(65)流れる水は腐らず

 ことわざに、「流れる水は腐らず」という言葉があります。
先代も、溜まり水があるような台所やトイレ、風呂場などの水回りにマイナスの氣が集まりやすいということで、水に氣を入れるアクアリフレッシャーを開発した理由の一つに上げているほどです。
 このことわざを辞典で調べてみると『常に活動し新陳代謝をしているものは、腐敗したり停滞したりしないということ。
常に流れている水は、生活排水などが混入するようなことがなければ、きれいで腐敗することはない。
「流水腐らず」とも表現し、古く中国の文献に見られる』とあります。
「氣が滞る」とも言いますが、活動が止まっていたり、新陳代謝のないところにマイナスの氣が溜まりやすいということで、このことわざは、まさしく氣の性質を言い表している言葉だと思います。

 例えば、年末の大掃除の季節ですが、マイナスの氣は人の手が届きにくいところ、人が意識しにくいところに溜まりやすいので、溜まりがちなマイナスの氣を掃除によってプラスの氣に変えるという、氣の観点からも新陳代謝を促すことに繋がる「掃除」は大切なことというわけです。

 また、真氣光研修講座で龍村先生が教えてくれるように、体は動かさないと筋力が落ちるばかりか筋肉や関節は硬くなり血流が悪くなって、そこにマイナスの氣が集まり易くなります。
ですから、体に真氣光のエネルギーを取り入れるとともに、ヨガやストレッチなど適度に体を動かすことが大事なのです。
同じように考えると心にも、泣いたり笑ったり、感動したりなどの心の活動と、心の新陳代謝(古いものを新しいものへと入れ替えていく)つまり成長していくことが大事だということがわかります。

 ところで、真氣光のエネルギーは、宇宙に無尽蔵にあり、いつも変わること無く地球に向かって注がれています。
滞ること無く、流れるように、真氣光の光が自分に注がれるようにするには、私たちが氣グッズやハイゲンキを利用して、調子が悪い時はもとより調子の良い時にも、真氣光を意識して取り入れようとすることが大事です。

 それは、自分を輝かすだけではなく、周りにも広がり、暗い部分に光となって伝わることで、よりいっそう自分と周りが明るくなるのです。

 明日から真氣光メンバーズの集いを開催します。
皆さんには、来年に備え、氣の新陳代謝の大きなきっかけとなるように、たくさんの真氣光のエネルギーを受けていただきたいと思っています。

(64)一難去ってまた一難

 私は、ハイゲンキや各種ヘッド、いろいろな氣グッズの開発を行っていますが、それが自分の役割のように感じて始めたのは2000年からのことです。
’95年に先代が亡くなりましたが、先代が夢で教わり作ったものを、夢を見ない私が同じようにできるとも、改良できるとも考えてはいませんでした。
しかし、私が氣を送ると出てくる魂たちの「もっと強い光のものを作ってくれ」という要求が高まり、尻を叩かれるようにして始めたのでした。
ですから特に最初のころは、どうして良いか分からず試行錯誤の連続でしたし、問題が次から次に出てくるなど、作ってくれる工場も含めて「一難去ってまた一難」ということが多々ありました。

 そして、私ばかりではなく、いろいろな人の話の中に似たようなことをよく耳にするものです。
私は、このことわざが、とてもよく氣の性質を言い表していると思っています。
私たちには、応援するように働いてくれるプラスの氣と、足を引っ張りたいと思っているマイナスの氣が関係しています。
マイナスの氣は、自分の辛い気持ちを分からせようとしたり、先祖をはじめその人まで恨みの対象と考えていたり等、いろいろな角度から私たちを不幸にしようとするのです。
そのような中で、私たちが何か問題があっても打ち勝とうと一生懸命に努力出来ることで、見えない光のような氣のエネルギーが増し、その光によって暗いマイナスの氣に光が届き消えて行くということもあるでしょうし、プラスの氣の応援を受け易くなるということもあり、「一難」が去るわけです。
マイナスの氣の影響が一旦は途切れて、また次には出てくるのですが、一度完結している兆しが見えるということがポイントです。
マイナスの氣は、一つではありません。
同じようなものがグループとなっていることもありますし、同じマイナスの氣が、あの手この手と隙をうかがっていることもあります。
その人を落ち込ませ、更なるマイナスの氣を味方として寄せ集めたいと狙っているわけですから、また一難がやって来た時に、その手に乗ること無く再び難に立ち向かえると、さらに光が増えます。
一難の一つひとつが、魂の輝きに繋がり、その繰り返しが人を強くし、心の余裕度を上げ、やがては他の人にとって「たいへんな事」という一難も「難」と感じなくなっていくのです。
さらには、難は無くとも自分から積極的に難しいことにチャレンジできることも自分自身の光を増し、周りをも明るくすることに繋がります。
真氣光を受けることで、それが容易になります。
宇宙からのエネルギーを利用して、自分から確実・着実に光を広めて行きたいものです。

(63)上り一日下り一時(いっとき)

 私は、きょうは東京湾に掛かっているレインボーブリッジを眺めながら、この原稿を書いています。
ここまでは、自転車で来ました。
電車の乗り継ぎが不便なところに行くときや、散歩感覚でゆっくりしたいときには、よく自転車に乗っています。
都内は、けっこう坂があり、出来るだけ高低差の無い道を選ぶのがコツです。
そうは言っても、我が家の脇には川が流れており、昔ならV字の谷にあたるところなので、川沿いには動きやすいのですが、川に交わる道路を使うときにはどちら側も上り坂になっていて息が切れるというものです。
一生懸命ペダルを踏んで苦労して上ると、その先は、ペダルを踏まずともあっという間で、涼しい風に心地良さが染み渡ります。
 ところで「上り一日下り一時」ということわざがあります。
ことわざ辞典で調べてみると「①坂を上るには時間がかかるが、下るにはわずかしか要しないこと。②物を作るのは大変だが壊すのは簡単だというたとえ。上りにー日を要する坂道となれば、普通は山道であろう。上りがー日に対して下りがー時(二時間)というのは、もちろんことわざ特有の誇張した表現だが、感覚的にはそれくらいの時間差が感じられるというのだろう。……」と、あります。

 確かにモノを作り上げるのも、人との信頼関係を築くのも、このことわざが表現してくれるとおりです。
さらに私は、プラスやマイナスの氣の性質をも表しているように思うのです。
マイナスの氣は、集まり始めるとどんどん同調して時間的にはあっという間に強くなるので、それにより調子が悪くなることがあります。
一方プラスの氣は、急激には増えないので、少しずつその効果が現れます。
何か問題があって真氣光を始めても、「上り一日」ですから、それが改善するには時間が少々かかるものです。
早く良くなりたいと誰もが思うのですが、そこで焦りは禁物です。
新たなマイナスの氣を呼んでしまうことにならないようにしなければなりません。
真氣光を利用することで、プラスの氣を取り込めますから、少しずつでも良くなっていることがあるはずで、その部分をしっかりと見て「いいとこ探し」をしながら、着実・確実に前進することなのです。
さらには、マイナスの氣を集めてしまう原因があるかもしれませんから、そちらに意識を向けることも大事です。
その際、どんなに人のせいだと思うことでも、氣の観点から考えると、自分の方に気づかなければいけなかったこと、マイナスの氣を寄せつける要因があったはずですから、そこに目を向け自分自身の気持ちや行動を変えていくことがポイントです。
それが「上りの時間」を短くするのだと思うのです。

(62)石の上にも三年

私は、サラリーマン時代の’92年、初めて真氣光研修講座を受講して、「私のようなものこそ氣は必要だ」と感じ、父である先代がやっていたこの会社に入社しました。
当時は電機会社で研究開発の仕事をしていて、テーマが変わって間もない頃でしたので、上司からずいぶん慰留されました。
しかし、私の決心は固く、一年かけて周りの人に仕事を任せ、辞めさせてもらったのです。
私は、上司に相談する前に一人でじっくり考え、妻とも相談して悩んだ末に決断したのでした。
新しい仕事を任されてたいへんな時期でしたから、「石の上にも三年」ということわざも頭を過ぎりました。
その時は、このことわざを浅くしか知りませんでしたが、氣の性質をよく理解できるようになって、この言葉の深い意味がわかりましたので、氣の観点から説明します。

このことわざを、辞典で調べてみると「辛く困難なことも、辛抱していればいつか必ず成し遂げられることのたとえ。江戸時代から常用されていた」とあります。
単純に言葉の表面だけを捉えると、変化の激しい現代の世の中では、大事な決断をするときに誤った判断をしてしまいます。
辞典には、辛抱する場所がなぜ石の上なのか、現代では分かり難いであろうが、江戸時代には不安定な生活を言う慣用表現に「石の上のすまい」があったと説明しています。
さらには「不安定な石の上に長く座り続けることが忍耐につながり、自らの体温で世間という冷たい石も温められる」とあります。
これは、まさしく「自らの体温」という自分にあるプラスの氣が、年月をかければ、邪魔をするように働くマイナスの氣をも浄化し「世間という冷たい石」も温められる、つまりいろいろなことが変えられるということだと思うのです。

私は、私たちの心の状態によってプラスの氣・マイナスの氣が発せられ、それに応じた氣が周りから集まりますと説明しています。
強いマイナスの氣の抵抗勢力が影響していると、少々のプラスの氣が集まって来ても、なかなか事態は変化しません。
辛く困難なことには、更なるマイナスの氣を引き寄せることなく、じっくりと辛抱することが必要です。
そのうちに、プラスの氣は、自分をはじめ周りにもジワジワと伝わります。
私は、研修講座を受講して、「まず自分と自分の周りの氣を変えることから始まる」ということ、つまり何事も自分次第だということを知りました。
自分の側にあるマイナスの氣、周りの人に影響を与えているマイナスの氣、それらに打ち勝てるよう、真氣光という宇宙からのプラスの氣の応援もありますから、自らの氣を高めて周りに良い氣を広めていきたいものです。

(61)泣き面に蜂

忙しい時に限って、いろいろな用事が舞い込んで来ることがあるものです。
以前、締め切り間際に原稿執筆をしていた時、やっと一つ出来上がってメールしようと思ったら、パソコンが壊れて書いたものが消えたばかりか、執筆と修理で大変な目にあったことがありました。
「泣き面に蜂」ということわざがあります。
災いが続けざまに起こることのたとえで、「江戸いろはかるた」に出典があるといいます。
皆さんの話を聞いていても、もともと左足が痛かったのに、さらに転んで右足も痛くなったとか、不幸な出来事が重なったということをよく聞きます。
英語にはMisfortunes never come singly.(不幸は単独では来ない)という言葉もあるとか、世界中で、昔から多くの人が体験していることなのでしょう。

氣の観点から考えると、マイナスの氣の同調作用ということになります。
目には見えない氣というエネルギーは、大きく分けてプラスの氣とマイナスの氣に分類できますが、それらは波動的な性質があって、似たようなものが集まることから、何かのタイミングで現れたマイナスの氣の影響による現象に、更なるマイナスの氣が集まって、それが不幸な出来事となって重なるのです。

このような時に、人間性が出てしまうというものです。
自分の心までもが暗くなったり、イライラしたり、八つ当たりや投げやりな態度をとったり、不平・不満・愚痴を言うなど、つまりマイナスの氣を出すと、更なるマイナスの氣を集めてしまう結果になりますから、事態をさらに悪くしてしまいます。
そんな時は、淡々と事態の収拾を図ること、静かに事を収めて態勢を立て直すことができれば、傷を最小限にとどめることができるだけでなく、後々までもマイナスの氣の力を弱められるのです。
プラスの氣である真氣光を受け、「後で笑い話にでもしよう」などと心の余裕が持てたり、さらには「不幸中の幸い」の部分に目が向けられれば、更なるプラスの氣の応援が受け易くなるというものです。

ところでこの同調作用、マイナスの氣がマイナスの氣を呼ぶなら、どんどんマイナスの氣だらけになって、これが連続的に急激に進めば、本来私たちの体の中にある氣のエネルギーまでもが消滅してしまうところですが、そういうことにはなりません。
私は、どんな人にも、その人を守るように働くプラスの氣というものがあり、それが最悪の状態にならないようにしてくれていると考えています。
その考えを突き詰め、プラスの氣の働きの凄さが体験によって感じられていくと、ある芸人さんが言っていますが「生きているだけで丸儲け」という考え方、つまりどんな事があっても動じない心の平安に繋がるのだと思うのです。

(60)待てば海路の日和あり

私の思い出のことわざに「待てば海路の日和あり」があります。
意味を調べてみると「待っていれば、いずれはよい機会がやってくるというたとえ」ということです。
お恥ずかしい話ですが、この言葉を、私はある時まで耳にしたことがありませんでした。
亡き妻が、何の理由で使ったかは今となっては定かではありませんが、私と結婚することが決まった後、何かの折に発した言葉なのです。
私は、知らない言葉を彼女に言われたので耳に残り、後で意味を調べて学んだので、とても印象深いことわざになったというわけです。

せっかちな私は、待つという行為が、とても苦手なほうでした。
昔は「どうしてもっと早くできないのか」と、文句を言いたくなってしまうこともありました。
待つ時間に対する人の反応は様々です。
同じ時間が経過するのに、ある人は平和な気持ちのまま待てるのに、私のようにイライラしながら、文句を言いながら待つ人、不安感で一杯になりながら待つ人、心配しながら待つ人…等々いろいろなのです。
この言葉は、待っていれば、いずれ悪くなるのではなくて、「よい機会がやってくる」ということなのですから、私たちを見守るように働くプラスの氣の存在というものを前提とした、ことわざとも考えられます。
私だけかもしれませんが、この言葉には、どこか柔らかい時間が流れる印象があるから不思議です。

何もしないで良いことが起こるのを、ただ待ってばかりいても、よい機会など訪れるはずはないでしょう。
しかし、精一杯の努力はするけれど、どうしても結果が出るまでは、待たなければいけない時というものがあります。
私たちの邪魔をするように働くマイナスの氣に対して、私たちを応援しようとするプラスの氣が、いろいろな局面で奔走あるいは画策してくれています。
時には、マイナスの氣の影響が少なくなるのには、少々時間がかかることもあるでしょう。
その時が来るまで、私たちは、マイナスの氣を引き寄せることなく、着々と光を増やし続けることが大事です。
真氣光をしっかり受けて、いいとこ探しをしたり、心が明るくなることを増やす等、できる努力を精一杯やってプラスの氣を集めるのです。

広義に「待つ」という行為を考えると、体が良くなるのも、自分の目標に到達するのも…、一足飛びには成りませんから、待たなければなりません。
そのような神様から与えられた時間を、自分自身の時間にできるか、マイナスの氣の思うとおりの時間にしてしまうかは、自分次第です。
私も、時々「待てば海路の〜」と心で言ってみるのです。

(59)百聞は一見にしかず

私の本「絶望を希望に変える氣の力」を読んで、無料体験会に来られる方がいらっしゃいます。「百聞は一見にしかず」と言いますが、目には見えない、科学でも捉えられない氣というものを知るうえでは、このことわざがとても参考になります。ことわざ辞典で調べてみると、『人の話を百回聞くより、自分の目で一度見る方が確かだということ』と、あります。昔の人は古くから自身の体験を通して感じていたことなのでしょう。 百聞ですから何回も聞くということです。聞くということにより、誰もが自分の頭の中で想像することでしょう。しかし、特に自分の体験に無いことは想像できないものですから、実感となって湧いてこないということで、実際に目にすることとは格段に違うということになるのだと思うのです。例えば、私は北海道育ちですから、東京で就職するまでは、富士山を見たことがありませんでした。富士山が日本一の山とは聞いていたものの、目の当たりにし、さらには登ってみて初めて、その大きさと美しさを本当の意味で実感できたように思います。そして、もう少し付け加えるなら、私は小さい頃からテレビでも、富士山の映像を見ていたのですが、当時それも想像の範囲内でしかなかったことを痛感したのでした。ですから、「目の当たりにする」という体験は、聞くことよりも目にすることの方が、情報量が多いという単純な話だけではなく、その場で体験しなければ、その場の雰囲気、つまり見えない氣を感じられないということになり、そこがポイントだと思うのです。 科学技術が進んで、ビジュアルな情報が多くなり、バーチャル・リアリティという仮想空間も体験できる時代になりました。話で聞く範疇をはるかに越え、何でも分かりやすくなっています。それ自体は素晴らしいことですが、それだけで何でも分かったような気にならないように注意が必要です。そこには氣が関係していて、実際に体験することとは大きく違うからです。 真氣光研修講座を何回も受講している方が、「今回、…がはじめて分かりました」と言われることがよくあります。私は、今までいろいろなことを聞いていても、マイナスの氣が邪魔をするように働いて、分からないようにさせられていることがあるのだと思うのです。研修で真氣光のエネルギーが充電されていくことと、各種行法や講義などによる何らかのきっかけで、影響を受けているマイナスの氣に意識が向くことで、スイッチがはいったように光が届き、それが消えて行くことで分かるのだと思うのです。百聞は一見にしかず、ぜひ研修講座に参加してみてください。
[追記]古いハイゲンキの下取りセールに、予想を超える反響をいただき、ありがとうございます。ハイゲンキとホワイトセラミックヘッドが欠品していますので、今回のセール対象商品すべてについて期間を3月末日まで延長させていただきます。

(中川雅仁)

(58) 雨降って地固まる

 私は、10年以上会員を続けている方から体験談を伺う「真氣光とともに10年」という月刊ハイゲンキの記事を毎月取材しています。
いろいろな方から話を聞いていると「雨降って地固まる」ということわざに当てはまる事例をよく耳にするのです。
これは、私の取材ばかりではなく、真氣光に関わっている全てというぐらい多くの人の話に共通していることで、その内容と言えば、最初は何か良くない事があるのですが、真氣光をどんどん取り入れていくと、それが解決するばかりではなく、さらに良い結果に繋がったという話なのです。
 「雨降って地固まる」ということわざを辞典で調べてみると、「いざこざや、もめごとが起こっても、それがかえって良い結果や、以前より良い状態をもたらすこと。
文献上の初出は安土桃山時代」とあります。
昔の人は「悪いことばかりではないから、物事を深く捉えるようにしよう。
一見悪いことも良いことに繋がることが多いから、そうなるように努力してみよう」と考えたから、この言葉がことわざになっているのでしょう。
 さらには、目には見えない氣という観点から考えてみると、どんな人にも守護霊や神様など、何か見守ってくれているプラスの氣の存在というものがあって、それらによって私たちは、助けられたり、より成長できるように導かれたり、生かされているとも考えられるのです。
 真氣光を送っていると、氣を受けている人が反応して、その人の口を借りて霊的な存在(マイナスの氣)が出てくることがあります。
なかには、その人の先祖に苦しめられたと恨みを持ち、未だに苦しいから子孫まで恨み、悪い出来事を集め不幸にしようとするものもあります。
しかし、真氣光のエネルギーが作用すると、苦しいから恨むというマイナスの氣が、次第にラクになり、そればかりか逆に恨んでいた人からラクにしてもらっていることに気づき、感謝しながら最後には守護霊のような存在のプラスの氣に変わるのです。
つまり真氣光によって、その人を取り巻く氣の環境がマイナスからプラスに大きく変わるということになり、これが「雨降って地固まる」を、多くの人が体験している理由なのです。
 22日土曜日から3日間に渡って真氣光メンバーズの集いを開催します。
参加することによって、たくさんの真氣光を受けることができます。
今現在、何か問題を抱えている人、あるいは何も抱えていない人も、自分のマイナス的な部分をより意識し、集まってくる強いエネルギーを利用することで、マイナスをプラスに、「雨降って地固まる」を体験していただきたいと思うのです。
多くの方の参加をお待ちしております。
(中川 雅仁)
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(57)人間万事塞翁が馬

 今しがた宅配便でステレオのリモコンが届きましたので、今日はこの話にします。
私は、テレビを見るよりはステレオで音楽を聴いているほうが多いのですが、先日ステレオのアンプの電源が入らなくなりました。
「氣のせい」かと思い、数々の対策を試みましたがダメで、仕方なく宅配便でメーカーに修理に出したのです。
1週間程すると、アンプ本体のソフトをバージョンアップしたら正常になったということで、無料で戻って来ましたが、同梱したはずのリモコンが入っていません。
電話で確認すると、メーカーで紛失したということがわかり、最新型の機能アップしたリモコンが送られて来たというわけです。
結局、私は宅配便に出した僅かなお金で、新型リモコンが手に入ったわけで、すごく得をしたことになるのですが、人生は長いもの、「人間万事塞翁が馬」ということわざを思いだしたところです。
 このことわざを辞典で調べてみると「吉凶も禍福も予測は不能なので、災難も悲しむことはなく、幸運も喜ぶことではないということ。
中国・漢代の故事」とあります。
私たちは、ついつい短いスパンで、運がいいとか、悪いとかと物事を捉えてしまいます。
特に、悪いことが目の前に現れた時に、「どうして!」とマイナスの気持ちになってしまうのです。
しかし、それは良くなる前に起きることかもしれませんし、さらに長い目で見ると、何が幸か不幸かわかりません。
そんなことに一喜一憂することなく、私たちを生かしてくれている大いなる存在に対し、何事にもただ感謝する姿勢が大事なのでしょう。
 私たちの周りには、私たちを応援しようとするプラスの氣と、私たちの邪魔をするように働くマイナスの氣が存在していて、自分の気持ちに応じて、それらの影響を受けるのです。
プラスの氣ばかりではなく、マイナスの氣もあるのですから、良いことが起きて有頂天になっているとマイナスの氣に足をすくわれますし、悪い出来事が起きた時には、気持ちを切り替え良いことに意識が向かないと、プラスの氣の応援は受けにくくなってしまいます。
たいへんな時に、なかなかそれは難しいのですが、私たちには真氣光があるので、ヘッドや氣グッズを使って、まずはプラスの氣を取り入れて欲しいのです。
「いいとこ探し」をしようと努力を続けるうちに良いことが見えてきます。
 幸?不幸?…最終的に体を失った後、光のほうに行けるか、暗くて苦しいほうに行ってしまうか、なのだと思います。
それまでの間、少しでも自分と自分の周りの氣を明るくできるように日々を過ごすことだと、私自身も精進の日々です。
(中川 雅仁)
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(56)千里の道も一歩から

 「千里の道も一歩から」とは、良いことわざです。
ことわざ辞典には、「どんなに大規模で遠大なことでも、小さなことや手近なことから始まるたとえ」とあります。
私は、2年前の本ニュース年初の号でも、このことばを記事中に引用しています。
最近よく頭に浮かぶのですが、深い意識のどこかで「もう若くないから無理だ」という諦めの気持ちがあるのでしょうか?マイナスの氣の影響を受けているわけにはいきませんので、ますます進むべき「千里の道」を見つけては、まず「一歩」から進まねばなりません。
 真氣光研修講座では、龍村修先生がヨガの講義を担当してくださっています。
先生の体の柔らかさは、毎日の積み重ねがあってのことですが、「先生だから出来ることで、体がとても硬くなってしまっている自分には到底無理だ」と、ずっと私は諦めてしまっていました。
しかし、少しずつ、部分的にでも動かせるようになってくると、嬉しい気持ちも手伝ってか、「自分にもできるかもしれない」という気持ちが湧いてくるものです。
体の筋肉は意識して動かさないと、せっかく備わってくれているのに、動かせない部分が多くなります。
動かさない筋肉は固まってしまい血流が悪くなり、一部のことが体全体のひずみとなって、痛みがでることもあります。
さらには、そのようなところにマイナスの氣が集まりやすくなるのです。
私の場合、デスクワークが多い生活で特に運動もせずに、一部の筋肉のほんの一部分しか使わないという悪い生活習慣になっていたのでしょう。
いつからか、マイナスの氣による影響を受けていたと思われます。
 ところで、私たちの周りには、プラスの氣とマイナスの氣が存在します。
マイナスの氣は、その人を良い方向に変えたくないと、足を引っ張るように働きます。
そのようなマイナスの氣の抵抗に打ち勝つためにも、私たちは一歩ずつ進むということがとても大事です。
ある時には、多く進める時があったり、後退を余儀なくさせられる時もあるでしょう。
しかし、一歩でも進もうとしないと、いつまでもマイナスの氣の影響を受け続けることになります。
「千里の道」とは言いますが、十里でも進めれば、何もしないよりはズッといいわけで、まずは一歩がなければ何も始まらないのです。
 また、私たちには、いろいろなプラスの氣の応援があるものです。
「こんなことをしてみよう、してみたい」と思うのも、プラスの氣のおかげです。
プラスの氣は「千里の道」の存在に気づかせ、「歩けるんじゃない!」と促し、一歩そして一歩と応援してくれるのです。
真氣光というプラスの氣も活用して、良き道を着実に進みたいものです。
(中川 雅仁)
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