院名誉院長、日本ホリスティック医学協会名誉会長。著書は、「粋な生き方」(幻冬舎ルネッサンス)「ドクター帯津の健康暦365+1」(海竜社)「健康問答」(平凡社・五木寛之との共著)など多数。

『潔く、はりがあって、色っぽい。そんな粋な生き方で養生を極める』

先代とは上海で初めて会って、 被曝したインディアンの治療にも行った

中川:
先生、お久しぶりです。私が「氣―こころ、からだ、魂を満たす光のエネルギー」という本を出したときに、対談をお願いして以来ですから、7年ぶりくらいでしょうか。
帯津:
そんなになりますか。会長は、いくつになられました?
中川:
55歳です。先生は、うちの父親と同じで1936年生まれですから、80歳になられたんですよね。お元気ですね。
帯津:
そうそう、先代の中川先生とは1ヵ月くらい、私のほうが早く生まれているんです。いくつでしたか、お亡くなりになったのは。
中川:
59歳の12月でした。あと3ヶ月くらいで60歳だったのですが。
帯津:
じゃあ、20年以上もたつんですね。楽しい人でしたね
中川:
先生が最初に先代に会われたのは、中国だったですよね。
帯津:
1988年でしたね。上海で「国際氣功シンポジウム」というのが行われたんですね。第二回目で、日本からもたくさんの方が参加されていました。もう亡くなられましたが、ユング心理学の研究で有名だった湯浅泰雄先生とか、氣功とカイロをやっていたひげの吉見猪之助さん、山内式気功体操の山内直美さん、日本気功科学研究所の仲里誠穀さん、日本気功協会の山本政則さんとか、その後の日本の氣の世界をリードしていく面々がそろっていました。いずれも、個性豊かな人でしたね。
そんな中に混じっても、中川先生は目立っていました。何しろ、髪の毛が真っ白、白い顎ひげでしょ。氣が出る機械・ハイゲンキもインパクトありましたよ。
中川:
怪しさプンプンですよね(笑)
帯津:
いやあ、あれくらいがいいんですよ。これから氣を広めていかなければならないときですから、ああいう目立つ人を、神様は送り込んだんじゃないですか(笑)。
上海から帰って来て、中川先生から電話があって、一緒に飲もうということになりましてね。そのときに、夢に白髭の老人が出てきて、明日から氣を出せと言われたという話を聞きました。
下田の一週間の合宿も見学に行かせていただきました。
中川:
そうでしたね。それから、アメリカインディアンのホピ族が住む村へ同行してくださいましたよね。
帯津:
1994年の8月でしたね。一緒に行ってくれないかと言われて、ちょっと難しいかなと思ったのですが、当時から場のエネルギーにとても興味があって、インディアンが聖地だと崇めている場所はどんなエネルギーなのだろうと思って、スケジュールを調整して行きました。
飛行機の中では隣同士だったのでゆっくりと話ができました。機内食を、「おいしい、おいしい」と言って、本当に嬉しそうに食べている中川先生の姿に感心しました。ああ、この人は素直な人なんだなと、ますます好きになりましたね。
中川:
食べるのが好きな人でしたから。ホピの村へは、ウランの採掘で被曝した人たちの治療に行ったんですよね。
帯津:
そうなんですね。「ホピの予言」という映画を作った宮田雪きよし監督が案内してくれました。最初は、ホピ族やナバホ族の被曝者が入院している病院へ行ったのですが、治療の許可が出ませんでした。それで、個人の家を訪ねたり、コミュニティセンターのようなところで治療会をやったりしました。
コミュニティセンターのときは、最初は数人だったのですが、その人たちが家へ帰ってからまわりの人に話すものだから、次々と人が集まってきました。トラックの荷台に人がびっしりと乗ってやってきたのにはびっくりしました。
中川先生だけでは追いつかないので、私まで氣功治療をすることになりまして。それにしても、すごい人でした。
中川:
ホピの予言の岩絵も見られたんですよね。
帯津:
見てきました。ホピの大地のエネルギーはすごかったですね。あるところでは、写真を撮ろうとしたらシャッターが切れませんでした。私のカメラだけじゃなかったので、何かエネルギーの影響があったのかなと思います。
長老のマーティンさんの家も訪ねました。生のニンジンが出てきたので、それをかじりながら話を聞いたわけです。
なかなかできない体験をさせていただきました。
帰りの飛行機は、ビジネスクラスが予約してあったのですが、何かの都合で、ファーストクラスに乗せてもらいました。ホピの神様からのプレゼントだと、中川先生と楽しく話したのを覚えています。

<後略>

(2016年4月26日 埼玉県川越市の帯津三敬病院にて 構成/小原田泰久)

著書の紹介

粋な生き方 病気も不安も逃げていく「こだわらない」日々の心得
帯津 良一 著 
(幻冬舎ルネッサンス)

           

7月 「帯津 良一」さん

帯津 良一(おびつ りょういち)さん

1936年埼玉県生まれ。東京大学医学部卒。東京大学第三外科、共立蒲原病院、都立駒込病院を経て、1982年に埼玉県川越市に帯津三敬病院を開院。2004年東京・池袋に帯津三敬塾クリニックをオープン。現在、帯津三敬病院名誉院長、日本ホリスティック医学協会会長、日本ホメオパシー医学会理事長など。『大養生』(太陽企画出版)『あるがままに生き死を見つめる7つの教え』(講談社)『健康問答』(共著・平凡社)など多数の著書がある。

『倒れるまでまい進する。ゆっくりするのは死んでから。』

先代とは20年前に上海で初めて会った

中川:
ご無沙汰しています。ハイゲンキ誌への原稿、いつもありがとうございます。相変わらず、お忙しそうですね。
帯津:
こちらこそ、ご無沙汰です。なかなか時間がとれずにすいませんでした。今日も、横浜で講演があって、その帰りに寄らせていただきました。会長と、お会いするのは何年ぶりでしたかね。
中川:
もう、ずいぶん、お会いしていませんね。川越の病院へおうかがいして、先生のお部屋でお話をうかがったのを覚えていますが。
帯津:
そうだ、そうだ。確か、漢方薬のことでお見えになりましたね。
中川:
えーっと、あれはまだ先代が亡くなる前のことだったと思います(笑い)。
帯津:
そんな前になりますか(笑い)。いずれにせよ、久しぶりですね。先代が亡くなって13年でしたね。会長も、貫禄が出てきて、ずいぶんと板についてきたじゃないですか。
中川:
いや、まだまだ戸惑うことばかりですが、周りの方に助けられて何とかやっております。¥r¥n先生には、先代のころからお世話になっていますが、先代とお会いになったのは、いつごろのことですか。
帯津:
1988年に、上海で第二回国際気功検討会というのがありまして、私も日本気功協会の山本理事長に誘われて参加したんですね。がん患者を集めて氣功をやっているというのが少しずつ知られるようになった時期で、ぜひ上海でしゃべってほしいと言われましてね。でも、開業医ですから、なかなか病院を空けられません。最初は断っていたんですが、どうしてもと言われるので、しぶしぶ参加しました。そしたら、そこにはなかなか個性的な方が集まっていましてね。中川さんでしょ、それに大阪の吉見猪之助さん、名古屋の林茂美さん、京都の山内直美さん、それに湯浅泰雄先生がいましたね。小原田さんとも、そこではじめて会いました。
中川:
20年前のことですね。先生が病院を開業されたのが1982年でしたよね。それから6年くらいたっていますから、氣功もかなり認知されてきたころでしょうか。
帯津:
そうですね。認知されるまではいかなくても、開業したころとは大分、事情が変わってきていました。
中川:
先生は、中国で氣功のことを知って、がん治療に氣功を取り入れるられたわけですけど、そのへんの経緯を教えていただけますか。
帯津:
中国へ視察に行ったのは1980年です。都立駒込病院にいたころですね。外科医として、たくさんのがん患者さんの治療をしていて、医療技術も急速に進歩していましたので、がんが撲滅できる日は近いと思っていました。しかし、現実には再発して戻ってくる患者さんがたくさんいて、ちょっと方向性が違うのではと思うようになりました。それで、西洋医学とは考え方の違う中国医学を学んでみようという気持ちになったんです。中国医学というのは、氣功ばかりでなく、漢方薬や鍼灸、食養生といったものがありますね。でも、私は、氣功のことを知って、中国医学のエースは氣功だと思いました。
中川:
中国医学のエースですか。それはまたどうして、そう思われたのですか。
帯津:
中国へ視察に行ったのは1980年です。都立駒込病院にいたころですね。外科医として、たくさんのがん患者さんの治療をしていて、医療技術も急速に進歩していましたので、がんが撲滅できる日は近いと思っていました。しかし、現実には再発して戻ってくる患者さんがたくさんいて、ちょっと方向性が違うのではと思うようになりました。それで、西洋医学とは考え方の違う中国医学を学んでみようという気持ちになったんです。中国医学というのは、氣功ばかりでなく、漢方薬や鍼灸、食養生といったものがありますね。でも、私は、氣功のことを知って、中国医学のエースは氣功だと思いました。
中川:
中国医学のエースですか。それはまたどうして、そう思われたのですか。
帯津:
私は、若いころ、柔道や空手、柔術をやっていました。柔術が強くなるため呼吸法を習いました。氣功というのは、『調身』『調息』『調心』という三つの要素が必要です。逆に言えば、この三つの要素があれば氣功と言ってもいいわけですね。そう考えると、呼吸法はもちろんですが、柔道も空手も柔術も氣功と相通じるものがあるだろうと思ったんです。姿勢を正して、息を整え、心を落ち着かせるということですね。これは、生きるための基本でもあります。それが医療として行われていることにとても魅力を感じました。

<後略>

(2008年4月30日 東京池袋の (株)エス・エー・エス本社にて 構成 小原田泰久)

           

2月 「帯津 良一」さん

帯津 良一(おびつ りょういち)さん

1936年埼玉県生まれ。東京大学医学部卒業。医学博士。東京大学第三外科、静岡県共立蒲原総合病院外科医長、都立駒込病院外科医長を経て、1982年、帯津三敬病院を設立。日本ホリスティック医学協会会長、調和道協会会長、北京中医薬大学客員教授などを歴任。主な著書に『ガンを治す大辞典』(二見書房)、『現代養生訓』『<いのち>の場と医療』(以上、春秋社)、『ガンになったとき真っ先に読む本』(草思社)など多数。

『明日はもう少し良くなっているという期待をもって眠る。そんなささやかな希望をサポートする医療を実現する。』

先代とのホピの村への旅は本当に楽しかった

中川:
すっかりごぶさたしてしまいまして。先生とお会いするのは、7年ぶりくらいですかね。
帯津:
それくらいになりますか。ロンドンのスピリチュアルヒーリングの研修ツアーに一緒に行って、天河神社のドクター・ヒーラーネットワークでお会いして、それ以来かなと思います。だから、そんなものですか。
中川:
先生には、先代の時代からいろいろとお世話になってきました。つい先日(12月11日)が、先代の命日でした。まる7年になります。早いものです。
帯津:
そうですか。もうそんなになりますか。懐かしいですね。
先代とは、あちこちの氣功の集まりでお会いして、面白いお話をたくさん聞かせていただきました。
ホピの村へは一緒に行きましたし。あれは、楽しい旅でしたよ。
中川:
この間、アメリカへ行ってきまして、ホピの村の近くまで足を伸ばしました。先代が帯津先生と一緒に来た場所だと、何となく感慨深く景色を見てきました。
帯津:
モーテルでカレーを作って食べたり、ああいう旅をするチャンスはなかなかありませんね。そうそう、帰りの飛行機では、ビジネスクラスだったのが、ファーストクラスへ移ってくれと言われて。儲かっちゃったなとうれしくなりました(笑い)。
中川先生のそばにいると、こちらまでウキウキしてくるようなところがありました。機内食でも、『こりゃうまい、うまい』って、本当においしそうに食べていましたから。
中川:
食べることが好きな父でしたから。
帯津:
会長は、先代が亡くなってその跡を継がれたわけですが、まったくの別世界から入ってこられて、すんなりとなじめましたか。
中川:
いやー、なかなか大変でしたよ(笑い)。もともとはエンジニアですから。一応、父の会社で働いて、亡くなる前は、あちこちついて歩いて、勉強のようなことをしましたが、それでもそばで見ているのと、実際に自分でやるのとは大違いですね。毎日が発見でしたし、いろいろな人に教えていただいて、何とかやってこれたかなと思います。
帯津:
7年と言えば、かなり経験も積まれて、たくましくなられたと思います。この雑誌(ハイゲンキ・マガジン)をいつも送っていただくので、楽しく拝見しています。雑誌を見ていても、勢いが出てきたなと感じます。
中川:
ありがとうございます。先生もずいぶんとお忙しいでしょう。
帯津:
忙しいことは忙しいですね。病院の仕事のほかに、講演があったり、水曜日は休みになっているのですが、埼玉県立大学に頼まれて、毎週一時間目に講義をもっているものですから、休んでもいられません。
横浜に神奈川看護大学というのがあるのですが、そこも毎年呼ばれています。とにかくその場所に体をもっていかなければならないことが多いので、時間のやりくりは大変ですね。
中川:
看護大学というと看護婦さんの卵ですね。これから医療に携わる人ですから、先生の話を楽しみにしている方が多いんでしょうね。
帯津:
すごく熱心ですよ。看護大学にはガン看護課程というのがあって、半年間でガン患者を介護するプロフェッショナルを養成しようという講義や実習があります。私は、ガンの東洋医学的な疼痛対策というテーマに呼ばれるのですが、東洋医学の話もするけど、ほとんどホリスティックな話に終始しますね。死の問題とか患者さんとの付き合い方を話すのですが、みなさん、喜んでくださいます。講義が終わると、控え室まで来てくれて、感想を述べてくれたりします。すごくうれしいですね。
埼玉県立大学でも、理学療法士科や社会福祉学科という医療関係に進む人たちに講義をしますが、彼らも熱心ですね。試験をやっても、力のこもったレポートを書いてきてくれます。やりがいはありますね。
中川:
ホリスティックな話ということですけど、どんなお話をされるのですか。
帯津:
死のことはもちろんですね。患者さんとは一方通行の関係ではいけないといった話もしますね。パワーをもって接する必要がある。だけど、パワーだけではいけない。ときには、一瞬にして弱々しくなれて、患者さんと痛みを分かち合えるようにもならなければならないといった話ですが、みんな一生懸命に聞いてくれます。
彼らには、自分たちが医療者として、日本の医療に貢献していきたいという志があるように思います。

<後略>

(2002年12 月13日 帯津三敬病院にて 構成 小原田泰久)

           

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