失明の危機を乗り越えた

 私は強度の近眼なので光が眩しくて電気を消したままトイレに行っていたのですが、そのときにフラフラして柱に眼の上を強打してしまったのです。
タンコブができて、ハイゲンキを当てても翌日になっても痛みが引かず、眼の上の黒いアザがだんだん眼の方におりてきたので不安になり眼科に行きました。
2ケ月程様子をみていたのですが、急に視力の低下がみられ、眼が失明の危険がある状態だということが判明しました。
黄斑に穴があきかかっているからと、手術を勧められました。
でも手術をすれば失明は免れるけれど、視力は戻らず歪みも残るかもしれないとも言われ、すごく悩みました。
スタッフの方に会長セッションを勧められ、参加しました。
セッションの間中、私は「眼が痛いよ、痛いよ!」と子供のようにずっと泣いていました。
私が泣いているのか、痛がっているのか、それとも…これは何かある…。
(中略)
いろいろな方に力になっていただき、励まされて、「手術をしてから研修に行こう」と決心しました。
私はとても不安性、心配性なので皆さんに支えられなかったら、きっと手術をのりこえられなかったと思います。
手術は大成功でした。
(中略)
病室にはハイゲンキを置き、手術着のポケットには真氣光の水晶をいれておいたのは、どんなに心強かったでしょう。
(中略)
頭痛もめまいも多少残っていますが、視野の揺れも小さくなり、失明しなかったのは真氣光に御縁のある皆さんのお蔭と思っています。
真氣光に出合わなかったら今頃は毎日泣いていたかもしれません。
(2005年12月 月刊ハイゲンキ『H i !みなさ〜んGENKIですか?』より北海道 Sさん)

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