今月の対談「いい人いい話いい氣づき」

2021年3月「新井 利昌」さん

新井利昌

新井 利昌(あらい・としまさ)さん

埼玉福興(株)代表取締役。NPO法人Agri Firm Japan理事長。1974年埼玉県生まれ。1996年に父親とともに埼玉福興(株)を設立する。同社を農業法人化して、障がい者とともに野菜の水耕栽培、露地栽培、オリーブの栽培・加工などを手掛け、ソーシャルファームという新しい概念で社会的就労困窮者の働く場を創出している。著書に『農福一体のソーシャルファーム~埼玉福興の取り組みから』(創森社)がある。

『農業と福祉が一体になって、人の役に立てる場を作る』

障がい者の行く場所、働く場所がないことに気づいた

中川:
 農園を見学させていただきましたが、オリーブ畑もあれば、白菜の畑もあるし、ネギの苗を育てていたり、水耕栽培もありました。たくさんやっておられてびっくりしました。障がい者のみなさんが、生き生きと働いていますね。
新井:
 ここでは健常者に頼らない生産体制というのをめざしています。水耕栽培を取り入れたのも、重度の障がい者も作業ができるという理由からです。毎日同じ仕事があるし、単純作業の繰り返しができます。また、水耕栽培は一人だけでできる作業もありますから、人と接するのが苦手だという人も働けます。
中川:
 種をプラスティックの容器にまいている女性がいましたね。いろいろ説明していただきましたが、彼女も人と接するのが苦手な方なんでしょうかね。
新井:
 そうです。みんなと一緒にいるとパニックを起こす子でした。だから一人でできる仕事をしてもらっています。でも、おしゃべりも好きなんですね(笑)。だから、見学のお客さんがくると一生懸命に説明してくれます。それはそれで、とても役に立ってくれています。
中川:
 この対談には新井さんも親しくしている自然栽培パーティの佐伯康人さんや銀座ミツバチプロジェクトの高安和夫さんにも出ていただきました。障がい者が農業に携わって収入を増やしたり生きがいを見出すという農福連携の活動には、私もとても関心をもっています。これからの時代、ますます大切になってくるのではないでしょうか。
 新井さんが代表を務めている埼玉福興(株)も農福連携をやっておられるわけですが、どういうことをやっておられるのか、簡単に説明していただいてもいいでしょうか。
新井:
 大まかに言うと、埼玉福興グループとして動いていて、農業生産法人が農業を、NPOが中心になってグループホームや就労支援といった福祉事業をやっています。
 障がい者が寮やグループホームなどで生活をともにしながら、農業という分野で仕事を覚えたり、仕事を得て働くことを支援している団体だと言えばわかりやすいでしょうか。
 障がい者の人たちは、寮やグループホームから農園に通って農業をやります。その中で企業で働けると判断できる障がい者は、埼玉福興(株)で雇用したり、ほかの企業でお世話になったりしています。
中川:
 もともとは新井さんとご両親の3人で始めたことだそうですね。
新井:
 父は小さな縫製の会社をやっていました。縫製業も斜陽産業だったので次をどうしようかと考えていたとき、父が知り合いのすすめで障がい者の生活寮を始めることを決めました。
 1993年、私は19歳でした。自宅の2階を改装して、4人の障がい者を受け入れました。そこから始まって、1996年に父が社長、私が専務の埼玉福興(株)を立ち上げ、障がい者と暮らすうちに、障がい者の行く場所、働く場所がないことを知りました。居住場所を確保して生活をケアするだけでは不十分なんですね。もっと社会とのかかわりをもつにはどうしたらいいか。そこがとても大切なことだと気づいたのです。
中川:
 障がい者も働ける場所が必要だということですね。
新井:
 そうですね。最初は縫製業の下請け作業を障がい者の方にやってもらいました。でも縫製業は下火でしたから、だんだんと仕事が減っていきました。それで、血圧計の腕帯を作ったり、ボールペンの組み立ての仕事を請け負いました。しかし、受注量は安定しないし、作業に慣れたころに仕様が変更になったりしますから、障がい者は戸惑ってしまいます。
 さらに、うちが請け負うような単純作業は海外に移したり機械化する企業が増えてきて、受注量はどんどん減っていきました。
中川:
 大変なピンチですよね。そんなときに農業に参入しようと決めたわけですね。
新井:
 農業というのは人が生きていく上で必要不可欠な食料を作るわけですから仕事がなくなるはずがないと考えました。また、農業にはいろいろな作業があって、どんな障がいがあっても、何らかの作業ができるはずです。先ほど見ていただいたように、ひたすら種を蒔くということでもいいし、草むしりならできるという人もいるし、作物を袋詰めするのが好きだという人もいます。
 父が昔から農業をやりたいと思っていたこと、障がい者の生活をケアする者として、どんな事態になっても食べ物を提供しないといけないという責任感。理由はいろいろありますが、農業への参入は大きな転機でした。
 2003年から農業参入に取り組んだわけですが、当時は福祉と農業とはまったく畑違いで、障がい者が農業の担い手になるといったことも理解してもらえず、私たちが農業に参入するハードルは非常に高かったですね。

<後略>

2020年1月20日 埼玉県熊谷市の埼玉復興(株)にて 構成/小原田泰久

著書の紹介

農福一体のソーシャルファーム 〜埼玉福興の取り組みから〜 新井利昌(著) 創森社

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